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DAYS 26:夏の扉

ラスボスが明かされました。

 川端通商店街のアーケードから明治通りに出る。強烈な日差しとうるさい程の蝉の鳴き声。夏の激しさを意図せず味わいながら天神橋を渡り、渡辺通りと交わるスクランブル交差点で右折する。巨大ビジョンから流れるあかりの歌声を背中で聴きながらさらに五分歩くと、目的地であるとある総合病院に到着した。バイトを終えて満福屋からここまで徒歩二十分。汗をかくには十分過ぎる時間だった。

 花火大会の夜旭はこの病院に救急搬送され処置を受け、一命を取り留めた。そのまま入院して今日で五日が経つ。

「別に毎日来なくていいんだぞ」

 旭は病室のベッドの上で暇そうにタブレット端末で漫画を読んでいた。あれだけ血を流していたわりには術後目を覚ますと案外元気だったのは彼らしいというか何というか。傷の治りが予想以上に早いらしく、当初は少なくとも二週間は入院との話だったが一週間に縮まったというのを美月は昨日彼から聞いた。

「来たくて来てるだけだから……来るなって言うなら来ないけど」

「いや、暇だし別にいいけど……何回も言うけど、変にお前が責任を感じる必要は無いからな」

「だからそんなんじゃないって」

 旭が傷を負ったのは美月を庇ったからに他ならない。彼女は口では否定しつつも実の所責任を感じているのが事実なのだが、連日彼を見舞っているのはそれを抜きにした純粋な気持ちからだった。

「あ、そうだ旭君、退院したら何食べたい?」

「え? 何だよ急に」

「昨日旭君の退院が早まったって早苗さんに伝えたら何を食べたいのか聞いといてって。明後日の夜は豪華だよ~」

「なるほど……あー、早苗さんの料理が恋しい……明日までに考えとくよ……んじゃあ」

 まだ読んでいる途中の様だったが彼は端末の画面をオフにした。

「そろそろいつもの奴を」

「……はーい」

 言われて美月は椅子から腰を上げてベッドから少し離れると喉の調子を調えた。続けて携帯からロックのインスト音源を流し、画面に表示した歌詞を見ながら演奏に合わせて歌い始める。もちろん病院なのでボリュームは控えめだ。

 救急搬送時、朦朧としていた意識の中で遠くから聞こえてきた歌で活力が湧いた。入院直後に旭がそう話してくれた。それを聞いた時は本当に嬉しかった。彼女の歌を聴くと何だか元気になる、との事で見舞う度にリクエストに応える形でこうして一曲披露している訳である。帰宅した後自室で夜の内にメロディーを覚えるのだ。

「……以上、本日の1曲でした」

 歌い終えると旭がぱちぱちと拍手を贈ってくる。

「さすがだなー、相変わらず耳に馴染んでくる歌だ」

「ちょっと一晩じゃ覚えにくかったです。もうちょっと楽に歌えそうな曲にしてよ」

「歌手目指してんだろ? そこは何とか頑張れよ……じゃあ次はラップでも頼むか」

「それは無理」

 そうして談笑を始めたタイミングで図ったかの様にドアがノックされた。旭の返事の(のち)に開かれた扉の向こうに立っていたのは太郎だった。

「素敵な歌でした」

「た……太郎君!?」

「……どうも」

 彼は会って早々気まずそうな表情を見せる。手には旭への見舞いの品であろう菓子折りが入った袋が提げられていた。

「おう来たか。元気そうでよかったよ」

「……それはこちらが言うべき言葉です……すみません、来るのが遅れてしまって」

 太郎はあの夜以降、連絡はついたが叶荘に戻ってはいなかった。昨日美月が帰った後に旭の元に電話が来たらしく、その約束通り今訪ねたという事だった。美月と時間帯が合ったのはたまたまらしい。

「よくわかんねーけど、色々忙しかったんだろ?」

「ばたばたしてたのは2日くらいです。少し時間を置いた方がいいかと思って……しかし、相変わらずで安心しました。やはり旭先輩は旭先輩ですね」

「もう、だったらどうして帰ってこなかったの? みんな旭君もだけど、太郎君の心配もしてたんだから」

「いや、何となく、帰りづらくて……あと、久し振りに向こう(・・・)に戻ったのでついでにと諸々の処理や雑務を行ってたら結局、更に2日経っていた、というのもありまして……」

 ははは、と疲れた様に彼は笑った。

「……向こうって、その、何かの組織……?」

「……ええ」

 太郎はふたりのそばに歩み寄ってくる。

「その事について、今日は全て話そうとここに来ました……まずは旭先輩にと思っていたんですが、よろしければ美月先輩もご一緒に。叶荘の他の皆さんにはまた改めてお話しするつもりです……座っていいですか。あとこれ、お見舞いの品です」

 菓子折りの袋をサイド・テーブルの上に置いてから彼は丸椅子に腰掛けた。美月ももう一脚に座る。

「まず、俺の本当の名前は風間レイといいます。田中太郎というのは偽名です。すみません、俺はずっと皆さんに嘘をついていました。俺は暦史書管理機構という組織に所属している人間で、叶荘に入居したのは旭先輩の『見えざる手(インビジブル・ハンド)』について調査する任務のためです。一種の諜報活動なので念のためにと素性を隠していました」

「インビジ……何それ?」

「旭先輩の超能力です」

「……太郎って、もしかして眼帯とかが妙に好きなタイプ?」

「あっ! いやっ! そんな目で俺を見るのはやめて下さい!」

 太郎……もといレイは恥ずかしそうに赤面する。ごほんと咳払いをして話を続けた。

「そ、それで、暦史書管理機構というのは様々な出来事について書かれた『暦史書』……別名『コロンシリーズ』の収集、保管を行っている組織です。かいつまんで話しますが、暦史書は『暦史家』あるいは『コロニスト』と呼ばれる人々によって書かれた物です。暦史家は『イデアル・ジーン』という特殊な遺伝子の覚醒によって本能的に暦史書を書くと言われています。その遺伝子の力が強まると、先日おふたりも目にした異能力を発動する事があります」

「……あの人はあの後どうなったの?」

 話の途中であるが美月は質問した。レイは少し黙った後に、組織で無事に保護したと説明した。それを聞いて彼女は安堵した。

「暦史書管理機構は暦史家の保護も並行して行っているんです。今回は異能力をコントロールする事が出来ずに暴走してしまったというケースですが、場合によっては意図的に異能力を悪用する人間も出てきます。これらの事態に対処するために、機構には『異能処理班』という異能力者の集団が存在します。あの夜現場に駆け付けた3人はそのメンバーです」

「じゃあ太郎も超能力を使えるのか?」

「ええ、はい。俺は諜報部所属ですが異能持ちです」

「何だよ言ってくれてもよかったじゃんか、超能力仲間だったってのに」

「……ですから、任務としての諜報活動だったので素性を晒さない様にしてたんですってば……」

 調子を狂わされたのかレイはぽりぽりと頭を掻いた。

「太郎君はいつから超能力を使えるの?」

「……俺が異能に目覚めたのは8年前です。俺は福岡出身で、親が自立させるためにひとり暮らしをさせたと以前説明しましたが、あれも嘘です。本当は東京出身なんです…………俺は、孤児でした」

「……そうだったのか」

 旭が表情を険しくする。両親を地震で亡くした身として他人事とは思えないのだろう。

「両親の事は全く覚えてません……推定5才の頃に渋谷でひとり泣いていたのを同じく孤児だった姉さんに拾われました。世話をしきれなくなった親が捨てていったんだと思います」

「酷い……」

「……そうですね、本当に……でも、南関東では珍しくない事ですよ……秩序が壊れましたから」

「……地震か」

「ええ」

 前首都東京を襲った巨大な直下型地震。レイもまた、間接的にではあるがそれによって両親を失ったひとりという訳だ。

「当時は地震が起こってからそれほど年数も経っていませんでしたし、やむを得ない事情で我が子を捨てる親は山ほどいたと思います……今は少しくらいはマシになってると思いたいですが……福岡(ここ)とは全然違う……とても同じ国とは思えないですよ。政府も復興にさほど積極的ではないですし……まあそもそも、財源も浅いんでしょうが」

 確かに彼の言う通り、壊滅した東京の復興目処は未だに立っていないという。いつからかその様子がテレビに映る頻度も減ってきているのは事実だった。

「姉さんは俺と違って純粋な震災孤児でした。俺とは年が11違いました(・・・)……まあ、さっき言った様に俺の実年齢は不明なんですが……『風間』という名字は姉さんの物です。『レイ』という名前は拾われた時に俺が自分で告げたそうなので、そっちは親が付けてくれた物だと思います……漢字はわかりませんが」

 レイは窓の外へと目をやる。遠くの過去を見ている様だった。

「……地獄でしたよ、当時の東京は。都区部全体が裏博みたいな場所でしたから……みんな飢えて、その日暮らしすら出来るかもわからない……そんな状況でした。身寄りの無い者同士で集まった集団がいくつもあって……姉さんは俺がいた集団では最年長で、子供達のまとめ役でした。大人の手伝いをして食料をもらったり、残飯を漁ったり恵んでもらったりしながら食い繋いでました…………そうやって3年が経った頃でした。ある日俺は廃墟で保存食の缶詰を見付けたんです。それを褒めてもらおうと思って姉さんをその場所に連れて行きました。それで建物に入った時、やや大きな地震が起こりました……直下地震の余震です。それで……倒れた棚の戸のガラスが飛び散って、姉さんが傷を負いました」

 彼の体が小刻みに震え始める。

「…………それからおよそ2ヶ月後、姉さんは死にました。あまりにも様子がおかしかったからたまたまボランティアとして出向いていた医者の元に駆け込んで、頼み込んで姉さんの様子を見に来てもらったんですが、その時はもう息を引き取った後でした……話を聞いた医者は、おそらくガラス片のせいで出来た傷から菌が入ったのが原因だろうと言っていました……当然、ろくな衛生環境じゃありませんでしたから」

「……」

「……」

 美月も旭も何も言う事が出来なかった。レイは俯き、辛そうにしながらも話し続けた。

「俺は死ぬほど自分を責めました。どうしてあんな危険な場所に姉さんを連れ込んだんだろうって。俺は姉さんに褒められたい一心で迂闊な行動を取ってしまった自分に凄く腹が立ち、情けなく思いました。そして俺のイデアル・ジーンが目覚めました」

 そこで彼は自身の異能力についての説明をしてくれた。記録した映像を視界に再投影する力。

「特定の事物に対する強い思い入れが異能力の引き金になると言われています。それにはマイナスの情念、つまりトラウマも当てはまります。もっと周囲をよく観察して危険予知が出来ていれば姉さんを死なせる事は無かったんじゃないか。再投影(リヴィジョン)は俺のそういう意思から発現したんだと思います……姉さんが死んだ後、俺はグループから追いやられました。それから都内を転々としながら生きていきました……時には盗みを行ったりもしました。観察を反復して行うとそれはデータとなって予測が生まれますよね。行商から売り物を盗むとして、その行商はいつ、どういうルートを、どれくらいの時間をかけて歩くのか。死角の多い場所は? 人が増える時間帯は? 逃げやすいルートは? 何度も何度も状況を観察すれば最適解を導き出せます……そういう悪知恵を働かせてたんです」

 懺悔するレイを単純に責める事は出来ない。極限の状況で生き抜くためには仕方の無い事だったのかもしれない。

「そして1年くらい経った頃でした。浅草で大人にコイントス勝負を吹っ掛けて小銭を稼いでた時です。投げたコインを手で握ってもらって、それを俺が表か裏か当てるっていう……まあ能力を使ったイカサマ勝負なんですけど……とある女性に相手をしてもらったら、やたらと興味を持って何度も勝負を挑んできまして……何回やっても当たり前の様に結果を当てる俺を見て、その人は俺を異能力者だと見抜きました。今思うとさすがにほぼ毎回当てるのは不自然だったなと思いますが……それが今の上司です。霧羽三ツ葉。彼女は俺の保護を提案してきました。行き場の無かった俺はそれを受け入れ、彼女の元に身を寄せ、機構の一員として働く事になりました。そして3年前、首都が東京から福岡に移ったのと時を同じくして機構の日本支部の場所も正式に福岡に移りました。それに伴って俺も三ツ葉さんもこちらに引っ越してきた訳です。それで……最初の話に戻りますが、去年の春頃、旭先輩の見えざる手(インビジブル・ハンド)の噂を耳にしました」

「……なるほど、旭君人目を憚らずに使ってるからね」

「その真偽を確認するのが俺に与えられた任務です……仮に旭先輩が異能力者だった場合、機構としては保護対象になるので。長くなりましたが、これで話は終わりです」

「……そっか。悪かったな、辛い事思い出させちまって」

「……そういう所も相変わらずですね」

 話を聞き終えた旭の言葉にレイは微笑しながら返す。

「俺が話したかったので……あの夜の一件が無ければ話さなかったと思いますが」

「ん? えーと、ちょっと待って」

 美月は小首を傾げた。

「って事は、太郎君が叶荘に入居したのって去年なの?」

「ええ、ちょうど1年前ですね。2学期に編入したので……あれ、知りませんでしたっけ」

「言ってなかったっけ?」

 聞いていない。てっきり中等部一年生の頃から住んでいたのだと思っていた。

「って事は、俺はお前の組織に保護されるのか」

「いえ、それは……」

 旭の問いかけにレイは曖昧に答えた。

「正直な所を言うと、旭先輩が機構の定義する異能力者に当てはまるのかの判断がつきません」

「……って言うと?」

「旭先輩の『見えざる手(インビジブル・ハンド)』はほぼ異能力で間違い無いと思います。俺達異能力者は能力を行使する際に『イデア』という精神世界への干渉を行っているんですが、旭先輩も同じ様にイデアに干渉している様ですし……それにあの夜、異能力で変態(メタモルフォーゼ)した男の腕を旭先輩は『掴みづらい』とも言っていました。それはおそらく異能力同士の干渉で抵抗を受けていたからだと思います」

「イデアって何だ」

「……こればっかりは説明するのが難しい物で……とにかく、意識的であれ無意識的であれ、異能力を使う時には絶対にイデアへ干渉する必要があるんです。俺はその干渉を感知する事が出来て、旭先輩が能力を使う時にもそれと同じ感覚を覚えます。それだけ見れば異能力者で間違い無いとは思います……が、干渉直後の様子がそれまでとさほど変わらないので、そこに少し違和感を覚えるのも事実です。イデアへの干渉後はその深さに応じて精神が疲弊します。端的に言うと眠くなったり気絶したりといった感じです。でも旭先輩の場合はどれだけ強く干渉しても……たとえば、全長3mのロボットを殴り倒したり、その腕を引き千切ったりするほどのエネルギーを発生させても息切れする程度でぴんぴんしてます。そこが腑に落ちない……なので、異能力者だとはっきり言い切れない……というのが俺の見解です。まあつまり裏を返せば、断定が出来ない以上は異能力者ではないとも言えるんですが……だから、旭先輩は保護対象には当たらないと上には報告するつもりです」

「じゃあ叶荘を出て行かなくてもいいのか……いや~よかった」

 旭は安心した様に胸を撫で下ろした。

「保護と言っても一概に身柄を預る訳でもないですよ。ただ制約や束縛が完全に無いとも言えないですがね……とにかく、そういう事です」

「それだと旭君の超能力の正体は結局謎のままって事?」

「……そうなりますね。限り無くイデアル・ジーンに近い何かによってもたらされた物なのか、あるいはイデアル・ジーンによる物だが何かが違うのか……あるいは、全く別の物なのか……イデアル・ジーンについてはまだ未知の事がたくさんありますから。俺は現在の一般論を基準に観察しているだけです」

 レイは立ち上がってまた旭に声をかける。

「すみません、ちょっと美月先輩と外でお話をしたいんですが、大丈夫ですか?」

「別に大丈夫だよ。てか俺のもんでもないし」

「では美月先輩、少しいいですか」

「え、うん」

 言われて美月も腰を上げた。


 それから彼女はレイと共に館外へと移動し、庭園の遊歩道を歩いていた。日が傾き始めてはいるが気温はまだまだ全然下がっていない。空もまだ青い。綺麗な夏空だ。辺りに人がいない事を確認してからレイは口を開いた。

「……先日我々が保護したあの男ですが、ええと……しばらく療養してもらう事になりまして、なかなか話を聞けないものですから美月先輩にお尋ねしたいんですが……先輩は彼とは知り合いなんですか。面識がある様な感じでしたが」

「ああ、話ってその事? えっと……」

 美月は以前裏博多に迷い込んだ時の事をレイに話した。

「……裏博…………ですか…………わかりました、ありがとうございます」

 それだけ言うと彼は黙ってしまった。聞きたい事はこれだけだったのだろうか。別に場所を移す必要は無かった様に思えるが。

 それにしても蝉が騒がしい。観賞用にたくさんの植物が植えられているからこの庭園はなおさらだ。ふとレイが立ち止まった。

「どうしたの?」

「……俺、美月先輩の事が好きです」

「……………………え?」

 耳をつんざく程の鳴き声の中でもその言葉ははっきりと聞き取れた。

「……い……今、何て……?」

「美月先輩が好きです」

 レイは彼女の瞳を見てもう一度告げた。聞き間違いじゃなかった。唐突にそんな告白をされたら何が何だかわからなくなり頭が真っ白になってしまう。

「…………………………」

「…………………………」

 数秒間ふたりは無言で見つめ合っていた。レイはとても冗談を言っている様には見えない。そんな事をふざけて言う様な人間ではない事はわかっている。

 あつい。とにかくあつい。

「…………そ、それは……せ、先輩として好きだ、って……事……だよね……」

「いえ、魅力的な女性だという意味で、異性に対する好意です」

 そんな事を平然と真顔で言うレイの顔を美月はまっすぐに見れなくなっていた。

「…………あ…………あはは…………や、やー……と、突然そんな事言われて困っちゃうなあ……あは、あはは……そ、そんな事言われたの、は、初めて、だよ……あは、あははは……」

「俺も、こんな事を言うのは初めてです」

「あ……あー……えーと……その……」

 動揺して言葉に詰まる。くるくると意味も無く髪をいじってみたり、視線をあちらこちらに泳がせたりしながら間を持たせる……いや、持たせられていないか。レイはずっと口を噤んでいる。こちらの答えを待っている様だ。

「……えーと……」

 ほんとにあつい。笑って誤魔化せる状況でもなさそうだ。こういう時どう返せばいいのかわからない。ただずっと黙っている訳にもいかない。カラカラに渇いていた喉にごくりと唾を飲み込んでから美月は返事を吐き出した。

「す、凄く嬉しい…………けど…………ご、ごめんね」

 彼の気持ちに応える事は出来ない。というのが美月の気持ちだ。

 するとレイは硬くしていた表情をふっと緩めた。

「……でしょうね。何となくわかってました……反復した観察は予測を生み出しますからね……好きな人がいるんですよね」

「……」

 そんな彼の問いに美月はしばし黙考した後。

「まだわかんないや」

 と答えた。

「そうですか……でもこれですっきりしました。心残りになりそうだったので言っておきたかったんです。これで俺はもう満足して叶荘を出ていけます」

「えっ!?」

 聞き捨てならない事を言われた。

「ちょっ、ちょっと待って!? ご、ごめん! その、私は別に気にしないから太郎君は出て行かなくてもいいよ! 何なら私が出て……も行かないけどとにかくそこまでしなくても!!」

「何で謝るんですか。俺の旭先輩の観察任務期間はほぼ1年なんですよ。去年の8月に叶荘に入居して、今月いっぱいでおしまいなんです。だから告白の結果がどうであれ俺は今月末で叶荘を退去する予定だったんですよ。旭先輩には夏休みに入る前にもう伝えてました」

「え……そ、そう、だったんだ……寂しくなるなあ……」

「そう言ってもらえるとこちらも嬉しいです。ただ機構の寮に戻るので都内にはいますよ。どこかは言えませんが。それに学校にも継続して通いますから。せっかく入学したんだから記念に卒業しておけと三ツ葉さんが……最初で最後ですからね、学校に通うのは……」

「いい人だね、その三ツ葉さんて人」

「ええ、少し……いえ、かなりガサツですが」

 レイは苦笑した。

「あと、代わりと言っては何ですが俺と入れ違いで知り合いがひとり引っ越してくるので、よろしくお願いします」

「へえ、そうなんだ! どんな人なの?」

「元気な娘ですね……東京にいた頃に仕事を通じて知り合った娘で……用事でしばらく福岡に滞在する事になると言っていたので叶荘を紹介しておきました」

「そっか~、女の子かあ。楽しみだなあ」

 そうこう話している間に庭園を一周していたふたりは旭の病室へと戻る事にした。


「おかえり。いやー長かったわね」

 八月三十一日夕刻。都内某所に存在する暦史書管理機構日本支部においてレイは任務の報告を行うため、上司である諜報部長霧羽三ツ葉の前に立っていた。椅子に深々と腰掛け、机に両脚をどかっと乗せている彼女の姿は端から見れば何とも態度の悪い人間だ。

「1年間の観察ご苦労様……で、単刀直入に結論をどうぞ」

「コロニストだと断定するに足り得る十分な確証が無いため、叶旭は保護対象には当たりません」

「……ふーーーーーーーーーーん……」

 三ツ葉はどこか引っかかる様な表情を一瞬見せたが、すぐにうんうんと頷き始めた。

「まあ、あなたがそう言うならそうなのでしょう。わかったわ。お疲れ」

「詳細な報告書は既にメールで送っているので……」

「あー無理、めんどいめんどい」

「……あの、せっかく作成したのでしっかりと目を通して欲しいんですけど」

「やーよ他にもやる事いっぱいあるってのに。いちいちあんたの書いた長ったらしい文章に時間を割いてる暇無いっての。どうせ回りくどい言葉でくどくどくどくど書き連ねてんでしょ」

「そりゃ報告書ですから」

「あーあーったく、どうしてこう理屈こねる性格になったんだか」

 それはガサツで大雑把なあなたに面倒を見られたからです、とレイは思った。

「はいはいもう帰っていいわよー。1週間は顔出さなくていいから。しっかり休みなさい」

「でもその間にも俺の仕事を溜めていきますよね」

「そりゃそうよ、部下の仕事を作るのが上司の仕事でしょ」

「……」

 少しは顔を出したほうが良さそうだ。

「……では失礼します」

 軽く頭を下げて三ツ葉の前から立ち去ろうとした時、彼女は背後で言った。

「楽しかった?」

「……任務が、ですか?」

 レイはくるりと振り返る。

「いえ、例のアパートでの生活は」

「……はい、とても」

「……そう。ならよかったわ」

 再び小さく会釈をしてからレイは部屋を出た。


 おそらく三ツ葉は任務にかこつけて自分に普通の学生生活を送って欲しかったのだろう。寮の自室へと戻ったレイはベッドに横たわりそんな事を考えていた。親に捨てられ路上で暮らし、姉を亡くして異能に目覚め、さらに仲間からも追いやられた彼は、彼女に保護された後もずっとその手足として動いていた。そんなろくに学校にも通った事の無い彼に、少しの間だけでも同年代の普通の人々と同じ様な暮らしをさせたかったのではないか。そのために今回の任務を利用した。聞かなくても、言われなくても何となくわかる。それは観察から得たデータに基づく予測ではなく、母親の様な彼女に対するただの直感的な予想だ。だから率直に言って、旭がコロニストであるかどうかなどという問題は彼女にとっては内心どうでもよかったのではないだろうか。

 実は旭を保護対象としないという結論には確証が無いという事よりも彼を組織と関わらせたくないという感情的な理由の方が大きかった。あれほど自由に異能らしき力を扱えるのならば組織の管理下に置かれれば異能処理対応に従事させられる可能性も考えられる。出来れば彼にはそんな事はさせたくない。他の皆と共に叶荘で自由に暮らして欲しい。一緒に生活する中でレイの心にはそんな思いが募っていった。

 ……しかし、旭の超能力とは別に気になる点がある。

 梅原から聞いたが、あの夜の救護車での旭の搬送中、同乗していた美月が歌い始めた直後からタイミングが合った様に出血が止まり始めたらしい。まるで彼女の歌声が旭の出血を止めた様だった……梅原はそう述懐していた。医師が手術を始めた時には傷口が塞がり始めていたとも聞いている。その最中に再び開いて出血が再開したそうだが。

 そして旭の回復が異様に早かったのも体質にしても不自然ではある。彼の超能力と何か関係があるのかもしれないが、彼の入院中は美月が毎日見舞いに通い彼の前で歌を歌っていた様だ。実際レイが彼の病室を訪ねた際にも彼女は歌っていた。

「……もしかしたら、美月先輩……あなたも……」

 だがレイは彼女についてはあえて報告しなかった。

 それからふと思い立ち起き上がると、レイはリュックの中を漁りカメラを取り出して撮影データをディスプレイに表示させた。

「……明日、写真立てでも買いに行くか」

 レイは顔を綻ばせた。それはあの日初めて撮った叶荘の前での集合写真。そこには焦って笑顔こそ作り損ねたものの、賑やかな住人達に囲まれた彼の姿があった。


Life goes on...next DAYS.

今回でSEASON 2が終わりです。と同時に物語の折り返し地点です。全然進んでない気がしますが、ここを真ん中に持ってこようと早い段階で決めてました。

次回、新しい住人が登場する……のか?

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