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刀使い  作者: とりちゅう
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三章:その一歩は重く、遠く③


 忙しそうに床を踏み鳴らし、刀使いや制服を着た人、作業着の人たちが足早に行き交う。しかし視線は俺たちを(とら)えながら去っていく。その顔は笑いを堪えていたり、苦笑だったりと似たようなもので、生暖かい視線に(さら)されている俺たちは羞恥に震えていた。


「さて……」


 アリス司令が土下座をしている諫早(いさはや)さんの背に腰を下ろした。ごく自然に。そこに椅子があったから座ったという感じだ。さらに俺たちは気まずくなる。


 見てはいけないものが眼前で展開していく……。


 諫早さんの背に座ったアリス司令は椅子の低さに不満があるようで、諫早さんの尻を叩いた。乾い破裂音がエントランスに響いた。ゆっくり土下座から四つん這いになって、椅子としての高さ調整をした諫早さんの顔を見ることができない。


 アリス司令は長い足を組み、その脚線美を惜しげもなく披露する。凜とした姿勢のアリス司令は、まさに玉座に座す女王陛下だった。


「本日、初陣のお前たちに私から命令を下す」


 切れ長の碧眼が、真摯の眼差しで俺たちを見据える。が、いかんせん視界に四つん這いの諫早さんが入ってしまうため、真剣になれない。マリとティリエラは頬を紅潮させ目が泳いでおいる。カイルとサイにギルフォードは無心。悟りでも開いたかのようだ。ユエラウだけがアリス司令の真剣な眼差しに答えているように、拝聴の耳となっていた。


「死ぬな。生きてここに(かえ)ってこい」


 力強い眼差しに、言葉が、俺たちを貫く。心臓が強く脈打ち、鼓動とともに胸から熱が生まれ、身体に広がっていくが、諫早さんが目に入って、熱が冷めていく……。


「はいっ!」


 ユエラウだけが気持ちの良い返事を返した。


「何だ。ユエラウ以外は還ってこないつもりか?」


 鋭い視線が俺たちを見上げ、見据える。アリス女王陛下は不満そうに美脚を組み替える。

 もう少し状況というものを整えてから言って欲しかった言葉だ。そしてなぜか俺の頭は、足を組むと認知症になる確率が上がるというどうでもいい情報を思い出していた。理由は分からないし、そもそも刀使いは認知症にならない。


 アリス司令は大仰に息を吐く出すと、立ち上がり、仁王立ちとなる。俺たちを見下げる青い双眸(そうぼう)が微かに揺らいだように見えた。


「もう一度いう」


 長い黄金の髪を右手で払い、両手を腰に添え、豊かな胸を張る。揺らいだように見えた青玉の瞳は、いつもの自信に満ちた力強い眼光を放つ。


「死ぬな。生きて還ってこい」


 また胸に火が灯ったように熱を生む。


「「「はい」」」

「はいっ!」

「了解しました」

「死なねぇしっ」

「……りょ」


 アリス司令の薔薇色の唇が笑みを象る。


「ギルフォード、次返事を略したら死刑。糞餓鬼ども頑張ってこいっ。以上っ!」


 ギルフォードの身体が硬直した。俺の耳に微かに聞こえた声が、しっかりアリス司令の耳に入っていたことに、恐怖を覚えた。


 アリス司令は言いたいことだけをいって(きびす)を返し、俺たちに背を向け、自動昇降機(エレベーター)へと踵の高いヒールで床を鳴らしながら歩を進める。右手を軽く挙げて去って行く姿は完成された美があった。


 アリス司令という嵐が去って、諫早さんがゆっくり立ち上がる。服についた埃を(はた)き整える。一呼吸吐く。


「よしっ、行くぞ!」


 何事もなかったようような爽やかな笑みを見せ、一人階段を下りていく。置き去りにされた俺たちは互いに顔を見合わせる。マリは声を殺して笑い、カイルは呆れ顔。ティリエラはきれいに整った眉を寄せ笑い、俺も同じようなの顔をしているだろう。ユエラウの頭上には疑問符。サイの秀麗な顔は形を崩さず、ギルフォードは欠伸をしていた。


 これから初陣というのに、この仲間たちは何も変わらない。アリス司令がくれた熱と安堵の安らぎが俺を満たしていく。


「皆さん、下で諫早さんがお待ちですよ」


 いつの間にか傍にきていた(あまね)さんが俺たちを促す。周さんの笑顔が何も見てない、何もなかったと訴えていた。笑顔の周さんの青い瞳が黒く渦巻いていた。それはまるで自分自身の催眠をかけているようだった。


 俺たちはそれに従い、階段を下りていく。これ以上周さんが壊れないよう早足で進んでいく。

 原因の諫早さんは受付の女性と話していた。極東にきた初日に俺を歓迎してくれた、あの眼鏡の似合うきれいな人だった。


「さて、遠征任務に行くときは必ず受付で、任務内容と誰と行くのかを登録してから行くこと。大事な決まりだからな」


 諫早さんの言葉に周さんと受付嬢の人がうなずき、さらに諫早さんが説明を続ける。 


「受付では、偵察部隊からの討伐依頼をまとめ、アリス司令に報告。アリス司令が遠征部隊の各班にあった難易度の依頼を振り分け、俺たちはそれを自室の小型端末か受付で確認して任務に行く」


 諫早さんが視線で受付の女性に説明の続きお願いする。女性は静かにうなずき、切れ長の緑の瞳が俺たちを見据え、一礼した。繊手な指先が眼鏡のテンプル部分に触れ、角度を調節する。


「私たち受付担当に、誰とどの依頼を行くのかの報告をお忘れなきようお願い致します。依頼内容と班員の階級(クラス)が適切か確認させていただき、全て問題なければ依頼を受理。各班の担当オペレーターに通達致します」


 業務連絡のように淡々と告げる受付担当の女性は、さらに続く説明を周さんからお願いしますと、優雅に右手で示した。


「通達を受けた班担当オペレーターは、任務地に皆さんが到着する前に戦闘エリア内を監視カメラとドローンで確認。偵察部隊からの報告と照らし合わせて囚俘(しゅうふ)の情報、居場所、頭数を皆さんに報告。抜刀を確認後は刀の抜刀リミット限界に達しないよう、残り時間の報告などをサポートさせていただきます」


 説明を引き継いだ周さんの説明が終わると、諫早さんが何かに気づいたように声をあげる。


「そういえば、まだ自己紹介してなかったな」

「あ、私ですね。気づかず大変失礼致しました」


 頭を下げ謝罪の意を示す。


「受付担当、音霧綾乙(おとぎりあやお)と申します。受付は私を含む計六人で担当させていただいております。他のスタッフ共々、何卒宜しくお願い致します」


 淡く微笑む音霧さんがきれいで照れてします。紅潮した頬を隠すように、俺は慌てて頭を下げた。初日を思い出してさらに照れてしまう。


 マリにティリエラ、サイにギルフォードは「よろしくお願いします」と一礼をし、カイルは快活に挨拶をする。ユエラウも俺と同じように頬を赤く染め、恥ずかしそうに小さな声で懸命に挨拶をしていた。


 諫早さんが任務依頼の登録を行なってる間、俺は気になっていたことを聞こうとユエラウの元に歩を進める。


「ユエ聞いてもいい?」

「何でしょう?」


 きょとんと氷雪の瞳を(しばたた)かせる。私に質問しても何も答えられないといった感じだ。


「しーちゅは何か芸ができるの?」


 問われたユエラウは氷雪の瞳を宝石のように燦然と輝かせて「しーちゅも凄いんですよ!」と右肩にいたしーちゅを床に下ろした。

 愛らしピンク色の小さな鼻にユエラウの人差し指が向けられる。その指をくんくんと嗅ぐしーちゅがまた可愛い。


「待て、だよ」


 ユエラウの言葉を聞いて、しーちゅが床に腰を下し、お座りのポーズとなる。先が鉤のように曲がった尻尾をピンと立て「みゃ~」と鳴くしーちゅの頭を優しく撫で、ユエラウはしーちゅから離れて行く。その後ろを追う美夕。

 しーちゅから三メートルほど離れたユエラウは床に両膝をつき、両手を広げてみせる。


「しーちゅ、おいで」


 慈愛に満ちたユエラウの声音がしーちゅを呼ぶ。幼い足取りでユエラウの元へと駆け出したしーちゅは、その勢いのままユエラウの胸へと飛び込んだ。受け止めたユエラウの豊かな胸の中で、喉をごろごろと鳴らし甘える。


「よくできました」と褒めるユエラウがドヤっとした顔で俺をみつめる。その微笑ましさに笑みがこぼれる。


「凄いね。しーちゅもちゃんと『待て』ができるんだね」

「美夕を見て覚えたんです。美夕もちゃんとお姉ちゃんできて偉いね」


 足元にいる美夕の頭を撫でる。気持ちよさそうに長い尻尾が左右に振られる。俺も撫でたい。こっそに美夕に近づこうとしたら、気配を察知されユエラウの影に隠れ、来るなと睨まれた。


「あ、あのさ、ユエラウ……。それって、私もできる?」


 マリが恥ずかしそうに話しかけてきた。目線はチラチラとしーちゅを見ている。猫好きには堪らないのだろう。

 うん、その気持ち分かる。

 ユエラウの氷雪の瞳がさらに燦然と輝きを増す。


「友達がまったくいなかったのでやったことがないのですが、しーちゅは人懐っこいので大丈夫だと思います」


 ユエラウはマリに話しかけられたことが嬉しかったようで、とんでもないことを口走ったことに気づいていない。動揺と気遣いの色の瞳でマリが俺を見た。俺も同じような色でマリを見た。聞かなかったことにしたほうがいいと、互いに答えが出て、うなずいた。


 ユエラウがしーちゅをマリに渡す。しーちゅを受け取ったマリは嬉しそうに頬を紅潮させる。しーちゅの喉をくすぐるとごろごろと気持ちよさそうに音を鳴らす。


「よし、しーちゅやるわよ」


 マリはユエラウに(なら)ってしーちゅを床に下ろし、人差し指をピンク色の鼻先で立てて「待て」と告げる。その指先をくんくんと匂いを嗅ぐと、ちょこんと腰を下ろし『お座り』のポーズとなった。


 マリの視線が「これでいいのか」とユエラウに問いかける。ユエラウは顎を上下に何度も動かし、うなずいてみせる。

 しーちゅから二メートルほど離れたマリは胸に右手を置いて、一呼吸。期待と不安に胸が高鳴っているのだろう。両膝を床について、両手を広げる。


「しーちゅ、おいで」


 少し震えた声がしーちゅを呼ぶ。可愛らし三角の耳がピコピコと動かし、小首を傾げるしーちゅ。

 もう一度マリがしーちゅの名を呼ぶと「みゃ~」と鳴いたしーちゅがマリへと駆け出す。

 子猫の拙い走りでマリの元へと向かい、跳躍。マリの胸に飛び込んだ。


「来てくれた……」


 マリの朝日のような瞳が煌めく。頬を紅潮させ嬉しさに笑顔を見せる。その顔は無邪気な幼女のようだった。ユエラウの眼が細められる。眩しいものを見るように。朗らかな空気に気が弛緩する。


 しーちゅは甘えるように頭をマリの胸に擦り寄せる。が、しーちゅの動きが止まった。「みゃ?」と鳴き小首を傾げる。小さな両前脚でマリの胸をふみふみしてみる。「みゃ?」としーちゅはユエラウを見て、マリを見た。子猫の頭上に疑問符が浮かぶ。また何かを確かめるように両前脚はマリの胸をふみふみする。


「へぇ~、猫も大山と絶壁の違いが分かるんだな」


 感心したカイルがつぶやいたのを聞いて、俺は凍りついた。

 知っているかカイル。それは言ってはいけない禁忌の言葉だということをっ!


 ゆっくりと、マリを見た。その瞬間俺の背筋に怖気が走り、血が引いていくのを感じた。囚俘にも感じことのない極大の『逃げろ』という警告が身体を駆け巡る。

 人は怒りの頂点に達すると感情が消えるという。陽だまりのようなマリの瞳から光が消失。闇が渦を巻き、壊れた人形のように首が右に傾く。感情のないように見える顔だが、唇だけは微かに微笑みを(かたど)っていた。


 異様な気配にしーちゅが全身の毛を逆立て、マリの腕から逃げていく。


「マ、マリ……?」

「カイル、ブチ殺ス……」

「何でだよっ!」


 機械のように感情のない声がつぶやいた。

 次の瞬間、マリの口から人間が出してはいけない音が、形にならない言葉を吐きながら、神速でカイルに襲いかかる。鉤のように指を曲げた右手の切り裂きを後方へ下がって避けたカイル。追撃の後ろ左回し足蹴りもギリギリで回避したカイルが逃げ出す。その後を奇声をあげ追っていくマリ。


 誰も止められない。


「何やってんだお前ら。遊んでないで行くぞ」


 任務依頼登録を終えた諫早さんが声をかけてきた。事情を知らない諫早さんにはカイルの命の危機が、遊んでいるように見えるのだろう。端から見たら追いかけっこ、に見えなくもない。


「諫早さんっ、マジでマリを止めてくれ!」


 マリから逃げてきたカイルが諫早さんの後ろに身を隠す。


「また変なことしたの?」

「してねぇよっ!」


 いや、してはないけど、禁忌の言葉を言いました。


 仕方がないと溜息を吐いた諫早さんは、鬼の形相で迫り来るマリに向き合う。


「マリ、そう怒るな。可愛い顔が台無しだよ。マリの笑顔はみんなを明るくするから、諫早さんはマリの笑顔が大好きだ」


 優しく微笑む諫早さん。素でそんな恥ずかしいことを言っちゃう諫早さんから、一歩後退り距離を置いておく。

 マリが急停止。全身の血が沸騰したかのように、マリの顔が耳朶(じだ)が首が、一気に真っ赤になった。頭から湯気が見える、気がする。


「な、ななななななんんに、言ってんのよっ! バッカじゃないのっ! 諫早さんのバカっ、アホっ、変態っ、ロリコンっ、ハゲっ!!」


 畳み掛けるような罵倒の言葉に「ロリコンとハゲはやめて?」と少し心が傷ついた諫早さんだった。あまりにも不憫が続いていたので、諫早さんの隣に立ち、広い背中をそっと撫でた。苦い顔で笑みを浮かべる諫早さんだった。


「ほ、ほら、行くぞ」


 気を取り直して、諫早さんの足が左を向く。全員の頭の上に疑問符が浮かぶ。


「あの、そちらに出入り口はありませんよ?」

「任務に行く専用出入り口があるんだよ。任務のたびに正面出入り口使ってたら囚俘に入られちゃうでしょ」

「それは、そうか」


 ティリエラに優しく答える諫早さんの言葉に、納得するカイル。

 受付を囲うように左右に階段があり、その左階段からさらに左へ進むと白い強化コンクリートの壁に白い鉄製の扉があった。扉の横のコンクリートに埋め込まれた小型端末の液晶画面。諫早さんが画面に触れると自動で扉が開く。扉の先は十人ほどが入れる正方形の部屋だった。


自動昇降機(エレベーター)?」

「そ、コレに乗って任務専用出入り口に向かうよ」


 マリが中を覗いている横を通り、諫早さんが自動昇降機に乗り込む。みんなも続いて乗り込んでいく。みんなが乗ったことを確認した諫早さんが扉の『閉』ボタンを押した。他にボタンはない。一方通行の自動昇降機らしい。機械の駆動音が響き動き出す。


 下に下がっていく感覚から、急に左に進む感覚に変わる。極東支部の地下を高速で進んでいるようだ。自動昇降機内は機械音だけが響いていた。だが緊張感はない。マリもティリエラも落ち着いている。若干ユエラウの目が泳いでいるだけだった。


 数分後、自動昇降機が止まり扉が開いた。自動昇降機から降りると、冷たい灰色のコンクリートの廊下だった。白い蛍光灯の明かりが冷たさを引き立たせる。先頭を進む諫早さんに追随(ついずい)していく。


 コンクリートの床が足音を響かせる。進み先に階段が見えた。階段の入口横にはガラス製の棚があった。中にはきれいに整備され置かれている小型通信機。アルファベット順に並んでいた。


「この階段を上がったら任務開始だ。その前にこの小型通信機を耳に付けるのを忘れるな」


 ガラスの扉を開けて、中から『A』の通信機を取り出す。諫早さんがそれぞれに手渡していく。

 右耳に付ける。耳にしっかりと吸い付くような感覚に驚いて、首を左右に強く振ったがズレることも、外れることもなかった。どういう原理なのか分からない。


「コレ真ん中に穴空いてんけど、大丈夫なん?」

「大丈夫だよカイル。完全の片耳を塞いじゃうと外部の音が聞こえづらくなるでしょ。だから穴が空いている」

「通信はどうやってやるんですか?」

「この通信機は骨伝導式の物で、同じアルファベットの通信機同士が常に起動して繋がっている。音声は自動調節。距離が離れた通信機を判断してその人物の音声を上げてくれる。だから独り言なんて言ったら通信機を付けた全員に聞かれちゃうってことだから気をつけろよ」


 ティリエラの質問に諫早さんが丁寧に答えていく。揶揄することを忘れない諫早さんだった。確かに独り言を聞かれたら恥ずかしい。


「皆さん、聞えますか?」


 凜とした周さんの声が耳元で響く。


「び、びっくったぁ~」

「すみません。そろそろ通信機を付けた頃だと思いまして……。急に声をかけて驚かせてしまったようですね」


 カイルが驚き過ぎのような気もするが。それは口に出さないほうがいいだろう。


「いや、ナイスタイミング。全員通信機を付けたから確認してくれ」

「了解しました。皆さん通信機の下に伸びている部分を触って、一人ずつお名前を言ってください」


 通信機の下の部分とは耳朶(じだ)に触れている部分のことだろうか。触って「リュウです」と言ってみる。


「リュウさん、確認できました」と嬉しそうな周さんの声が聞えた。俺に(なら)ってティリエラ、マリ、サイにカイル、ギルフォードとユエラウと名前を告げていく。


「全員確認できました。通信と心拍ともに正常です。いつでも行けます」

「確認ありがとう。オペレーターとは常に繋がっていない。周にはこちらの会話が聞こえ話すことができるが、俺たちが周と話す時はこの部分に触れてからじゃないとできない」

「それは面倒では?」

「何故そんな面倒な仕様にしたか。それは誰がオペレーターに話しかけているかを確認するためだ」


 ギルフォードの問いに諫早さんが回答を出す。


「乱戦混戦の中、命令や指示が飛び交う。そんな中でオペレーターが聞き漏らさずに対応できるようになっているわけ。さらに声が出せない状況で、命令や指示が通達できているかの確認もできる。この部分に触れるだけでもオペレーターには通知がいく。それをみんなに知らせるのもオペレーターの役目だからね」


 極東の技術に感心してしまう。もしこんな技術が南のもあったらとは、もう考えない。考えてはいけない。俺はもう極東支部の刀使いなんだと言い聞かせる。


「任務中は決して通信機を外さないでください。この通信機が皆さんの心音と<核>の鼓動音を通知して、抜刀リミットの時間を監視できるのです」

「俺たちの生命線ってことだ」


 生命線と聞いて、カイルとマリが慌てて通信機がしっかり耳に装着できているかを確認する。俺も触れてみる。しっかりついているので後で耳が痛くならないか、そっちのほうが心配になってきた。


「さて、これで最終の準備はできた。回復などの携行品は持ったな?」


 諫早さんの言葉に全員がうなずいてみせる。


「それじゃ……」

「あの諫早さん、質問いいですか?」


 ティリエラが右手を挙げて諫早さんの言葉を遮る。ティリエラの翡翠の瞳が真っ直ぐに諫早さんを見据える。その真剣な眼差しにみんなの視線がティリエラに向けられる。


「何かな?」

「初陣で死ぬ、死亡率はどれくらいですか?」

「ちょ、ちょっと今から行くのに何てこと聞くのよっ!」


 マリが声を荒げる。その質問は確かに今から初陣の俺たちにとって不吉な言葉でしかない。

 笑みを絶やさなかった諫早さんの顔から、笑みが消えた。ティリエラの質問に紫電の瞳が真摯に受け止めていた。


「何故そんなことを聞く?」

「怖いからです。私は刀が抜けません。ユエラウには美夕としーちゅがいるけど、私には何もない。身を守る方法がありません。だから……」


 微かに震える、何もない自分の両手の平を見つめるティリエラ。

 諫早さんの紫電の瞳に痛みが(かす)めたが、それを隠すように微笑んでみせた。


「調べれば分かることだから嘘はつかない。五%だ。二十人に一人が亡くなっている」


 それは高くないか?

 その数字の高さに言葉が出なかった。唖然とするしかない。


「亡くなった人たちは、実際に目の前にした囚俘に恐怖し、恐慌に陥って逃げてしまったんだ。いくら階級(クラス)キングの刀使いが指導者として一緒にいても、守れる範囲からいなくなってしまっては守れるものも守れない」


 恐怖に駆られ、恐慌に陥った人の耳に制止の声など届かないことを知っている。掴んだ手は振りほどかれ、ただ一目散にその場から、恐怖の対象から逃げることだけしか考えられなくなる。


 <祝福の日>の映像と、あの日の南支部を思い出してしまった。

 見慣れた囚俘のはずだった。見知った顔の人たちだった。みんな知っていたはずだったのに……。


 どんな訓練していても、囚俘の姿形を知っていても、その場の空気がにおいが違うと感じてしまったら、それは知らない別の何かに変わる。

 未知への恐怖が危険信号となって身体を萎縮させ、思考が停止する。そうなってしまったら終わりだ。


「だから、何があっても俺の傍から離れるな。俺はお前たちを死なせない」


 穏やかな声音の中に強さがあった。


「お前たちが安心するまで何度だって言う。俺がいる限り、お前たちは死なない。死なせない」


 諫早さんの言葉にティリエラの唇が震え、引き結ばれる。泣きそうに歪む顔で何度も、何度も、うなずく。


「怖いのは分かるよ。だがそれでいいだ。恐怖を(なく)したら死に近くなる」

「いいえ、いいえ。すみませんでした。任務直前にこんなことを訊いてしまって……」


 諫早さんは「気にするな」と謝るティリエラの頭を優しく撫でた。

 俺はまだ表情が晴れないティリエラの両手を、壊れないようできるだけ優しく包む。ティリエラの繊手は冷たくなっていた。


「俺も君を守る」

「リュウ……」


 涙で潤んだ翡翠の双眸(そうぼう)が俺を見つめる。その潤んだ瞳には俺が映っていた。後悔を隠すような俺が映っていた。あの後悔をもう二度としたくない。


「わ、私も囚俘と戦うのは初めてだし、どうなるか分からないけど、頑張るからっ」


 俺の手の上にマリが右手を乗せる。マリの手も冷たくなっていた。マリも怖いのを隠して頑張っているんだと分かって、何だか笑みがこぼれてしまう。「何笑ってんのよっ」とマリに睨まれたが、それも可愛いと思ってしまい表情が緩んでしまう。そんな俺を無視してマリはティリエラに笑いかける。


「私も助力します」


 サイの右手がマリの手に重なる。無表情の秀麗な顔がティリエラを見つめる。翡翠と紫水晶の瞳が出会う。ティリエラの大きな瞳が細められていく。表情が柔らかくなっていく。


「しかたねぇな」

「まぁ、誰にでもあることだ……」


 薄い胸板を張り、カイルが呆れてみせる。ギルフォードが静かに言葉を紡ぐ。

 カイルの右手がサイの手に伸ばされ、触れようとした瞬間、ギルフォードの右手が先にサイの手の上に重ねられた。


「……………………っ」

「何?」


 長身のギルフォードを見上げて睨みつけるカイルだが、ギルフォードは何故睨まれているのか分からず、疑問符を浮かべる。マリの口から呆れの溜息が漏れる。


「私っ、私も、ティリエラさんを守りますっ! あの時ティリエラさんが諦めないでと言ったくれたことが嬉しかったんです。だから、だから……」


 ユエラウの右手がカイルの手の上に置かれる。まだ刀が抜けない二人の視線が合う。氷雪の双眸(そうぼう)がティリエラを真摯に見つめる。きょとんとした顔のティリエラだったが、翡翠の瞳が細められ、大輪の花の笑顔がそこにはあった。


「ありがとう、ユエ」


 ティリエラから『ユエ』と呼ばれたことが嬉しかったのだろう、ユエラウの白雪の頬が赤く染まり、恥ずかしそうに笑顔をみせた。


 諫早さんが眩しいものを見るように眼を細める。男の大きな手がユエラウの小さな手の上に乗せられる。


「諫早さんは今、お前たちを抱きしめたい気分だ」

「やめてください。セクハラで訴えます」


 辛辣なマリの言葉と視線に、諫早さんの顔が引き攣る。

 カイルが薄い肩を震わせ声を殺して笑う。それにつられて俺は苦笑する。ギルフォードも笑みを見せ、マリは悪戯が成功した幼子のように笑声をあげる。ティリエラも声を出して笑い、ユエラウは申し訳なさそうに小さく笑っていた。小型通信機からは周さんの呆れた声が漏れ聞こえる。サイだけが無表情で小首を傾げていた。


 蛍光灯の白い光が降り注ぐ冷たいコンクリートの廊下に、温かい笑声が響く。


「よし、いい切り替えだ」


 諫早さんが咳払いをする。優しく微笑んではいるが、その眼には真剣さがあった。


「この階段を上がって、扉を開けたら任務開始だ。気を引き締めろ」


 諫早さんが右手の親指で階段を示す。それに俺は強く顎を引いてうなづいてみせる。カイルは右手の平に左拳をぶつけて漢臭い笑みを浮かべる。ギルフォードとサイは階段の先を見つめていた。マリとティリエラは不安そうにうなづく。ユエラウは美夕の頭を撫でていた。頭を撫でられ気持ちよさそうに首を伸ばす美夕。ユエラウの右肩に乗っているしーちゅは大欠伸をしていた。


「行くぞ」


 諫早さんが広い背中を向け階段を上げって行く。その後ろをカイル、ギルフォードと追随(ついずい)して行く。俺もその後ろ姿を追って行く。


 冷たく薄暗いコンクリート製の階段に、八人と一匹の足音が響く。

 見据えた先には鉄製の扉があった。諫早さんの右手がドアノブに触れ、扉が開く。


 ここから囚俘との命を賭けた戦いが始まる。


 両手に知れずと力が入り拳を握る。

 薄暗い階段に外気が吹き込んでくる。微かな光が俺たちを外へと導いているようだった。


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