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君は愛しのメランコリア  作者: 桔梗


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神への誓い

二回目の人生で、私は十六歳のときにルシアンと出会い、恋に落ちた。

それは、アレクのときとはまるで違う恋だった。


燃え盛るような激情ではない。

誰かに見せつけるための関係でもない。


静かで、穏やかで、触れれば壊れてしまいそうなほど繊細な恋だった。


本当の愛しさとは何か。

誰かを想う喜びとは何か。

そのすべてを、ルシアンが教えてくれた。


彼と過ごした四年間――

雪のように儚く、美しかった日々を、私は一度も忘れたことがない。


忘れたかった。

忘れてしまえれば、少しは楽になれたかもしれない。

でなければ、あまりにも辛くて、気が狂いそうだった。


……事実、三回目の人生では、狂ってしまった。


ルシアンとの日々は、泡沫の夢にすぎなかったのだと、自分に言い聞かせようとした。

あまりに不憫な私を見かねた神が、最後に与えてくれた、ほんの一瞬の美しい夢だったのだと。


けれどーーそれでも忘れられないのには、理由がある。


ただ愛していたから、というだけではない。

ルシアンは、いつも私に言っていた。


《たとえ死が二人を引き裂いたとしても、僕の魂は永遠に君と共にある。

セレナ、僕たちは永遠にひとつだ》


あの言葉を、私は宝物のように胸に抱いていた。今でもずっと。


彼はきっと、自分たちが永遠に逃げ切れるはずがないと知っていた。

だからこそ、死を覚悟していた。


それでもなお、私を愛そうとしてくれた。

それでもなお、私とひとつでいようとしてくれた。


今にも消えてしまいそうなほど儚いその覚悟が、たまらなく愛おしかった。

なのに私は、彼の不安に気づきながら、見ないふりをしていた。


幸福な時間だけを選び取って、安心しきっていた。

あの頃の私は、きっと傲慢だった。


もっと寄り添えばよかった。

彼の恐れも、一緒に抱えればよかった。

それでこそ、本当に“ひとつ”になれたはずだった。


(愚かで、どうしようもない私を……どうか許して)


私の心はいつも、自責の念で満ちている。

けれど同時に、どの人生でも消えなかったものがある。


ーーアレクへの怒り。

ーーレオンへの、深い失望。


死ねないのなら、生ぬるい不幸の中で生きていこうと決めた。

だが、圧倒的な不幸を知ってしまったこの心を、いったいどこに置けばいいのだろう。


生きることもままならない。

死ぬことも許されない。


――これは、正真正銘、呪いに違いない。


***


ルシアンは、司祭であったのに神殿に背いたため、ルシアンとは教皇の”祝福”を受けたことがない。

1度目の人生で、アレクと受けた”祝福”は、あの不幸の日々を思い返すと

なんの意味も持たなかったように感じていたので、セレナにとって”祝福”とは名ばかりのものだった。


祝福など、信じてはいない。

それでも儀式は必要だ。


この国では、婚姻の翌日に神殿へ赴き、正式な報告と祈りを捧げて初めて”夫婦”として認められる。


神殿へ向かう途中の馬車の中で、セレナは一言も話さなかった。

ユリウスはそんなセレナに対して、まるで何かを悟ったようにそっと肩を抱いて、寄り添っていた。


(……この人は、本当に)


不思議な人だと思う。


干渉しすぎない。

けれど、決して離れもしない。


「緊張しているのか?」


低い声が、馬車の揺れに紛れて落ちる。


「いいえ」


短く答える。

嘘ではない。

恐れているのは祝福そのものではない。


――祝福という言葉が持つ、皮肉だ。


一度目の人生で受けた祝福は、地獄の始まりだった。

神に誓ったはずの婚姻は、檻に変わった。

だから“祝福”という言葉を、どうしても信じられない。


「無理をするな」


ユリウスはそれだけ言って、セレナの肩を軽く引き寄せた。


***


神殿が見えてくる。

白亜の尖塔が青空を突き刺している。


何度も見たはずの景色。

それでも足が、わずかに重くなる。


馬車が止まる。

ユリウスが先に降り、手を差し出す。

その手を取る瞬間、ほんの一瞬だけ迷いが生まれる。


今差し出されているのは、過去でもなく、亡霊でもなく、現実の男の手だ。

セレナは静かにその手を握った。


神殿の扉が開かれる。

冷たい空気と、淡く染み込む香の匂い。


高窓から差し込む光が床に帯を落としている。

祭壇の前には、年老いた大司祭が立っていた。


「ユリウス・アーデルハイト卿、セレナ夫人。互いを敬い、支え合い、

死が二人を分かつまで共にあることを誓いますか?」


――死。


その単語に、鼓動が跳ねる。

死は、分かつものではない。


何度も経験して思い知った。

分かつどころか、まるで呪いのように巡り合わせる。


隣で、ユリウスの力強い声が響く。


「誓います」


迷いのない確固とした響きだ。


セレナは目を閉じる。

過去をそっと胸の奥に沈める。


「……誓います」


声は、自分で思ったよりも小さかった。


祝福の祈りが唱えられる。


儀式が終わり、立ち上がる。

ユリウスがさりげなくセレナの腰に手を添える。


「顔色が悪いな」


「大丈夫よ。少し、疲れただけ」


「神は信用できないか?」


セレナは驚いて一瞬、目を見開く。

だが、正直に答える。


「……ええ」


ユリウスは笑わなかった。

ただ、静かに言う。


「俺もだ」


その一言に、肩の力が抜ける。


「だが、俺は決して君を裏切らない」


唐突で、誓いとも宣言ともつかない言葉。

神ではなく、自分を信じろと言っているのだ。


(どうして、そんなことを言うの)


胸が、わずかに痛む。


期待してはいけないのに。

信じすぎてはいけないのに。


神殿の外へ出ると、風が吹き抜けた。

白い階段の上で、ユリウスが振り返り、微笑む。


「帰ろうか、セレナ」


ユリウスのその微笑みに、セレナの心の奥で凍っていた何かが、再び動き出すのを感じていた。

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