四章:想応に結びを①
何で? どうして?
<核>があるのにただ刀が抜けないだけで、なんでそんなこと言われなければいけないの?
刀使いとして戦えるのがそんなに偉い?
護りたいものなんてない。そんなもの持っていない。
あるのは、恐怖だけ。
こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい。
誰にも分かるはずがない。この恐怖は私だけのもの。
たとえ、同じように刀が抜けない人がいて、同じように恐怖に震えていたとしても。
同じ、じゃない。同じであるものか。
この恐怖は私だけのもの。家族に見捨てられた私だけのもの。
******
本日も晴天に恵まれて記念すべき十回目の実戦訓練。今日も元気にカイルがハウンドヘッドの剛力の尾の鞭で吹っ飛ばされていた。毎回のことにもう見慣れた光景となっていた。
吹き飛ばされたカイルは壁に激突。轟音を響かせながら脆いコンクリート壁を破砕。瓦礫の破片の雨がカイルの上に降り積もり、土煙がたちこめる。
「カイル……。毎回言っているが、できないことを無理してするなって言っているだろう」
右手で額を支えながら、呆れた諫早さんが嘆いていた。他のみんなも呆れながら目だけは囚俘から離さない。
「だぁーッてるよッ!」
粉塵と埃で白く汚れたカイルが瓦礫の山から這い出る。
横目でカイルの元気な姿を確認。擦り傷や切り傷はあるが大きな怪我はない。受け身を取っていたお陰だ。カイルの少女のような可憐な顔に怒りを宿して、口の中に入った土や砂利を吐き出す。
「分かっているならもう少し考えろ」
「…………おう」
不服そうなカイルの返事を聞いて諫早さんは苦笑する。
諫早さんは初陣と二回目の実戦訓練以降、刀を抜かず腕を組んで指示を出すだけで、その場から動かない。その後ろにはティリエラとユエラウが諫早さんのジャケットの裾を掴んでいる。ユエラウの右肩にはしーちゅ。足元には美夕がいた。二人は暇そうに欠伸をしていた。未だ留守番を嫌がるそうで、まだまだ時間がかかりそうだ。
咆哮。強靱な尾でカイルを吹っ飛ばした獣種小型<ハウンドヘッド>がまるで嘲笑っているようだった。その横を耳朶まで裂けた口に嬉々とした半月の笑みを浮かべながら、昆虫節足類種の小型<フォレアレニエ>がカイルに迫る。
全長三メートルの森の蜘蛛という意味の<フォレアレニエ>は、頭部は人間だが昆虫特有の複眼で埋め尽くされ、耳朶まで裂けた口からは鋸のような歯が覗く。蜘蛛の躯は草で覆われていた。八本のうち六本の長い脚は鋭利な槍のように鋭く地に突き刺さり、前二本の脚は人間の手を持つ囚俘だ。
ハウンドヘッドより俊敏なフォレアレニエがカイル目掛けて飛翔。六本の脚が束となり巨大な槍となってカイルを強襲。串刺しにするつもりだ。
させないっ!
その間を俺が割って入る。大剣型の刀の側面で殺到する鋭利な槍を受け、金属がぶつかる甲高い音と火花が散る。落下の勢いと全体重が乗ったフォレアレニエの落下突き。俺の踵が徐々に後ろに下がっていく。
絶対に負けないっ!
俺は裂帛の気合いの声とともに、右足を前に一歩出し、力任せに左へ大きく振り抜く。
「マリっ!」
「任せて。外さないわよっ!」
空中へ放り出されたフォレアレニエに、マリの銃槍型の刀の銃口から弾丸が射出される。銃声が大気を震わす。
銃弾がフォレアレニエの頭部に着弾。右頭部から左顎下へ銃弾が貫通。脳漿の破片と鮮血が噴出。アスファルトに落ちた巨大な蜘蛛は死の痙攣をおこし、止まった。
刀を大きく振りかぶって体勢を崩した俺に、ハウンドヘッドの大口が迫っていた。
俺の脇をカイルが疾走。赤と鋼色の双剣の刀を交差させ大口を開けたハウンドヘッドの口腔内へ突き入れる。後頭部から二本の刃が突き出る。そのまま刃を半回転し刃を外側に向けて交差を解除。両腕を広げると同時にハウンドヘッドの下顎から上が消失。吹っ飛んだ頭部は脳漿と血を撒き散らしながら地面へと落下。
刀に付着した血を払い、カイルが振り返る。顔には不機嫌の文字が張りついていた。
「油断してんじゃねぇよ」
「いや、カイルを信じていたから」
「……………………あっそ」
仲間を信じるのは当たり前だ。俺にとってこの班は背中を任せられるほど信じている。だからそう言ったまでなんだけど……。
何がいけなかったんだろう? カイルの機嫌がさらに悪くなった。
爆音と衝撃波。吹き上がった土煙が俺とカイルの視界を奪い飲み込んでいく。左腕を掲げて目を守る。
マズい。視界がないこの状況はマズいっ。
カイルの手首を掴んで後ろへ走り出した瞬間、背中を押す突風が吹き荒れる。髪や衣服の裾が弄ばれる。風の轟音の中に翼をはためかせる音。
「申し訳ございません。勢いがつきすぎてしまいました」
天から抑揚のない冷静な声音が降る。煙が散らされ視界が開けた大空に、純白の大きな翼が舞う。サイの刀の遠距離攻撃型の翼がはためく。陽光に照らされ、サイの姿が天の御使いのような神秘さがあって見とれてしまう。
サイが飛翔する真下のアスファルトに穴が穿たれていた。蜘蛛の巣状の亀裂が走り、穴の中心には躯の半分が地面に埋まった妖精種小型<ストマネライダ>がいた。
異常に膨れ上がった腹部の口からは大量の血が溢れ、流れ出ていた。その腹の口から黒鉄色の刃が伸びていた。刃の柄を握るのは黒い手袋に包まれた褐色の手。ギルフォードの剣型の刀がストマネライダの腹部を貫いていた。
刃を引き抜き血を払うギルフォードの傍へ天使が舞い降りる。
「申し訳ございません。最近力の加減が上手くできず……」
「フォローできるから問題ない」
「ありがとうございます」
俺の口から安堵の息が漏れた。サイが空中でストマネライダを叩き落とした衝撃で土煙が発生したのだ。叩き落とされたストマネライダに透かさずギルフォードが反応。地面にめり込んだストマネライダの脳に刀を突き刺し、命を狩った。
サイとギルフォードの連携はもうできあがっている。いや、ギルフォードの補助力が凄いからだろう。ギルは視界が広く、よく仲間が見えている。
穿たれた穴の底に鮮血の海が広がり、ストマネライダの躯が崩れて溶けていく。
「討伐対象のハウンドヘッド三体、フォレアレニエ二体、ストマネライダ二体の全滅を確認。周囲に敵勢力ありません。お疲れ様でした」
「了解。帰還する」
オペレーターの周さんから任務終了が告げられる。今日も大きな怪我なく無事に終わったことに笑みが零れる。
「お前は、いつまで、俺の、手を、掴んでいやがるっ!」
あ、忘れてた。
カイルが俺の左手を振り払う。赤髪の少女のような幼い顔の眉間に亀裂が入っていた。相当ご立腹のようです。そんなカイルに俺は苦笑を浮かべてしまう。
刀を納刀したみんなが諫早さんの周りに集まる。さっきの動きはどうだったとか、もう少しこうすれば良かったとか。諫早さんにアドバイスを求め、それに丁寧に一つ一つ答えていく。
「帰ったらメディカルチェックと報告書の提出を忘れるなよ。特にギルは遅れがちだからな」
「…………善処します?」
「面倒くさいことを、いつも疑問形で答えるな」
このやり取りももう何回目になるだろう。和む。
諫早さんとマリは呆れて溜息を漏らし、ティリエラとユエラウは声を潜めて笑う。カイルはまだ不機嫌そうだ。サイは相変わらず無表情で感情が読み取りにくい。ギルフォードは気怠そうに息を吐く。面倒くさそうだ。
諫早さんの「帰るぞ」の声に極東支部へ帰還の途につく。
足を数歩進めて、止まる。後ろを振り返ると、美夕としーちゅが遠くを見つめていた。何を見ているのだろか。気になって俺も倣って眼を向ける。
高層ビルが林立していただろうこの場所は廃都と化していた。アスファルトは割れ、隆起や陥没で舗装された道路ではなくなり、地層や闇を晒していた。信号機や標識は錆びて朽ち、沈黙に沈んでいた。骨組みだけとなった車や自転車が転がる。
ビル群は瓦礫の山々に姿を変え、崩れたコンクリートの破片からは鉄骨や鉄筋が剥き出しとなり、錆が覆う。その上をさらに草花が姿を隠すように生い茂っていた。
寂しい景色なのに緑があるだけで、どこか神秘的にも見えてしまう。
「くしゅん」と美夕がくしゃみをした。顔を左右に振り、全身を震わす。可愛い……。
鼻を鳴らした美夕は振り返り、長い尻尾を揺らして歩き出す。数メートル先にはユエラウが待っていた。ユエラウの元へまで行くと嬉しそうに尾を振る。ユエラウも嬉しそうに美夕の頭を撫で、赤い首輪にリードを繋ぐ。
俺の左足に重みを感じ視線を下げると、しーちゅの両前脚が乗っていた。「みぃー、みぃー」と鳴いて抱っこを要求している。
「畏まりました、お嬢様」
しーちゅの脇から両手を差し入れて抱き上げる。腕の中に落ちないように抱える。喉を撫でるとゴロゴロと気持ちよさそうに音を鳴らす。可愛い。
歩みを再会してみんなの後ろ姿を追う。談笑しながら歩くみんなの姿が微笑ましいと同時に、心の奥底でちりっと痛みが走った。俺はその痛みを無視して、何もなかったように自身を偽った。
******
メディカルチェックを終え、自室に帰り、小型端末で報告書を諫早さんに提出。諫早さんから『OK』とメッセージが届いたのを確認。報告書の内容は問題なかったようだ。
その後、赫怒のマリが俺の部屋に怒鳴り込んできた。怒っているのは俺に対してではなく、ギルフォードに対してだ。諫早さんからギルフォードの報告書を手伝うようにとメッセージがきて仕方なくギルフォードの部屋に行ったら、本人は寝ていたらしい……。
ブレないギルフォードが凄い。
マリを宥めながらギルの部屋へ向かい、面倒くさがるギルにマリの叱咤がとぶ。マリを宥めギルにこれ以上マリを怒らせないようお願いする。
諦めの重い溜息を吐いたギルフォードは渋々報告書の作成を始める。俺とマリは三人掛けの応接椅子に座って監視の態勢。ギルを見据えるマリの目が据わっていて、怖い。
数時間後、報告書を提出したギルフォードの元に諫早さんから『OK』のメッセージが届いたことを確認するところまで監視を付き合わさ……、じゃなくって、一緒に頑張った俺の腹が地鳴りのように響いた。
「相変わらず、すごい音ね」
「三食しっかり食べるようになってから、腹の催促が凄くて……」
恥ずかしさを笑って誤魔化す。
「健康ってこと?」
「たぶん、違うと思う」
小首を傾げるギルフォードに、一応違うことを伝える。
部屋の時計を見ると、文字盤の短い針は数字の『七』を指し示していた。腹時計の正確さが上がってきているような気がする。催促するように腹がまた鳴った。
マリが噴き出す。「また鳴った」と声を出して笑う。恥ずかし過ぎて顔と耳が熱い。
「夕飯、食べに行こ?」
笑いすぎて朝日のような大きい瞳が涙で濡れていた。無邪気に頬を赤くして笑うマリは可愛い。その笑顔につられて、ギルフォードの口元にも笑みがあった。
三人で食堂に向かおうとギルフォードの部屋を出たら、サイの部屋の前でソワソワしているカイルがいた。
「何、変態?」
「違うッ!」
嫌悪感で顔を歪めたマリの軽蔑の視線にカイルが噛みつく。
「お前はすぐそうやって人を変態扱いすんなっ!」
「お前って言うなチビ」
犬猿。いや、虎とチワワが睨み合っているようだ。舌戦が開始される。
マリのチビ発言に俺も一撃を受けていた。吐血しそうです。刺さった言葉の矢を抜いて平静を保とうとしている俺の様子を、ギルがじっと見ていた。
鮮血色の瞳を持つ者同士が出会う。蜂蜜色の長い睫毛に切れ長の目が俺を見据える。何を言いたいのか分からず、とりあえず笑っておこう。ギルフォードの首が右に傾き、赤い瞳には不思議なものを見るような色があった。
ギルの褐色の右手が俺の頭に置かれ、頭を撫でられた。…………何故っ!?
「あの、何かありましたか?」
扉が開き、部屋の主が姿を現わす。部屋の前に騒いでいたら何かあったのかと心配になるのは当然だ。無表情のサイとその隣の部屋のティリエラも部屋から顔を覗かせていた。顔には心配の成分があった。
「ごめんなさい。カイルがうるさくして」
「おいっ!?」
俺だけじゃないだろうとカイルが吠えるが無視してマリは話を続ける。
「サイとティラ夕飯まだ? 一緒に行かない?」
「俺がさそ……おうと……」
「いつもありがとうございます。ご一緒します」
「はい、行きます!」
ティリエラの緑の瞳が嬉しさに輝く。無表情のサイもどことなく嬉しそうだ。
そうなるとユエラウも誘いたくなる。急いでユエラウの部屋に向かい声をかけると「またいいのですか? またもいいのですか!?」と氷雪の瞳を燦然と輝かせて喜ぶユエラウは誘いがいがある。
結局全員で、いつものメンバーで食堂に向かって、夕飯を食べながら他愛のない会話をして、文句を言って怒ったり、笑い合ったりして、毎回俺の食べる量に驚いて呆れて、変わらない時間が過ぎていく。
心地良い時間。大切な時間。守りたい時間が俺の中で増えていく。
それが怖いとも思ってしまう。
******
目が覚めて寝台から出る。時間を確認すると、短い針は『一』を指し示していた。
溜息が漏れる。また三時間で起きてしまった。長年染みついた体内時間の感覚はそう簡単には変えられない。そして目線は窓、というより紗幕に向く。紗幕の存在をまた忘れていたことに、また溜息が漏れる。俺は一生紗幕を閉められないのではないかと思う。
窓からは人工灯の光が差し込み、暗い部屋を淡く照らす。夜中であろうとも灯火が消えることはない。それは何処の支部でも同じだろう。囚俘にここに人がいると教えることになるが、闇の潜む囚俘から身を守るために必要なことだ。
長く伸ばした髪を簡単に後ろで縛って、寝衣にしているジャージとTシャツの上からパーカーを羽織り袖に腕を通す。靴は戦闘用の長靴しか持ってないのでそれを履いて部屋を出る。
自動昇降機から降りて、四階の食堂に歩を進める。
食堂に入ると深夜とは思えないほど賑わっていた。食事をしながら刀使いが、任務や囚俘のことについて議論を交わしていたり、口論に発展したりと言葉が飛び交っていた。日勤部の刀使いもいるが、夜勤部の刀使いの人たちが多くいる。
夜勤部の刀使いは夜行性の動物のように特に夜目が利く人たちで班が組まれている。任務前の軽いブリーフィングや、任務終わりの休憩で集まっているのだろう。
邪魔にならないように急いで食堂の受付でホットミルクを頼む。
あの日、諫早さんからホットミルクを貰ってから、飲むのが日課になっていた。
受け取り口で白い陶器のマグカップを受け取る。乳白色の液体から湯気が上がる。甘い匂いが鼻をくすぐる。マグカップを持ってカフェテリアのテラスに向かう。
テラスに出る扉を開け閉めると喧騒が遠ざかる。静寂の夜より人工灯の光に包まれ、人の気配を感じられる方が落ち着くから有り難い。
マグカップを両手で包み、息を吹きかけ少し冷ます。口に含み嚥下する。甘く温かいミルクが喉を通り、胃に熱が広がる。
美味しい。
テラス席の奥に人の気配。視線を向けると、テラスの白いフェンスに白皙の手を置いて、夜空を見上げていた。夜風に流れる金糸の長い髪が天の川のように見える。夜空を見上げる横顔には感情がなかった。白いワンピースを着た人形のようだった。
「ティラ?」
声をかけると、ゆっくりとこちらに呆けた顔を向ける。翡翠の瞳が俺を捉えると、大きな瞳をさらに大きくして驚きの顔となる。
「こんな時間にどうしたの!?」
「いや、それはこっちの台詞というか……」
「あ…………」
苦笑いを浮かべる俺に、ティリエラも気まずそうに笑う。笑っていた顔が強張って伏せられる。小さな溜息が聞こえた。
「もしかして目が冴えちゃったとか?」
「え……?」
「俺も変な時間に目が覚めちゃってさ。だから眠くないんだよね」
嘘。大嘘。俺のこともそうだけど、ティリエラの様子がおかしいのも見て分かる。だから嘘でいい。言いたくないことを無理に訊く必要も言う必要もない。
俺の言葉の意味を察したティリエラの細い顎が上下に動く。
「そうだ、ちょっと待ってて」
「う、うん?」
急いで食堂に戻り、もう一杯のホットミルクを頼む。受け取り口で待っていると、調理係の女性が「温めなおすかい?」と声をかけてくれた。その優しさに甘え、お願いした。
白いマグカップと淡い緑色のマグカップを持って、ティリエラの元へと急ぎ足を動かす。
テラスの扉を開けてティリエラが待っていた。不思議そうな顔で俺を見ているティリエラに淡い緑色のマグカップを渡す。
マグカップを両手で包み込むように受け取ったティリエラが、湯気が上がるマグカップの中を覗く。
「ホットミルク?」
「うん。極東に来た初日に今日みたいに目が冴えて眠れなくって。テラスにいたら諫早さんに会ってホットミルクを貰ったんだ。気持ちが落ち着くのと睡眠を促してくれるんだって」
「そうなんだ。ありがとう」
ティリエラの唇がマグカップに触れて、一口飲んで「温かくて、美味しい……」とつぶやいた。
遠く聞こえる喧騒。少し湿気を帯びた夜風が、俺とティリエラの肌と服に触れ間を抜けていく。
二人の間には静寂があった。
ホットミルクを飲みながら俺は夜空を見上げる。照明や外灯、窓から漏れる灯が雲に反射して夜でも明るい極東の空は星があまり見えない。はっきり見えるのは光の強い一等星や二等星くらいだろうか。
「リュウは優しいね……」
ティリエラも俺と同じように夜空を見上げていた。翡翠の双眸は夜空を見つめたまま動かない。夜空を見上げるティリエラの横顔には不安と悲しみが入り混じっていた。俺は黙ってティリエラを見つめる。
「ズルイくらい優しい。お兄様みたい」
「お兄さんがいるんだ」
「うん。とっても優しいお兄様。お兄様だけが私の味方だった……」
ポツリとつぶやいて、また静寂が訪れる。遠く聞こえていた喧騒も、いつの間にかさざ波のようになっていた。ホットミルクも飲み終わり、熱が残るマグカップだけとなっていた。
「極東の空も気候も慣れるのかな?」
緑の瞳が俺を見据える。
「どうだろう。気候はまだ分からないけど、空は大丈夫だよ」
「どうして?」
俺を見据える宝石のような緑の瞳には疑問と怒りが孕んでいた。
「見える星は違っても、太陽と月だけは同じだから。空は区切れない。どこまでも繋がっていて変わらない。だから何処にいても同じ空の下だと思えるからだよ」
「詩人のようなことを言うんだね。リュウは意外にロマンチスト?」
指摘されて急に恥ずかしくなり、顔を背けた。体温が急激に上昇する。顔が熱い。ホットミルクを飲んだからだと自分に言いきかせる。
ティリエラの声を押し殺した笑声が聞こえた。薄い肩を震わせている。ずっと暗かったティリエラが笑ってくれたことに安堵した。
「笑ってごめんなさい。でもなんか、うん……。よかった……」
「そっか……」
良かったと思う。やっぱりティリエラには笑っていて欲しい。
「あの、一つだけ聞いていいかな?」
そこには真剣な眼差しがあった。顎を引いてうなずいてみせると、ティリエラが笑う。恐怖と不安を隠した顔で笑う。
「私が、刀使いになりたくないって言ったらどうする?」
「ならなくていいよ」
俺の即答にティリエラが絶句して戸惑う。
「で、でも、核がある人は刀使いとして戦わなくっちゃいけない義務なのに?」
「人には向き不向きがあるから。たとえ強制とはいえ……」
俺は淡々と述べていく。これはしょうがないことだ。<核>がある人間しか囚俘を倒せない。<核>のある人間しか守れない。そんな世界になってしまったんだ。
「自分の気持ちを偽ってまでなることはないよ」
俺は笑ってみせる。ティリエラが安心できるよう優しく笑ってみせる。
ティリエラの大きな瞳がさらに大きくなって潤んで輝く。今にもダムが決壊して泣きそうになるのを、堪えて顔が歪む。
「でも、それを許してくれない。家族も刀使いの人たちも、核がない人たちもっ」
両手を強く握り、拳が身体が震える。苦痛に歪んだ顔は蒼白となり、薔薇色の可憐な唇は色を失う。
「価値のないゴミを見るような、あの蔑んだ目に、私は耐えられないっ!」
ティリエラの叫びが本音を吐露する。
ずっと独りで悩んで、耐えていたのだろう。誰にだって嫌なことはある。<核>があったとしても、そこに使命感があるかは別だ。なりたくてもなれない人がいるなら、なりたくない人だっている。それを我儘だというのは酷なことだと思う。
でも世間はそれを許してはくれない。ティリエラの叫びは苦しみは、そんな人たちからの悪意に満ちた視線や言葉だ。きっと西支部にいた時からその視線に言葉に耐えていたのだろう。それは極東に来てからも変わらず彼女につきまとっている。
<死核者>と言われたユエラウのことを思い出し、怒りがこみ上げる。
「俺にどこまでできるか分からない。けど……」
無責任なことは言えない。それでも言葉にしたい想いがある。
「君を守りたい」
「あ……」
翡翠の瞳から涙が一筋頬に伝う。一度決壊して流れた涙は滂沱と流れた。華奢な身体を震わせ、声を上げて泣き崩れるティリエラの背を、幼子をあやすように寄り添って優しく撫でる。泣き止むまで落ち着くまで、優しく撫で続ける。
大切に想う人たちを俺は守りたい……。
******
一頻り泣いたティリエラが落ち着きを取り戻し、ゆっくりと呼吸を繰り返す。涙で濡れた頬を衣服の裾で拭いていく。こういう時にハンカチやハンドタオルを持っていないことを後悔する。
「ごめんなさい。こんなに泣くとはおもわなかった……」
恥ずかしそうに、赤くなった鼻を袖で隠して笑う。
「年下で頼りないかもだけど、話して楽になるなら話を聞くし、怖いなら怖くなくなるまで傍にいる」
「そ、それって……。リュウは私のこと……」
「大切だよ」
俺の言葉に頬を紅潮させて戸惑う。戸惑いながらも言葉を大事そうに両手で包み込んで胸に抱きしめた。口元には笑みがあった。
「ありがとう。嬉しい」
ようやくいつもの花のような笑顔を見せてくれた。それだけで俺も嬉しい。
「今日は本当にありがとう。リュウと話せて良かった……」
「俺で良ければ、いつでもいいよ」
二人で笑い合う。
「最後にもう一つだけいいかな?」
「うん」
「リュウは極東送りって言葉、知ってる?」
首を左右に振ると「そっか……」と小さく弱い声がつぶやた。俺の頭の上に疑問符が浮かぶ。そんな俺に気にしないでと笑いかけるティリエラは、両手を上に上げて背伸びをした。
「いっぱい泣いて疲れちゃったから、これからよく眠れるかも」
「寝坊しないようにね」
「寝坊したら起こしにきてよ」
肩を竦めて戯けて見せる。元気な姿を見せようとしてくれているのが分かる。俺はそれに乗っておく。掘り返すのは良くないだろう。
淡い緑色のマグカップを受け取り、先に部屋に戻るティリエラの背を見送る。金糸の髪を靡かせ振り返ったティリエラが手を振る。俺も右手を振り返す。
ティリエラがまた笑う。嬉しそうに笑っていた。
小さな背が自動昇降機広間へと消えていくのを確認してから、俺は食堂にマグカップを返しに行った。食堂にいた刀使いのほとんどがいなくって食器を洗う音だけが響いていた。お礼を言ってマグカップを返還して、俺も自室に戻る。
これから朝まで時間は長い。部屋にある小型端末を起動して、ウルドに教えてもらった動画サイトを開く。そしてオススメされた六人グループのゲーム実況動画を見る。協力ゲームだったり、対戦ゲームだったり、色んなゲームがあって楽しい。
多くのゲームは失われてしまったけど、こうやって動画で保存されて残っている。ノルン三姉妹が残してくれたものだ。娯楽も必要だと超スーパーハイスペックAIが判断力して残したと自慢げに言っていたことを思い出して、笑ってしまう。ゲーム自体のデータは残せなかったのかと聞いたら、あることはあるそうだけど、大人の事情というものがあるらしい。
今日は何を見ようかと迷う指が止まる。
ティリエラはちゃんと眠れているだろうか。朝も笑って挨拶してくれるだろうか。
自然と目がティリエラの部屋の方を向く。左手が胸元にある二つの銀輪を服の上から掴んでいた。
守る。次こそは守る。俺にとってもう八班のみんなは大切な人たちになったんだ。
全てを失って、ただ縋っているだけかもしれない。
マリもカイルも、ギルもサイも、ティラもユエも、美夕としーちゅも、周さんに諫早さん。みんな優しい。こんな俺に優しいんだ。
だからどんなことをしても守る。たとえ<核>に喰われようとも……。
夜の帳が深まり闇に染めようと手を伸ばす。その闇を切り裂くように極東支部は光を放ち続ける。




