#013
「…………遅かったな」
踏んだものが陶器のかけらか誰かの小指かわからない。部屋は壊滅的で、打ち捨てられたようにみんなが転がっている。
──キリィ。右足をなくして。
──ジョゼ。瓦礫に潰されながら。
──ハブト。顔半分を潰し。
──犬。もとから毛並みが赤かったように。
──そして、アニス。
みんな戦ったのだろう。文字通り最後の最後まで。
たちこめる残り火と血の匂い。
そして、こおりついた絶望のにおい。
《遅かったな》
そうだ、俺が見誤った。
全滅する限界は、俺の予想より圧倒的に早かったのだ。
俺は瓦礫を踏みながらすすみ、横たわったアニスに近づいた。ギオンのすぐ足元に彼女はいた。
横たわる、というには、彼女は体を折り曲げて、ひとりの兵士を覆うように倒れている。兵士の砕けた兜の下は、まだあどけなさが残って見える。
彼女は彼をかばったのだろうか。
アニスの顔は金色の髪ではりついて見えない。彼女の肌を汚すのが煤か血かもわからない。そっと手を伸ばす。
「アニスに触れるな」
ギオンの切っ先が俺の肩にのる。
「その汚い手で、俺の妹に触れるな。ローエン・グリム。三百年前、国の半分を滅ぼすにいたらしめた勇者──大罪人め」
境目を失った《クロニクルズ》はよほどギオンの能力を高めたのだろう。いまの彼の鑑定には、《隠匿者》を貫通せずともいくばくかの俺の正体が透けて見えているらしい。
ギオンの切っ先が俺の耳を少し切る。
冷たい。
「十五分だと? 遅すぎる。お前は、その場で俺を始末するべきだった、ローエン・グリム。そしてそれができたのは、お前だけだったはずだ」
頭からかぶった血がギオンの額から流れる。
──そうしてさえいれば、アニスが剣を取ることはなかった。
──そうしてさえいれば、みんながこの手にかかることはなかった。
どろどろと彼の頬まで汚す血は、まるで滝のような涙だ。
「勇者とは、大望のための犠牲を容認しなければならない。そして、その罪をひとりで負うことから逃げてはならない。ローエン・グリム。お前は負わねばならぬ重さから逃げ回るだけの臆病者だ」
ああ。
ああ、間違ってない。
「間違ってない、あんたは、なにも」
俺の答えをなにひとつ期待していなかったのだろう、ギオンの眉がピクリと動いた。
「……俺はこの封印のおかげで、勇者でなくヒトとして生きることができた。信じられないよな。励まされたり、笑い合ったり、苦しけりゃ呼べよって、言われたり……。三百年前の俺の周りに、そんなやつらがいたと思うか」
「……」
「あんたの行く道だ、ギオン・サエモン。自分が最後に何を吸い上げるのか分かってるんだろ」
おもてにいる民たちは、主人である兄妹を案ずるがあまり灯火をここまで導いてきた民たちだ。
そうした民の思いを、騎士の研鑽を、アニスの烈火のごときグリムロックの最後で最たるともしびを、最後の一つにいたるまで吸い上げる。
まちがいなく、ギオンは勇者だ。
女神の寵愛を受けしもの。
女神はまず、彼に太陽を与えたもうた──次に《クロニクルズ》を与えるために。
「……ふ、ふ」
ギオンは笑った。
甚だしく絶望のにおいをさせながら。
「俺は勇者だ。父と母の命を糧に生き延びたときから、俺にそれ以外の道はない。俺はお前を葬り、勇者を塗り替える。本物の勇者に!」
「そうか。それも、間違っちゃいない」
その太陽は膨らんで、いままさに何もかもをのみ込まんとしているのだ。
《《クロニクルズ》》──
動きを止めたのは、ギオン・サエモンのほうだった。
「フ──」
と、俺は首から手をはなす。タトゥーの茨がひとつ、霞のように溶ける。
「何だ? 何をした……」
ギオン・サエモンが俺を鑑る。
【ローエン・グ■ム】
【ステータス異常:覇爪の隠匿者(破)】
「──破……?」
【(すべてのステー〓スが隠匿され、〓匿されたスキルは封〓される)】
【スキル:クロニクルズ(■)】
「なん──」
パキ、パキ……。
「なんだ!?」
氷樹。
死体たちからひとつひとつ氷樹が生えていく。アイス・ドラゴンのブレスが作り出したものよりよほど鋭く、透明に。
「なんだ、これは……!?」
氷樹はやがていびつな剣の形をなした。
ギオンの顔色が変わる。
彼の目の鑑定はあまりに率直に、《剣の名前》を彼に示しただろう。
「力を吸い上げたら体はからっぽになる。考えたことはないか? じゃあ、魂はどうしようか」
「……まさか……、貴様……」
──なにより死は無比の安らかなるもの。
──その魂は現世のあらゆるいさかいから解放されて、神の御下へ還るもの。
──それをひきとめるだなんて、罪深きことだわ。
彼のその青い目に映っているのは、成り果てた姿を指したみんなの名前だ。
「この能力はお前が思っているようなものじゃない。最凶といわれた力を見せてやる」
「き……貴様、アニスをッ、みんなをぉぉぉッッ!!」
「抵抗の隙も与えるな──《墓標たち》」
数十の魂の剣たちは、ギオンを目掛けて疾走した。




