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♯13 簒奪者

 ──既に満身創痍だったジャックは、帽子の男が撃った針の応酬を避けることが出来ない。


「ぐッ……こんな、ショボい針くらい」

 速度こそ凄まじかったものの、針の威力自体はそこまで強くはなかった。意図的なのかは分からないが、放たれた三本の針全てが胴体に向けられている。

「その様子じゃ、これで撃ち切りだろ……

ははっ、顔面を狙うんだったな」

 反撃の為、距離を詰めようと一歩踏み出したジャック。そのつもりなのだが、進もうとしているにも関わらず身体が思い通りに動かない。それどころか、膝を力なくついてしまう。


「ジャックさん……!」少年を治癒していたブローチをつけた彼女の、掠れた声が聞こえる。

 

「……なんだ、身体が重い。毒……?」

 ジャックは息が出来なかった。陸で溺れていたのだ──全身が異常な程に熱い。

まるで、炎にくべられた薪のようで、身体の内側からジリジリと燃えているように感じる。


 帽子の男は悶え苦しむジャックを、驚きを浮かべながらも愉悦した表情で見下ろす。

「中々にオーバーリアクションだな? ミスター・ジャック、喜んで貰えたようで何よりだ」

「マルテュリウム。より深き浸礼を施したこの処刑者の針は、貴様ら異端者の扱う()()()()()()()を封じる。といった概要の代物なのだが……」

「本来、処刑者の針には異端の力を抑え封じる効果はあれど、それ程までに無力化するには至らない。

……ミスター・ジャック、どうやら貴様は、何らかの例外に当てはまるらしいな?」

「何にせよ、こちらとしては手間が省けて助かる」

 勝利を確信したかのように掲げる彼からは、己の意思の介入は感じられない。疑問さえ持たず命令に従い続ける冷たい機械のようだ。


 ジャックの不撓の意志に反して、身体は徐々に生気を失っていき意識も朦朧としてくる。

 そして力なく、地面に倒れ込んでしまうのだった。


「おいおい、頼むからまだ燃え尽きないでくれよ? ()()()()()()に何を言われるか分かったものじゃない」

「火炙りは俺の専門(溺死刑)ではないが……

証明も済んだことだ、執行するとしよう」

 帽子の男は振り返ろうとしたが、忘れ物でもあったかのように動きを中断する。そして、再びジャックの方に振り向き語りかける。

「ああ……そうだったな。

ミスター・ジャック、完全に失念していたよ」

「悪魔に堕ち魂を犯された身であれど、人々の為懺悔し殉教者となれるというのに、導き手である処刑者()の名前を知らないとなれば、色々と困るだろう」

 

 そして男は、礼儀正しく一礼し自己紹介をした。

「マシュー・ホプキンス。検邪聖省よりここ、エフォロイ城を任されている異端審問官であり

貴様のような異端者や魔女を炙り出す捜査官であり……処刑を教会に任された執行者だ」

「気に病む必要はない。寧ろ、貴様が正しく殉ずる事で我々の犯した罪が昇華される。

光栄に思ってくれ」

 帽子の男、マシューはジョンを呼びつける。ジョンはその長い杭を処刑台に叩きつけた後、異端者を壇上に連れて行く為に肩を担ぎ持ち上げようとした。だが、一連の流れを一人の男が止める。


「ホプキンス、もう馬鹿な真似は止めろ」

 

          * * *


 審問官マシューは神妙な顔で、声のした側を睨み付ける。人混みの中からは、星辰の教会の使者達とはまた異なってはいるものの、祭司者を思わせる格好をした人物が現れた。

「貴様……」


 司祭の様な恰好をした人物が間に入って中断したことにより、群衆も戸惑いを隠せない。

『なんだ? 教会の仲間割れか?』

『どういうことです? 将軍閣下の執行をなぜ教役者が……』

 

「皆さん。どうか、落ち着いて聞いてほしい。この裁判は認められない」

 人々がその発言に対して困惑と疑問を投げかけようとも、男は動揺すらしない。ただ一直線に群衆の先を見据えている。

「私はゴール。彼と同じく、星神に仕える()()だ」

「兄弟姉妹よ、このような行為は教えに反している。これ以上、我々が血を流す必要などない」


 マシューは人々を諭すゴールに対して苛立ちを隠せないと同時に、彼を激しく憎んでいるようだった。

「おお、ゴール……我が旧き友人」

「狂人が、今更何をほざきに来たのかと思えば、また俺の邪魔をするつもりか」


「狂人はお前だ、ホプキンス。これ程の卑劣なる行い……私がいない間に、一体何があったというのだ

主だけでない、故郷のジェームズさんが見ればどれほど──」


 聖職者がジェームズという名を出す。すると、マシューの表情はみるみる内に曇り始める。

「黙れ! その名前を出すな……」

 処刑者は激しく取り乱していた。信任を置いていた教会の使者のあられもない様態を見て、群衆の意見も分かれ始める。誰についていけばいいのか分からない、それらしい装束に振舞いだけでしか、彼らの是非を判断できないからこそ。


「どこに消えていたのかと思えば、今更何故のこのこと出て来やがった」

 とても旧知の間柄な友人に向けるものとは思えない、軽蔑と増悪の視線が二人の間に交わされる。だが、少なくともゴールと名乗るその司祭は、彼のことを諭そうとしているようだった。


「……遅くなって本当にすまなかった、お前を止めに来たんだ」

「噂は聞いている。確かにお前は、取り返しのつかない事をした。

それでも、主に対して罪を告白し行いを悔い改め続ければ……きっとまだ、やり直せる」

「帰ろう、故郷マグナ・ウェンハム、東へ。

ホプキンス、皆が待っている」


「貴様に何の根拠があって、そのような妄言を振り撒ける。

それに、俺は……教会は間違ってなどいない、間違えない」

 マシューは何かから目を背ける様に、或いは耐える様にして歯を食い縛る。


「根拠ならばある」

「あれから随分と状況が変わった。この場では詳細を話せないのだが……

もう、腐敗しきった星辰の教会に怯える必要はない」

「我々()()()()()()()()()の首長にだ。あのお方は今こそ潜伏の身であるものの、ジッキンゲン殿やフッテン殿、それに……カルヴァン殿のように、改革派の側に立って戦おうとする者達も増えている」

 会話についていけるのは、マシューとゴールだけ。聞いた事もない固有名詞が飛び交う中、二人だけが揺れ動いている。

「ホプキンス、どうか我々に協力してほしい。お前が来てくれるだけでも、地元の民は皆喜ぶだろう。だから、共に戦おう」


「……そんな戯言は根拠などと言わない」

 マシューは自身の顔を抑えながらも小さく手を払い、ジョンに何かを指示する素振りを見せた。

 

「仕事の事が心配なのか? それならば気にしなくて良い、私が親父さんに伝えよう」

「お前は優秀とは言えなかった。ただ、誰一人として見捨てない優しさを持っていた」

「君さえ望むのなら、また現職に復帰することも……」


 荒々しい口調で答え続けていたマシューは、突然不気味なまでに冷静になり低い声で話す。

「……守るべき者が、もう誰一人として()()()()()()()()()()のだとしてもか?」


「──は?」


 あっけにとられているゴール()()をよそに、マシューは顔を抑えていた手を下ろし、感情に押しつぶされて歪んでしまった表情を露わにして、旧友の目を見つめる。

「ゴール、我が旧き友人」

「いつもそうだった、貴様は……何も視えていない。

 全てをかなぐり捨てて、自分一人だけ逃げたからこそ……何も知らないのだからこそ、無責任な事をほざけるのだろうな」

「この俺が、どれ程までに」

貴様の首(罪の呵責)(から)刎ね飛ばす(解放される)この瞬間を、待ち焦がれていたのかを」


 ジャックが声を掛けようとした時にはもう既に遅かった。いつの間にかゴール()()の背後には杭を持ったジョンが迫っており、彼が気配を感じ取って後ろに振り返るよりも速く、ジョンはゴール牧師の首から上を弾き飛ばすのだった。


          * * *


 地面にバタンと斃れてしまった、ゴール牧師だった()()を眺めて、群衆が騒然とする。暗い赤が、ズタズタの切り口から地面へじわりとにじむ。やがて、血だまりが顔の大きさの倍くらい広がった頃、群衆からポツリポツリと疑念が投げかけられ始めた。

『おい……アイツ、星の導き手をヤりやがったぞ』

『誰に続けばいいのです? 私たちには真っ暗で何も見えないですのよ』

『こんなこと、主神は本当に望んでいるわけないだろうに。もう、何が正しいことなのか分からない』

 

 ジョンは血で濡れてしまった杭を布巾で拭き取りながらも、この失墜の光景から目を背けている。群衆は戸惑う。それぞれが不信、疑念、失念に駆り立てられていた。

『ジェネラル、何とか言ってください! これが正しい導きなのですか』

『なぜアンタら、福音者同士が争うんだよ……

 本当は教会の使者達ですらもう、導きなんて見えてないんじゃねえのか?』

『ふざけんな! 何がお恵みだ! 

貴様らは星の導きを盾にして、俺達から搾り取ろうとしてるだけじゃねぇのか? あ?』

 一斉に、裏切られた喪失と怒りの声が上がり始める。救いを求めるだけの彼らにとって、効き目のないであろう処方箋はビタミン剤にも満たない。


「黙れ」

 堪忍袋の緒が切れたマシューの野太い鶴の一声が、無知な患者のように喚き続ける群衆を一蹴する。

「……欽定版福音聖書、第22章18節」

「悪魔に与する()()は皆、清浄の為に殉教せねばならない。

分かるな?」


 マシューの緊迫した声色に、群衆は一斉に静まり返り誰一人として何も言い返そうとしない。或いはもう、反論することすら出来ないのかもしれない。

「理解できないというのならばそれでも構わない」

 マシューは俯きながらも、転がり落ちた生気のない頭へ近づき踏み潰す。

「ただ……烏滸がましい此奴と同じように、こうなっちまうってだけだ」

 

 きっと、この場にいる誰もが幸せに生きたがっているのだろう。ただ、その方法を誰かに委ねきってしまっていただけなのだ。本当にそれだけで、人はこうも残酷になれてしまう。

 ジャックは一連の行動を見かねて、思わず話しかける。

「その人はもう、亡くなったんだ。そこまでする必要はない……だろ」


「黙れ……」


 拒絶するマシューを余所にジャックは、彼の深層へと諭し続けた。

「それに、ゴールさんは、お前を心配していた。彼にとってあんたは友人だったんだ」

「それなら何で……何を恐れて、こんな非道いことをするってんだよ……」


「違う、違う! そのお喋りな口を閉じろ、この異端者が、悪魔憑きが……魔女が!

……いくら道理を語っている気になったところで、貴様の言うことは何も、正しくない……」


「いや、そんなことは……ないね。……お前自身も、薄々勘付いているはずだ」

「そうじゃなけりゃ教役者のあんたが……()()()()が道理を語ってるだなんて間違っても思ったりはしねぇよ」


 マシューは図星を突かれたのか、額に血管を浮き出させながらジャックの方に接近する。そして、曲がる向きとは逆に強く打撃を与えることで、彼の肘関節を叩き折るのだった。

「ぐあぁッ! クソッ、いてぇだろうがッ…ああぁ」

 ジャックの前髪を掴み何度も地面へと4~5回叩きつけ、彼が意識をほぼ失った後に顔を持ち上げる。

「なあ……口は災いの元って言葉を知らないのか? お陰で多少は綺麗だった顔も台無しじゃないか」

 思ってもないことを言いやがるとジャックは考えつつも、顔に滴り落ちる血を拭った彼の動作からは初めて人を慈しむ意思が伝わってくる。

「貴様は何も知らないから、軽々しくそう言えるのだろうな……奴と同じ、屑でしかない」

 マシューは己に言って聞かせる様に呟き、一度深呼吸をするのだった。


「マリーは集金を、ジョンはセッティングを頼む。さあ、始めようか。我々は我々の成すべきことを」

 ルーティーンのように発せられたその命令は、彼が如何に熟練であるかを証明するのにこれ以上なかった。マシューはジャックから手を離す。口に入った砂からは、乾いた感触に血の混じった味がする。

 

 ──ジョンは再び元の調子を取り戻して杭を突き刺し周囲に薪をくべ始め、槌のマリーも動揺を取り繕い、意気揚々と集金を再開し始める。この世界で生きていく上で、波に対しての逆らい方も知らない稚魚には相応しい最期なのだろう。寧ろ、苦しみを直視しなくて済むのならば、これはこれでいいのかもしれない。

 ……それでも、ジャックの目から、光は失われていなかった。それもこれも、死んでから考えればいい話だ。身体の感覚だって戻ってきている。

 何よりもまだ──諦めたくなんかない。

 

 ジャックは鉛のようなその味を受けいれ、歩みを途絶えさせない為に一矢報いようと、準備を終えたジョンがこちらを担ぐタイミングを伺って動けないフリを続けた。

 あと三歩、二歩……歩幅の長い足音が段々とこちらへ近づいて来ると同時に、体内で響く心音も大きさを増す。無意識のうちに、呼吸の音だけが小さくなっていく。

 そして、手が届くまであと一歩の所だった。宙に何か大きな物が高速で放り投げられ、空気を切り裂くような通過音が鳴り響く。瞬きをした後再び目を開けるとこちらに向かおうとしていたジョンが、馴染み深い巨大な剣に叩き潰されていた。


 ジャックは思わず砂を飲み込み咽る。周囲のどよめきが広がるよりも前に、聞き覚えのある粗暴な声が発せられた。

「事あるごとに星だの教会だの嘯きやがって……ロザリオ(聖職者)にでもなったつもりか?」

 ──馴染み深いその声の主は、ジャックが今一番望んでいた助舟を出してくれる人物だった。

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