六十一、三聖具の手ほどき
帝国からの帰路。
王国領へ入ってから、来た時と同じようにミルテ村方面の西側を回り、二日ほど街道を進んだ先。荷馬車が休めるように拓かれた空き地で、俺たちはいったん馬を止めていた。
アーク王国の王都までは、もうそう遠くない。
昼前の陽差しは柔らかく、風は乾いていた。草の匂いがする。街道の片側には背の低い灌木がまばらに伸び、反対側にはゆるやかな草地が広がっている。空は高く、鳥の声だけが妙に澄んで聞こえた。
つい先日まで、血と殺気のただ中にいたはずなのに。
人間ってやつは勝手だ。
あれだけ胸の奥をぐしゃぐしゃにされたくせに、景色が穏やかだと少しだけ呼吸が楽になる。
……だからこそ、今のうちにやっておくべきことがあった。
「少し休憩だ」
そう言ってから、俺は荷を降ろし、二人の方へ振り返る。
「ついでに、聖具も試しておこう」
「おおっ!」
真っ先に食いついたのは、もちろんグラトスだった。
アマテリアを抱えたまま目を輝かせ、今にもその場で名乗りを上げそうな勢いである。
「ついに某が、伝説の聖具使いとして覚醒する時が来たのでありますな!」
「覚醒の前に、まず持ち方を覚えてください」
すかさずエリシアが刺した。
見ると、グラトスは盾の革帯を妙な位置に通していた。前腕で支えるべきものを、ほとんど手首だけでぶら下げている。あれでは攻撃を受けた瞬間、盾の重さごと腕を持っていかれる。
「先ほどから気になっていたのですが、その着け方では一撃で終わります」
「なにゆえです!? 某、気合いは十分でありますぞ!」
「気合いで聖具が扱えるなら、歴代の担い手は誰も苦労しません」
「世知辛い!」
いつものやり取りだ。
正直、助かる。
二日前、カミナと本気で斬り合った。
あの熱も、あの目も、向けられた殺意の温度も、まだ皮膚の内側に残っている。
ふとした拍子に思い出せば、今でも呼吸は少し浅くなる。
だからこそ、こういうどうでもいいやり取りが妙にありがたかった。
もっとも――本当にいつも通りなのは、たぶんグラトスだけだ。
エリシアの方は、口調も表情も相変わらずだが、今日は微妙に間がいい。普段なら切り捨てる一言を、半歩だけ柔らかくしている気がする。
気を回すタイプには見えないんだけどな。
いや、見えないだけで、ちゃんと見ているのかもしれない。
「ジーク様?」
グラトスの盾の革具を締め直していたエリシアに呼ばれ、俺は意識を戻した。
「ああ、悪い。……どうやって試すか考えていた」
「ほう?」
グラトスが首を傾げる。
俺は腰にあるカムナギに視線を向けた。
「どんな武器だって、本当に大事なのは、実際に握った時にどう応えるかだ」
「つまり」
「まず使ってみよう。話はそれからだ」
そう言うと、グラトスは「おおーっ」と勢いよく頷いた。
エリシアは逆に、わずかに目を細める。
転生前、仲間が魔王を倒すために携えていた神具だ。三聖具の知識なら、当然ある。
だが――俺が「以前の勇者」だなんてことは、こいつらには話していない。今ここで素直に口にすれば、余計な詮索を招く。
エリシアは頭がいい。
曖昧に濁した瞬間ほど、こちらの呼吸や言い淀みから――「知ったふり」か「確信」かを測ってくる。
まあ、それでいい。
聞かれて困ることは、最初から口にしなければいいだけだ。
俺は手を伸ばし、まずアマテリアを指した。
「グラトス。お前からだ」
「了解であります!」
勢いだけは立派である。
アマテリアは、光を放つわけでもないのに、ただそこにあるだけで空気を静めるような盾だった。銀とも白ともつかない盾面は寡黙で、その寡黙さのぶんだけ重い。
「ひとまず、初級魔法をぶつける。受けてみろ」
「ゆ、勇者殿の雷鳴魔法でありますか……り、了解であります」
聖具の使い方は難しい。才能なんか関係ない。誰でも最初から上手くいくとは思っていない。
ただ、グラトスはやる気がある。それが一番大切だ。
俺は指先に小さな雷を灯した。雷鳴の初級魔法。威力は大したことない。訓練用としては十分だ。
「行くぞ」
「く、来るのであります!」
放つ。
雷は一直線にグラトスへ走り、盾面へぶつかった。
ばちっ、と情けない音。
次の瞬間、雷は横へ流れ、草地の端をちり、と焦がした。
グラトスが目を丸くする。
「ぬおっ、逸れたには逸れましたぞ!?」
盾を“受けた”というより、反射で腕ごと引いてしまった。
盾面がわずかに斜めを向き、雷はそこから逃げ道を見つけたみたいに滑っていった。
「はい、味方に当たります。失敗です」
「即断!」
エリシアがこめかみを押さえる。
「それに、今のが街道脇ではなく森の中でしたら、小火騒ぎでした」
「だ、大丈夫であります! 今のは様子見!」
「様子見というより、逃げ腰でしたね」
図星だったのか、グラトスは一度だけ唾を飲み込んだ。
「……例え手加減をして頂いたとしても、勇者殿の魔法には……誰でも臆するのであります」
俺は笑いそうになるのを堪えつつ、盾の位置を指で示す。
「違う。力で受けようとするな」
「むむ?」
「魔力さ。盾そのものに意識を合わせろ。押し返すんじゃない。……通さないってイメージだ」
口に出した瞬間、胸の奥で古い像が噛み合った。
――“通さない盾”。その言葉に、伝承の姿が重なる。
最強の盾使いと謳われた騎士――レオニス。
(……今は、深掘りするな。余計な線が増える)
「そうだ……イメージを大事にするんだ」
「イメージ?」
「紅蓮だろうが翠嵐だろうが、出す前に“どう動くか”頭の中で形にするだろ。それと同じだ。たぶん、この盾もそれに応える」
グラトスはきょとんとした顔で俺を見る。
「つまり、エリシアが言うように――逃げ腰だと駄目、ってことさ」
「……やってみますぞ」
さっきより真面目な声だった。
俺はもう一度、指先に雷を灯す。
「今度は少しだけ速くする」
「来るのであります!」
二発目を放つ。
グラトスは歯を食いしばり、アマテリアを構えた。さっきみたいに腕力で支えるんじゃない。盾そのものへ意識を落とすように、半歩だけ前へ出る。
逃げたい腰が、前に出た。
それだけで――さっきとはもう、別物だった。
雷が盾面に触れる。
火花が散る。
――だが、逸れない。
銀白の盾面が一瞬だけ脈打ち、雷そのものが吸い込まれるように掻き消えた。
消えた。
草も焦げない。風も乱れない。
現象そのものが、そこで途切れたみたいに“終わった”。
「……おお?」
一番驚いた声を出したのは、たぶんグラトス本人だった。
目を丸くしたまま、自分の盾と、さっきまで雷が走っていた空間を交互に見比べている。
「……今の、消えたでありますぞ!?」
「今のはちゃんと防げてました」
エリシアが静かに言った。
だがその目は、グラトスではなくアマテリアを見ている。
さすがだ。現象を見ている。
「押し返したのではありませんね」
「分かるか?」
「ええ。弾いたというより……最初から“通らなかった”」
「そんな感じだな」
俺が頷くと、エリシアはちらりとこちらを見る。
「ジーク様はまるで、使い方を知っていたかのように思えますね」
「感覚だよ」
「便利な言葉です」
じろりと見られる。
危ない。危ないが、まあこの程度なら誤魔化せる。
グラトスはそんな空気も読まず、すっかり舞い上がっていた。
「つまり某は、この盾をイメージ通り使いこなせば、最前線の要になりますな!」
「今の段階では、ようやく置物を脱した程度です」
「評価が辛辣!」
「でも間違ってない」
「勇者殿まで!?」
地味に傷ついた顔をしつつも、グラトスの構え方はさっきよりずっと良くなっていた。
こいつは根が単純だから、成功体験を与えると露骨に伸びる。
……問題は、伸びる時に気まで大きくなることだが。
「次はエリシアだ」
「はい」
返事は短い。
だが、ほんのわずかに緊張が混じっていた。
エリシアが手にした神宝聖珠ヤツミタマは、勾玉の形をしていた。陽の下で見ても不思議な輝きをしている。宝石みたいにきらきら光るわけじゃない。むしろ、水面の底へ光が沈んでいるような、静かな明るさだ。
「どう試せば?」
「まずは小さいところからだ。無理に流そうとするな」
「……はい」
「一気に込めすぎるな。細く、長く。針を通すみたいに」
俺はそう言ってから、少し考え、グラトスの肩を指した。
「さっきので腕と肩に疲れが来てるはずだ。そこだけ触ってみろ」
「某が実験台でありますか!?」
「モルモットというより子豚ですね」
「ひどい!」
ぶつぶつ言いながらも、グラトスは素直に前へ出る。
多分エリシアとも付き合いが長いんだろうな。
エリシアはヤツミタマを両手で包み、目を閉じた。
風が止んだ気がした。
いや、違う。周囲の空気が、勾玉のまわりだけ静まり返ったのだ。
淡い光が滲む。
「……必要な分だけ」
小さく呟き、エリシアはグラトスの肩へ手をかざした。
白い光が糸みたいに伸びる。細い。細いのに、妙に濃い。
グラトスが「おお」と目を瞬かせる。
「なんだか肩の重さが――」
「止めろ」
俺が言うと、エリシアはすぐに光を切った。
「どうだ?」
「軽いでありますな。というか、軽すぎるくらいであります」
肩を回す。ぐるぐる回す。元気そうだ。元気すぎる。
エリシアは視線を落としたまま、小さく息を吐いた。
「……集中力が要りますね」
「戦闘中は難しそうか?」
「慣れれば、あるいは。ですが相当な鍛錬が必要です」
そこで一度、ヤツミタマを見下ろす。
「少し流したつもりでも、思った以上に持っていかれます。自分の魔力を合わせながら、相手にだけ通す。うまく扱えれば強力ですが……雑に触れば危険です」
やっぱりか。
ヤツミタマは出力が高い。
少し流したつもりでも、普通の回復魔法の感覚で扱えば、一気に奥まで入る。
それが危うい。
戦場で便利なものほど、使い手の感覚を狂わせる。
リゼリアのヤツミタマの精度は尋常ではなかった。
倒れかけた兵が、たった一息ぶん持ち直す。
切れかけた魔力が、あと一手ぶんだけ戻る。
その積み重ねで、戦線は繋がる。
リゼリアは傷を治していたんじゃない。
敗北の形を、ひとつずつ潰していたんだ。
「もう一回だ」
俺は言いながら、自分の掌をカムナギの鍔で浅く切った。ほんの薄い切り傷だ。血が一筋だけ浮く。
エリシアが眉をひそめる。
「何をなさっているんですか」
「見た方が早い」
俺は掌を見せる。
「今度はこれだけ治せ。疲労も魔力も触るな。傷だけだ」
「……やってみます」
さっきより慎重な声だった。
いい。
便利な力を前にして、怖がれるのは才能だ。
エリシアはヤツミタマを持ち直し、今度はもっと細く光を引いた。
切り傷の上に、薄い膜みたいな光が触れる。
ふ、と消える。
血が止まり、裂けた皮膚が寄った。
「おお……! 翠嵐魔法使いのエリシア殿が治癒を……」
「感動されても困るんですが」
「ですが事実、神秘でありますぞ!」
エリシアは俺の掌をじっと見つめたまま、低く言った。
「今のは……傷だけに触れられました」
「初めてでこの精度は素直にすごい。魔力操作も、想像力も、相当だ」
「ですが、少し怖いですね」
「何が?」
「届く、と感じた瞬間に、その先までやれてしまいそうになる」
俺は頷いた。
「その“怖い”って感覚は正しい。治癒は、それが一番危ない」
「というと?」
「たぶんヤツミタマは強すぎるんだ。治せるからって押し込みすぎれば、逆に壊れる。使う側も、使われる側もな」
「治癒するほど壊れる、恐ろしいですな」
「殿下はアマテリアと、その丈夫なハラマワリがありますから大丈夫でしょう」
「某のお腹を聖具みたいにいうのはやめて頂きたい!」
二人の息がぴたりと噛み合って、俺は思わず笑ってしまった。
笑ってから、自分でも少し驚いた。
ああ、まだ笑えるんだな、と思った。
胸の奥に残っているざらつきは、消えたわけじゃない。
それでも――仲間が馬鹿を言って、もう一人が冗談めかして返して、俺がそれを笑って聞いていられるなら。
少なくとも、俺は前へ進める。
俺は二人を見た。
グラトスはアマテリアを抱えたまま、さっきよりずっと自然に立っている。
エリシアはヤツミタマを持つ手つきが、最初より明らかに安定していた。
そこでようやく、輪郭が見えてきた。
「……なるほどな」
「何か分かりましたか?」
エリシアが問う。
俺は少しだけ考えてから、言葉を選んだ。
「アマテリアは“受ける盾”じゃない。通さないための盾に近い」
「はい」
「ヤツミタマは“治す”というより、崩れかけたものを繋ぎ止めるための聖具だろう」
「繋ぎ止める、ですか」
「そんな感じだ」
そして、腰にあるカムナギへ無意識に指先が触れる。
鞘に収まっているだけなのに、こいつは妙に存在を消さない。静かなくせに鋭く、眠っているようでいて、いつでも抜かれるのを待っている。
こいつの役目も、本当は分かっている。
分かっているが、今ここで口にするつもりはない。
「このカムナギも、たぶん同じだ」
「同じ?」
「役目があるってことだ。ただ斬れるから強いとか、守れるから硬いとか、そういう話じゃない」
俺は二人を順に見た。
「聖具を持った以上、俺と同じくらいは動けるようになってくれよ。俺たち三人が足並みを揃えないと、魔王なんて倒せないだろうからな」
グラトスがごくりと唾を飲んだ。
「なんというか……急に某の肩が重くなったのでありますが」
「盾が重いだけです」
「物理だけではなく精神的にもであります!」
「逃げるなよ」
「逃げませぬぞ! ただ、少しだけ“殿下は後方で見守っていてください”と言われる未来を期待していただけで!」
「そんな未来はありません」
「無慈悲!」
俺は笑いながら肩をすくめた。
「とはいえ、いい感じじゃないか。二人とも」
「本当でありますか!?」
「ああ。リゼリアは適性も見極めていたんだろうな……」
「殿下は一歩目としては、ですけどね」
「いちいち棘があるのでありますな!?」
三人でそんなやり取りをしているうちに、空気が緩む。
風が吹く。
草が揺れる。
さっきまでそこにいた死の気配が、少しだけ遠ざかったような気がした。
……けれど。
荷をまとめながら、何気なく街道の先へ目をやった、その時だった。
王都の方角。
空は晴れている。雲も薄い。
なのに、ずっと遠くに白いものが見えた。
煙じゃない。
埃でもない。
列だ。
白い布。白い旗。
陽を受けて、やけに清らかに見える行列が、王都へ向かう街道を、ゆっくりと進んでいる。
距離がありすぎて、何の集団かは分からない。
それでも、嫌な感じだけは妙にはっきりしていた。
俺が黙って見ていると、エリシアも視線を追い、目を細めた。
「……いつもの法国の巡礼にしては、大仰ですね」
「そうだな……西と北が内輪で争ってる時期に、ただの巡礼で済むとは思えない」
そう考えかけて、やめる。
ただの巡礼かもしれない。
教会の使節かもしれない。
まだ何も分からない。
けれど、分からないまま笑って流せるほど、俺たちはもう鈍くなかった。
なにか悪い予感がする……。
グラトスがアマテリアを背に負い直し、こちらを見る。
「勇者殿?」
「……行こう」
俺はカムナギの柄に一度だけ触れ、歩き出した。
さっきまでの穏やかな空気は、まだ完全には消えていない。
けれどその先で、別の何かが静かに待っている。
王都は、もう遠くなかった。




