♯11 魔女を証しする者
──中心街の広場には、ある集団を起点に人集りが出来ていた。
「すいません!どいてくれ!うおっと…ごめんよ?あとちょっとで…」
駄目だ…あまりにも人が多すぎて何が起こっているのかすら見えそうにない。
異様な程の民衆の熱気。それも、洒落臭い衣装をしている人から露天商や根無し草、年だって老人から子供まで様々だ。街商道の交差点とはいえども、これほどまでに出自を問わず関心を向けていられる。
…ギャングの抗争はありえない。ましてや、強盗だなんてもっての外だろう。
やれとっちめろだの、捕まえてしまえだの…群衆の罵声や怒声もエスカレートしていく。さながら、数少ない娯楽に熱中するかのようで。昼の間は屑拾いに出かけている俺には、この騒ぎの理由など見当がつかなかった。ただ──嫌な胸騒ぎが鳴り止まない。
「ここからなら、せめて状況だけでも…」
観衆の間を縫って、ジャックは漸く中心を覗けそうな程の隙間を見つける。視線の先には、見覚えのある人達と、古臭い恰好をした3人の集団がいた。
* * *
「だから…知らないんです!」
「嘘はつくもんじゃあないですぜ、奥さん?」
手が動かしやすそうな短いケープを羽織りながら、その下に色々な意味で時期外れの分厚いコート。そして、印象的な黒い巡礼者の帽子を被った髭面の男が、みすぼらしい恰好をした女性の腕を掴んで、何かを問いただしている。
あの人は…間違いない、砂漠であったターバンの子供の母親だ。
「本当に何も…ましてや、今どこにいるかだなんて…」
「黙れ!…一週間前、貴様が異端者ジャックと共に居たことは知っている」
「何も知らない筈がないだろう?情報さえくれれば、こちらも無駄に手を煩わす必要がなくなる。
…なんてこった、WinWinじゃないか!」
先程の外面だけ見繕った紳士風の口調とは一転代わって、その男は薄汚い狂気の本性の片鱗を見せる。だが脅されているにも関わらず、知らないからなのか、或いは黙ってくれているのか、母親は何も話そうとしない。
口を割ろうとしない女に腹を立てて、帽子の男は悪態を吐く。
「はあ…これだから、スカベンジャー相手はやりにくい」
そして、徐にコートの中から針状の器具を取り出した。
「悪魔憑きに協力するのならば、俺はな、奥さん。
立場上、貴女を確かめなくてはならないんでね」
「そう震える必要はない。もし貴女が魔女じゃないってんなら、ちょいとチクっとするだけですむ」
男は観衆に見せつける様にして、「清純を証せよ」と高らかに叫ぶ。すると、針の末端が青白く光ったかと思えば、母親のうなじに突如として印が浮かび上がる。そして男は、その印目掛けて針を突き刺そうとするのだった。
「マズい!間に合わ…」
大衆の盛り上がりも相まって、人々の混雑から抜け出せそうにない。
「や、やめろ!おかさんから…手をはなせ!」
まさに腕を振り下ろさんとしたその時、奥の方で身を隠していたターバンの子供の怒声が辺りに轟く。
帽子の男は、その声に窘められたかのように、ゆっくりと振り上げた右腕を仕舞う。そして、子供の方へ、無言でじりじりと近づくのだった。
「あ、あの…やめてくださ…ッい゛」
その男は右腕を下し、子供の喉を掴み上げる。
「…大人しくそこでガタガタ震えてりゃ良かったものを、目立ちたがりはロクな死に方をしない」
帽子の男の表情が、先程までの仕事を遂行する上での落ち着きから、冷徹な殺人者の表情に豹変する。弱みに付け入られたかのように、いかにも気が立っているといった風体だった。
「…おまえなんか、こわくないから」
子供は宙に浮いた状態のまま、力なく届くこともないその四肢で殴り蹴ろうと暴れる。
「そうだな、奥さん。残念ながら貴女のお子さんは、”目上の人に生意気利いてはならない”という
当然の教育すらなっていないみたいだ…」
帽子の男は顔をしかめて、”生温いお前の代わりにしつけてやろう”とでも言わんばかりに苦しむ子供を睨み付けていた。
「あっ…がっ…い゛きが」
勇気を出して母親を助けようとした子供も、大人の力には敵わない。
ただ、母親の息子を呼ぶ悲痛な叫び声が辺りに響いた。
「おい、ガキ。お前、好きなモンは何だ?何だっていいから言ってみろ、手も少し緩めてやる」
「ほら、早く言え!」
ターバンの子供は怯えながらも、反骨心を絶やさずに答える。
「…おかさんを、いじめ…う゛っ」
「質問に正しく答えられないだなんてな、
呆れたものだ。スクールで何を教わってきた?」
処刑人の表情は、憤怒の絶頂にいることを暗に物語っていた。
「…なぁ、クソガキ。俺はだな、お前みたいな身の程も知らないで夢見ちまうバカ野郎が、絶望を味わって無様に砕け散るのを見るのが好きで仕方がないんだよ」
そして彼は、首を握り絞めたまま更に持ち上げる。
「ジョン、やれ。腹の虫が治まらん。もういい、此奴らは魔女だ」
手前で待機していた男女二人組の片割れである、ベストを着こんだ長身の男ジョンが、重い腰を上げ母親の方へ寄って行こうとする。
「ですがボス、彼の者は自供しておりません故、断罪は如何なものかと…」
「悪魔に与する者は皆魔女に等しいといえよう、真偽を証すまでもない」
「ジョン、分かったか?貴様はただ、自分の役に従えばそれでいい」
「…仰せのままに」
ジョンはそれ以上噛みつこうとする素振りすら見せずに、紐に繋がれた犬のように命令を飲み込むのだった。
「目ん玉かっぴらいて最期までよく見てろよ?おっと、視線を逸らすのはお勧めできない。
何たって、生きている母親の姿が見られるのは、これが最後になっちまうのだからな」
帽子の男がそう吐き捨てると、帽子の男はゲラゲラと不快な声で笑い出す。
子供は潰れて出せない声の代わりにわんわんと涙を流す。抗う力も残されていないからこそ、今から見るであろう地獄を眺めることしか出来ないのだろう。
「させるか…ぁ!」
あのジョンとかいう男、相当多くの人を手にかけてきたに違いない。凍り付いた目に立ち振る舞い。
あいつなら何の躊躇いもなく、子供の前で母親の頭蓋だって叩き潰せるだろう。
…あの日の俺と同じような思いはさせたくない。しかしながら、群衆の押し合いに無理に割り込んでしまったせいで、圧迫されて声も出せない上に未だ片半身しか抜け出せていない。
ジョンという男が方柱状の笠のようなものがついた、歪な先端をした杖を勢い良く地面に叩きつける。すると、瞬く間にそれは巨大な杭に変形し、それを大きく振りかぶり母親の頭から突き刺そうと構えた。
苦しみ悶える子供相手に、帽子の男はこの状況を愉悦しながらも、いかにも教役者らしい方便を騙る。
「安心しろ、俺も星の慈悲を軽んじるような背教者ではない」
「全てが終われば、お前も楽に眠らせてやる。
”布相応の外套を身に纏っておけば”こんなことにはならなかっただろうにな」
あと少しで体が抜けそうなのに、人がひしめき合って荒ぶるせいで出られない。
そう、ジャックがもどかしさで苦悩していた束の間の出来事だった。
「お願いします。その子から、手を放していただけませんか?」
──繰り広げられる地獄の最中、突然、盛り上がる観衆の声に割って入るかのようにして、天使の如く透き通った声がかけられる。シャーデンフロイデに酔いしれた観衆の歓喜も鳴りを潜め、辺りが静寂で包まれた。
* * *
でっち上げたものだったとはいえども、異端を裁く審判が妨げられたことに群衆が騒然とする。
──訴えたのは同い年くらいの若い女の人で、オールドスタイルの白いブラウスに胸元には目立つ銀のロケットブローチ、長いブロンド色のお下げを後ろに三つ編みに結った髪の上に青い花が刺してある船乗りの麦わら帽子を被っていた。そして、その花と同じ色合いの丈の長いスカートを履いている。恰好からして、空の貿易商人なのだろう…それも、結構裕福そうだった。
突然の第三者の介入に、観客の熱狂は静まり返り帽子の男は唖然とする。
「…聞こえていませんでしたか?下ろしてあげて、と言っているのですが」
彼女の真摯な訴えとは対照的な、呆れた様子の少年が彼女に近づく。
「ああもう!やめろって言ってんのに…
どうか気にしないで、姉ちゃんの悪い癖なんだ。ごめんなさい!」
「ほら帰るよ姉ちゃん。買い足しに来ただけなのに、こんなのにいちいち構っていたらキリないじゃんか…」
分厚いゴーグルを頭にのせて、青いオーバーオールと安全長靴を履いた少年が、自身の姉と思われる女の手を引こうとする。だが、掴みかかるその手を、ブローチを着けた彼女は強く払いのけるのだった。
「このような行為は道理に反しているわ…
力の強い大人が、あどけない子供をいたぶるだなんて」
「放しなさい、これ以上は見過ごせません」
厳しく言い寄る彼女に気圧されたのか、帽子の男は手を放して後退りする。
「けはッ、けほッ…」
放された子供はどうやら無事なようだったが、首筋にははっきりと跡が残っていた。
「こんなになってしまうまで握り締められて…大丈夫、お姉ちゃんが治してあげるから」
屈み込んで優しく励ます彼女を、面白くないといった具合で男は見下ろす。
「しかしねぇお嬢さん。我々も、お遊びでやっている訳ではないのだけどな」
「それに、だ」
先程の劣勢が嘘の様に、男は屈んだ状態で子供の首元にあてていた彼女の右手を、強引に捻り上げるのだった。
「いやっ、離して!」
「…お嬢さんよ。貴女の綺麗なお顔と目、そして患部に手をあてるその仕草。
何処かで拝見した気がしてならない」
「おい、テメー!姉ちゃんに何しやがる!離せ、さもないと…」
オーバーオールを着た少年が激昂し、大股で詰め寄る。
帽子の男が「マリー」と誰かの名を呼ぶと、部下と思われる二人のもう片方、小柄な女性が身の丈以上の大きな槌を握りしめ、踏み寄る彼に向かって振るうのだった。
マリーの卑劣な一撃によって弾き飛ばされた少年は、露店商人の屋台に置いてあった樽に激突し、糸の切れたように脱力する。
「スチム!貴方…」
激しい憎悪の表情で、彼女は帽子の男を見上げる。
「おやおや、さっきまでの威勢はどうしたんだお嬢さん。いや…
忘却の魔女と、呼んだほうがいいか?」
その名を聞いた途端に人々はざわめきだし、彼女の顔はみるみるうちに青ざめてゆく。
「Miss Lethe…貴女は俺のことなんざ知らないだろうが、この界隈じゃかなりの有名人だ。
貴女の麗しいその顔に架けられた十字の大きさ、忘れるはずがない」
「…まぁ、俺の勘違いだったらよろしくないからな、一応確かめさせて貰おうか」
そして男は、再び例の魔術を唱えて、彼女の腕に針を突き刺そうと振り被る。
絶体絶命の状況、時間はもう残されていない。
「うッ…クソ、全然前に出れねぇ」俺は呼吸が詰まりそうになるのをこらえながらも、群衆に挟まれる胴体をなんとか押し出そうとする。だが、右隣にいるふくよかな体格をした巨漢が邪魔をして、向こう側に出ることは叶いそうになかった。
「ああもう、デカすぎんだろうが…ァ」
こうなった以上、あまりこんな事はしたくなかったがやむを得ない。
「すまねぇな、おっさん──ちょっとだけ我慢してくれよッ!」
俺は巨漢の右足を思いっ切り踏みつける。瞬間、痛みでひるんだからか身体がよろめき、群衆の間に僅かに隙間が生じた。注目の視線が自然とジャックに浴びせられる。やり方は少々強引だったが…取り敢えず舞台に上がることは出来た。これ以上、誰かを虐げる惨状を黙って観てなどいられない。何とかしてこいつ等の注目を俺に集めないとダメだ。
「やめろ、その人から手を放せ!
…お前らの狙いは、俺なんだろ?」
ギリギリの所でジャックは抜け出すことに成功し、群衆の合間から姿を見せるのだった──




