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私の奇跡

ーーその日の夜。


セレナはベッドの上で、また一通の手紙を開いた。

ユリウスの美しい筆跡。

そこに書かれていたのは、ほんの短い一行だけだった。


《昨日、君の夢を見た。夢の中でも君に会えて嬉しかった。》


(……馬鹿ね)


セレナはわずかに微笑み、手紙を胸に当てた。


月が高く昇り、夜空の下、セレナはそっと目を閉じる。

その胸には、まだ名もない痛みと、微かな祈りが息づいていた。

今だけは、過去の苦しみから離れてこの月の美しさだけを感じていたい──今だけ、ほんの少しだけ。


***


ーー美しい死を迎えたはずだった。神に強く祈ったはずだった。


だから、見覚えのある部屋で目を覚ましたとき、何が起きたのか理解できなかった。


セレナは部屋を飛び出し走り出した。


(ここも、ここも全部私の知ってる場所よ.....なぜ!どうして!!!!)


侍女たちがセレナの行動に驚き、レオンに助けを求めた。


「レオナード様!セレナお嬢様が……!セレナお嬢様がおかしいのです!!」


「なに....?」


レオンは、セレナは皇太子との結婚が間近になり、不安定になっているだけだろうと思っていた。


ーーセレナの寝室。


「おい、セレナ…どうしたんだ!?」


アレクが慌てた様子でセレナに声をかける。


「レオン…私おかしいの。確かに、確かにあそこから飛び降りたはずなのにーー」


「…セレナ、何を言ってるんだ?」


「私は確かに死んだはずなのよ.....!!なぜ?どうして私はここにいるの!?…死ねなかったの?それにあなたなぜそんなに若いの!?」


「本当に何を言っているんだセレナ…。怖い夢でも見ていたのか?可哀想に…」


レオンはセレナのベットに座り、動揺しているセレナの頭をそっと優しく撫でた。


(なぜ…?なぜ私はここにいるの…?レオンはなぜ昔の姿なの…?)


セレナの記憶の中で、アレクと結婚してから一度たりともこの家に帰ってきたことはなかった。

16歳からの10年間ーー。

あの悪夢のような日々の中で、この家での美しかった日々だけが、心の支えだったようにも感じる。


「今…私は何歳?」


「セレナ、本当に大丈夫か…?医者を呼ぶか?」


レオンは相変わらずだ。優しく、聡明な自慢の兄。

だがーーセレナが最後に見たレオンはこんな姿じゃない。


セレナがしばらく考え込んでいると、「お前は今、16だ」とレオンが答えた。


「…何?今なんて…?」


「だから…お前は、つい先日16歳になっただろう?」


(16歳…?レオンは何を言っているの…?まさか私ーー過去に戻ってしまったの?)


セレナは動揺が隠せず、ひどく取り乱していた。

そんなセレナをレオンはそっと抱き寄せる。


「皇太子殿下との結婚式まで、あと半年もないんだぞ。不安なのはわかるが、しっかりするんだ。お前はいずれ皇后になるんだぞ?」


レオンの言葉でセレナは確信した。


(あぁ、全て現実なのね…。もしかして、あの悪夢の日々の方が…夢だったのかしら?いや、そんなわけないわ…。痛みも苦しみも鮮明に記憶の中に刻み込まれているもの…)


全ての不幸が、また始まってしまう。

あの絶望の日々がまたやってくるーー。


(嫌よ!絶対に嫌!!大丈夫よ、まだ結婚したわけじゃないわ。これはきっと…そう、きっと…神様がもう一度人生をやり直すチャンスをくださったのよ!)


セレナは父の書斎へ向かった。


セレナは父であるアルダルト・エバレット公爵に「結婚を白紙にして欲しい」と願い出たが、もちろん結果は惨敗だった。


そして、部屋での謹慎を言い渡された。


半年後に控えた結婚を前に、急に結婚したくないだなんてーーそりゃ頭がおかしいと思われても当然だ。


ーー謹慎中のセレナの部屋。


「明日、神殿から司祭に来てもらうことになっている。お前には神の祈りが必要なようだ。皇太子殿下との結婚までにしっかり自分の立場を自覚するように。わかったな、セレナ」


「はい、お父様」


翌日、セレナの前に現れたのは――年若い司祭、ルシアンだった。

本来なら老齢の司祭が訪れるはずだったが、急な宮廷の召集により代役として派遣されたのだ。


初めて対面したとき、ルシアンは少しぎこちなく微笑んだ。

「……初めまして。エバレット公爵令嬢。私はルシアンと申します。どうか神の言葉が、あなたの慰めになりますように」


その声は清らかで、けれどどこか人間らしい温度を帯びていた。


セレナは思わず彼を見つめ返す。


(どうして……こんなに澄んだ眼差しで、私を見るの?)


ルシアンの胸にもまた、戸惑いが芽生えていた。


これまで多くの人に祈りを捧げてきたが、セレナの瞳には他の誰とも違う影があった。

壊れそうなほど脆く、それでいて必死に気高くあろうとする光。


祈りを口にしながら、彼は心の奥で気づいてしまった。


(あぁ……私は、この人のために祈りたいのだ)と。


日が経つごとに、二人は互いに惹かれあっている気持ちを隠せなくなっていた。


セレナの胸に、抑えようのない鼓動が走った。

ルシアンの中にもまた、禁じられた想いが芽生えていくのを止められなかった。


「私は一介の司祭にすぎません。私はあなたを愛した瞬間から神に背いてしまったのです。ですが、そんなことはもはやどうでもいいことです。私は…神よりも尊い人に出会えたのですからーー」


「私も…私も、あなたを愛しているわ。あなたは私にとって奇跡そのものよ」


過去の愛と呼べるか疑わしいあの悲惨な日々とは全く違う、心から愛しいと呼べる存在に出会ったのだ。


司祭が恋愛や結婚を固く禁じられていることは知っていた。

そして、神に背いて結ばれることが、どれほどの罪になるかもーー。


それでも二人は愛に抗えなかった。

まるで、初めから結ばれることが決められていたかのように。


セレナがデビュタントの日を迎える前に家を飛び出し、二人で隣国へ逃げた。

セレナは、生まれて初めて貧しい生活を余儀なくされたが、それでも十分に幸せだった。


紛れもなく、本物の愛を掴んだと思えた日々だった。

本当にかけがえのない、愛おしい日々だったーー。

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