27話
◇
フェタンの街の盗人――ビフはぼんやりと明るい遺跡の内部を歩いている。
事の発端は、先日に起った地震れ。
ビフは、街の外の人間、それも年寄りや女などの懐を狙ったスリだった。
一度、若い男たちに盗みがばれて、ろくな抵抗もできずに半殺しにされた。
それ以降、できるだけ腕っ節の弱そうな者のみを狙うチンケな盗人になった。
街の同業には『ちり拾い』などと揶揄され笑われていた。
獲物が弱ければ実入りも少ない。
スリ以外の収入になる、丘の周りに自生している薬草を取りにいった時のこと。
まだ誰にも知られていない遺跡の入口を、偶然見つけた。
ビフは喜んだ。
遺跡はその内部に様々な遺物を残している。
遺跡の価値、それは金が湧き出る泉だった。
幸い、街道から外れているこの丘に人が来る事は少ない。
ビフは単身、遺跡の内部に潜った。
臆病なビフが危険も顧みず乗り込むなど、欲で目が曇っていたのだろう。
それでもなんとか遺物を回収し、それを街で売りさばく。
だが思ったよりも金にならない。
物が悪いのか、それとも見つけた遺跡自体の価値が低いのか。
ビフが単身のために、あまり深いところまで進めないからか。
それでも、普段のビフの収入の十倍にもなるのだが、期待が大きすぎた。
ビフは酒場で高い酒を頼み、気を落としていた。
――そんな時に声をかけてきたのが、今回の依頼人だった。
恐らくビフが売りに出した品から知ったのだろう。
依頼の内容は遺跡への案内。
テーブルに金の詰まった袋をドサリと置く。
その音が、ビフの目を輝かせる。
そこでまた欲が疼く。
ビフは内部の探索の同行を申し出た。
依頼人に遺跡の入口を明かせば、そう遠くないうちに、あの遺跡に人が集まることだろう。
秘密っていうのは、知っている者が増えるほどに守ることが難しくなる。
それならば今回の探索で、めぼしい物を一つでも多く回収してしまわなければ。
少し思案して、依頼人はそれを承諾した。
依頼人に遺跡の経験者がなく、ビフがある程度遺跡に潜っているということが、決め手になったのだろう。
そしてビフは街にいる顔見知りの傭兵を、依頼人に紹介する。
これが最後ならば、人を増やすことにためらいはない。
依頼人とその仲間で二人。
そして、ビフと傭兵で五人。
計七人で遺跡に挑むことになったのだ。
遺跡の通路に、ビフ達の足音が響く。
どれくらい進んだろうか。
外と違い、時間に依る光量の変化がないため、いまいち判断がつかない。
会話が続かないのは、依頼人一行が無口なせい。
依頼人は全員がローブを深く被っており、意識的にこちらとの会話を拒絶しているように思えた。
ビフも傭兵も客に社交性を求めることはないし、自分たちもそこまで上等なものではないと自覚している。
まあ、金払いが良いのでそこは気にしない。
「で、目的の物はまだ見つからないんですかい?」
ビフは依頼人を振り返る。
一緒に探索することを同意する条件として、遺跡で見つけた特定の遺物を譲り渡すことを約束した。
それ以外はビフ達の懐に入れて構わないと破格の内容。
ビフの問いかけに、依頼人は首を横に振る。
ならば、もう少し進むか。
まだ荷袋には余裕がある。
「おい、皆、静かにしろよ」
先頭を行く傭兵が忠告した。
彼は前方の獣を指していた。
青色の肌に薄い毛が生えた豚。
遺跡に入って何度目かの青豚だった。
刺激しないかぎり、大人しく無害な獣だ。
だが、興奮するとそれが群れに伝播し、手がつけられなくなる。
ゆえに、わざわざ攻撃を仕掛ける愚か者などいない。
この地方ではあまりみない獣。
どうして閉鎖されているはずの遺跡内部で、これほどの数が繁殖したのかとか、食糧はどうしているのかとか。
そこら辺は考えても利益が出るわけでもなし。
重要なのは、怯えさせないことに、怒らせないこと。
青豚の視界にゆっくりと自分たちを認識させ、敵意がないことを伝えてから、遠回りで通路の脇を進んだ。
――後ろを振り返る。
「今何か聞こえなかったか?」
ビフの問いに、皆が首を横に振った。
――気のせいだろうか。
首を傾げる。
が、それが気のせいでないことは、すぐにわかった。
先程よりも大きく近く響いてくる足音。
そして、女性と男性の会話。
皆が後ろを振り返る。
ビフと依頼人達は、武器に手を添える傭兵の背に移動した。
他に入口があったのか、それとも自分たちと同じあの裂け目を通ってきたのか。
取り分が減るとかもしれないと、ビフは舌打ちをする。
縄張りを主張する野良犬のように、足音の主を睨む。
が、そこでビフの目が丸くなった。
――想定と違って、走ってきたのは男が一人。
それなのに響くのは、穏やかな男の声とかしましい女性のもの。
「あら、このようなはしたない姿で、ごめんなさい。では、行きましょうかリオネル。皆さん、ごめんあそばせ」
青みがかった髪の女が、軽く会釈する。
こんな未開の遺跡の中なのに、女は何故か嬉しそうで。
――そして、彼女の腰と膝裏に腕を通して胸に抱えている美丈夫は、不自然なくらい爽やか過ぎる笑顔で走り去っていく。
あまりにも状況と不釣合い過ぎて、一行はただ呆然と見送っているだけ。
「――今のはなんだ?」
誰もが思ったであろう疑問。
――それなりに見れる容姿の男女が、お姫様抱っこで危険な遺跡内を闊歩していた。
正しい答えなのだろうが、誰もそれが正解だと口にしない。
なぜなら、それに対する正しい反応がわからないため。
どう対処するべきか、そもそも対処するべき危険なのかすらわからず、気まずそうに視線を逸らした。
――また話し声が聞こえた。
いや、一方的に喋っており、相槌すらないので話し声ではない。
「ファン、遅い! このままではセラフィマに負けてしまう。さあ、急ぐのじゃ!」
あの男女を見送った後に、首をまた戻せば、今度来たのは、黒い外套の男。
――そして彼の小脇に抱えられた、銀の髪の少女。
少女は鈴のなるような声で、遅いと青年を叱咤しているが、楽しげにはしゃいでいるようにしか見えない。
「――お、おい。ちょっとま、」
「待たん! 走れ!」
傭兵の一人が、少女に手を伸ばすが、それを外套の男が掴み、その場に引き倒す。
外套の男は続く二人目の手を躱し、何一つ説明することもなく、少女の笑い声と一緒に遠ざかっていく。
その背を見送っている時に、違和感に気づく。
――そういえば、黒い男は全く足音がなかった。
とてもありえない不自然さ。だがそれを議論する余地はなかった。
――それらの疑問全てを吹っ飛ばす雪崩のような影が、醜悪な鳴き声と迫ってきたから。
ビフは仲間に指示することなく、踵を返し走りだす。
それは薄情だからではなく、そうしなければ逃げ遅れ、眼前の獣と壁に挟み潰されたり、踏み潰されてしまう。
――こんな絶体絶命な状況。警告するならもっと切羽詰まった顔でしやがれ。
慌て急ぐビフの、わずかに冷静な部分が悪態をつく。
走り去った奴らは大馬鹿か、もしくは、大量の興奮した青豚に絶望して頭の線が切れたのか。
「リオネルゥ! お前らなんでそんなに速いんだ?」
――せめて、たったいま、乱れた吐息を撒き散らしながら必死な形相で一行を追い抜いていった軽鎧の少年くらいわかりやすかったのなら。
ビフは人生において頼りなかった己の運に、縋りついて祈るしかなかった。
書いている方としてはまだ長めの一章の半ばです。
ここを過ぎた辺りから、主要登場人物それぞれにある繋がりで物語を広げていくつもりです。




