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第十三章 はるかな東 遠い西   4 マカオ  5 ハワイ  

   4 マカオ


 香港にいる友人が、時間を都合して案内してくれたのは、願ってもないチャンスであった。未知の発見が山のようにあって、十分に時間をとらなかったのはつくづく情けなかった。いずれにせよ、団体旅行で「月曜にはベルギーです」式にぞろぞろと引き回されるよりははるかにましである。私たちはマカオで週末をすごし、中国へ短い旅をした。

 古くはポルトガルの植民地だったマカオは、一〇キロ四方の市街地で、当時はまだ高層ビルはなかった。裏通りでは、目をまん丸にしている白人グウェイロスはあまり見かけない。大通りには、ふところに金がうなっている人々のためのけばけばしい賭博場があった。香港から高速の水中翼船で、うなりを上げて珠江の河口を渡ってくる連中である。

 少々気のひけることながら、あえて言ってしまうと、ここには飾り窓につぼをいっぱい並べた小さな店がある。つぼには薬草や、口に出しては言えない動物の一部のひからびたものが入っている。中央の赤いビロードの床には、サイの角がでんと据えられてひと目をひいている。究極の興奮剤としての効果をひきたたせるためである。今では東アフリカに行っても、ごくわずかのサイしか目にできないというのは、何のふしぎもない。

 ロウ・リム・イェオクの水上庭園は、静かで装飾的な愛らしい場所であった。ここではほっそりした口ひげをはやしたマカオ人たちが、優雅な竹製の小さな鳥かごにとじこめて飼っているソウシチョウやガビチョウを連れて、よい空気を吸いにきている。刈り込まれた常緑樹の植込みは、まるで東洋美術そのものといった形をしていたが、彼らは植込みの間に集まって、低い枝に鳥かごをかけるといううまいやり方をしていた。こうした樹木は、イギリスの正式な庭園でもたいへん人気があるものだ。鳥たちは、穏やかな顔つきをした飼い主の老人たちよりも、はるかに楽しげに、にぎやかに鳴きかわしていた。

 マカオから四〇キロのところに、孫文の出身地である中山市(石岐)がある。ゴンベイの税関でチェックを受ける時は、兵士たちのグループごとに、何度も何度も書類を出させられた。兵士たちはみなとても小柄で若く見えて、少年少女が自分を大人にみせかけようとして、ひどく骨折っているような印象を受けた。ジョーンに言わせると、彼らはとてもかわいらしく見えるそうである。

 初めての中国への入国だった。ただし、ただ単に入ったというだけのことだ。私たちはものめずらしさに目をみはって、群がる自転車や、小柄でも若くは見えない女性たちが引いている大きな手押し車の列でごったがえしている通りを歩いた。

 とつぜん、ゆらゆらと下がる口ひげ、長身、外套、帽子といった、まるで昔の映画のフー・マン・チューのようないでたちの堂々たる老人と、面と向かい合っているのに気づいた。老人は、きわめて厳格に「アメリカ人?」と詰問した。

「いえ、イギリス人です」

「おお、イギリス!バー・ベリー、レイン・コート!」

 それだけであった。深々と一礼し、にっこり笑うと、彼はすっと消え失せた。そして、群衆は同じくにっこりと笑いかけて道を開けてくれた。ああ、東洋とはなんと不可解なものか。

 郵便局のカウンターの特別の一角で、バスでいっしょだった乗客が忙しくハガキを書いているのを見つけた。部屋が小さかったので、彼が大きな字で書いていることばはいやでも目に入ってしまった。「このハガキは、共産圏の赤い中国に百マイルも入ったところから、あなたのお手もとに届きます・・・・・」ああ、西洋の旅行者とはいかに理解しやすいものか。

 マカオからの八〇キロの周遊旅行では、水田、サトウキビ畑、バナナ園、アヒルを飼うため池といったところを四月なかばに通過したが、この程度の距離の旅程としては、見られた鳥の数や種類はこれまででもっとも少なかった。ほとんどは、北を指して急いでいる、イギリスと同じ種類のツバメだった。どこでもたくさんの人が畑に出て、鳥や昆虫や雑草が、人間の食料と競争できないようにするために働いていた。

  


   5 ハワイ


 アメリカ内務省の漁労野生生物局は、ハワイ島の国立火山公園での一週間をアレンジしてくれた。ヒロ空港では、ティの葉のスカートをまとったフラ娘が、プルメリアの花のレイをかけてくれたが、すてきな常夏の島の象徴とはおよそかけ離れた、この世界旅行の工程ではもっとも寒くて天気の悪い一週間になった。しかし、研修の目的からはいたってエキサイティングで有益な週だった。

 マイク・スコット博士とともに、一九五〇年に噴出されたマウナ・ロアの黒い溶岩流の間を一八〇〇メートルの高さまで登ったところで、私はハワイガン(ネネ)の小群を見た。プケアヴェの藪を歩きながら、実を食べているところだった。何羽かにはカラー・リングがついていた。見学してきたポハクロアの大きな繁殖プロジェクトから放されたものである。リングのないものもまじっていた。マークがとれてしまったのか、それとも、一度も人間に飼われたことがないものかも知れない。いずれにせよ、ここは彼らの本来の適正な生息環境であった。この鳥たちは、ごく最近まで絶滅の瀬戸際に立たされていたのだ。

 のちにRSPBのロンドンでの毎年の総会で、サー・ピーター・スコットとともに檀上に上がった時、ネネが繁殖に成功している証拠をわが目で見たと話すことができてほんとうによかった。ハワイガン(ネネ)はこの人が一九五〇年代にセバーン川で創立した水禽協会で、絶滅から救うために手を尽くした種類である。一九五〇年と一九五一年、地球を半周して、彼のもとに三羽のハワイガンが運ばれた。ふ化と育雛の独自の技術によって、水禽協会は数年のうちに四〇羽の群れを持つに至った。これは、当時野生で生存していたものよりも多い数だった。

 一九六二年、マウイ島に放鳥するために三〇羽を送ったのを皮切りに、水禽協会はハワイガンを故郷に送り返しはじめた。今日では、世界中の公園や水鳥を集めた飼育施設で、この小型のきれいな雁を見ることができる。自由に飛べる状態で飼われているものも多いが、生来人なつこい鳥で、利用者の手から餌をもらっている。潔癖な人はこうしたことに賛成しかねるだろう。しかし、ハワイガンが本来生息しているべき国では、公的な生息環境は極端に枯渇し、状態が悪化しているのだ。

 ハワイ島で、私はアメリカ内務省漁労野生生物局や他の省庁の代表者による一〇〇人ほどの会合に招待された。これは、銃猟、森林伐採(牧牛や山羊、ユーカリ植栽、サトウキビ畑、果樹園などのために行われているもの)、マングースや猫や犬といった捕食者の導入による被害状況の調査のための視察旅行の一環であった。低地では在来種の鳥は一掃され、花をつける樹木や藪など、ほとんどの植物種も同様である。一方では、導入された外国産の鳥が、競争相手が姿を消した上、自身がよく適応している生息環境で、あふれんばかりに増えていた。その上、こうした外来種の鳥は、鶏痘や鳥マラリアを持ち込んで、在来種に重大な被害をもたらしている。こうした疾病の蔓延は、運び屋である蚊の媒介による。わずかな救いは、蚊が六〇〇メートル以上の高地では生きて行けないことだった。


 一九七八年にキャプテン・クックが到着した当時、およそ一〇〇前後の島でできているハワイ諸島には、世界の他の場所には存在しない固有種の鳥が、少なくとも六九種はいた。この群島は、他の土地からたいへん離れていたので、固有種の割合が非常に高い。ダーウィンがこの群島で、特にハワイミツスイ類について進化学説を研究したとすれば、ガラパゴスよりもすぐれた時間を過ごすことができたい違いない。しかし現在では、ハワイ固有の種のうち二五種が既に絶滅し、さらに二九種の存続がきわめて危うくなっている。

 今世紀初め、レイサン島にグアノ(すぐれた肥料となる海鳥の糞の堆積)掘りがウサギを持ち込んだためにどんなことが起きたか、という話はたいへん興味深いものだった。レイサン島は、一三〇〇キロもの長さを持つハワイ群島の鎖の一つで、リーワード島嶼グループに属している。環礁と小さな火山島からなり、おびただしい海鳥のコロニーがある。

 ウサギがあらゆる生態系に及ぼすダイナミックな影響に特に興味を持つ者として、天敵がいない状態でウサギがどれほどおびただしく増加するか、そして、手に入るあらゆる植物を食べ尽くし、かさかさに乾燥した砂漠を作り出し、死滅して行くと聞いても、私はそれほど驚きはしなかった。しかし、この話の基底をなすものは、自身の財産を崩壊させている人間に対しての、自然からの重大な警告である。地上で営巣する何千羽もの鳥やそのヒナたち、巣穴をほって営巣するあらゆる種は、ウサギによって作り出された砂で窒息して死んでいる。砂はとてもくずれやすく、風に吹かれてすぐに堆積してしまうのだ。


 漁労野生生物局の絶滅危惧種コーディネーターであるジーン・クリドラーは、オアフ島で、自然保護に対する理解の欠如の深刻な例を見せてくれた。この人が何とかして対抗しようとしているものである。

「こういうことですよ」摩天楼の列の一つである高層ビルに入って行きながら、ジーンは言った。私たちは高速エレベーターで最上階まで急上昇し、赤い粘土と緑の芝生、こぎれいな小さな池を備えた平坦な土地を見下ろした。

「新しいゴルフ・コースです。ハワイにはお金持ちの旅行者があふれていて、その人たちのためのおもちゃももう十分すぎるほどできているというのに、これもその一つというわけです。去年まで、ここはホノルル最後のマングローブの沼沢地で、鳥や魚がたくさんいたところでした。」

 波がうちよせるワイキキの浜辺のすぐ内陸にあたるところで、野生生物資源の中でも最も豊かなこうした沼沢地の破壊例をさらに見せてもらった。アメリカ人が遠回しに「衛生上の埋め立て」と呼ぶもので、ホノルル市のゴミが沼沢地を埋めているところである。ひとつがいのハワイ産亜種のバンが、沼のへりに残ったガマの中で、興奮した声を上げていた。せかせかと働いている巨大なブルドーザーのすぐ前で、何百羽ものインドハッカとアマサギーひどく汚れていて見分けにくかったーが、死の危険を賭して、豊かな拾いものをかき回しては餌を漁っていた。

 ジーンの公用のステーション・ワゴンはすばらしく大きくて、ドアにはアメリカ内務省の紋章が描かれていた。パール・ハーバー海軍基地の正門をくぐる時、非の打ちどころのない制服に身をかため、一九五センチもの上背がある海軍の護衛官が、パシッとかかとを鳴らして気をつけの姿勢をとり、私たちに向かって敬礼した。基地の中にある浅い池と海岸の一部、ジーンによれば、野生生物の保護区域であり、特に非常に数が少ない「アエオ」;ハワイセイタカシギと「アラエ・ケオケオ」;アメリカオオバンのハワイ産亜種)のための生息場所を見にきたところである。

 湾の沖には、日本人によって撃沈された艦隊と一三〇〇名の乗員に対する記念碑が立てられていた。こうしたものは、どこの港でも、安全で絶好のカモメの止まり場になっていることを私はよく知っているが、この記念碑には一羽のカモメもいなかった。太平洋の真ん中にあたるこの海域は、アホウドリ類、ウミツバメ類、グンカンドリ類、カツオドリ類、アジサシ類にとってはたいへん豊かな餌場である。しかし、どの大陸からも遠く離れているので、カモメ類には都合が悪かった。ギンカモメを一羽見かけたが、オーストラリア周辺のどこか、あるいはアメリカの西から来たいくつもの種類のひとつとして、はるばるここまで来ていたのだろう。とても珍しいとのことだった。

 ダイヤモンド・ヘッドのカネオへ海軍空港で、わがホストであるジーンは、太平洋の楽園のなかでかちとったもう一ヶ所の居留地を見せてくれた。この楽園は、観光客に微笑みかけ、客を楽しませてもてなすために、土地を荒廃させる一方で、野生生物保護に対しては渋面をつくるのだ。イギリスの場合と同じく、軍はなし得るおおかたの害を上回る配慮をしてくれており、約一六〇ヘクタールにのぼる海水のまじった六ヶ所の池を、浚渫せずにとっておいてくれた。ジーンの貴重な預かりもののうちでも、最も大切な種類であるハワイセイタカシギは、浅い水面と開けた泥地で巣を作っている。繁殖期以外は、この場所で自転車競技の練習が行われているので、泥地は植物におおわれずに、開けたままにうまく保たれている。

 基地の中で、同じく安全な生活を保障されているもう一つの種類は、大きなコロニーをなして樹上で巣をつくっているアカアシカツオドリである。イギリスのシロカツオドリとごく近い種類だが、折れやすい小枝の間にいるところは、見るからに不器用なありさまだった。海岸線ではメリケンキアシシギが餌を漁っており、四八〇〇キロのかなたにあるアラスカの繁殖地からはるばる海上を渡ってきて越冬しているヒメムナグロは、基地のきれいな芝生で昆虫をとっていた。人間の兵隊は、芝生には立入禁止である。ヒロの町なかを車で通った時には、前庭の芝生にまでこうした小型の鳥たちがいて、人をこわがらないのにはびっくりしてしまった。

 ハワイにいるアメリカ漁労野生生物局の職員たちは、信念のかたい人々だった。周囲の冷淡さと戦いつつ、市の公園やレクリエーション省を説得して、わずかに残っている森林や、かつては大きかった湖を、最低限でも救おうとしていた。とりつけた約束は大きなものだが、実際に確保できた生息地はわずかである。

 他の後援対策のうちの一つとして、米国政府はたいへんお金をかけていると見受けられるたぐいの小冊子を提供していた。これによれば、リーワード島嶼グループの無人島にある保護区域の野生生物がどのように守られているか、そしてもっと大きい島に残る野生の地域が申し分のない状態で保存され、改良されているという例を挙げていた。存続を脅かされている多くの種のうちでも、ハワイアン・オオ(フサミツスイ類)のうちで生き残っている種は、ぜひとも守られるべきものであるとされている。

 とりわけ興味深い昆虫食のミツスイの一種は、「オオ・アア」という種類だった。この種のことを話すには、まさにふさわしい嘆声である。今はもう絶滅してしまっているものだ。パンフレットに書かれているとおりだったら、どんなにかよかっただろうに。

 本来のポリネシア人は、どのくらいの割合で残っているのだろうか。最近は、日本人や中国人、その他の人種が大多数を占めている。そして、ものごとは短期間しか滞在せず、責任を持たない旅行者に対するサービスという見地から決定される。

・・・・・・保護?ハワイアン・オオがもういなくなったからって、なにか私たちに影響があるのかね。別に羽毛を使うわけでもないしね。なんにせよ、もっときれいな日本のヤマガラを輸入することは、いつだってできるじゃないか!

 


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