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硫黄とサンダーボルト  作者: ジ・エモン


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(3)ウヨウの街(2)





 ナキ湖。

 水上。の、船上。



 湖にうかぶ船は、頑丈なノミの木で造られる。湿気につよく、湖のきわの森林に生えて、霧の冷たさにもよくたえて育った木を加工した材木は、湖のあらい運行にも十年はもつともいわれる。

 船の向きからすると、右手に岸をみながら湖をすすんでいく。一艘に、客は七、八人も乗っているか。船尾に立った漕ぎ手の小柄な男が、巨大なメスクル樹でこしらえた櫓をこいで、快爽かいそうに船をはしらせる。湖面は、淡々と、かつ雄大に映えていた。大空はちかく、山河は高かった。深翠しんすいの帽子をかぶせたむき出しの岩くれが、むこう岸の巨大な「世界樹」を通過していく。

 このあたりでは希少、というよりか、気むずかしい性質でよそのがつがつした木木の侵食にさらされているようだが、そうして育つメスクル樹の一本で、そのなかでは巨大で、わりと、意味ありげに一本、湖に面したところに立っている。この世界樹という名付けは、世界樹のふもとにある碑文を詠んだ文人がしたものだ。枝ぶりが見事なこの大樹の枝分かれ具合は、哲学にある「世界」という言葉の定義をあらわしているように見えるとか。説明されなければ、だれもわからないようなそんなことを、その権威を残した文人が言ったものだから、世界樹。それまでは、湖をいきかう船乗りの目印であったそうだ。名もない木に、たいそうな名がついた、と知った街や地元の人々はそれならという気になって、呼ぶようになった。ちょうどいわれのある碑文も残っていることだし……ということだろう。

 いい気なもんだ、と、多少厭世のがある研ぎ鍛冶のタジ・ンなどは言っていた。

 むずかしい研ぎの仕事をいくつもかかえて、音のひとつもあげないほど寡黙な男だが、たまにぼそっと言うことが意味ありげに聞こえる。娘のタイホーなどは、いつものがはじまった、と首をすくめるふうにしていなすが。

 タジ・ンが言うことも、ままわかるのだが。いや、正直にはヨハナにはわかりようもない。


「やあてのう」

「そやあかてや」


 地元以外の年寄りめいた物売りが、大きな声で会話している。フォドレーは、それを気になっているのだか、あまりものを聞かない。が、こちらがぽつぽつとウヨウを観光するときの注意点になりそうなものを言っている。

 それがちょっと途切れたとき、フォドレーが何気なく「そういえば、漁の船は出ていないのか」と、言った。

 都からウヨウにやってくるまでの道のりは、長いほどでもない。ナキ湖など水たまりになるくらいの大きな湖がその道程にふたつほどある。そこでは漁業がさかんであって、水面を見やれば、つねに二、三隻以上の漁船のかたまりがちらほらあるのだった。

 が、ナキ湖ではいまのところ、フォドレーが目にしたものはなかった。

 ヨハナははい、と、説明した。


「魚がいないわけではないんですけど……」


 ばし、と、そのとき水面がはねた。「■■■!!」と、舳先の船頭が大声をあげた。それは、地元の人間にしかなんと言っているかわからない、船乗りに伝わる警句の言葉である。

 じつはヨハナにもなんと言っているかはわからない。水がはねて水面がもりあがったところから、次の瞬間、大きな魚影がはねあがった。魚影は、船上をおどりかかった。なんと一飛びで、船を軽々とこえてくる。

 船の人々は、先に伏せていたおかげで魚影には当たらなかった。

 が、さらに水が魚のヒレ型に切れ、ぐるんと魚影が船に向けて方向転換した。「伏せろ!」と、船頭が今度はわかりやすい言葉で言った。

 魚影がはねる。そのとき、フォドレーが中腰で膝をたて、ひゅっ!! と、手にしていた棒をふった。棒は、生木のおれるような音を立てて、魚影をなぎ、そして、折れとんだ。

 魚影は船のはしをなぐって、はね、また着水して泳いでいった。元気そうではあったが、船めがけて……というより、そのうえの話し声をたてる乗客めがけて襲いかかってくることはしなかった。

 フォドレーは、目をパチクリとさせるようだったが、肩をすくめておとなしく座りなおした。その隣にいた、声の大きな物売りが、静かな声で折れた棒のはしをフォドレーにさしだした。「どうも」「いや」フォドレーと物売りが言う。

 見たところ、怪我やなにかはなさそうだったが、無事かどうかヨハナはたずねた。彼女がお客だったからだ。


「今の魚は?」

「あ、はい。ヌシという種類で、ナキ湖では名物魚と言われています。お祝いのときなんかにふるまわれますが、骨が頑丈で、(骨の)数も多いので食べにくく、だいたいみんな食べません」

「いつもああやって跳ねてくるのか」

「そうですね。大変縄張りに対する執着が強くて、あたりも強いのでほかの魚は萎縮して近寄りません。ヌシに近づくのはハリコくらいです。ハリコというのは魚で、豆粒のように小さくて、大きな魚のまわりや口のなかに入って、その食べかすや付着したホゴ藻なんかを食べています。掃除屋メ・ズーさんとも言われます」

「漁がよくできないのはあれが原因? そうでもないか」

「いいえ。おおむねあれが原因です。それ以外にも、この湖の魚は、ヌシほどではないにしろ、とにかく骨が頑丈で、小骨が多いという特徴があるものが多くて。売り物にならないほどであると言われます。地元のお年寄りは、この湖の魚というのはみな焼け白から流れこむ気を食っている。それゆえ骨が白く頑丈になると言います」

「そういえば、焼け白がさかんと言っていた」

「ここらの伝承では、焼け白の山、クナウハの山中に精霊……土地霊さまがいるとされています。クナウハからナキ湖に流れこむ水には、土地霊さまの力が染みこんでいて、魚はその水を全身に染みわたらせるのだと」


 なるほど、と、フォドレーは折れた棒を脇に置いた。ためつすがめつしていたが、使いようがないとあきらめたようだ。


「叩いた棒をたたき折るとは、はげしいもんだ」

「ぜんぶがたたき折れるってわけじゃない……あ、いえ。とにかく外殻のうろこもそうとう硬くて、その硬さと力をたのんで全身でぶちあたってきます。人間じゃひとたまりもないです。昔、市歩を乗せて行きすぎようとした船に飛んできて、当てられた市歩が、そのまま目を覚まさず死んでしまったとか……いや、病気でよぼよぼのがたまたまぽっくりいったという話もあるんですけど。なので、通常は鉄の棒か、面倒なときは剣で叩きおとします。実際、船の櫓にもそういう細工がしてあります。船上で剣をぬくのは危ないなんてものじゃないですから」

「それもそうだ。ところで、君は剣が使えるんだろう?」

「いいえ。見様見真似でふりまわすくらいなら」

「そうか。このあたりには変な噂もあるから、そんなものかと……」


 フォドレーは言いながら、湖の山河を眺めている。このへんは特に景色がよく、墨が空に溶けてそのまま山谷となったかのようだ、とも言われる。春のおとずれはまだ水冷たく、木木は朝靄にかすんでいるかのごとし、雲は山間をたれこめて、光の柱を水面になげかけるが如し。

「なんだか一寸ちょっと降りそうな天気ね」と、フォドレーはつぶやいた。ヨハナはそうですねとあいづちを打った。まもなく船は岸辺に着いた。

 魚が殴ったところを、船頭と、操舵が話しあっていた。それを横目に、ヨハナたちも船をおりた。

「船のことがあるから」と、フォドレーは船頭たちに話しかけようとしていたが、一言言えばいいんですよ、と、ヨハナは止めた。なにせ慣れっこのことである。

 そう言うと、フォドレーは納得した。たしかにたまに虫の居所が悪いようなときだと、船頭たちはさっきのでフォドレーに因縁をつけてしまっていただろう。フォドレーは、見るからに役人かなにかで、金を持っていそうだ。これが常態化するとことだから、彼らもたまにしかそういうことはしなかった。

 船着場を降りると、すぐ近くにあるのはウヨウの街の側に近い待機場だった。「場」と、ひとことで言いあらわすには、規模が大きく、あちこちに大小の荷駄、客台つきの歩車、大歩車(前歯のぶさいくな市歩を二頭だて、四頭だてにした大がかりなもの)が流れこんだり、また、流れていったり、街の方向から流れてきたりしている。人の話し声がやいやい言っていて、おそろしげな活気の横手をフォドレーの荷を引いたヨハナが歩いていく。そのあとを、フォドレーが堂々と見える足どりで歩いていく。

 実際は、それほど堂々とと言う感じではなかっただろう。が、フォドレーは自制心のつよく行動にあらわすところがあるらしくて、表面、心の波を感じさせない。また、二重の意味でもヨハナから目をはなしているようで離していない。


(お役人らしいのかなぁ……)


 ヨハナとフォドレーは、ウヨウの街の東口にいたった。

 ちょうどそのころ、街の西口、ほぼ街の反対側に大きな街の間口があるが、この間口は、街の中を走る大通りがちょっと(南に)ひとつ折れて、まっつぐ、さらに北にひとつ折れて真っ直ぐ、こう、ぐにゃりとなった道路を描いて、東の間口、東口とつながっていた。

 その西口に、街の寺院が茶飲みどころを出していて、旅に出る人が縁起かつぎに、旅から帰る人が寺院の神さまへのあいさつに、ここで銭を払って立ったまま茶を飲んだ。

 その店の前にはいま二人いる。一人は厳重な身なりの商人風の男で、これから西へ商売に行くという体だった。同時に、郷里がそちらにあり、母や妻子とひさしぶりに会うという。茶飲みどころのお茶汲み坊主が、それらの妻子に無事会えるよう、これも施しを受け取って簡単な祈祷をしていた。商人風の男は頭を垂れて、身体の前で重ねた手をぴんとして下ろして神妙さを神前にしめしている。そのあごにはそり残しのヒゲがある。

 それで、(その)商人風の男の横に、静かに茶を飲んでいる剣士がいた。

 身のこなし、ただ者ではないように見え、あるいは、腹を空かしてさっきまでがつがつと、炊いたウソレゥの実に、ドゥスタで酸味と辛味をつけた大ざっぱなものを食っていた、そういう乞食武芸者にも見えた。

 ドゥスタとは一般的にウヨウで用いられる香辛料の名である。また、ウソレゥの実とは葉穀物で、西から伝来してアカヘビの国などに広がったものである。

 炊いて食べ、茹でて食べ、栄養価が高いが、水に溶かさないと腹を下すとも言われている。「はるか西より伝来した『ピリリ毒の花』」とも呼ばれ、枯れて乾燥しても原形を保ち、数ヶ月そのままとなる不思議な花をつける。

「ウソレゥの花の立ち開き」といえば老いてなおさかんであったり、または、不自然に年を取らない人を言う。ヨハナがウヨウで聞きつけて、それから師のハモのことをひそかに心中でそう呼んでいる。

 それからすると、茶をすすっているこの剣士などは、口もとが若かった。顔はよく見えず、中肉中背、頭髪のかたちもはっきりしないほどイゥネ草をよく乾かして編んだ新しい傘を、まぶかにかぶっている。

 それが、つ、と目をわずかに走らせた。「物取りだ! だれか、そいつを……えい!」と、声が聞こえたからだ。どよめきが、男の立っている道の脇に伝播してきている。男は変わらず、茶を飲んでいる。

 男がかぶっている傘がちょうど青空に映え、正面になる北の方向にクナウハの白髪まじり(雪ではなく、焼け白の色。この鉱物は採れる山そのものがまっちろい)の尾根が。反対の南に低山の火山を有する海へと続く稜線が見えた。

 男の背後に、子どもが一人駆けてくる。西口は、朝の混雑を終えてはいるものの、仕事が始まり、人でごった返す往来のようすになっており、人一人走るのも難儀である。が、それをすいすい縫って、邪魔だとばかりに肩をよけさせ、その子どもはたくみに駆けてきた。

 それが今、男のすぐ背後を通りがかった。男はそれまで、なんの気も見せなかったのが、そのときになって急にばっと、抜く手も見せない動作で手刀をぱっと子どもにかざした。子どもは、なんとそれを「うわっ」と、小さく声を上げながら避けた。男は、おどろいたようすで、そのまま駆けすぎていく子どもを見守った。

 よもや、という色がその口もとに、かすかにあった。片手に握った財布の包みを見もせずに、そこへ走ってきた男へ、(傘の男はそのまま)「もし」と、声をかけた。

 必死で走っていたのは、やや小太りの、富裕そうな男だった。男は「捕まえてくれ! おーい!」と、声を上げていたが、しっかりと野太い男の声に、ぎょっと立ち止まった。

 声をかけた傘の男は、目もとは見せず、「これはあなたのか」と、財布をさしだした。

 走り去った子どもから一瞬で抜き去ったものだった。あのとき、またたきにも等しいあいだだったが、傘の男は、わずかにひるんだ子どもから、見えぬ速さでふところからはみ出していた重たい銭の包みをぬきとったのだった。子どもも気づくまい。


(いや、あるいは気づいたか)


 と、男は思った。

 本来であれば、背後を通りすぎる子どもの首目がけ手刀を放ち、一撃のもとに顎をゆらさして、足が立たないようするつもりだった。

 だが……。

 小太りの男は、うかつにも、傘の男に歩みよった。「おお……あ、ありがとう、あんた!」と、言うのに、傘の男も気がさしたように「いや。あの子どもが落としたのでな。物取りか。物騒だな」

と、咳払いして言った。


「ほんに、ほんに、助かった。ああ。れ、礼がしたい。だが、飯は……ああー。どうだろうなぁ……」


 人の良さそうな小太りの男は言った。この男に大金を預けていたのか? と、傘の男はちょっと眉をひそめた。


「なら、茶はどうか。あいにく飯は食ったところだが……あんたものどがかわいただろう」

「ああ。わかった。それじゃあ、どこかの店へでも……」

「それはいいが。よけいな気だが、なにか用事があったのでは?」

「いや、なに。急ぎではない。礼くらいはできるところだから。どうか」

「わかった。ありがたく」


 傘の男は、小太りの男とともに歩きだした。人の流れは、多少はみだされたものの、さきほどの緊張感はかけらもない。

 このていどは大きな事でもない。

 もちろん、なお乱れた街なみにあるように、荒んだものではなく、南から吹く荒涼とした風のようにゆったりと乾いているものだったが。





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