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ロット男爵家長子、エステル・ロットとして生まれた私が、初めて父親に会ったのは、母が自殺した後のことだった。
母が私を妊娠するまで、時折屋敷に帰ってきていたらしいけど、妹、つまり、ステラが生まれてからは、彼女が可愛くて、離れられなくて、ズルズルと男爵家に帰るのを先延ばしにしていたというのは、後から聞いた話だ。
だから、私が6歳を過ぎるまで、父親の顔を知らずに育っていた。
生まれた時から父親はいなかった。
それが当たり前の生活だから、全く寂しいとも思わずに母と二人、御屋敷の使用人に大切にされて暮らしていた。
でも母は違ったのか、帰らない父に恨み言など言ったことはなかったけど、時折寂しげな、そして、とても苦しげな表情を見せていた。
私の前では何でもないように振る舞っていたけど、耐える日々を続けて、それが突然、何かがプツリと切れてしまったのだ。
母の自殺。
母の無残な亡骸を見つけたのは、私が最初だった。
自分の部屋で、真っ赤な血の海の中で横たわっている母親。
もう、ピクリとも動いていない。
自分で自分の喉を突いて。
それほどまでに孤独を感じていたのか、追い詰められていたのか、死を選ぶ直前、残される私の事は考えなかったのか、凄惨な光景を前にして麻痺した心でも、思う事はたくさんあった。
知らせを聞いてすぐに来てくれたディランが一緒にいなかったら、幼い私の心はとっくに壊れていたと思う。
母の訃報を聞いたのか、葬儀が終わって10日以上が経って父親が帰ってきたけど、私の心は冷え切っていて、生まれて初めて会った父親に、なんの感情も動かされなかった。
もう、憎む価値すら見出さなかった。
母の墓碑に頭を下げていた父は、またすぐに家を空けた。
私を気にかけるような声をかけてきたけど、きっと、何の反応も示さない私から逃げたんだ。
あの男はこういう男なのだと、すぐに私の方から見放した。
この時もディランが一緒にいてくれたから、子供ながらに自分に父親は必要ないと思えていた。
次に父親にあった時、驚く事に、私と同じくらいの小さな女の子を連れて帰ってきた。
その子は、初めて見る褐色の肌をしており、不安そうに周りを見渡して、そして、私に視線が止まった。
綺麗なシーブルーの瞳。
それをいっぱいに見開いて、私を見ていた。
この子が誰なのか、すぐに察する事ができた。
父が家に帰って来なかった理由そのもの。
ずっと、お父様と一緒に過ごしていた子。
お父様の愛情を独り占めしていた子。
ずるい
ずるい
私達は放って置かれていたのに
この子がいなければ。
この子のせいで、お母様はずっと苦しい思いをさせられていた。
違う。
違う、こんな考え間違っている。
この子は悪くない。
私よりも小さな子なのに。
この子のせいじゃない。
悪いのは大人で、この子のせいじゃない!
“あんた達親子のせいで、私のお母様は孤独に死んで逝かなければならなかった。あんた達親子がいたから!あんた達親子さえいなければ!”
それは突然、脳内に浮かび上がってきた言葉で、雷にうたれたかのような衝撃を私にもたらしていた。
父が連れてきた異母妹。
“ステラ”
その子の名前を呟いた瞬間、濁流のように情報が押し寄せてきて、その情報量の多さに立っていられなくなり、父やステラと言葉を交わす前にその場に倒れていた。
そして私は、意識を失ったまま、前世の記憶を夢の中で思い出していた。
前世の私が何をしていたかははっきりと思い出せないけど、エステルとして私が生まれてきたこの世界は、前世の私が読んでいた小説の世界そのものだった。
それは、前世の私の妹が、入院中に夢で見た事をウェブ小説の投稿サイトに書き残したもので、その記憶だけは確かなものだった。
男爵令嬢のエステル。婚外子として屋敷に連れてこられた妹のステラ。
二人が初めて対面するところから、その小説は始まる。
主人公、ヒロインは……
あれ?
私?
姉妹が初めて会う場面がプロローグであり、そこからストーリーは始まる。
異国からこの地に来て、初日に罵られた事を最後に姉に存在を無視されたまま屋敷で過ごしていたステラが、偶然見つけた日記によって、エステルの母親の不貞が発覚。
日記の内容を理解できなかった幼いステラは、それをそのまま父親に渡してしまい、男爵と血が繋がっていない事が発覚した私はすぐに屋敷を追い出される事になる。
でも、隣の領地で、ミナージュ辺境伯爵家の子息であり、幼なじみのディランに助けられて成長していく。
一方、私が追い出された事に責任を感じたステラは、父親からの愛情を素直に受けることができなくて、大きな罪悪感を持ったまま16歳になる年に学園へと入学する。
そこで、再びエステルと再会することになるのだけど……
闇属性の魔法使いであったステラは、学園に在学中にその才能を開花させる。
でも、ある事がきっかけで闇堕ちして、国を滅ぼしそうになって……
最後はディランに心臓を剣で貫かれて、命を落とす。
どうして命を奪うのがディランでなければならなかったのか、その理由が何かあったけど思い出せない。
いくつも、はっきりと思い出せない箇所がある。
思い出せたのは、初対面で、エステルがステラを酷く罵るってことだ。
それで、父親の怒りを買って、エステルはあっさりと追い出されてしまう。
これは回避できた。
別に、あの父親はどうでもいいけど、ステラの事を傷付けずに済んだ。
“エステル“はちゃんと自分で思いとどまった。
あの子に罪はないって。
私自身であったエステルの話に色々と同情してしまった部分はある。
父親の無関心による愛情不足。
母親の無念。
初対面の時、嫉妬から呼び起こされる憎悪が、何の罪もないステラに向けられた。
でも、父親を憎むべきであって、ステラには何の罪もない。
しかも、この時点では、使用人達にはまだ私の方が不貞で生まれた子だと思われている。
小説の中では結局、エステルの母親が夫の不在時にベッドを共にした男は、子供を作ることができない体だった。
そんな事もはっきりしないまま、小説ではエステルが追い出された後も、屋敷の使用人達は、エステルが可哀想だと言いながら、当主の不在を狙ってステラを虐げる。
それで、ステラは心に傷を抱えて、恋をした相手とも報われなくて……
小説の内容を思い出した今なら、冷静に状況を考えられる。
私は、ステラを虐めたりなんかしない。
ステラを妹として大切にしたい。
あの子が自分と結ばれる人に出会うまで、守ってあげられる。
なんなら、ディランをすぐに紹介してあげられる。
“お願い。病と戦争で失われるたくさんの人の命を救ってほしいの。お姉ちゃんならできる。お姉ちゃんが道標になって、みんなを繋いでくれる”
最期の時、ずっと付き添っていた私に、妹が繰り返し言った言葉が甦る。
意識がもうはっきりしていなくて、うわ言のように言った事。
自分よりも誰かの事を、彼を助けたいって、ずっと言ってて、むしろ私は、あの子の事を助けたかった……
読んでいた小説の結末はいくつか分岐が分かれていた。
何人かいたヒーロー候補の個別ルートだ。
私は書かれた全ルートを読んだ記憶はあるけど、内容がこれもはっきりしない。
選ぶのは自分じゃないから、“エステル”には幸せになってもらいたいから、その為にも残りのルートも今後書くから待っててお姉ちゃんって、妹が……
でも、妹には時間が残されてなくて、最後まで書けなかったんだ。
私の幼なじみのディランルートは読んだはずなのだけど……
今はそれを思い出してしんみりするよりも、幼いステラの事だ。
あの子は幸せになれる。
必ずしも物語の通りに、事を運ばなければならないわけではない。
あの子は父親に愛されてここに連れて来られたのだから、私が上手く立ち回れば、あの子を虐める人なんかいない。
母親達の関係は置いといて、私達が仲良くすればいいだけ。
そうと決めたら、悠長に夢なんか見ていられない。
これ、まだ夢を見ているのよね?
寝ているのよね?
早く起きないと。
起きたら、前世のことなんか忘れてたなんてやめてよね。
「早く起きなさい、私!!!!」
自分のその叫び声で目を覚ますと、ベッドの周りにいた使用人達が驚いた顔で私を見下ろしていた。
それから、すぐに騒々しい空気となり、代わる代わる私の元へと、見知った使用人達が声をかけに来ていた。
その中には父の姿は無かったが、それよりも、
「今はどんな状況なの?私はどれくらい寝ていたの?」
「お嬢様は一ヶ月近く、目を覚さなかったのですよ。光属性の魔法使い様がお嬢様に回復魔法をかけてくださって」
「一ヶ月!?ステラは、あの子はどうしているの?」
「郷愁病になり、離れで療養しております。誰にも会いたくないそうです」
そんなに寝ていたのかと驚くけど、ステラが郷愁病って、タリスライトが恋しいって事でしょ?
「……あの子と会って話をしないと」
まさか、ステラを置いてあの男はどこかに行ったわけではないでしょうね。
だから寂しがって……
「なりません、お嬢様。あそこは今は危険です」
「その危険な場所にあの子が一人でいるの!?いったい、どこに連れて行ったのよ!?」
「お嬢様が気にする必要はありません。あんな賤しい出自のものなど」
「何を言っているのよ!!あの子には何の罪も無いのに!!それにあの子は、賤しい生まれなんかじゃない!!あの子に何かあれば国際問題レベルの事になるわよ!!」
どこにいるのか問い詰めたら、サバベスの森だと言う。
私の足じゃ物理的に無理だ。
日が暮れる。
誰か、ステラの力になってくれる人はいないのかと焦っていると、ディランがタイミング良く訪れてくれて、彼に縋っていた。
でも、私は、すぐに後悔する事になった。
結局、ステラの事も守ってあげられずに、ディランに大怪我を負わせてしまい……
前世の記憶を長い時間かけて思い出したところで何も役に立てないまま、全ては、始まる前に終わっていたのだった。




