王家の魔法
幸せに生きる。
言葉にするのは簡単だが、実際どうすれば幸せに生きることができるのか。
この世界では、オレは王女。オディットはオレの執事、そしてゼロセブンは機人族の長。みな、それぞれが地位を持っている。
この地位を使うこともできる。それは一つの力だろう。
そしてゼロセブンが向こうの世界の道具を作り出して市場に流せば多少の金がオレにも入ってくる。金も力だ。どう生きるにしても金は必要だ。幸せにいきたいというなら尚更、金はあるに越したことはない。
あとは…。と、オレはそこで考える。
向こうの世界でなにか問題が起きたとき、どうしていたか。平和に話し合いで済めばいい。けれど、中にはそれでは解決できないこともあるとオレは知っている。そんなときはどうするか。…そう、暴力だ。
…オレの周りは少し血気盛んな野郎が多かったのもあって、そう言った問題解決策が取られることも多かったのだ。もちろん、暴力は正しくないことだ。けれど、力で解決できることがあるのも確かだ。
だけど、今のオレにはその力がない。
万が一のときに備えて、…オディットやゼロセブンを守るためにも少しくらいそういった力が欲しいところだが…。
「オディットくんや、どうしてこの世界にはモンスターやらファンタジーな種族がいたりするのに、オレには特別な力がないのかね。こうバーンと炎を出したり、シュババっと水を出して手裏剣にしてみたり…そういうことをしてみたいんだけど」
「何を仰いますか」
オレは正しい用途で使われたことのない執務机の上でぐでっと伸びながら、オディットにそう言うと呆れた風にそう返された。そうよね、わかっていますよ。
オレは手慰みにしていたコインロールを止めて、コインを右手に移したり左手に移したり、そして右手から消して左手から消して…とかつて磨いた合コン芸を意味もなく披露をしていると、さらに呆れを含んだ溜息を吐かれた。…そんなにこれみよがしに溜息を吐かなくたって、もう無理は言いませんよ。
「アイリーン様には、王家の回復魔法があるじゃありませんか」
「って、あるのかよ!…痛ッ」
オレは驚いた弾みで右手から飛び出したコインを額でキャッチしながら、叫んだ。
そして思い出した。
そうだ、人族の王家だけが使える回復の魔法。それがあるから、ヒロインは学園で王家の落胤だとわかるのではないか!
ヒロインはゲーム開始してすぐに人族の国、ヴェール王国にある王立学園に入学する。そこで怪我をした…誰だっけ、確か天翼族のミスティ・ノーグだったか…を治したいとその祈りの心で回復魔法の力に目覚め、さらなる波乱に巻き込まれていく…のだった。そうだった!なんで忘れていたオレ!
希望していた力とはちょっと違うけど、力であることには変わりはないじゃないか!
オレは興奮した勢いのままふんすふんすと鼻息も荒くオディットくんに掴みかかろうとすると、ノックもなく一つの扉が開いた。…このノーノックはゼロセブンだな。
しかし、今は丁度いい。
「やあやあ!ゼロセブンくんよ、どこか体の不調はないかな。具体的にはちょっと紙で指を切ったとか、肩こりとかそんなのがあると嬉しいんだけど!」
「…え、なに?どうしたの、急に」
満面の笑みでそう問いかけるオレに、手にたくさんの荷物を持ったゼロセブンは引き気味そう答える。そして行儀悪く足でドアを閉めるゼロセブン。ふっふ、今のオレは寛大だからそんな行儀の悪さも愛してあげよう。
「回復魔法だよ!使ってみたいんだけど、オレは元気いっぱい夢いっぱい!つまりだね、」
「…なるほど、丁度いい実験体が欲しくなったと」
「言い方は悪いがつまりはそういうことだ!で、どうかな、どうかな?どこか体の不調があったりしない?」
オレはすりすりとゼロセブンに近寄りながらそう問いかけると、心底嫌そうに顔を強引に遠ざけられる。ぬう、乙女に対する扱いが雑だぞ。
ゼロセブンは溜息を吐いて、手に持っていたたくさんの紙(そう紙だ。羊皮紙ではない。トイレットペーパーと共にゼロセブンが新たに開発したものである)を執務机の上に置く。
そしてオレに生身の方の腕である左手の人差し指を出してくれた。
「…なら、今朝、指を紙で切ったからそれを治してよ」
「おお!いいとも!」
ゼロセブンを執務机の椅子に座らせて、オレもその前に座り込む。ふむふむ、さっくり切れているな。
…で?
「で、どうすれば回復魔法とやらが使えるんだ?」
オレは後ろに控えるオディットくんにそう問うと、今日一番のどでかい溜息を頂いた。…なんか今日溜息ばっかり聞いてる気がするぞ。
「…アイリーン様、王家付の魔法使いによる専門の講義があった筈ですが」
「そんなのあったか?」
オレはアイリーンの記憶の中を検索するが、ヒットなし。…なんか健やかに眠れる時間があった気がするが気のせいだな。
しかし、参ったな。回復魔法を使うのに勉強が必要なのか。
オレがどうすっかな、とゼロセブンの指を持ったまま考えていると、オディットの落ち着いた声が頭上から降ってくる。
「…よくお聞き下さい。王家の血筋のものだけが使える回復魔法の神髄は祈りの心です。清らかなる祈りの心がその貴き血に応え、その奇跡の御業を成立させる」
ふむふむ。そういやゲームの中のヒロインも怪我を治したいと祈ってたらその力に目覚めたとかあったな。
オレはゼロセブンの傷のある指を持ち、ウンウンと祈ってみる。ナンマイダー?南無阿弥陀仏?…こういうときなんて祈ればいいんだ。痛いの痛いの飛んでいけ-、とか?…真剣に考えるなら、オディットとゼロセブンをこれからずっと守れますように…なんだけど。
まぁ、ゲームとかだと大抵回復魔法は…、
「癒しよ!…なんて言ってみたり」
オレは冗談めかしながら、そう唱えた。古今東西、回復魔法と言ったらこれだろう。だけどまぁそんな簡単に魔法が使えるわけが…。
なんて思ってると、ゼロセブンの指を持ったオレの指先が仄かに光を帯び、熱を持った。
「えっ」
「…へえ」
じり、じり、じり…とすごく遅い逆再生動画を見ているように徐々にゼロセブンの指の傷が塞がっていく。回復速度、遅ッ。
嘘…、こんなパッとしない力なのか、回復魔法。ゲームのスチルじゃ、パッと光って血塗れの怪我を瞬時に治してたじゃん。もしかして、オレ無能?
そしてなんとも言えない空気の中、数分ほど待つと確かにゼロセブンの指の怪我は塞がった。
オレはおずおずとゼロセブンに問い掛ける。
「…治った?」
「治ったね。皮膚もしっかりくっついているし、痛みもない」
ゼロセブンは感心したようにそう言ってくれるが、オレとしてはなんとも言えない結果だ。オディットも"真実の愛"ルートのヒロインの知識があるからか、なんとも言えない顔で考え込んでいる。そうだよね、回復魔法、こんな地味なやつじゃなかったはずだ。
オレはガックリした気持ちを隠せないまま、まだ仄かに光る指先を執務机の端に伸ばし立ち上がろうとし…そのとき。
バキッ、と大きな音が響いた。
「えっ」
「えっ」
「へっ」
オディットくん、ゼロセブン、オレの順番で間抜けた声が上がる。
オレは指を掛けた執務机をそろり、と見てみると分厚い立派なオーク材の執務机の天板に一条のヒビが入っていた。…ってなにこれ!?
オレは慌てて指を机から避けるが、慌てすぎて壁に当たる。すると、そこでもバキッ、と大きな音がした。
恐る恐る見れば壁の煉瓦にヒビが入っている。ちなみにオレの指にはなんのダメージもない。強いて言うなら、壁に当たった感触があっただけだ。
「なななにこれ、オディットくん!王家の魔法ってこんな力だったの!?」
オレはあわあわと自分で自分の指を押さえながら叫ぶ。ゼロセブンも目を見開いて、ヒビの入った机と煉瓦を交互に見ている。
「落ち着いて下さい、アイリーン様…!」
「そうじゃぞ。なんじゃあ、壁を壊したくらいで大慌てになって。力があることはいいことではないか」
「オレの非力な指が壁を壊したんだからそりゃ慌てるだ…誰!?」
自然に会話に入ってくる聞き慣れない声にオレはビャっと跳ね上がって、周囲を見渡す。
するとドタドタと廊下を走る音が聞こえて、乱暴に扉が開かれる。…どうでもいいけど、誰もノックしないよね。一応王女の部屋なんだけど。
オレが現実逃避する頭でそんなことを考えていると、美人メイドのカガリが慌てた様子で部屋に入ってくる。
「申し訳ございません、アイリーン様!こちらにミスティ・ノーグ様は…!」
「ミスティ・ノーグ?」
ゼロセブンの声が響く。すると、大らかな響きのある笑い声が聞こえて、ふわりと純白の羽が部屋の中を舞った。
静かに降りてくる立派な足の鉤爪、大きな白銀の翼、美しく愛らしい花のかんばせに、悪戯に細められる金緑の瞳。肩ほどで綺麗に切り揃えられた白銀の髪に、右側だけでゆらりと揺れる細い三つ編み。
そこには『ルージュ・ヴェール~五つの王国と絆の乙女~』の攻略対象者の一人、ミスティ・ノーグがいた。
「やあ、初めましてじゃの、姫。わしはこの世界で一番の武勇を誇る天翼族の長にして姫の永久の伴侶となるミスティ・ノーグじゃ。末永くよろしく頼むぞ」