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君は愛しのメランコリア  作者: 桔梗


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2/32

誕生日の出会い

ーーセレナの十歳の誕生日パーティーが開かれている会場


ドレスの裾が舞い、笑い声がシャンデリアに反響していた。

セレナは壁際に立ち、誰の視線も気にせず、ただ静かに息を潜めていた。

この場所も、音も、空気も、すべてが空虚だった。


「ねえ、君がセレナ?」


唐突に声がして、私は視線を横に滑らせた。

漆黒の髪と、星々の光を閉じ込めたような金色の瞳。

何かを強く決意したような、美しいその瞳だけが強く印象に残った。


彼は確か……ユリウス・アーデルハイトーー侯爵家の嫡男。

冷静で、誰にも心を許さない。

前世の彼はそういう人間だった。

前世で私は彼と深く関わった記憶がない。

だから、彼はきっと、私の人生に影響を与えることはないだろう。


(最初の人生でもこんなふうに声をかけられたかしら?全く記憶にないわ.....)


「ええ」


セレナの声は冷たく、乾いていた。

彼は怯まず、ただ一歩近づく。


「俺の名前は、ユリウス。ユリウス・アーデルハイト」


「ええ、知っているわ。アーデルハイト侯爵家のご子息でしょう?」


「そう。だから、俺が君と話すのもーーその……、おかしくはないよね?」


「……別に。誰が誰と話しても、おかしくはないわ」


会話のたびに、セレナは壁を作った。

それでも彼は退かない。

まるで、何かを確かめるように私をじっと見据えていた。


「今日は、君の誕生日なんだよね?」


「ええ、そうよ。なぜそんな分かりきったことを聞くの?」


「だって……君が、全然楽しそうじゃないから」


(楽しいわけないじゃない。何も知らないくせに)


私は口を閉ざす。


「もしかして、こういう場所は苦手?」


「別に。ただ、騒がしい場所が嫌いなだけ」


「俺も騒がしいのは好きじゃないんだ。俺たち少しだけ、似てるのかもね」


彼は笑った。


でも、その笑みにはどこか大人びていた。


「ところでさ、セレナって素敵な名前だよね」


「……それはどうもありがとう」


「うん。本当に。綺麗な君にぴったりの名前だと思う」


(ませた子供ね。前世のユリウスの姿から想像できない姿だわ)


「さっきから、なんなの?私の気を引こうとしているの?」


「……いや……俺はただ、君と話しているこの瞬間が楽しいだけだよ。嫌な気持ちにさせたのなら、ごめん」


私はその言葉に目を細める。

彼はそれでも目を逸らすことなく、私の瞳をじっと見つめる。


(なぜ、そんな風に私を見るの?)


「……もういいかしら?失礼するわね」


そう言って、セレナはユリウスに背を向け、その場から離れた。


***


セレナは息苦しいパーティーを抜け出して、廊下を歩きながら足元に広がる絨毯の模様を、ただ無言で追っていた。


(一体、私は何をしているのかしら。生きている意味なんて……もう何一つ残されていないのに……)


祝福の声も、贈り物も、ケーキの甘い香りもーー何ひとつ、セレナの心には届かない。


ふと立ち止まる。

窓の外では、陽光が庭の噴水に反射して、きらきらと光っていた。

誰もがその光を綺麗だと思うのかもしれない。

でも、自分にはただまぶしいくて、鬱陶しいだけだった。


「どうして、私はこうなんだろう……」


小さくつぶやいたその声は、やがて風にかき消される。


ーーその時だった。


「あ、やっぱりここにいた!」


背後から聞こえたその声に、セレナはゆっくりと振り返る。

そこに立っていたのは――ユリウス・アーデルハイト。


「……あなた」


「君のこと探してたんだ。どうしても、お祝いを言いたくて……」


「……お祝い?それなら、もう済んだでしょう」


「いいや、お祝いはできてないよ。さっきはただ、挨拶しただけだから」


一歩、ユリウスがセレナに近づく。

セレナはその動作に思わず後ずさったが、ユリウスの真剣な瞳を見て、すぐに踏みとどまった。


「セレナ、生まれてきてくれてありがとう。それから、十歳の誕生日おめでとう」


「………?」


(『生まれてきてくれてありがとう』?初対面なのに、何なのこの子)


セレナは、ユリウスの言動に終始驚きっぱなしだった。

以前ーー何度目かの人生で会った時の彼からは想像ができないほど、目の前のユリウスはよく喋る。


「ふざけないで」


冷たい声が、思わず口からこぼれた。


「ふざけてなんてないよ。本当に、君が生きていてくれてることが……本当に、すごく、嬉しいんだ」


「どうしてそんなこと言うの?私たち、今日初めて会ったのよ?」


「そうだね。だから、その……出会えて嬉しいって意味だよ」


セレナは小さく息をのんだ。


「……そう」


セレナが気まずそうにしていると、ユリウスが小さな包みを差し出してきた。

どうやら、贈り物を用意していたらしい。


「中身はたいしたものじゃないんだ。でも、どうしても君に渡したくて」


セレナは黙ったままそれを受け取った。

包を開けて中を見ると、一冊の本が入っていた。


「……本?」


小さな古書だった。

ページの端は少しだけ黄ばんでいる。

けれど、その装丁には不思議な温かみがあった。


「この本は、家の書庫にあったものなんだ。“月の雫”っていう古い童話なんだけどね」


「”月の雫”……?」


「そう。君はきっとこの物語を気に入ると思って」


そういうと、ユリウスは本を手渡してきた。

セレナはそっと本を開いた。


《ある国に、“月の雫”を見つけると幸せになれる、という言い伝えがありました。

それを信じて、一人の旅人が長い旅に出ます。


旅はとても過酷でした。

砂漠では喉が焼けるほど乾き、森では道に迷い、夜の闇では、孤独が胸を締めつけました。


旅人は、何度も思いました。

「月の雫なんて、本当にあるのだろうか」「自分は本当に幸せになれるのだろうか」と。

そのたびに、旅をやめようとしました。

それでも旅人は歩き続けました。


ある夜、疲れきって地面に膝をついたとき、旅人は足元に光る雫を見つけました。

けれどそれは、“月の雫”ではありませんでした。

それは、旅人自身の涙でした。

旅人の涙は、月の光を受け、夜道を明るく照らしていました。


旅人はそれを見て思いました。

「もし、この光が誰かの道を照らすなら」

そして旅人は、その涙を拭わずに歩き出しました。


その後も、旅は続きました。

苦しみも、孤独も消えませんでした。

けれど旅人の涙が落ちた場所では、枯れていた木に小さな芽が生まれ、乾いた砂漠に小さな泉が湧きました。

人々は旅人にたくさん感謝しまして、みんなが笑顔になりました。

人々の笑顔を見るたびに、旅人は胸の奥が温かくなりました。

旅人が苦しんで流した涙は、人々を助ける月の雫に変わっていたのです。


そして、旅人は気づきました。

自分が苦しい思いをしたことには、こんなにも意味があったのだと。》


セレナは、そっと本の表紙を撫でた。


(どうして、こんな本を?)


「……本をどうもありがとう」


セレナは本を抱えながら言った。


「ーーでも、私、この話好きじゃないわ」


ユリウスは少し首を傾げる。


「どうして?」


「だって、この旅人はたくさん苦しんで、たくさん泣いたのに……結局、自分は幸せになってないじゃない」


少しだけ、棘のある声だった。

セレナ自身でも気づいている。

この言葉は、ただの童話への感想ではない。


けれどユリウスは、気にした様子もなく窓の外を見た。

夕方の光が庭を照らしている。

しばらく黙ってから、彼は静かに言った。


「……そうかもしれないね」


意外な言葉だった。

セレナは顔を上げる。


ユリウスは続けた。


「確かに、この旅人は幸せになったわけじゃないのかもしれない」


「……そうよ」


「でもーー」


ユリウスは少しだけ笑った。


「それでも、俺はこの話が好きなんだ」


「どうして?」


ユリウスは少し考えるように沈黙した。

それから、ゆっくりと言った。


「人は苦しいとき――どうしても思うでしょ?『どうして自分だけがこんな目に』って」


その声は静かだったが、不思議と重かった。


「でも、この旅人はさ」


ユリウスは本の表紙を指で軽くなぞった。


「自分の涙を、誰かのために置いていった」


「……?」


「苦しんだ証を、自分が歩いてきた道に残したんだ」


セレナは黙って聞いている。

ユリウスは続けた。


「きっとこの旅人は、途中で気づいたんじゃないかな?」


「……何に?」


「自分の涙が、誰かの月の雫になっているかもしれないって」


セレナは少し眉を寄せる。


「だから、それは旅人の幸せじゃないじゃない」


「そうだね。でもーー」


彼は窓の外の空を見上げた。


「旅人の涙は、月の雫となって人々を幸せにした。そして、旅人は胸の奥が温かくなり、自分の苦労に意味があったのだと知った。つまり、旅人は月の雫を見つけたんだよ」


夕陽が、彼の横顔を照らしている。


「……え?」


「だからね、彼の涙が月の雫になったということは、彼も月の雫を見つけたってことなんだ。つまり、彼の幸せは人々の笑顔だったんだよ」


「……」


セレナは何も言えなかった。

ユリウスは最後に、静かに言った。


「旅人が苦しみもがいた結果、全員が最良の結末に辿り着いたんだ」


少しだけ視線を下げて、ユリウスは付け加えた。


「もし俺が旅人なら……そんな苦しみも悪くないと思うーーかな」


部屋の中に沈黙が落ちた。


(この子……本当に十歳の子供なの?確かに、言っていることは間違ってないと思うけれど……こんなのただの綺麗事だわ)


セレナは心の中でユリウスを軽蔑した。


「今は気に入らなかったとしても、どうか、この本を持っていてくれないかな?そしてーー君がいつか、この物語を好きになってくれたらいいな」


そう言って、ユリウスは小さく笑う。

その笑みは、どこか哀しげだった。

けれど、まっすぐで、揺るぎがなかった。


セレナは、もう一度本を見つめた。


(純粋な子供をいじめるのも良くないわよね)


そして、そっと言った。


「わかったわ」


セレナは渋々本を受け取った。


「よかった。受け取ってくれて、ありがとう」


ユリウスは十歳の少年らしく、愛らしく微笑んだ。

これが、六度目の人生での、彼との出会いだった。

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