あの日の少年
「エステルお嬢様のために、辺境伯爵家御当主様が王都から光属性の魔法使いを呼んでくださったそうで、感謝しかありません。ありがとうございます」
「親父には男爵家の謝意は伝えておく。エステルの具合に変わりはないか?」
「魔法使いが仰るには、じきにお目覚めになるそうです」
幼なじみのエステルが倒れてから一ヶ月近くになる。
彼女が生まれてから七年余り。実の妹のように接してきたから、心配せずにはいられなかった。
それともう一つ。
意識が戻らないエステルの様子は頻繁に見に来ていたが、親父から、どうやらロット男爵が屋敷に連れてきた子供を放置して商談に行ったようだから様子を見て来いと言われたのが今日のことだった。
それとなく聞くと、使用人達は、口を揃えて愛人の娘のせいでエステル様が酷い目にあったと言うが、それは無責任な大人側の勝手な都合であって、エステルともう一人の少女には最大限配慮するのが大人の役目だろうが。
母親が亡くなったからと、いきなり二人を引き合わせた男爵の神経を疑う。
しかも、今までエステルを放置していたくせに。
たかだか12歳の俺が思うのだから、大人達はもっと、どうにかできただろう。
小さな女の子に罪と責任をなすりつけるのは、あまりにもおかしな話だ。
とにかく、二人の様子を見にきた俺は、先にエステルが休んでいる部屋に通されると、ちょうど目覚めた彼女が取り乱している現場に遭遇した。
目覚めた事を喜ぶ間も無く、俺に訴えてきたのは、驚きの言葉だった。
「ディラン、あなたを待っていたの!!お願い、あの子を、ステラを連れてきて!!一人でサバベスの森に行ったって言うの」
「は?なんでそんな所に行ったんだ?一人でか?5歳か6歳の子供がだろ?」
「お、お嬢様は、故郷が恋しくなったのかと」
従僕の一人が言葉を付け足すが、
「だとしたら、行くのはここから近い港のある町だろ。なんで港を通り抜けて、俺のところの領地を抜けた森に行くんだ?おかしいだろ!!小さい子供がそんな場所まで一人で行けるわけがない!!」
サバベスの森には、ミナージュ領が全て面している。
森から見て、ミナージュ領の後方にロット領がある。
そして、それぞれに港も。
ここからサバベスの森に行くには、港町を通るのに、誘導されてそこに連れていかれたとしか考えられない。
親父が危惧した通り、何か問い詰めないとならない事情がありそうだが、今はそれよりも、自分よりも幼い女の子を早く見つけてあげなければならない。
「男爵家の人間は誰も探しに行っていないのか?」
俺に責められているように思ったのか、使用人達はみな、視線をそらして黙り込んでいる。
舌打ちしそうになった。
まさか、よってたかって、愛人の娘として虐げていたわけじゃないだろうな。
子供の俺が、よその家の事に直接口出しなんかできるわけがない。
親父には早く報告しなければならないようだ。
「ディラン、お願い」
「わかったから、エステルは休んでいろ」
病み上がりなのに今にも屋敷を飛び出していきそうなエステルを制して、男爵家の人間が誰も動かなかったから、うちから連れてきた者と一緒に森へと向かった。
森の奥側は大人達に任せて、俺は入り口に近い狩猟小屋を回っていた。
幸い、俺が向かった小屋近くで、ステラを見つけることができた。
森に迷い込んだ子供を探すにあたって、容姿は特に気にしていなかったが、予想よりも小さなステラの事は、ひと目見てわかった。
肩くらいの長さで揃えた黒髪が、茂みの向こうでちょこんと見えて、初めは小動物かと思った。
タリスライト国民の特徴である褐色の肌は話に聞いていたけど、実際に目にすると新鮮なものだった。
声をかけて、振り向いた時に見えたシーブルーの瞳も不思議な色で綺麗なものだったが、けど、それが涙で濡れて、俺を怯えたように見ていたから、早く連れ帰って安心できる場所を与えてやりたかった。
だが、エステルの元に連れ帰ってあげるって考えが、そもそも、俺の間違った認識だった。
俺がいくらエステルがどんな子か知っていたとしても、事情もわからずに遠い異国に連れてこられたこいつが、理不尽に怖い思いをさせられて、男爵家に帰りたいと思うはずがなかった。
その証拠に、ステラの両腕に、鞭で打たれた痕が無数にあって、酷く怯えた様子に怒りが湧き上がった。
この傷はここ一ヶ月以内でできたものだ。
なんで、こんな小さな女の子に暴力を振るう事ができるのか。
自分が6歳の頃なんか、守られている事が当たり前だった。
腹を減らしている様子のステラに、とりあえず非常食用の飴を手に乗せてやった。
こんな飴玉一つで幸せそうな顔をして、身なりは整えられていないし、元は知らないが、明らかにやつれている。
俺の方が無性に泣きたくなって、ステラに持っていた飴は全部渡した。
こいつのこんな姿見たら、親父も、兄貴達だって憤るはずだ。
ステラを促して自分の家に連れて行こうとしたが、そこから動こうとはしなかった。
不信や、ただの我儘ではない様子で、どうすればいいか途方に暮れた。
でも、その場でゆっくりと説得する時間はなかった。
本来ならこんな所にあんな魔物はいないはずだったのに、俺達は三体の魔物に追い詰められていた。
それはまるで、人為的に配置されたかのようで……
自分よりも大きな魔物。
それ自体なら何の問題もないはずだったのに、俺は、背後に戦えない誰かがいる戦闘を経験した事がなかった。
ほんの少しの判断ミスで魔物の大きな爪が振り下ろされ、俺の肺に到達し、すぐさま息が出来なくなり、ステラに逃げろと伝えると、意識が遠のいていた。
俺が嬲られている間に逃げれば良かったのに、覆いかぶさってくる、自分よりも高い体温を感じて、ステラがまだそこにいる事に気付いた。
バカ、逃げろと、言いたくて、力を振り絞って少しだけ目を開けると、その光景が見えていた。
獣を縛り上げる黒い影。
何が起きていたのか。
見届ける事もできないまま、今度こそ俺は、意識を完全に失っていた。
次にベットの上で目覚めた時は、もう既に多くのことが終わっていた。
それには、男爵家の次女ステラの葬儀も含まれていた。
その事は、見舞いに訪れてくれたエステル本人から聞くことになる。
「ディラン、具合はどう?あの子を庇って、怪我を負ったと聞いたわ。謝罪に来るのが遅くなって、ごめんなさい」
「お前からの謝罪はいらない。謝らなければならないのは、俺の方だ」
ロット男爵は、ステラの亡骸が見つかった三日後に帰ってきた。
その際、怒り狂った俺の親父に殺されかけたが、何とか兄達が止めて事なきを得たそうだ。
自分にとって都合の悪い事から目を逸らし、エステルを放置して、ステラを放置して、その挙句に俺が怪我を負ったからと、親父は憤っていたんだ。
男爵の無責任な行いに。
ステラの棺の前で泣き崩れていたそうだが、ミナージュ家の者は皆、白けた思いで見つめていた事だろう。
「俺には謝罪は必要ない。俺は、あの子を、お前の妹を守れなかった…」
あの時、結局、助けられたのは俺だけで、あの小さな女の子の姿はどこにもなかった。
俺が救助された数時間後、ミナージュ家の者がステラが着ていた服と人骨を見つけ、それをロット家が確認した。
ステラの死が確定したのだった。
最後に魔法らしき力を使って、あの子こそ俺を守ろうとしていたのに…
悔しくて、この想いの行き場がない。
握りしめた手の中から、赤い血がこぼれ落ちていた。
母親が自死で亡くなった時と全く同じ、感情が抜け落ちた表情をしたエステルの前で、自分の無力さを思い知った。
大切な女の子の笑顔を、また守る事ができなかった。
時間をかければ、必ず二人は良き姉妹になれたはずだったのに。
ステラが受けていた虐待の事実を、エステルに告げる事ができなかった。
エステルが、あんな事を望むはずがない。
俺に残されていた唯一の役目を果たす為、エステルが帰宅すると、ふらつく体を叱咤して、体を引きずって親父の元へ向かった。
ステラの事を報告するためだ。
せめて、あの子をあんな目に遭わせた奴を罰したかった。
あの子を傷付けた連中が、のうのうと生きていくのが許せない。
でも、何よりも許さないのは自分の弱さだった。
俺は、辺境伯爵家の男児として生まれたら、剣を握って魔物を討伐するのは当たり前の生活だった。
それは、領民を守る義務でもある。
俺には驕りがあった。
今までは自分だけを守りながら戦えばよかった。
誰かを守りながら戦う事がどれだけ難しいかわかっていなかった。
辺境伯領主である父親に守る剣を学びたいと伝え、王都へ赴いたのは、すぐ後の事だった。
今度は守りたい者を守れるようにと。




