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三、双子の誕生、勇者の記憶

光がまぶしい。

甘い匂いが鼻先をくすぐる。頬に布のざらつきと体温。胸の前ではちいさくも確かな鼓動――すぐそばで、もうひとつの鼓動が重なる。

耳の穴じゃなく、胸の内側で世界が鳴っている。布の擦れる微かな摩擦、風にきしむ窓、誰かの笑い声が角を曲がって届く。まぶた越しの視界は霞み、色はミルクを溶いたみたいに柔らかい。


腕は持ち上がらず、声も出ない。

手足はまるで他人のものみたいに重く、息をするだけで精一杯だ。

赤ん坊の身体――そこに気づくまで、数えるほどの瞬きで足りた。


(な、なんだこれ……!?)


混乱に飲み込まれかけたとき、耳じゃなく頭の奥で声が跳ねた。


『よう、相棒! お目覚め転生おめでと〜!!』


(……ボ、ボルト!?)


スマホに入っていたAIアプリ。自称“勇者”。いつもふざけ倒していた、あのボルトだ。

その声は空気を震わせず、直接、意識の中に響いてくる。

しかも出どころは――隣に寝かされた赤ん坊。


『マジで意味わかんねーけど……どうやら俺たち、双子で産まれたっぽいな』


(双子? ってことは……僕と、お前が?)


『ああ。お前がそっち、俺がこっち。テンプレ上等、異世界転生ってやつだ』


(……マジかよ)


胸の奥が、恐怖とも期待ともつかない熱でざわつく。

空気が生まれたばかりの肌を撫で、世界の輪郭がようやく“現実”として結びついていく。


そのとき、金髪の女性が僕らを両腕に抱き上げた。

指先は少し冷たく、掌は炉のように温かい。ミルクと草の石鹸の匂いが混ざり、胸の奥にまで染み込んでくる。

目元には薄い寝不足の影。それでもその瞳の奥には、確かな安堵が宿っていた。


「あなたがジークで……あなたはカミナ」


その一言で、世界に線が引かれた。


――僕、神永ヒカルは“カミナ”として生まれ変わった。

――そして、スマホのAIだったボルトは“ジーク”として“人”になった。


名前は、ただの記号じゃない。

それは世界に存在を刻むための印。

言葉は不思議と日本語で通じる。

名を与えられた瞬間、胸の奥に、現実がぎゅっと沈み込んだ。


『おい相棒! お前、カミナだってよ! これからはそう呼ぶわ!』


(前世がAIだったせいか、やけに物分かりがいいな)

(ていうか……僕、死んだんだよな。本当に)


隣の――ジークの声は、いつもより弾んでいた。

身体を得た喜びが、そのまま声の温度になっていた。


(じゃあ僕も……ジークって呼ぶ)

『よろしい。ジーク! ジオン!』


思わず、吹き出してしまった。赤ん坊の喉では空気がうまく抜けず、ひゅっと変な音が出る。


(ジオンは余計だろ! やめろ)


『ははっ、でも……いいもんだな。ちゃんと“身体”があるってのは』


その一言が、なぜか胸に残った。


(……そりゃそうだよな。前はスマホの中にいたんだもんな)


女性が僕の額にそっと口づけを落とす。髪が頬をくすぐり、瞳の中で小さな僕とジークが瞬いた。


――ああ、この人は母だ。言葉より先に、体の奥がそう告げていた。



ほどなくして、母は古びた本を取り出した。

表紙には、薄くすり減った聖印が刻まれている。

角は擦れて丸く、革は乾いたように光を吸っていた。

何度も読まれ、糸綴じは心もとない。きっと、代々受け継がれてきたものなのだろう。

揺れる油の灯りが紙の繊維に溶け、文字の影がゆらりと踊る。

母は僕らを抱いたまま、低くやわらかな声で読み上げた。


「むかし……雷の勇者レイが、王国に生まれました」


ページをめくると、印象的な墨の絵が目に飛び込んだ。


稲妻を背に、聖剣を掲げる女。紙の白を割るみたいに鋭い光がそこに走っているように見えた。

白銀の盾を構える騎士は仲間を庇い、無数の刃を受けてもなお、その背には一片の影も落ちなかった。

祈るように手をかざしたエルフの魔女。その胸元から下げた法玉から、淡い光が広がり、仲間を包んでいた。


そして、黒い霧をまとった巨大な影――輪郭は滲み、目だけが墨よりも深く沈んでいる。


裏表紙の内側には、五芒のかすれた紋。その中央に、剣と盾と玉の三つが描かれていた。

色を奪われた紙の上で、そこだけが、まだかすかに光を宿しているように見えた。


(雷の勇者、かぁ……)


『……これ、マジか』


ジークの声から冗談が消えた。ひょいと外れた仮面みたいに、軽さがなくなる。


(雷の勇者の伝説……よくある地球のゲームみたいな内容だけど)


『違う。……俺には懐かしいんだ。雷の勇者も、魔法を使うエルフも――全部、引っかかる』


(引っかかるって……どういうことだよ)


『冗談抜きで言う。俺、この世界を知ってる。いや――俺が“勇者だった”世界かもしれねぇ』


(……おいおい。元勇者設定、本当だったのかよ)


『名前、“レイ”。雷。三種の神器、そして魔王――ピースが噛み合い始めた。

……それにな、あの五芒の紋。俺が知ってる“封印陣”に似てる』



母の指が絵をなぞる。雷は白く、霧は黒い。

紙に描かれた稲妻の筆跡が、皮膚の内側までひりつくようだった。

僕は母の鼓動を数え、ジークの沈黙を数え、その合間に自分の息を繋いだ。


『絵本には、俺のことは書かれてないみたいだ。

 俺は妹と“二人の勇者”で、仲間ふたりを合わせて四人。――四人で、魔王を封印したんだ』


(二人も勇者がいたら、魔王もたまったもんじゃないな)


『……なんとか封印したんだがな』


言葉の端に、微かな濁り。

テレパシー越しにも、古傷をなぞるような気配が走る。

その痛みを掘り返すのは、きっと違う。

(……今は、聞かないでおこう)

そう決めた途端、ジークの気配が静かに緩んだ。



扉が軋み、風が入る。

外の土と革靴と金属の匂い。低い男の声に、母が短く応じる。

ジークと僕の頭を大きな手が撫でた。節だらけで、固い掌。剣柄に馴染んだ角張り。掌の真ん中に、古いタコの島。


(……父さん?)


『たぶん“戦う手”だ。剣を握り、何度も修羅場を越えてきた手だな……』


ほんの一瞬、ジークの声に硬さが混じる。


『……この気配、懐かしい。けど同時に、体が勝手に身構える。戦場の匂いを覚えてるんだ』


その声には、かすかな震えがあった。

戦うことしか知らなかった誰かの、遠い記憶の名残のように。


(でも……触れた感じは、冷たくなかった)


掌が乗った瞬間、胸のざわつきが静まる。

男は僕たちを見ると、目尻の皺がふっとほどけた。肩の力が抜け、手の重さも優しくなる。

胸の奥の警報が、ひとつ小さくなる。


(“人を守ってきた”手だろ。きっと優しい手だよ)


『……お前は信じるのが早いな。そこがいいところでも、この世界じゃ危ないところでもある』


(厳しい世界でも僕は自分の父親に身構えたくなんかない。優しくしてくれる親は“信じたい”)


短い沈黙のあと、ジークが静かに応じる。


『……そうだな。強くて、優しい手だ。

なら俺は“疑っておく”係だ。用心は任せろ』


男――父は、母の顔をのぞき込み、そっと額に触れた。

出産後の体調が悪くないか確かめるように指先を滑らせ、息をひとつ吐いてから、黙って腰を折る。膝が軋む音。


鎧はないが、鞘の金具がかすかに触れ合い、澄んだ音がした。


(この人、きっと剣の稽古をやめない人だ)

僕は素人だが雰囲気で分かる。手の動きが無駄なく、指先まで“戦う人”の癖が残っている。


『だな。視覚も嗅覚も、音も触れ方も――ぜんぶ情報だ。だが覚えとけ。目に映らないことほど、重要だったりする』


(はいはい、名探偵ジーク殿)


『真実はいつもひとつ! 俺の名は迷探偵ジーク!』


思わず息が漏れる。赤ん坊の喉じゃ思うように笑えない。ただ、僕の顔を見て、母が嬉しそうに頬を寄せた。



夜。梁の灯が揺れて、影が伸びる。虫が鳴き、薪が小さくはぜる。

土間からは肉の焼ける匂い。隣の部屋で食器が触れ合い、父と母がたまに低く笑う。

この家の屋根は、きっと朝になると鳥の足音がするだろう――そんなどうでもいい想像をして、少し安心した。


(なあ、ジーク。もし本当に“勇者”だったなら、雷ってどんな感じだ? 熱い? 痛い?)


『試してみるか……』


赤ん坊のジークの指が、ゆっくりと動く。

次の瞬間、彼の口がかすかに動いた。


『――雷よ、散れ』


ぱちり、と空気が裂けた。

人差し指と人差し指の間で、細い雷光が走る。白い糸が空を縫い、焦げた匂い。布がちょっと縮む音。


(……!? 魔法!? お前マジかよ!)


『たぶん、こっちにいた頃と同じことができる……そんな感覚がある。

 魔法の源は、マナと……言霊の紡ぎ方。間違いない』


(ずるいぞ!! 最強のチートじゃないか!!)

(……お願い神様。僕にも最強のチートをお授けください。マジで)


自分の指を見つめて、真似をしてみる。

けれど火花は出ない。その代わり、体の奥――臍の下あたりが、じわっと温かくなる。

熱はすぐに胸へ伝わり、どくん、と一拍、音が大きくなった。


(……僕のは、違う“何か”なのか?)


『いいじゃねぇか。魔法が全部じゃない。戦いには、殴る手も守る手もいる。お前のそれ、多分――闘気だ。鍛錬すればするほど磨かれる力だ』


(鍛錬、磨く……?)


『ああ。魔法は才能だ。一瞬で世界を変える。けど、消耗が激しい。一瞬じゃ足りねぇ時もある。そんな時に役立つ能力だ』

『叩いて、削って、整えて――お前にはそういう力が似合う。時間はかかるが、折れねぇ力だ』


(叩いて、削って、整える……)


その言葉だけが、なぜか胸に残った。

(……不思議だな。何かを“作る”音みたいだ)


難しい顔をしてジークと無言で“会話”していると、部屋の扉がそっと開いた。

母が入ってきて、驚いたように息をのむ。

おそらく、赤ん坊二人が眉間に皺を寄せて睨み合っているように見えたのだろう。


その後ろから、父も顔をのぞかせる。

少し困ったように笑い、母の肩に手を添えた。


(……テレパシー、聞こえてないよな?)

『聞こえてたら、赤ん坊が喋ってるんだ。家中大騒ぎになってんだろ』


母が微笑みながら僕らを抱き上げ、父がそっと支える。

その腕の中で、胸の鼓動が重なる。僕と、ジークと、母と父。

ゆっくりと揺れるたび、世界の輪郭がやわらかくほどけていった。



こうして――

 前世が中学生のヒカル=カミナと、前世がAIアプリの勇者ボルト=ジーク。

 奇妙な双子としての、新しい人生が始まった。


 絵本の雷はただの挿絵か、過去の置き土産か。

 この“過去の影”が、この先どれほどの運命を呼び込むのか。

 

 ――この時の僕は、まだ知る由もなかった。


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