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幕末に転生したら近衛家の姫でした。まず屋根を直します【設定資料集】  作者: 1009


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【解説】空欄には書き込まない ——糸子が英国書記官に何ひとつ渡さず退かせた八つの手(第二百話〜第二百四話)

■はじめに――幕府が差し出したものは、何もない。


 第二百話から第二百四話までの三度の談判を通して、日本側は一文の金も、一里の土地も、一人の人間も渡していない。糸子自身の言葉を借りれば「一文も、一里も、一人も」だ。それでいて英国は怒って帰ったわけではなく、報告を聞いた代理公使ニールは横浜の二階で上機嫌に笑っている。


 何も渡さずに、相手を機嫌よく帰す。これは偶然ではない。糸子は最初から最後まで、ひとつの設計図に従って動いている。その設計図を、交渉術と心理学の言葉を借りながら読み解いていく。


一 勝負は座の前に決まっていた


 英国から届いた書付は三枚だった。一枚目に事の次第、二枚目に条約の条文、三枚目に問いが二つ。賠償の額も、謝罪の文言も、期限も書かれていない。


 この空欄こそが、書記官ジュリアン・エリオットの仕掛けである。


 心理学には「アンカリング(係留効果)」という現象がある。最初に示された数字が、その後の判断の基準点として居座ってしまう。交渉では、先に出た数字がそのまま相場になる。ジュリアンはこれを裏返した。自分からは数字を出さず、日本側に「これで収めてほしい」という案を先に言わせる。日本側が精一杯の譲歩として差し出したものが、英国にとっては出発点になる。水野忠徳が「何も書いてこぬ相手には、こちらから差し出すことになる」と唸ったのは、この構造を見抜いたからだ。


 糸子の答えは一行で済む。「書かれておらぬものを、こちらから口にしなければよろしい」。


 前世で、値を書かずに見積もりを持ってくる取引先を何度も相手にしてきた人間の結論だ。三度の座を通して、糸子はこの一線を一度も越えていない。これから挙げる手はすべて、この一行を守るために打たれている。


 同じ三枚から、糸子はさらに二つを読み取っていた。


 一つは、文面に怒りの語がないこと。怒っていない相手は、何も得られなくても失うものがない。だから、こちらが折れるまでいくらでも待てる。そういう相手に自分だけ熱くなれば、熱くなった分だけ譲歩が増え、それがそっくり向こうの取り分になる。糸子が最後まで声を荒らげないのは、性分ではなく計算だ。


 もう一つは「十五人」という数字だった。英国側の記録には、届け出の当日に本人が言った「十五」と、翌日に人相を問われて答えた「三」が並んでいる。ジュリアンは大きいほうを採った。嘘ではない。だが糸子は「選び方を見れば、相手の腕が分かる」と考え、神奈川奉行所の控えを取り寄せさせた。この四枚の紙が、のちに座をひっくり返す。


二 座の格を取り返す


 第二百一話、糸子は本題に入る前に、用意された御簾を下げさせた。


 朝廷は使者を出した。英国は代理公使を出さず、書記官を寄越した。それで朝廷の使者だけが御簾の内で畏まる理由はない。「礼節とは、双方が守るからこそ礼節にございます」。


 受けたものには同じだけ返す。社会学で「返報性の規範」と呼ばれるこの約束事を、糸子は格式の天秤に載せた。こちらが礼を尽くした以上、そちらも同じだけ尽くせ、と。


 ジュリアンは本題の前に頭を下げることになった。謝罪から始まった談判では、謝った側が一歩後ろに立つ。糸子はその詫びを受け入れ、「次からは、最初から事情をお話しくださいませ」と添えた。詫びを受けた側には貸しが残る。この貸しは、第二百三話で利子をつけて回収される。


 続けて糸子は、通詞を待たずに英語で返した。


 ジュリアンは朝廷の使者を「格を整えるための一名」と読んでいた。北京でも見た光景だ、と。経験が作ったこの型、心理学でいうスキーマの外側から、流暢な英語が飛んできた。思わず漏れた「How?」は、型が崩れる音だった。型を失った人間は、相手を一から測り直すしかない。第二百二話のジュリアンは、自分の見積もりが「三度外れている」と数えている。


 英語の効き目はそれだけではない。通訳を挟む談判では、訳が終わるまでの間が考える時間になる。糸子はその猶予を、自分の都合で外したり戻したりした。英語で畳みかけ、日本語に戻して通詞に訳させる。ジュリアンには、いつ息がつけるのかが読めない。


 その間、糸子は相手の手元を見ている。書類挟みが机の縁と平行に置かれていること。手を組んでいないこと。名を呼ばれて、訳を待たずにうなずいたこと。第二百三話では、書類挟みの厚みが前回の半分もないのを見て、この三日で新しい材料は何も拾えなかったと見抜いた。言葉を交わす前から、持ち物が手の内を白状している。


三 味方に言わせない


 ジュリアンが「外国人の安全を守る責めは、御公儀にあるのではございませんか」と問い、外国奉行の一色直温が答えかけた。糸子は茶を勧めるような声で割って入る。「少しだけ、お待ちくださりませ」。


 ここで一色が何を言おうと、それは御公儀の答えとして記録に残る。人は一度口にした立場に、後の言動を合わせようとする。チャルディーニが『影響力の武器』で挙げた「コミットメントと一貫性」の原理だ。外交では、その縛りが記録という形で石のように固まる。ジュリアン自身、「認めた者は、認めた場所から動きにくくなる」と承知している。


 この談判は、相手に何かを言わせたほうが勝つ。だから糸子の最初の仕事は、敵を攻めることではなかった。味方の口を塞ぐことだった。


 同じ場面で、糸子はもう一つ見逃していない。ジュリアンの英語は主語をぼかしていた。日本語は主語がないと文が立たないから、通詞はいちばん重い「御公儀」を補うしかない。糸子はそれに気づき、黙っていた。ここで訳を正せば、座の残りは通詞を替える話に食われる。勝てる喧嘩でも、いま買うべきでない喧嘩は買わない。


四 解体する


 糸子は英国の言い分を、三本の指で分解した。


 葉月八日に足止めがあった。これは起きたこと。同じことがまた起きれば外国人が危うい。これは起きるかもしれないこと。ゆえに御公儀は条約の務めを果たしていない。これは裁き。そのうえで訊く。「この三つは、同じことでございますか」。


 どちらに答えても損をする問いだ。「同じ」と言えば、起きたことから裁きへどう飛んだのかを説明させられる。「違う」と言えば三つを別々に検められ、いちばん弱い一つ目から崩される。論理学でいう両刀論法である。ジュリアンは「同じではございません」を選び、糸子は「では、順に承りましょう」と受けた。この瞬間から、談判は糸子の引いた線の上を走りはじめる。


 糸子は十五人について、短い問いを並べた。どなたか。顔は。名は。村は。何と申したか。怪我人は。奪われた物は。案内役は。村の者は。


 ジュリアンの答えは「分かっておりません」「おりません」「ございません」の繰り返しになった。糸子は何ひとつ主張していない。訊いただけだ。それでも事件の中身が空っぽであることを、ジュリアン自身の口が証言してしまった。相手に前提を一つずつ認めさせ、結論を相手の口から出させる。ソクラテス以来の問答法である。


 答えを並べ直して聞かせたあと、糸子は問う。「英国の御方々は、その十五名を、何者とお考えでございますか」。浪人と言えば攘夷の徒を持ち出したことになる。村の者と言えば、荷車を上げていた百姓が英国臣民を半刻押し止めた話になる。ただの人だかりと言えば、事件そのものが消える。どれも言えない。


 ジュリアンが黙ったところで、初めて神奈川の控えが開かれた。葉月九日、本人が奉行所で述べた言葉は「日本人が、三人おった」。左手で英国の書付の「十五」を押さえ、右手で控えの「三」を指す。どちらも、リチャードソン本人の口から出た数だ。


 糸子は英国が嘘をついたとは一言も言っていない。矛盾を、訴えた本人の中に置いただけだ。


 一色の証言によれば、糸子はこの控えを十日前に読み、今日まで誰にも漏らしていない。相手より多くを知っていること、経済学でいう情報の非対称性は、それだけでは武器にならない。早く出せば、相手に言い逃れを用意する時間を与えるだけだ。糸子は「分かっておりません」が積み上がりきる瞬間まで、札を伏せていた。


五 否まずに、繋ぎ目を断つ


 第二百二話の糸子は、意外なところから入る。「足止めがあった、という見込みを、わたくしは否んではおりませぬ」。


 ジュリアンは、日本の役人はまず事件を無かったことにしようとする、と踏んでいた。否定されれば証を出して押し返せばいい。ところが認められてしまうと、押す先がなくなる。人は自分の主張を脅かされると、かえってそれにしがみつく。心理的リアクタンスと呼ばれる傾向だ。否定すれば相手は意固地になり、意固地になった相手は強い。糸子は否定しないことで、ジュリアンが力を込める支点そのものを消した。第二百三話で、ジュリアンは「否まれていれば、こちらは証を出して押し切れた」と悔しがっている。


 事実を認めた糸子が狙ったのは、事実と結論の繋ぎ目だった。「足止めが一度あったということから、なにゆえ、御公儀が条約の務めを果たしておらぬ、という結びになるのでございましょうか」。


 議論は「データ」と「主張」と、両者を結ぶ「論拠」でできている。哲学者トゥールミンが示したこの枠組みで見れば、糸子はデータを認め、主張にも触れず、真ん中の論拠だけを抜き取った。一度でも起きれば不履行だという理屈は、本当に立つのか。


 立たない。糸子は続ける。「道で人に行く手を阻まれた者が、一人もおらぬ国。エリオット殿は、そのような国をご覧になったことがございますか」。一件で不履行なら、世界中の国が不履行になる。相手の理屈をそのまま延ばして破綻させる、帰謬法である。ロンドンの馬車の渋滞を知るジュリアンは、答えなかった。


 止めを刺したのは、ジュリアン自身が写した条文だった。「条約に、道ごとに人を立てよとございますか」。写しは机の上にあり、誰でも読める。「ありません」と答えるしかない。そこで糸子は、三枚目の正体を言い当てる。「エリオット殿がこの紙にお書きになったのは、問いにございます。裁きではございませぬ」。問いに答えるのは構わない。だが答えたことを罪の自白と扱うのなら、答えようがない。問いの形をした罠を、罠だと名指ししたのだ。


 次に糸子は、リチャードソンが居留地の酒場で吹いていた話を持ち出す。日本人の群れを鞭で追い払った、所詮は未開の者だ、と。


 ジュリアンは即座に切り返した。酒席の言葉は証言にならない。糸子は反論しない。「わたくしも、そのようには申しておりませぬ」。用意された反撃が空を切る。


 そして問いを差し替える。英国は本人の正式な申し立てを、どこまで信じているのか。「一定の信を置くのが筋」と答えたジュリアンに、ひと言だけ。「では、酒席でのお言葉は」。


 同じ口から二つの話が出ている。片方を採って片方を捨てるには、基準が要る。基準を示せば、採ったほうもその基準で裁かれる。机の上には、すでに「十五」と「三」が並んでいる。


 糸子はリチャードソンを嘘つきとは呼ばない。囲まれたと感じたのは、本人の中では確かなことだったろう、と認める。だが本人の中で確かだったことと、道の上で起きたことは違う。それを御公儀の咎にするなら「その物差しを、こちらへお示しくださりませ」。訴える者が根拠を示す。立証責任を、あるべき場所へ戻しただけのことだ。


 この応酬の締めに、糸子は論点を三つに切り分けた。足止めがあったかどうか。外国人が安全に通れるかどうか。リチャードソンが道で何をしたか。「三つとも足りておらぬのに、束にすると足りて見える」。


 それぞれに欠陥のある論証を束ね、合わせれば説得力があるかのように見せる手口を、哲学者アントニー・フルーは十個の漏れるバケツにたとえた。穴の開いたバケツは、いくつ重ねても水を溜めない。ジュリアンの三枚は、事実と条文と問いを別々に置き、読んだ者に自分で繋がせる作りだった。糸子はその繋ぎを拒み、三つを別々のまま突き返した。ジュリアンはのちに、こちらの作りがそのまま向こうの武器になっていたと気づく。


六 言わずに守る


 ジュリアンは攻め口を変え、あの日現場で何が起きたと日本側は把握しているのか、と訊いてきた。


 糸子は知っている。旭狼衛の報せによれば、リチャードソンの鞭が当たったのは案内役の腕と女の袖で、集まりかけた村人を散らしたのは井上源三郎だった。これを出せば、ジュリアンはその場で詰む。


 糸子は出さなかった。出せば、なぜ日本側がそこまで知っているのかと問われる。英国が村を洗い直し、その場にいた井上・永倉・斎藤のうち一人でも誰かの記憶に残っていれば、それで足りてしまう。いまはまだ、誰にも覚えられていない。その余地を、自分の手で潰すわけにはいかない。


 だから答えはこうなる。「わたくしが確かめておりますのは、いま、ここにある紙だけにございます」。


 嘘ではない。確かめたのは、確かにその紙だけだ。ただ、訊かれたことから半歩ずれている。真実だけを使って誤った印象を与える、この技には名前がある。ロジャーズらが二〇一七年に検証した「パルタリング」で、交渉ではありふれた手だとされる。同じ研究は、直接の問いへの答えとしてこれを使うと、見抜かれたときに特に不誠実と受け取られ、評判を大きく損なうことも示している。


 糸子が切ったのは、その危うい札だった。三人を守るためなら、切る価値があった。


 そして直後に、刃を相手へ返す。「見ておらぬ者が、見たように語る。……この三月、英国の御方々がなさってきたのは、それではございませぬか」。わたくしは見ておらぬことは見ておらぬと申します、と。字面は真実だ。糸子は現場を見ていない。読んだのは報せだけである。この二重底に気づけるのは、座の誰でもなく、読者だけだ。


七 記録の外で取り立て、記録の中では何も約さない


 第二百三話、ジュリアンは訊かれる前にニールの不在を詫び、その詫び状を読み上げた。前回から学んでいる。


 詫び状には「本復のうえは、しかるべき形にて、改めて礼を尽くしたく存ずる」とあった。糸子は「しかるべき形」という言葉の便利さを知っている。何をするとも書いていないから、何もしなくても約束を破ったことにならない。


 糸子は詫びを受け入れ、そのうえで中身を埋めた。本復したら、わたくしのもとへ直接詫びに来るように。誰が、どこへ、何をしに来るのかが決まった約束に書き換えたのである。


 前例がないと渋るジュリアンには、自分の格を相手の言葉に訳して聞かせた。水野に五摂家筆頭という家柄を説かせたうえで、英語で言う。「そなたの国で申せば、わたくしはロイヤル・ファミリーの一員であり、その姫君にございます」。五摂家と言われても英国人には響かない。響く言葉に置き換えられれば、相手は自分の物差しで事の重さを測るしかない。


 さらに他国の目を持ち出した。江戸にはフランスもアメリカもロシアもいて、どの公使館も他国の失態を本国へ書き送っている。朝廷の姫君を相手に書記官を出した英国は、どう見られるか。「みずから文明の国と名乗っておきながら、礼儀も知らぬと」。評判の損は、額にも期限にも書けない。額も期限も書かないジュリアンのやり方では、防ぎようがない。仕上げは「手土産、楽しみにしておりまする」。水野は、無表情を保つだけで精一杯だった。


 肝心なのは時機だ。このやりとりは、水野が「これより、談判を始めたく存じます」と宣する前に交わされている。右筆がようやく筆に墨を含ませ直したのは、その後だった。ジュリアン自身がニールに報告した通り、この一幕は控えに残っていない。


 正式な談判が始まると、糸子は一転して何ひとつ約さなくなる。


 ジュリアンが「外国人の安全を守る責めは日本側にある」と一点に絞ってくると、糸子はまず同意し、それから訊いた。「守る、と申しますのは、何をすることでございましょうか」。


 科学には「操作的定義」という考え方がある。概念を、どう確かめるかという手順で定めることだ。「守る」という言葉は、それだけでは測りようがない。測れる形にして出せ、と糸子は迫った。


 そして自分から並べてみせる。道に人を立てるか。触れを出すか。異人が村へ出る折に、前もって奉行所へ知らせてもらうか。ジュリアンはどれも口にできない。番所を置けば扶持の話になり、触れを出せば攘夷を唱える者を刺激する。事前に届けよとなれば、居留地の商人がいちばん嫌がる。どれを選んでも、英国は自分の首を絞める。


 たまらずジュリアンは「守り方については、日本側でお決めになること」と逃げた。糸子はその矛盾を逃さない。守り方はこちらで決めよ、だが守れていないと仰せられる。基準を示されぬまま足りぬと言われては、どこまでやれば足りるのか分からない。


 水野がここで唸ったのには訳がある。異人はいつも「足りぬ」と言い、どこまであれば足りるかは言わない。応じればまた足りぬと言い、足したものは二度と戻ってこない。英語でいう「ゴールポストを動かす」やり口だ。基準を先に出せと迫られた以上、ジュリアンにこの手は使えない。糸子は駄目押しに言う。「できぬことを約しましても、来年には守れておらぬと言われるだけにございましょう」。


 最後に数を出した。葉月八日から四月と四日。そのあいだ、同じような届けは何件あったか。答えは「此度の一件のほかには、ございません」。


 糸子はまず、起きていないことは安全の証にならない、と相手の理を認める。そして同じ理屈を裏返し、危ういという証にもならない、と返す。数えられるのは、四月と四日で一件。生々しい一件の記憶は、それが起きる頻度を実際より高く見せる。心理学でいう利用可能性ヒューリスティックだ。ジュリアンの論はその一件の生々しさに寄りかかっていた。糸子はそこに分母を持ち込んだ。


八 先に言わせ、橋を架ける


 ここで糸子は、談判の順序をひっくり返す。「英国は、此度の一件について、何をお求めでございますか」。


 ふつうは求める側が先に条件を出す。その順が逆になっていることに、ジュリアンは指摘されるまで気づいていなかった。


 腹案はあった。開港場から一定の里数までは役人を付ける。捜索の経過を文書で知らせる。どちらも金のかからない手立てだ。だが口にすれば、さっき「守り方は日本側で決めよ」と言った自分と矛盾する。しかも要求は記録に残り、値切られ、書面になる。こんな小さな成果を自分の履歴に刻むことを、ジュリアンは望んでいなかった。


 この男を縛っていたものが、もう一つある。ニールの付けた三つの条件だ。額を出すな。期限を切るな。本国の名を書くな。断られても英国は何ひとつ失わず、傷を負うのは書記官一人で済む。ジュリアンは第二百二話の終わりで、上官が自分を盾にしていると気づいている。それでも彼には、日本での最初の一行を履歴に残したいという事情があった。


 任せる者と任される者の利害が食い違っている。経済学でいうプリンシパル=エージェント問題だ。この食い違いが、最後に決定打になる。


 答えに詰まるジュリアンの前で、糸子は自分で選択肢を並べた。英国が求めうるのは三つ。犯人の引き渡しは、誰か分からない以上求めようがない。償いは、傷も損もなく、そもそも額を書かなかった申し入れは償いを取りに来たものではない。残るのは、今後の安全について話し合うことだけ。


 二つを座の上で消し、一つだけを残す。何を議題にするかを決める力を、糸子はここで握った。しかも、その一つについても何ひとつ約していない。新たに何か決めるつもりはあるかと問われ、返した言葉は「決まりましたら、御奉行所よりお知らせいたしまする」。いつ決めるのかも、決めるかどうかも言っていない。ニールの「しかるべき形」を見抜いた糸子が、同じ種類の言葉を英国へそっくり返したわけだ。


 第二百四話、退き方を考えはじめたジュリアンに、糸子は声をかける。「此度の一件を、今後の安全についての話し合いの端緒となさるのであれば、わたくしも得心いたします」。


 ジュリアンにはすぐ分かった。これは出口だ。事件で日本から譲歩を引き出した、とは書けない。だが、開港場外の通行について日本側と協議を始めた、なら書ける。報告書に一行が残り、履歴に載る。


 孫子は軍争篇で「囲師必闕」と説いた。敵を囲むときは、必ず一方を開けておけ。交渉学者ウィリアム・ユーリーは、相手が面子を保ったまま退けるよう「黄金の橋を架けよ」と言った。糸子が架けたのは、まさにそれだ。


 糸子自身の説明は、もっと商人らしい。ここで書記官を潰しきれば、次に出てくるのはニールだ。代理公使の案件になれば、どちらも引くに引けない国の意地の張り合いになる。書記官の案件であるうちは、退けば終わる。「安いうちに片づけるのが、商いの初手にございます」。


 先ほどの食い違いが、ここで効いてくる。糸子の出口は、英国という国にはほとんど何も与えていない。与えたのは、ジュリアンという個人が持ち帰れる一行だけだ。任された者の都合を満たしてやれば、任された者は自分の足で退いていく。


 あの出口をいつ決めたのかと水野に訊かれ、糸子は答えている。「先月、書付を頂いた日にございます」。三枚目の空欄を見た日に、相手の退き際まで勘定を済ませていた。取れない談判で狙うものは一つ、「次の談判を、こちらの都合のよい日まで延ばすこと」だった。


 三度目の座でも、この流儀は崩れない。ニールの手紙は、手土産を贈りたいので望みを知らせてほしい、と結ばれていた。望みを言えば、こちらの好みを知られる。贈られた品は、次に会うとき貸しとして両者のあいだに残る。糸子の返事は「後日、改めてお返事いたしまする」。受けるとは言ったが、いつ、何を、とは言っていない。英国から催促すれば詫びを急かす無礼になり、待てばその日まで件は開いたままになる。鍵は糸子が握っている。


 帰り際、糸子は「本国へお戻りになりました折には」と前置きして言った。「日本は、理由のないお求めを、何でもお受けする国ではございませぬ」。一度の勝ちを、次に日本と向き合う英国人すべてへの申し送りに変えたのである。


   *


 振り返ってみれば、糸子がしなかったことのほうが多い。事実を否まなかった。数字を出さなかった。要求を口にしなかった。声を荒らげなかった。相手を最後まで追い詰めなかった。


 差し出したのは、退くための出口がひとつ。元手はかかっていない。


 ただし、第二百四話の最後に糸子の腹が煮えている相手は、英国ではない。「すぐに取り立てては、旨味が少のうございます」。先に言わない。急がない。取り立ての日は自分で選ぶ。英国相手に貫いたこの流儀は、次は幕府の勘定に向けられる。

最後まで読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m


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