12
創立記念日に起きた事件から数日。
三日間は学園も臨時休校となっていましたが、パーティーでの騒動がやっとひと段落して、表面上はいつも通りの日常を取り戻したように思えるこの日。
授業を終えて学園から帰ってきたばかりの私は、深く被ったフードの端を握りしめていました。
王族の執務室があるエリアの近くで、行ったり来たりを繰り返しています。
困りました。
ここがどこかわかりません。
完全に迷子です。
同じ扉がいくつも並んでいて、通路には人影はなく、途方に暮れていました。
引き返して誰かに尋ねるべきだと足の向きを変えた瞬間、
「こんな所をウロウロして、どうした?」
「ふぎゃっ」
すぐ真後ろで、壁のように立つ人に衝突していました。
その壁……人を見上げると、
「あ、ディランさん」
ホッとしたと同時に抗議していました。
「いつもいつも、気配と音を消して近付くのやめてください!」
「悪かった。俺が、悪かった」
まったく悪びれた様子はなく、笑って言われても!
絶対に私をからかうためにやっていますよね!
無意識のうちに安心してしまった事を誤魔化すために、ディランさんを睨んでいました。
でも、フードを被った姿でいくら睨んだところで、相手はニヤニヤした笑いを返してくるだけです。
「それで、どうしたんだ?大丈夫か?」
「あ、大丈夫じゃないです!王太子殿下に呼ばれたのですが、植物園に用があるみたいで、でも、殿下の執務室がわかりません!」
「ラシャドが?」
「呼び捨てにしていいものなのですか!?」
「12の時、俺が王都に来てからずっと一緒に過ごしてきたが、それで怒られた事はないな。時と場合くらいは考えている。ほら、行くぞ」
王太子殿下とずっと一緒に過ごしてきたって、ご学友って事でしょうか?
そう言えば、ディランさんと王太子殿下は同じ歳でしたか?
ディランさんって、思ったよりもすごい人なのかもしれません。
そのディランさんが執務室へ案内してくれるようです。
それには感謝して、自然と手を引かれて通路を歩いて行きました。
私は王太子殿下とはほとんど面識がありませんので、緊張してしまいます。
そこが目的地なのか、扉の前で立ち止まると、ディランさんと繋がれた手に力をこめていました。
「ラシャド、入るぞ」
返事を待って開け放たれた扉の向こうにいる人物を見て、まさかと、自分の目を疑って固まってしまいました。
ディランさんも驚いている様子でしたが、私はさらに動揺していました。
「君の足音はすぐにわかるよ。相変わらずだね、ディラン」
王太子殿下の向かい側に座るお二人。
「何で、エステルが」
“シリルにぃ様”
唇を動かすだけのわずかな呟きだったのに、ディランさんには聞こえていたようで、チラリと視線を向けられていました。
どうしてシリルにぃ様が、お姉様と一緒に……
お姉様の隣に、密着して寄り添うように座っていたのは、すっかり大人の姿になっていましたが、間違えるはずもないシリルにぃ様でした。
その部屋に入ると、シリルにぃ様は鋭い視線で、お姉様は嬉しそうに、それぞれディランさんを見ていました。
『客人を待たせるって、この国の平民は随分とのんびりしているんだね。それに、そっちの騎士は呼んでいないはずだけど?』
記憶の中よりも、とてもとても低い声。
そして、とても冷たい響きのする声。
遅くなった事をお詫びしなければと思うのに、喉が張り付いたように声が出てきませんでした。
『それは私がお詫びしよう。魔法士団所属の彼は別の任務に赴いていて、連絡が遅くなったのはこちらのミスだから』
『王太子が簡単に謝るとはね。配下に謝らせとけばいいのに』
『時と場合によるかな』
流暢なタリスライトの公用語を話す王太子殿下は、穏やかに微笑んでいますが、本当は私が謝らなければならないのに。
ディランさんが、気にするなと言うように私の手を軽く引きました。
「シリル、貴方はちょっと黙ってて。数日ぶりね、ディラン。今日はラシャド殿下の紹介で、植物園を見せてもらいに来たの。貴方に会えるかなとは思ったけど、まさかここに現れるとは思わなかったわ」
「二人は知り合いだったね。紹介するよ。彼が、魔法士団の植物園を管理してる黒曜石だよ」
名前も性別も伏せて紹介された私は、おずおずと前に出てペコリと一礼しました。
「こちらはロット男爵家の御令嬢、エステル。彼はロジャー商会の代表を務めているシリル氏だ」
にぃ様、タリスライトを離れてお商売をされているのですね。
お姉様とは親しげな様子ですが、お仕事の関係で知り合ったのでしょうか?
「ディランが、黒曜石とやって来たのは意外だったよ」
「向こうでオロオロしてたから、連れて来たんだ」
「ふふっ。仲良くなったんだね。ありがとう、ディラン」
「俺のことより、客人待たせてるぜ」
王太子殿下とディランさんも、親しげな様子で話しています。
「うん。じゃあ、行こっか。御二方、こちらへどうぞ。ディランもね」
全員が移動する中、一番後ろを歩いていました。
シリルにぃ様が、ディランさんに送る視線を見るのが怖かったからです。
王太子殿下自ら案内されて植物園に行きましたが、そこの扉を開けるのだけは私の役目でした。
『俺、この国は嫌いだけど、この植物園は素直に感心するよ』
中に一歩入って、見渡したシリルにぃ様が感嘆の声を上げました。
『失礼よ、シリル』
『貴方が嫌いだと言う理由も理解できる』
ラシャド様は穏やかな表情を崩しません。
『綺麗なものって、ぐちゃぐちゃにしたくなる。この植物園で暴れたら、さすがに管理人さん怒るよね』
その声は、とても刺々しいものでした。
『シリル、ふざけないで』
『半分本気だよ。グリースが大事にしてるもの一つくらい壊したいし』
シリルにぃ様が怒っている理由は、私に原因があるのでしょうか。
『でも、こんな所破壊しても、大した慰めにはならないか』
思わず、ディランさんが着ている隊服の端っこを握りしめていました。
『誰かが大切にしているものをぐちゃぐちゃにしたいってだけで』
シリルにぃ様が私の方を見て、唇を歪めていたからです。
私が見る二度目の、哀しいほどに怖い顔です。
『エステル。そこの客人に伝えろ。タリスライトの公用語がわからない奴ばかりじゃないとな。人んちの庭を我が物顔で歩くな。何を当たり散らしているのか知らないが、後ろのこいつには関係ないだろ。不安がっている』
「伝えろって、ディラン、貴方、ちゃんと喋れているわよ。何、嫌味なの?珍しい。私が代わりに謝るわ。ちょっとこの人、機嫌悪いから。しばらく黙らせる。ごめんなさい、魔法使いさん」
気にしないでほしいと、コクコクと首を振りました。
ディランさんとシリルにぃ様の空気がギスギスしたものになり、ラシャド様は困ったように二人を見ていました。
あれ?
ディランさん、流暢なタリスライトの言葉を喋っていたけど……
自分の手に装着されたブレスレットを見ました。
あの時の商人さんとのやり取り。
聞いて……
「あの、質問してもいいかしら?」
お姉様が、場を取り持つように尋ねてきました。
何でも答えるつもりでしたが、でも、私が喋ったら、お姉様に学園に通っているステラだとバレてしまうのでは?
どうしたらいいのか、とりあえずハムスター型使い魔を、ディランさんの肩にソッと移動させて通訳を頼みました。
王太子殿下とエステルお姉様達が、麻薬中毒者に対する対策を植物園で話し込む中、私はディランさんの後ろに隠れるようにずっといました。
失礼な態度とはわかっていましたが、シリルにぃ様が今度は私に向ける、刺すような視線に耐えられなかったのです。
気不味い時間が過ぎていきました。
なんとか方向性が決まって、お姉様が植物園を後にする時、移動しながらディランさんに言ったことが聞こえてきました。
「ディラン。明日、ちょっとだけ話せない?」
「構わないが……」
シリルにぃ様が、また、ディランさんを睨みつけています。
ディランさんはそれを受け流しています。
一体、目の前ではそれぞれが何を思っていたのか、私には知る由もありません。
今日は植物のサンプルをいくつかお渡しして、お帰りになるお姉様とシリルにぃ様を見送っていました。
お二人の姿が見えなくなったところで肩の力が抜けて、そこで、私はとても緊張していた事にやっと気付いたのです。
にぃ様に会えた事を、喜ぶ間もありませんでした。
「ごめんね」
私に言っているのだと、それに気付くのに遅れて、返事をするまでに少し間が空きました。
「え、いえ、あの」
隣に立っていたラシャド王太子殿下が、私に謝罪していたのです。
赤みのある茶色の髪が、風に揺れていました。
濃い緑色の瞳が優しげに私を見ています。
「学園で怖い思いをしたばかりなのに、その功績をちゃんと讃えてあげる前に、嫌な思いをさせてしまったね。彼が、あそこまで感情を剥き出しにしたのは、おそらく……」
ラシャド様の視線が、ディランさんに向きました。
「俺は、初対面だったんだがな」
「私が……遅れてしまったのは私で……ごめんなさい……」
「気にしないで。ロット男爵令嬢と、会頭はまた植物園に来ると思うけど、エレンに対応を頼もうか?」
「いえ、私が管理する植物園なので、ちゃんと対応します。大切なことなのですよね?」
「うん。聞いていたと思うけど、中毒症状を緩和できないかと思ってね。問題になっている薬物の依存者がなかなか回復には至らなくて、ベッドから離れられないんだ。その者達の多くは貴族の子息でね」
「自業自得だが、中には次期当主となるはずだった奴もいるから、その親は立ち直らせようと躍起になってる」
お姉様が、大きな役割を担っている事はよく分かりました。
そのお手伝いを、私もちゃんとしようと思います。
「ディラン、彼女のフォローをお願いするね」
「わかった」
最後に、私に微笑んだラシャド様は、王宮の中へと戻って行かれました。
「優しい方ですね」
「ああ。いい奴だ。けど、あの笑顔の下に恐ろしいもん持ってるからな」
長年一緒に過ごして来たディランさんがそう言うのなら、ラシャド様もただ優しいだけの方ではないのでしょう。
「ところでステラ。シリルにぃ様ってのは?」
ディランさんを見上げました。
そのお顔は、ただ単に疑問を口にしただけのように見えます。
「私の親戚にあたる方で、タリスライトで過ごしていた時、いつも、一緒にいてくれていました」
「大丈夫か?今日は随分と当たりが強かったが、慕っていたんだろ?会いたかったんじゃないのか?」
「はい。仕方がない事ですので、大丈夫です。次は遅刻しないようにします」
「もし、会うのが辛いなら、俺がラシャドに言ってエステルだけ来てもらうようにするが」
「大丈夫です。今日は突然の事で心の準備ができていなかっただけで、私が任された事なので、今度はちゃんとします」
次は大丈夫だと、そうでなければならないと、甘えてばかりはいられません。
「飯でも食いに行くか?」
それは気負いなく言われたお誘いだったので、
「はい」
私も何も考えずに返事をして、一緒に外に出ました。
少しだけ、胸に重たい物を抱えているような気持ちになってて、足取りも重くて、ディランさんの後ろを歩いていました。
正直、このまま部屋に戻って一人になるのは、心細かったです。
「うわ、寒い!」「風強いー」
通りを歩く人が口にしています。
確かに今日は寒いです。
でも、そんなに風は強くないような?
あ……
どうやら、ななめ前を歩くディランさんが、風よけのようになっています。
「ディランさん」
横に並ぶと、
「そのまま後ろを歩いていろ。今日は寒いだろ。お前はすぐ手が冷たくなる」
「大きな体の使い方を間違っていますよ」
「雪中訓練に比べたら、大したことない」
秘密を喋るなら今よ
「ディランさん。お姉様の事で、相談したい事があります」
「どうした?」
あれ、勢いで言ってしまったけど、私は呪いを解かなければ一連の事を喋れない。
「あの、でも、二、三日待ってください。その、準備が」
「わかった」
私の言動に違和感を抱かれる事なく、ディランさんは、あっさりと前を向いて歩いて行きます。
それからは、お店に着くまでは無言でした。
一緒に食べた今日のご飯もとっても美味しかったのですが、私もディランさんも、とても口数が少ない、静かなお食事でした。




