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「じゃあ、また後でね」


そういうとユリウスは足早に会場に戻って行った。


「セレナ様、まもなくケーキが運ばれます。お戻りくださいませ」


使用人の声が遠くに響く。


セレナは本を抱えたまま、ふと顔を上げた。

その腕の中にある、古びた物語の重さ、紙の匂い、綴じ目の温もり。


彼の言葉が、まだ胸の奥で揺れている。


《生まれてきてくれてありがとう》


子供が口にするには背伸びしすぎたその言葉が――なぜだか、心に焼きついて離れなかった。


セレナは廊下を歩き出す。


その手に抱かれた古書が、心の隙間をほんの少しだけ温めていた。



ーー祝宴の時間は、思いのほか早く過ぎていった。


誰もがセレナに声をかけ、贈り物を差し出したが、彼女の応対はどれも均一で儀礼的だった。

笑わないのが珍しいのか、何人かの貴族令嬢が囁き合っていた。


「セレナ嬢はどうなさったのかしら?」

「贈り物が気に入らないとか?」

「いつもと違って、険しい表情ですわね…」


でも彼女は気にしなかった。


ユリウスが、時折こちらを見ていた。

何度か視線が交わったけれど、彼は笑うでもなく、頷くでもなく、ただそこにいた。


そんな彼の様子を見て、セレナはふとあることを思いついた。

それは、決して成功する賭けとは限らないが、それでも、これから起こる悲劇よりはマシだと思った。


***


10歳の誕生日といえば、1度目の人生では、皇太子であるアレクシス・ルクレール《アレク》との婚約が決まった日。


彼はセレナに優しく微笑み、手を取った。


アレクからの好意には気がついていたし、結婚なんてそもそも、自分の意思で決められるものではないという事を、貴族であるセレナはよく理解していた。


アレクが自分を好いてくれている、そして自分自身も彼のことが嫌いではなかった。

その事実だけでも、アレクは婚約者として適切な相手だった。


そして、セレナはアレクを信じた——それが、全ての始まりだった。


(……でも、今回は違う。2度と同じ過ちは繰り返さないわ)


まだ10歳だとは思えないほどに大人びた雰囲気のセレナの美しい銀髪が揺れ、淡い青色の瞳はどんな人でも魅了されるものがあった。


アレクがこちらに近づいてくる。


(........来たわね)


アレクはセレナに手を伸ばし、「俺の婚約者になってくれないだろうか」と自信に満ちた声で言った。


(1回目と同じだわ.....だけど絶対に私とあなたが再び夫婦になることはないわ。絶対に。)


セレナは、しばらく沈黙した。

会場に微かな緊張が走る。


誰もが、セレナはアレクの手を取ると確信していた。

彼は微笑みながら、「返事はまだか?」といった表情で、ただ彼女を見つめている。


アレクは当然の如く、彼女は喜んで自分の手を取り、微笑みながら感謝の言葉を述べるだろうと思っていた。


けれど——


「お断りします」


彼女の言葉に、会場の空気が凍りついた。

皇太子の微笑みが消え、周囲の貴族たちがざわめく。


セレナは、目の前のアレクを通り過ぎ、会場の隅で立ち尽くしていたユリウスの元に一直線に向かう。


「ユリウス・アーデルハイト様。私は、あなたに婚約を申し込みます」


ユリウスは目を見開き、驚いた様子でセレナを見た。


会場はざわめきだす。


「セレナ様は何をおっしゃっているの?」

「まさか、皇太子殿下の求婚を断るなんて…」

「信じられないわ!なんて人なの!」


セレナが幼馴染である皇太子ではなく、侯爵家の嫡男を選ぶとは、誰も予想していなかったのだ。


ユリウスはといえば、美しい容姿だが、寡黙で、社交の場では特に目立たない男だった。


セレナにとっては最高の男だ。


「セレナ……?」


兄であるレオンが、困惑したように彼女を見つめた。

だが、セレナは表情を変えずにユリウスを見つめ続ける。


自ら婚約者を選ぶことができるほどの権威を持つ、エヴァレット家の令嬢。

美しく聡明で、時期皇后としての資格を、唯一持ち得る最高の血統の持ち主。

そんな彼女が選んだ侯爵家の冴えない嫡男。周囲が混乱するのも当然だ。


「……俺?」


ユリウスの低く、静かな声が響く。


「ええ。あなたがいいの」


ユリウスの美しい瞳が、一瞬だけ揺れた。


ユリウスはゆっくりとセレナの方へ歩み出る。


「…うん。俺でいいなら」


そして、ユリウスは静かに跪き、彼女の手を取った。

会場のざわめきが消える。


アレクは何かを言いかけたが、彼女は彼に目もくれなかった。


これまでの人生とは全く違う選択。

もう、2度と同じ道を歩むつもりはない。


誰にも期待せず、誰も愛さず、生ぬるい不幸の中で生きていくための、最善の選択ーー。


それでも、セレナの心の中でだけ、なにかが大きく軋んだ。

彼の手が、あまりにも静かで、まっすぐで、優しくて。


(――これは、罰だわ)


自分の人生を呪うことには慣れていた。

だが、自分以外の誰かの人生を巻き込むことに恐れを抱いたのは、これが初めてだった。

だから、彼の手を取ったその瞬間、セレナは心の中で、誰にも聞こえない声で呟いていた。


(……ごめんなさい、ユリウス)


そしてその夜、眠れぬベッドの中でセレナは、かすかに震える手で”光の雫”を開いた。

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