誕生日
ーーセレナの10歳の誕生日パーティーが開かれている会場
ドレスの裾が舞い、笑い声がシャンデリアに反響していた。
セレナは壁際に立ち、誰の視線も気にせず、ただ静かに息を潜めていた。
この場所も、音も、空気も、すべてが空虚だった。
「ねえ、君がセレナ?」
唐突に声がして、私は視線を横に滑らせた。
漆黒の髪と、星々の光を閉じ込めたような金色の瞳。
年齢相応の整った顔立ち。
けれど、何かを強く決意したような、その美しいその瞳だけが印象に残る。
彼は確か……ユリウス・アーデルハイトーー公爵家の嫡男。
冷静で、誰にも心を許さない。
前世の彼はそういう人間だった。
私は彼と深く関わった記憶がない。
だから、彼の人生に私は影響を与えていないはずだ。
(1回目の人生でもこんなふうに声をかけられたのかしら....?記憶にないわ.....)
「ええ」
セレナの声は冷たく、乾いていた。
彼は怯まず、ただ一歩近づく。
「俺の名前は、ユリウス。ユリウス・アーデルハイト」
「知ってるわ。アーデルハイト侯爵家のご子息でしょう?」
「そう。だから、俺が君と話すのも……その……おかしくはないよね?」
「別に。誰が誰と話しても、おかしくないわ」
会話のたびに、セレナは壁を作った。
それでも彼は退かない。
まるで、何かを確かめるように私を見ていた。
「今日は君の誕生日…なんだよね?」
「……ええ、そうよ。なぜそんな分かりきったことを聞くの?」
「だって…全然楽しそうじゃないから」
(楽しいわけないじゃない。何も知らないくせに)
私は口を閉ざす。
「もしかして、こういう場所は苦手?」
「別に。ただ、騒がしい場所が嫌いなだけ」
「俺も騒がしいのは好きじゃないんだ。俺たち少しだけ、似てるかもね」
彼は笑った。
でも、その笑みにはどこか大人びていた。
「ところで…セレナって素敵な名前だよね!」
「…それはどうもありがとう」
「うん。本当に素敵だと思う」
その言い方は、妙に慎重で――まるで、名前に触れるだけで壊れてしまう何かを抱えているようだった。
「さっきから、なんなの?私の気を引こうとしているの?」
「…いや…俺はただ、君と話しているこの瞬間が楽しいだけだよ…嫌な気持ちにさせたのなら…ごめん」
私はその言葉に目を細める。
彼はそれでも目を逸らすことなく、私の瞳をじっと見つめる。
(なぜ、そんな風に私を見るの?)
「…もういいかしら?失礼するわね」
そう言って、セレナはユリウスに背を向け、その場から離れた。
***
セレナは息苦しいパーティーを抜け出して、廊下を歩きながら足元に広がる絨毯の模様を、ただ無言で追っていた。
(一体私は何をしているんだろう…生きている意味なんて…もう何一つ残されていないのに…)
祝福の声も、贈り物も、ケーキの甘い香りも。
何ひとつ、セレナの心には届かない。
ふと立ち止まる。
窓の外では、陽光が庭の噴水に反射して、きらきらと光っていた。
誰もがその光を綺麗だと思うのかもしれない。
でも、自分にはただまぶしいくて、鬱陶しいだけだった。
「どうして私はこうなんだろう…」
小さくつぶやいたその声は、やがて風にかき消される。
ーーその時だった。
「やっぱり、ここにいた!」
背後から聞こえたその声に、セレナはゆっくりと振り返る。
そこに立っていたのは――ユリウス・アーデルハイト。
「君のこと、探してたんだ…どうしても、お祝いを言いたくて…」
「……それなら、もう済んだでしょう」
「いいや、お祝いはできてないよ!さっきはただ、挨拶しただけだから…」
一歩、ユリウスが近づく。
セレナはその動作に思わず後ずさったが、すぐに踏みとどまった。
「セレナ、生まれてきてくれてありがとう。お誕生日おめでとう」
「…………は?」
(何なのこの子…)
セレナはユリウスの言葉にも行動にも驚きっぱなしだ。
以前ーー何度目かの人生であった時の彼からは想像ができないほど、目の前のユリウスはよく喋る。
(……子供の頃は社交的だったのかしら?それにしても…『生まれてきてくれてありがとう』だなんて…初対面なのに、恥ずかしくないのかしら…)
「ふざけないで」
冷たい声が、思わず口からこぼれた。
「…ふざけてなんてないよ。本当に…君が生きていてくれることが…すごく嬉しいんだ…」
「どうしてそんなこと言うの?私たち、今日初めて会ったのよ?」
「…そうだね。だから…その…出会えて嬉しいって意味だよ」
セレナは小さく息をのんだ。
「…そう」
セレナが気まずそうにしていると、ユリウスが小さな包みを差し出してきた。
どうやら、贈り物を用意していたらしい。
「中身はたいしたものじゃないんだ。でも、どうしても君に渡したくて」
セレナは黙ったままそれを受け取った。
包を開けて中を見ると、一冊の本が入っていた。
「……本?」
小さな古書だった。
ページの端は少しだけ黄ばんでいる。
けれど、その装丁には不思議な温かみがあった。
「この本は、家の書庫にあったものなんだ。“光の雫”っていう古い童話なんだけどね」
「”光の雫”……?」
「そう。君はきっとこの物語を気に入ると思って」
そういうと、ユリウスは本を手渡してきた。
セレナはそっと本を開いた。
《ある国に、見つけると幸せになれるという、光の雫を探す旅人がいました。
旅人は旅の間に何度も挫けそうになり、あまりの辛さに涙を流しながら歩きました。
砂漠で、森で、夜の暗闇の中で――
どこにいても、絶望が寄り添いました。
ある時、ふと旅人が足もとを見ると、そこには光る雫がありました。
それは旅人の涙でした。
月の光を受け、雫は夜道を明るく照らしていました。
旅人は雫を、次に夜道を通る人々のために置いたままにして歩き出しました。
それからも、旅人は涙をたくさん流し続けました。
雫を森の枯れ果てた木に落とすと、すぐに小さな葉が顔を出し、砂漠には小さなオアシスができました。
人々は旅人にたくさん感謝しました。みんな笑顔になりました。
そのたびに、旅人は胸の奥がそっと温かくなりました。
旅人が苦しんで流した涙は、人々を助ける光に変わっていたのです。
そして、旅人は気づきました。
自分が苦しい思いをしたことには、こんなにも意味があったのだと。》
セレナは、そっとその表紙を撫でた。
(……どうして、こんな話を)
そのとき、ふいに胸の奥が軋んだ。
今にも零れそうな何かを、無理やり押しとどめていた。
「……本をどうもありがとう。でも、私…この話好きじゃない。だって結局、旅人はたくさん苦しんだのに、幸せにはなってないじゃない」
「…俺はね、旅人は最良の結果のために、意味のある不幸を味わったんじゃないかと思うんだ。ただ無駄に苦労したわけでも、ただ無駄に涙を流したわけでもなく…全てが最良の結果に繋がった…それがとても尊く思えるんだ」
「…」
(そんなのただの詭弁だわ…)
セレナは心の中でユリウスを軽蔑した。
「どうか、この本を君が持っていてくれないかな?もしかしたら…この本をいつか好きになる日が来るかもしれないし…」
ユリウスは小さく笑う。
その笑みは、どこか寂しげだった。
けれど、まっすぐで、揺るがなかった。
セレナは、もう一度本を見つめた。
そして、そっと言った。
「…わかったわ」
セレナは渋々本を受け取った。
「よかった!」
ユリウスは愛らしく微笑んだ。
これが、六度目の人生での、彼との出会いだった。




