初夜
二人は結婚式の後、アーデルハイト侯爵家が所有している別荘にいた。
結婚式の後に待ち受けるもの――それは、もちろん“初夜”である。
貴族の結婚は、初夜を迎えてこそ正式に完成すると言っても過言ではない。
そしてセレナが誰かと体を重ねるのは、この人生では初めてのことだった。
一度目の人生では、数えきれないほど体を重ねた。
だがそれは、愛ではなかった。
強いられる夜。拒むことも許されない義務。
アレクとの十年の結婚生活の中で、夜は恐怖そのものだった。
二度目の人生では違った。
ルシアンとは、心から結ばれていた。
未来が約束されなくとも、明日が保証されなくとも、それでも互いを求め合った。
(私は、ルシアンとの愛を貫くの)
この人生では、もう出会うことも、結ばれることもない。
それでも、彼の幸せを祈ることはできる。
(だから――気持ち以外のすべてを、ユリウスに捧げるわ)
それが誠実だと、思おうとした。
「.....お待たせ、ユリウス」
「.....あぁ」
「寒くないか?」
「ええ、少し肌寒いわね」
ユリウスはセレナをひょいと抱き上げ、ベットへ下ろした。
「君の嫌がることはしない。結婚を急いだのは俺だから、君の心の準備ができた時に教えて欲しい」
「.....元をただせば、私があなたを婚約者に選んだことで決まった結婚よ。私はあなたを愛しているわ」
セレナは堂々と嘘をつく。
だが、決して全てが嘘というわけではない。愛はなくとも、情はすでに芽生えていた。
「....本当に大丈夫か?」
「ユリウス.....あなたにはとても感謝しているの。あの時、私を拒まずに受け入れてくれたこと」
「今そんなことを言うなんて....それに、あれは俺にとって人生最大の幸運だったよ」
「無理しなくていいわ。あなたは私に興味なんてなかったはずよ」
「いや、君の10歳の誕生日パーティーの日、俺から君に声をかけただろう?忘れたのか?」
ユリウスがこれまでにないほどに甘く微笑む。
(そんなこともあったわね。確か1回目の人生ではなかったことだったから驚いたのよね)
「なぜ、あの時私に声をかけたの?」
「俺はずっと前から君を見ていたから。君が知らなかっただけだよ、セレナ」
どう言う意味なのかセレナにはよくわからなかった。
ただ、ユリウスの表情を見ていたら、この結婚が決して
セレナの傲慢さが招いたものではないということがわかった。
ただそれだけでもう十分な気がした。
ユリウスがゆっくりとセレナのヴェールを外した。
指先が、髪に触れる。
その動きは慎重で、まるで壊れ物を扱うようだった。
「緊張してる?」
低く落ちる声。
セレナは一瞬だけ視線を逸らし、そして真っ直ぐ見返す。
「していないわ」
嘘だ。
胸の奥がざわついている。
アレクの荒い息。
押さえつけられる腕。
――違う。
今、目の前にいるのはユリウスだ。
彼の手は、強くても、乱暴ではない。
「……無理はさせないから」
その言葉と同時に、唇がそっと額に落ちた。
優しい。優しすぎる。
それが逆に、怖い。
(どうして、そんな顔をするの)
まるで長年焦がれたものを、ようやく手に入れたかのような目。
ユリウスの指が、ゆっくりとセレナの頬をなぞり、首筋へと降りていく。
触れられただけで、肌が熱を持つ。
「セレナ」
名前を呼ばれるだけで、胸が震える。
「ずっと、こうして君に触れられる日を夢に見ていた」
その告白は、甘く、重い。
息が絡み、唇が重なる。
最初は確かめるように、ゆっくりと。
だが次第に、口付けが深くなる。
舌先が絡み、二人の呼吸が乱れる。
セレナの指が、無意識にユリウスの衣を掴んだ。
「……っ」
かすかな声が漏れる。
ユリウスの目が細くなる。
「嫌なら、止める」
「……嫌じゃないわ」
その一言に、空気が変わる。
強く抱き寄せられ、互いの体と体の間に隙間がなくなる。
彼の手が背を滑り、腰を引き寄せる。
硬い胸板に押しつけられ、鼓動が伝わる。
唇が首筋へ落ち、思わず声が震える。
「ユリウス……」
名前を呼ぶと、彼の動きが止まる。
「どうした?」
「……優しくしすぎよ」
「そんなこと言われたら、我慢できなくなる……」
その瞬間、唇が再び塞がれる。
今度は、深く。
背中が寝台に沈む。
ドレスの紐が解かれ、白い肌が露わになる。
月光のような肌に、彼の視線が落ちる。
「……綺麗だ、セレナ。本当に綺麗だ」
囁きは熱を帯びる。
指先が胸元に触れ、ゆっくりと形をなぞる。
身体が跳ねる。
「そんな顔、他の誰にも見せるなよ」
重なる身体。
ゆっくりと、深く。
最初の痛みに、眉が寄る。
「……っ」
「大丈夫か?」
「……大丈夫よ」
指先が彼の背に回る。
二人の動きが重なり、呼吸が混ざる。
肌が擦れ、熱が上がる。
「セレナ……」
切羽詰まった声。
その声を聞いた瞬間、胸の奥が震えた。
こんなにも切実に求められている。
身体が溶けてしまいそうだ。
セレナの視界が滲む。
指が絡み、唇が重なり、鼓動がひとつになる。
そして――長い吐息とともに、二人は静かに重なったまま動きを止めた。
ユリウスの額が、セレナの肩に落ちる。
荒い呼吸が、徐々に整っていく。
「……ありがとう」
何に対する礼なのか、わからない。
セレナは、そっと彼の髪を撫でた。
(私は、あなたを愛してはいない)
そう思う。
けれどーー。
彼の腕の中にいるときだけは、ほんの少しだけ、凍った心が溶ける気がした。
今夜だけは、何も考えずに眠ろう。
ユリウスの体温に包まれながら。
ーーそうして2人は夫婦になった。
***
ーーカーテンの隙間からこぼれる淡い光が、寝台に影を描く。
その光の中で、セレナは目を覚ました。
隣にある体温、重なる指先、規則正しい寝息。
現実がやさしすぎて、かえって恐ろしかった。
横を見ると、ユリウスはまだ眠っていた。
深く、穏やかに。
その寝顔が優しすぎて、なんだか無性に泣きたくなった。
(この幸せが、怖い)
セレナが涙を堪え、そっと目を閉じるとユリウスの腕がふと伸びて、彼女の頬に優しく触れた。
「おはよう、セレナ」
「.....おはよう、ユリウス」
セレナは、微笑み返すふりをした。
けれど、それがふりなのか、本当なのか、自分でも分からなかった。
目覚めは安らぎの中にありながら、心には名もなき痛みが残る朝。
それでも、ユリウスの体温に触れているうちは、過去を少しだけ忘れられる気がした。
「……どうして泣いているんだ?」
ユリウスが心配そうに尋ねる。
「泣いてなんかないわ。ただ、あくびをしただけよ」
セレナは嘘をついた。
けれどこれはきっと悪い嘘ではない。
ユリウスに心配をかけたくはない。
「今日は神殿に行かないとな」
「ええ、そうね」
この国では、正式に夫婦になった日には神殿を訪れ、教皇から”祝福”を受ける。
(神殿には、もしかしたらルシアンがいるかもしれない.....)
セレナは、不安なような、切ないような、そんなどうしようもなくざわめく気持ちを抑えきれずにいた。




