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あとがき(日本語版へのまえがき)

 長い年月がかかりましたが、ようやく大好きなアクセルさんの自伝を世に送ることができました。「翻訳とはていねいな読書である」と、著名な翻訳家である知人の中村妙子さんが書いておられます。まさにそのとおりで、この本をいちばん楽しく読んだのは、もちろん訳者であるこの私です。長い物語にお付き合いくださったみなさま、ほんとうにありがとうございました。天国のバートさん、ジョーンさん、そしてイギリスにおられるロデリックさん、喜んでいただけるとうれしいです。

   日本語版へのまえがき


 日本語版へのまえがきは、鳥の保護区域の改良事業から退職した後に私が感じたことをまとめてほしいという注文だった。私は当初から、鳥そのものの保護と同様に、鳥が好きな人間も重要な存在であり、大切に扱うべきものと信じでいる。このことが承認されるようになったというのは、もっともうれしいことであった。

 自然はあるがままに、という格言は、この干渉の多い現代社会の中では、もはや成立しなくなっている。あるがままに放置しておくだけでは、本来あるべき自然界の姿が維持できなくなっている場合が多いのだ。発展途上国のみならず、多くの先進国においても、野生生物は安全で存続しうる生息環境の回復を求めて泣き叫んでいる。しかしながら、環境の回復のためとはいえ、資金獲得ばかりに熱を上げると、往々にして、略奪行為と非難されがちである。環境を復元するためには、なにも巨額の資金が必要なわけではないということを、この本で示したいと思う。見ることは信ずることである。よい仕事をしているのを見てもらえば、支援も得られるというものだ。

 ささやかなスタートから成功が導かれるという意味の慣用表現は、多くの国の言語の中に存在している。英語では「ボロ服から金持ちに」と言う。この言葉を使う時は、暖かい共感をこめる場合が多い。

 イギリス鳥類保護協会(RSPB)の発展物語は、まさにこうした成功への道のりであった。第二次世界大戦の直後、会は貧しくーなにもボロ服を着ていたわけではないがー無名に近い存在だった。しかし、現在ではヨーロッパでもっとも裕福で、かつ重大な影響力を持つ自然保護団体として、急激な成長をとげている。RSPBの成長は、現代社会の歴史の一端でもあった。こわれやすい自然環境に対する不安がいやが上にも高まるとともに、会の重要性も増大して行った。テレビによる野生生物の番組がこうした傾向をさらに刺激し、鳥の番組が多かったことも、会にとって助けとなった。

 野生の鳥とは、いわば聖なる象徴である。鳥たちの繁栄は、われらが生態系の健康状態を示すシンボルとなった。誰もが鳥を愛した。鳥は美しく、季節によって渡来または渡去することも興味をひき、楽しみになった。鳥は他の野生動物にくらべて見るのが楽で、町なかでもいなかでも、いつでも目にすることができる。どれかの種類が減少すればすぐわかり、関心をひいた。人類が自然環境に与えた害にたいする罪悪感が芽生え、罪の意識をやわらげるために、世界中の何百万人もの人々が、環境保護団体に会費を払って会員になっている。鳥の保護区を作ったり、維持したりするための作業を無償で手伝い、よい結果が得られることのみを報酬として満足している人々も少なくない。

 あらゆる会員は、自分たちが支払ったお金が賢明に用いられていることを見届けることができてしかるべきである。したがって、自然保護とは、実際に行われるだけでなく、なされたことを見せる必要がある。いわばショーケースとしての最初の保護区なしには、RSPBが今日のようにすみやかにお金持ちになることは不可能だった。こうした保護区こそ、サフォークの海岸に位置するミンズメアだった。そして、鳥のためばかりか、利用者のための施設でもあるミンズメアの発展は、無償で働いてくれた人々の手助けなしには成功しなかっただろうし、人に見てもらうこともできなかった。

 成功は、更なる成功を生むものだ。VIPの方々からの支援は、応援の中でも最大のものになった。王室関係者の中でもミンズメアをたいへん気に入ってくださったのは、地域在住のサー・エリックとレディ・ペンのお二方だった。サー・エリックはシャンバーレイン卿として女王陛下の家政担当の会計検査官をつとめておられた。

 この方々を通じて、エディンバラ公がミンズメアの視察に来られた。そして、RSPBのパトロンであるエリザベス女王陛下も、鳥の保護区というものを初めて訪問された。ロイヤル・ファミリーの他の方々も来られた。こうしたご来訪はプライベートなもので、マスコミはいっさい介在しなかったにもかかわらず、ニュースは広まった。テレビは番組を作り、新聞社も自然に保護についての記事を掲載し、世界が注目するようになった。その時から、RSPBは自らの足で立ち上がり、走りはじめた。そして、足場を失うことはなかったのである。

 二〇世紀のような激動の世紀は、これまでに存在しなかった。野生生物を積極的に守って行く活動がどうしても必要となっていることが理解され、急速に広まった。私が自伝を書くように依頼されたのは、この歴史的な時代をつぶさに見てきたことのためだった。これは、幼い少年のころ、野鳥の卵の熱心なコレクターであり、喜んで食べてもいた時代にさかのぼる。このころは、イギリス人が一方ではペットとしての動物愛護にきちがいじみたほどに熱心であったにもかかわらず、世界でも最悪の鳥ごろしの国でもあったという時代でもあった。鳥のいくらかは食料とされたが、大部分は単なる楽しみのために殺されていた。しかし、現在では、我々イギリス人は、おそらく世界でももっとも鳥の保護に熱心な国民となっている。

 この自伝の中の逸話は、私と鳥との生涯にわたる関係の現実的な背景を示している。読者は時として、行間に「手仕事への誇り」や「仕事の充足感」を読みとられるかもしれない。何かを作り上げようという時には、仕事の大部分は自己の経験と、好意的な多くの手助けによって進められる。それなしには成功は導き得ないものだ。成功があってこそ、おおいに意気が上がり、ものごとを進める勇気が得られるものである。

 世界的な視野からすれば、一つがいのソリハシセイタカシギが繁殖したということなど、ほんとうに取るに足らないできごとである。しかし、ミンズメアの非生産的な陸地に作り上げたスクレイプー水鳥の繁殖のための特別な環境―でソリハシセイタカシギが繁殖したということは、母なる自然が我々の新しく急進的な仕事に対して賛意を表してくれたという、実に大きな応援であった。ピューリタンであれば、自己満足は決してほめられたものではないと言うであろう。しかし、これこそ善なることをなしとげる原動力ではないだろうか。

 よいことをした、という私の最初の実体験は、少年時代に卵収集をやめたことである。間違ったことだと自覚したためだ。もっと鮮明な記憶としては、四〇年間続けていたタバコをやめたことがある。喫煙は有害だ、と医学がはっきり言っており、やめることは特につらくはなかった。私はいたって現実的な見方をするたちではあるが、正しいことをした、という感覚のぬくもりは必要なものだと思う。少なくとも、このように感じる人間は正直だ。バンコクの飼い鳥市場では、天国への道を贖うために小鳥を買って放してやる人たちがいるが、これこそ偽善である。小鳥たちはその人々に売るために、わざわざ捕らえられ、閉じ込められているのだから。

 人生における幸運は、みずから切り開くものだと言われる。たぶんーいずれにせよー田園地帯に生まれ、子供たちが自分の手で遊びをつくり出す時代に生をうけたことは、幸運なことだった。巣さがしを続けていた年月は、鳥に対する強い感情を育み、鳥がどこで、どのように生活しているかという、まさに草の根そのものの知識を育ててくれた。RSPBが一九五二年に、徒手とはいえ、自由な保護区管理・環境改善の機会を与えてくれた時、私は鳥の助けになるにはどのようにすればよいかという考えを既に持っていた。

 これには、大々的な経費が必要というわけではなかった。なにしろ、会の年間予算がわずか八千ポンドという時代である(現在;訳注・一九九五年当時では三千三百万ポンドになっている)。この、まったく新しい産業をおこすにあたっては、参考にすべき先例も、モデルも、文献すらなかった。この事業の中には、バードウォッチャーの要求にこたえる必要性も含まれると、私は心得ていた。当時は鳥の保護区というものはごくわずかしか存在せず、「鳥のために保護された場所」を訪れるバードウォッチャーもそれほど多くなかった。

 「鳥のために保護された場所」とは、RSPBが制作したミンズメアの映画のタイトルであった。一九五九年のはじめ、この場所に引っ越して、スクレイプの造成を始めた時に作られた映画である。ミンズメアはRSPBにとって二番目に重要な保護の対象で、スクレイプは人工的に造成された初めてのものだった。スクレイプ全体はわずか十六ヘクタールしかなかったが、そこにいる鳥は、すべて、多くの人々が見ることができるようになっていた。我々には一般の支援を獲得する必要があった。いわば、娯楽産業の一端となる必要があることを我々は心得ていた。

 当初、RSPBの委員会のメンバーの中には、多くの一般市民が保護区を訪れるという考え方に怖気をふるった人も少なくなかった。しかし、世界には人類が満ちあふれ、地球の表面にとりかえしがつかないほどの損害を与えるに至っている。人々は食料、衣服、そして娯楽を必要としている。

 何年か前、当時はまだソビエト連邦の一部であったウズベキスタンの巨大な集団農場を見せてもらったことがある。農場の管理者に、いちばん大きな問題は何かと質問すると、「養う口が多すぎることですよ。」とこの人は答えた。「子供を十二人もうけた女性は、母親英雄(ヒーロー・マザー)と呼ばれてメダルをもらいます。でも、家族がメダルを食べるわけにはいきませんから」「避妊対策(バース・コントロール)はどうなのですか」と私はたずねた。そう、まさに彼の共同体はそのことを話し合い、モスクワに文書を送ろうと考えているところだった。

 現代社会において、自然の保護区を作って行こうとするなら、感傷主義には重々気をつけなくてはならない。テレビの画面を通じてだけにしても、自然界のバランスというものを人間が破壊してしまったという漠然とした概念は、知識としてひろまっている。しかし、このバランスとは、自然が「爪と歯を血に染めて」はじめて保ちうるということ、そして他のものの犠牲なしに生存できるものは存在しないということを学ぶのは、多くの人々にとっては、狼狽の極みというものである。

 人類は科学技術をやみくもに使用し、肉食獣を多くの国々へ新たに持ち込んで、優占的な地位を占めさせた。このため、あらゆるところで、適応力の高い動物のみがはびこり、特有の生息環境を必要とする生物が犠牲になるような状態が作り出されている。

 家庭におけるテレビの小さな魔法のスクリーンは、自然へと目をひき、関心を高める働きをする一方で、感傷主義を導き入れる手助けをした。たとえば、アカギツネはかつてないほどおびただしく増加している。キツネは人の目にはたいへん美しい生きもので、いうなれば、ディズニーランドの世界での栄光をかちとり、多くの庇護者を得てはびこるようになった。

 ああ、キツネこそは、深刻な被害をもたらす自然界で最悪の殺し屋である。地上性の鳥にとっては最大の脅威であり、しかも、コントロールの外にあるのだ。安全な生息環境を作ろうとしている私の仕事を妨害してきた様々な存在ー机上科学者、卵収集家、かんばつ、洪水、火災等々のあらゆるものの中でも、キツネこそ私にとっては最悪のものである。鳥の保護区の背景を支えて働く人々は、キツネに対して、いっさい同情してはならないことを学ぶ必要がある。むろん、他の人々も同様である。

 イギリス中部に位置するラトランド・ウォーターで開催された国際鳥類フェアでこの本が発売された時、私はすぐ近くにある友人の農場に滞在していた。ここは、子供たちの団体が馴れた家畜と間近に接することができるように運営されていた。夕食のあとで、彼らは芝生に出してやった食物を食べにやってくるご自慢のキツネを見せてくれた。何日かたった後、電話がかかってきた。一羽三〇〇ポンドも出して購入したばかりの貴重な雁を、このハンサムな獣たちが三羽ともぜんぶ殺してしまったのだった。

 湿地の自然保護区の発展計画を考えている人々すべてに対して、感傷主義に気をつけろ、と私は言いたい。野生の中には存在しないものだからだ。自然界の構成要素が自由に取捨できるということは、ありがたいことであるが、およそやっかいな扱いにくいものでもある。生息環境に手を加えて管理して行くことは、正確な指標に従ってできるわけではない。それに甘んじなくてはならない。はじめから問題なしにできるというわけではないのだ。臨機応変に、その場に応じて計画を修正しながら作り上げて行くことになる。

 環境改善に携わる方々すべてに幸運を祈る。よいことをした、という実感が得られるはずだ。背中の痛みは別として、おおいに仕事を楽しみ、喜びを味わうことになるだろう。

 それこそまさに、私がやってきたことであった。




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