プロローグ シャベルxしゃべる
意識が戻ると、そこはどこまでも真っ白な空間だった。
天井も床もない。
ただ白い世界が広がっているだけ。
「……ここ、どこ?」
女子高生・結城ひよりはゆっくりと体を起こした。
確か、自転車で下校中だった。
信号が青に変わり、横断歩道を渡ろうとして――。
眩しいヘッドライト。
耳をつんざくクラクション。
そして、全身に走った衝撃。
「……あ。」
そこまで思い出した瞬間、自分が死んだのだと理解してしまった。
「そう、私は……。」
「はい。残念ながら亡くなられました。」
鈴の音のように澄んだ声が、静かに響く。
振り返ると、そこには神々しい光をまとった美しい女性が立っていた。
長い銀色の髪。
純白の衣。
背中には淡く輝く翼。
「女神様……?」
「はい。」
柔らかな微笑み。完璧な所作。どこまでも穏やかな声。
「あなたは事故によって命を落としました。しかし、その魂はまだ若く、本来の寿命ではありません。異世界で新たな人生を送っていただきます。」
「異世界!?」
思わず声が裏返る。
「もちろん、転生特典も用意しています。」
(チート能力とか!? 魔法!? 最強剣!?)
期待に胸を膨らませるひより。
女神が静かに手をかざすと、光の中から一つの物体が現れた。
「こちらになります。」
「……シャベル?」
ごく普通の鉄製のシャベルだった。
「え?」
「どーもーーーっ!!」
空気をぶち破るような大声が響いた。
「ワシや! しゃべるシャベルやでぇぇぇ!! よろしくな嬢ちゃん!!」
「…………。」
ひよりは固まる。
静寂と騒音の落差が、頭の処理を完全に止めた。
「しゃ、しゃべったぁぁぁぁ!?」
「そらしゃべるで! むしろ黙る方が苦手や!」
「なんで!?」
「静かにすると落ち着かへんねん! なんかこう、間が怖いんや!」
「知らないよそんな事情!」
シャベルは一人でテンションを上げ続ける。
「いやぁ、若い子と組むん久しぶりやわ! ええなぁフレッシュやなぁ!」
「女神様!」
ひよりは勢いよく振り返る。
「これ、返品できませんか?」
「できません。」
間髪入れない即答。
声は変わらず穏やかだが、その裏に一切の余地がない。
「なんでですか!」
「最高の神器ですから。」
「聞こえたか嬢ちゃん! ワシ、最高やで! 性能もトークも一級品や!」
「トーク性能いらないです!」
「えぇ!?」
ひよりは女神を見る。
女神は微笑んだまま、ほんのわずかに視線を逸らした。
「……女神様?」
「…………。」
沈黙。
その沈黙だけが、先ほどまでの完璧な対応と微妙に噛み合っていない。
「このシャベル、ずっとこんな感じなんですか?」
女神はゆっくりと目を閉じた。
ほんの一瞬、肩がわずかに落ちる。
「……一万年です。」
「え?」
「私は一万年間、この子と一緒でした。」
声は穏やかだが、どこか遠くを見るような響きが混じる。
「朝から晩までしゃべります。」
「……。」
「寝ていてもしゃべります。」
「……。」
「夢の中でもしゃべります。」
「……。」
「独り言にも返事を求めてきます。」
「……。」
「女の子を見ると騒ぎます。」
「……。」
「静かな時間が、ありません。」
「地獄じゃないですか!」
「もう限界です。」
静かに、しかしはっきりとした本音だった。
「本音出たぁぁぁぁっ!」
シャベルが即座に食いつく。
「人聞き悪いやん! サービス精神旺盛なだけや!」
「過剰です。」
女神は即座に切り捨てた。
その一言に、長年の蓄積がにじむ。
そして、女神は両手を合わせる。
その仕草は祈りというより、懇願に近かった。
「どうか、この子をよろしくお願いします。」
「嫌です。」
「お願いします。」
「嫌です!」
「お願いします。」
声は変わらず穏やかだが、引かない。
「なんで押し付けるんですかぁぁぁ!」
「嬢ちゃん!」
シャベルが割り込む。
「ワシと一緒に世界掘り返そうや! 夢あるでぇ!」
「スケールが物騒!」
次の瞬間、ひよりの足元が光り始めた。
「転送を開始します。」
女神はすでに手続きを進めていた。
「待ってください!」
「それでは、良い異世界ライフを。」
最後まで穏やかな声。
だが、その表情にはほんのわずかな――解放されたような安堵が浮かんでいた。
「待って!」
「異世界やぁぁぁぁ!!」
シャベルが歓声を上げる。
「まずは井戸掘るでぇぇぇ!! 水は大事やからなぁ!!」
「まだ何も始まってないよ!?」
「ワシ、実は掘るん得意やねん!」
「知ってるよ!!」
世界が白い光に包まれる。
こうして、一人の女子高生と、一秒たりとも口の止まらないシャベルの異世界生活が幕を開けた。




