#9
怒涛のように終わった新歓ライブから数日後。
俺は部室でライブの動画を観ながら陸、奏多、奥下先輩と話していた。
「見ろよ、この顔! 文化祭ライブと全く同じだな! な、鼓も分かるだろ?」
「はい、僕にも『大好きだー!』って聴こえます。というか、僕じゃなくても分かるよね。響くん分かりやすいから」
「……くぅ……お前が好きなのはバンドじゃなくて四宮だったんだな……俺はそれにすっかり騙されて、バンドが好きだと思い込んでスカウトしていたなんて……」
「あーもううるさいうるさい! 結果オーライだからいいだろ!」
新歓ライブ開始直後、そいつはフラッと俺の喉に帰って来た。
琴音の視線を意識した途端、頭が真っ白になって身体の芯から震えるような感覚に襲われた。これまでの人生でも何度も経験した現象。
それこそが俺の1/fゆらぎのカラクリだった。
なぜクリスマスライブの時は声がゆらがなかったのか。
単純な話だ。文化祭ライブの時は琴音が見ていたけれど、クリスマスライブの時は見ていなかったから。考えたらその他の時も、全部。
要するに1/fゆらぎの正体とは、恋心の発露だったのだ。美空ひばりさんや宇多田ヒカルさんがどうかは分からないけれど、少なくとも俺の場合はそうだった。
好きな人の前でカッコつけたいという見栄が生む、制御不能な喉の震え。臆病な恋を知らせるピンク色のノイズ。
言ってしまえば俺は特別でもなんでもない、ごく普通の思春期男子だったってことだ。
ついでに言うと、奏多はそのことになんとなく気付いていたらしい。文化祭ライブの時の俺の声に含まれる「好き」の色が、バンドだけじゃなく、別の何か――つまり琴音に対するそれも混じっていたんじゃないかと。
そこで彼が俺に無断で琴音をライブに招待していたとのことだった(いつのまに連絡先を交換していたんだと膨れたら、また揶揄われてしまった)。
ほんと、お節介な奴ばかりだ……まぁ、結果上手くいったからいいけど。
「すみませーん! ここが軽音部室ですか?」
なんて思っていたら部室のドアがガシャーンと開いて、やたら元気の良い、聞き覚えしかない凛とした声が、部室に響いた。
陸、奏多、奥下先輩がニヤニヤしている。まさか……
「入部希望でーす!」
振り返るとそこには、仁王立ちする琴音のドヤ顔があった。呆気に取られている俺に気付いた琴音は、照れくさそうに人差し指同士をつんつんしながら、言った。
「響のライブ観てさ、私も新しい『好きなこと』見つけちゃった。ギターの練習頑張るから、私も響と一緒に、ステージ立ちたい……」
「へぁっ」
変な声が漏れた。顔に血液がぶわっと集まる。
もじもじと琴音の方を窺うと、好きなことにキラキラと目を輝かせる俺の大好きな笑顔があった。
……あぁ、良かった。直接言わなくても、ライブを通して俺の気持ちは届いていたらしい。
熱に浮かされた顔を手で扇ぎながら、へへっとつい笑みがこぼれる。
「あのー、良い雰囲気のところ悪いんだけどー」
不貞腐れたような声に横を見ると、やはり不貞腐れた顔の陸が立っていた。
「うちのバンドのギターは満席だ。俺と、響もこれからギターボーカルをやる予定だからな。お前の席はねぇ」
「えー、じゃあ、空いてるポジションはないの?」
「……一応、ベースは募集してるけど」
「じゃあそれやる!」
「ほぉ。でもちょっとやそっとじゃ俺のバンドには……」
「ところで陸くん、ベース?って何? ギターと何が違うの?」
「はぁ!? お前、音楽経験は!?」
「ゼロでーす!」
「だよな!? 陸上馬鹿だもんな!? それで俺たちのバンドに入りたいだと? 恥を知れ!」
「やる気だけはあるもん! 陸くんの判断基準は技術じゃなくて本当の音楽好きかどうかでしょ? なら、私にも資格があるはず!」
「昨日今日好きになったやつにあるはずねぇだろうが! そもそも本気で陸上辞めてバンドを……」
「やるもん! 今はまだ全然分からないことだらけだけど、皆とステージに立つためなら何百時間でも何千時間でも練習するもん!」
「……おい! 奏多! 今の四宮の言葉は嘘じゃなかったか!? 嘘だよな!? 嘘であってくれ!」
「うん。残念ながら、素直でまっすぐな本心だったよ。誰かさんと似て」
「ちょっと! 何それ! 鼓くんは嘘発見器なの!?」
急にぎゃあぎゃあと騒がしくなった部室。奥下先輩は「付き合ってらんねぇ」と定位置に座ってギターのチューニングを始めた。
その横で俺は考えていた。
陸がギターで、奏多がドラム。そして、琴音がベース。もし本当に、そんなメンバーでステージに立てたとしたら。
ライブ中ずっと琴音の存在を近くに感じられたら。
「ねぇ、響くん」
騒々しい部室の中、奏多が申し訳なさそうに声をかけてきた。
「四宮さんがバンドに加入したら……いや、そうでなくても、いつか見られることに慣れて喉が震えなくなる日が来るかもしれない。あるいは、四宮さんへの恋心自体がなくなる日が来るかもしれない。それでも、バンドは」
「続けるよ」
俺は一切迷わず答えた。
「たとえまた1/fゆらぎがなくなっても、俺はもう二度と逃げない。だってバンドが、音楽が好きだから」
「ふふ、そっか」
「でも、」
「ん?」
「……好きじゃなくなる方はたぶん、ないと思うわ」
「はいはい、ご馳走様です」
「うるせぇ」
「おい! お前ら、何二人だけでのほほんとしてるんだ! こいつどうにかしてくれ!」
陸が真っ青な顔で縋り付いてきた。その陸に、琴音が脚を引きずりながら縋り付いている。
「お願いします! 陸くんのバンドに入れてください! 本当に頑張るから〜!!」
「もう、分かった! 分かった! とりあえず、夏のバンド大会までベースの座は空けといてやる。それまでに、最低限演奏できるレベルまで成長できたら……」
「ほんと!? やったー!! じゃあ陸くん、ベース教えて!!」
「はぁぁぁぁぁ!? 自分でやれ! 俺は響にもギターの指導を、」
「一人でも二人でも、大して変わらないでしょ! だって一増えるだけだもん! さぁ! 一日一〇時間、いや、一五時間練習いくよー!!」
「一五時間!? 高校生だろ! 勉強しろ! さてはお前俺より馬鹿だろ! このバンドに馬鹿は俺一人で間に合ってるんだよ……って何言わせんねん!」
「あははー、陸くん面白ーい! バカ同士これから仲良くしてね!」
「もう〜! 誰かこいつを止めてくれー!」
陸の絶叫に、俺と奏多は他人事のように笑った。これからこの新人ベーシストに自分たちも振り回されることになるなんてつゆ知らず。
ただ今は、それでいい。この騒がしい波風たちの真ん中でいつまでもゆらいでいたい。好きだから。理由は、それだけ。
「バンド……俺の、好きなこと。やっと見つけた」
俺のつぶやきに応えるように校舎の窓から爽やかな初夏の風が吹き込む。これから始まる騒々しい日々の予感に、期待が喉奥で小さく震えた。
ー了ー




