秘密の美由紀ちゃん
「うっかりしてたわ。化粧品買うのを忘れてた」
ある休日、朝起きたら、おかんのそんな独り言が聞こえた。その声の元をたどっておかんのところに行くと、洗面所に辿り着いた。
しかしそこにいたのは、俺が普段知っているおかんとはまるで異なる、とてつもなく子供っぽい顔立ちの女だった。
「おはようおかん。なっとしたん?朝から騒いで」
本当におかんだよな?と思いながら、俺はそう言った。
「やだ、晴男にすっぴん見られるなんて」
おかんはそう動揺していた。言われてみれば、俺が知っているおかんは、いつも厚化粧をしている。
「何で息子の俺にすっぴんを見られるのが嫌なんさ?」
おかんの様子が不自然で仕方がない俺は、正直にそう聞いた。だって、見られて恥ずかしいだろうなと思うようなブスではなかったから。
「うるさいわね!勝手に洗面所に来て何言ってるのよ!」
「だって、おかんの声がよく聞こえたから気になって」なんて言ったら、余計こじれるだろうと思った。
ところで、おとんはおかんのすっぴんを知ったうえで結婚したんだよな?という素朴な疑問を抱いてしまった。
「晴男、買い物に行くわよ」
その後、俺は買い物に連れて行かれることになった。
「何で俺も行かなあかんの?」
俺は、おかんと買い物に行くのは好きではなかったので、そう抵抗してしまった。
「だってあんた、最近靴下に穴開いたでしょ。どうせならあんたの好きなのを買ってあげたいから、一緒に来なさい」
「はい」
結局、おかんの買い物の一番の目的は化粧品だろうなんて思いながら、二人で出かけることになった。
店に到着しておかんは、真っ先に俺を靴下の売り場に連れて行った。
「俺は自分が欲しい靴下を見とくから、おかんは化粧品でも見に行けば?」
「何よ。アタシと一緒に買い物するのが嫌なの?」
はいそうですとは言えなかったが、まさにその通りだった。小学校4年生にもなると、親と一緒というのが嫌になってくるのだ。
「あんた、そんなこと言って、この前迷子になって、お互い探すのに苦労したじゃない」
おかんにそう言われて、むかっとしてしまった。事実なので、言い返せない。
「あれ、晴男やん」
その時、貴雄にそう声を掛けられた。おかんと居るところを見られるなんて、なんだか嫌だ。
「あれ?晴男って、姉ちゃんおったっけ」
貴雄にそう言われて、一瞬言葉を失った。おかんは、化粧品を切らしたと言って、すっぴんのままだった。
「姉ちゃん?いや、おかんやけど?」
そう話すと貴雄は、
「うそ、母ちゃんやったんや。かわええな」
と言って驚いていた。
するとおかんは、俺にしか聞こえないようにひそひそと
「ちょっと今から化粧品を買ってくるからここで待ってなさい」
と言って、その場から離れてしまった。
取り残された貴雄と俺は、きょとんとしながらつっ立った。
「あれ、何やったん?なんか、ごめん」
貴雄にそう言われた。
「いや、お前が気にすることやない。俺のおかん、変なとこあるから」
「そうなんや。じゃあ、またな」
貴雄はそう言って、この日は別れた。
結果として俺は、望み通り一人になった。おかんがいつ戻ってくるかわからないが、今のうちに好きな靴下を選んでおこう。
そう思って、一人で売り場をまわって欲しい靴下を選んで行った。さあこれでいいかと思っても、おかんはまだ戻ってこない。でも、ここで待ってろと言われたなと、ふて腐れてしまった。
「お待たせ。遅くなってごめんね」
そう言って戻ってきたおかんは、俺が知っている厚化粧した顔だったので、おかしなことにほっとしてしまった。
「靴下はとっくに選んだで」
「そんなに待たせちゃったのね」
おかんはそう言って、すぐに会計に並んだ。
「おとんって、おかんのすっぴんをよう見たりすんの?」
空手教室の帰りでおとんと二人きりのときに、そう聞いた。
「なしてそっだらこと聞ぐんだ?」
逆に、おとんにそう聞かれてしまった。
「いや、この前俺にすっぴんを見られたってえらい動揺しとったからさ」
「そうかもしれねな。母さんのすっぴんをよぐ知ってんのは、おらぐれえかもしれね」
あとは、俺以外のおかんの身内と幼馴染みくらいか?
「おとんは、おかんのすっぴんを見ることがあるんや?」
「そだな」
おかんは、おとんには自分の本当の顔を見せられるのに、俺には見せられないのか?
「何でおかんはいつも厚化粧しとるんやろ?」
「なしてだろな。すっぴんでタバコどご買いに行ったら、未成年と間違えられたって言っでたことさあったべ」
それがトラウマになったのか?
「ところでおかんって何歳なん?」
「何歳だったかなー?」
おとんは、わざととぼけているのだろうか。というのも、去年のおかんの誕生日におとんが
「誕生日おめでとう。今日でにじゅう―」
と言いかけたのを、おかんが口を押さえて黙らせていたことを思い出したのだ。かと言って、おかんが自分の年齢を口にすることもなかったのだ。
どうしておかんは息子である俺にもこんなに秘密にしたいことがあるのだろう?と何だかすっきりしない気分でいる。でも、おとんは俺よりおかんのことを知っているのだよな?と思うと、その違いは何なんだと、余計腑に落ちなくなる。
「おとんって今、33歳やったよな?」
「そうだべ」
おとんの年齢は知っているのだ。老けているわけでもないから、実際にその年齢だと思う。女性の方が、年齢を気にするって言うけど。
「自分の年齢は覚えとんのに、おかんの年齢は忘れたん?」
おとんにそう突っ込んだ。
「大人になると、そんなもんだべ」
「ふーん」
そう言いながら俺は、やっぱりすっきりしない気分のままでいた。いつか、そこらへんのことが全てわかる日が来るのだろか。