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第十三章 はるかな東 遠い西   1 世界へのドア  2 韓国 ソウル  3 東京

日本への訪問(若き日の訳者もちょっとだけ登場)をはじめ、大洋州の島々やアジアの熱帯雨林など、ひとあじ違った旅行の数々。

 第十三章 はるかな東、遠い西


   1 世界へのドア


 鳥の生息地を保護する仕事をしていると、いざ、どこかへ旅行しようという時には、たいへんけっこうな秘策が利用できるようになる。つまり、目的地に住んでいる知人ができるということだ。初めて出かける国で、地元のエキスパートに会わせてくれたり、最高の場所をぜんぶ見せてくれることができるような人とのつながりがなかったら、旅程時間のロスはふえるし、好機に恵まれることもないというみじめな目に会うかもしれない。

 ダンジネスで仕事を始めたばかりのころから、これはもうはっきりしていた。RSPBのささやかな給料の償いに、海外からの人を含めた友達の輪がどんどん広がっていった。「もし私たちのところに来られることがあったら、あなたの仕事のことを私の仲間にもぜひ話していただきたい」とみんなが言ってくれるのだった。

 こうして、私は何か所ものすばらしい場所を訪れることができた。ヨーロッパの中ばかりではなくースペインとマルタには何度となく行ったーRSPBの仕事としてアメリカ合衆国、ニュージーランド、オーストラリア、香港などの六ヶ所ほどの土地についての提議を出した。そして、フィリピン、タイ、西マレーシア、中国、ボルネオ、そして日本にも一回か二回出かけている。

 はるかな遠い国で、ダンジネスやミンズメアで会った誰かれと思いもよらず再会するということ、それもかぞえきれないほど何度も何度も、こうした機会にめぐまれるというのは、なんという驚くべき、喜びに満ちた体験であっただろうか。

 一九七〇年代のはじめには、RSPBは今日のように広く知られてはいなかった。オーストラリアのある大学で初めて講演をした時、私はこんなふうに紹介された。「RSPCA(イギリス動物虐待防止協会)のバート・アクセル氏です。ええと、RSPBだったでしょうか?ええ、あれっ、どちらでしたかね」

 日記を読み返してみると、あらゆる国々で、数多くの人々の親切と友情に出会っている記録がよくわかる。こうした日記は、たいていは長い夜間飛行の間になぐり書きされたものだ。ホテルに泊まったのは半分ほどにしかならない。なにも、ただ飯をごちそうになったということではない。自分の割り前を応分に支払うには、おびただしい方法があるものだ。じっさい、言うなれば国際的な善意の交換とでもいうべきものが発達してきている。多くの海外の友人たちがダンジネス、ミンズメア、そしてウェスルトンでわが家に滞在し、周辺を見にいっしょに出かけている。


 私の初めての世界旅行は、一〇か国、四ヵ月にわたるもので、五〇回にのぼる飛行機での移動を含んでいた。これはチャーチル記念財団の奨励金のひとつであり、アメリカとニュージーランドの生息環境管理の研修のためのものだった。年休、奨励休暇、それにもう少し余分の休みをとって、海外における管理の研究のためにこの旅行を申し込みたいとRSPBに申し出た時、六〇歳という年齢の私は、少々年をとりすぎているのではないかと彼らは考えたようだ。しかし、申込書を送るのには何の問題もなかった。

「ヒューーーッ! 行ってらっしゃいよ」 ジョイス・グレンフェルが言った。審査はいたって厳しく、四〇〇〇通もの申し込みのうちの少数に選ばれるのはたいへん幸運なことであった。三千ポンドものお金を、私のような人間があちこちをめぐり歩くのんびりした旅行につぎこみたいなどとは、誰も思っていなかったに違いない。海外で得られた知識が活用されることが期待されているものである。

 いずれにせよ、何にもまして、私は危機にさらされている生息環境を救うために、どのようなことが行なわれているかを見てみたいと思っていた。おもにダンジネスやミンズメアで出会った人々を通じて、私は訪問すべき国を選んだ。彼らは、旅行を計画する段階から手伝ってくれていた。カナダ野生生物局のヴィクター・ソルマン博士、メリーランドのローレルにあるアメリカ内務省漁労野生生物局研究センターのエリクソン博士とチャンドラー・ロビンズ氏、世界ナンバーワンの鳥学者であるロジャー・トリー・ピーターソン、ナショナル・オーデュボン・エデュケーションのデューリア・モートン、オーデュボン・リサーチのアリグザンダー・スプラント、世界有数のバーダーであるステュアート・キース、CBSリサーチのジェイ・エライアスバーグ、フロリダ・オーデュボンのジョーとラヴィニア・ボーナク夫妻といった方々である。イギリス国内でも、旅行家であるメドウェイ卿(現在はクランブルック卿)、エリザベス・フォースター、ジェイムズ・ハンコックなどの方々が、あちこちのドアを開けてくださった。

 


   2 韓国 ソウル


 何も知らない旅行者として、付き添いがないままにすごしたわずかな旅のうちのひとつは、知っている人(ソウル)が誰もいなかった韓国のソウルでの一週間である。サン・フランシスコから香港に向かう途中に立ち寄ったのだが、韓国にはまだ行ったことがなかったので、途中で立ち寄るにはちょうどよかった。

 イギリス大使館がいっしょうけんめい調べてくれたのにもかかわらず、私たちが泊まったソウリン・ホテルから手ごろな距離で、鳥を見るのによさそうな場所を教えてくれることができる、英語を話せる鳥学者が見つからなかったのだ。大使館で紹介してもらったアメリカ人の陸軍大佐は、地元の公園がよいだろうと言ってくれた。公園にはいくつもの池や常緑樹の木立があった。けばけばしい寺院は頭上にのしかかってくるようだった。都会の中のオープンスペースでは、じっさい興味深い探鳥を楽しむことができた。もっとも、韓国のこどもたちの一群がついてきて、おもしろがって習ったばかりの英語を試してみようとするので、にぎやかさに閉口してしまった。

 十月のなかばという時期、秋の渡りはあきらかに一段落したところだった。極東の国々を既に何か所か訪問した後でもあり、ソウルで見た新しい鳥はキビタキ一種のみだった。しかし、そんなことは重要ではない。自分で見た鳥のリストに新しい種を加えるのに、ぴりぴりするようなスリルを感じなくなってから、もう長いことたっていた。ゆきずりの旅行者として、表面に触れたのみではあるが、ここは全く異なる文化の地であった。それに、アジアの東部や南東部では、どこでもイエスズメではなく、スズメばかりがいる。これはなんとなくすてきな変化だ。

 韓国は巨大なユーラシア大陸の反対側、はるか西にあるイギリスからは九六〇〇キロのかなたにあるが、動物学上の区分では同じ旧北区にあたる。東と西の両極端にあるのに、両国に共通した鳥はおよそ一二〇種にものぼる。親しみ深いサギ類、カモ類、猛禽類、シギ・チドリ類などは、よく知っている羽色のままで見られた。いくつかの種類では、西端にいる個体群の暖かい色調に比べると、もっと白っぽく、より灰色味が強い色調が発達しているのをようやく見ることができて、興味をそそられた。



   3 東京


 こうした色調変化の実例が、東京では、なんと足もとに落ちてきたものだ。世界最大の都市、東京は、無秩序に広がったほかの巨大都市と比べても、緑におおわれたオープンスペースに乏しい。しかし、明治神宮の森は壮大なものだ。静かな木陰や竹林、小さな流れなどが空気を清浄にしている。それでも、すべるように歩いてきた小柄な婦人は、風邪をうつさないように白いマスクをかけていた。すれ違う時、彼女はマスクをはずして上品に頭を下げ、にっこり微笑みかけて通り過ぎた。ああしまった!こんなていねいなあいさつにちゃんとこたえられさえしたら。

 明治神宮のオアシスのバーディングの一日、私はもう少しで、ヒヨドリとハシブトガラスに追われて夢中で飛んできたモズにぶつかるところだった。衝突からひらりとあざやかに身をかわす拍子に、モズは運んでいたシジュウカラを落としてしまった。拾い上げたシジュウカラはぴくぴくと身をひきつらせていたが、灰色と白で、ヨーロッパで多数手にしてリングをつけたシジュウカラの黄色い色はどこにもないタイプの亜種だった。

 明治神宮の水面では、オシドリは異国的な存在ではない。イギリスの湖沼では、導入されたオシドリがもう一世紀以上にわたって見られている。イギリスで目にするオシドリは、さまざまな色の羽衣をひけらかし、羽冠をなびかせ、銀杏羽を帆のようにかかげて、あまりにもけばけばしく見える。しかし、本来の生息地である明治神宮の中ではしごくまっとうな存在であり、一点の曇りもない良心をもって、見た鳥のリストにオシドリを加えることができる。 

 一九八二年四月、ジョーンと私はロビン・ロビンソン博士と奥さんのジェーンの招待で、東京に二週間滞在した。二人はイギリスで知り合ったアメリカ人の鳥友で、博士はエッソ株式会社の当時の日本代表である。ジェーンは日本で初めて発行される「フィールドガイド 日本の野鳥」の仕事で忙しく過ごしており、日本野鳥の会を運営する人々をぜんぶ知っていた。一九七六年には会員が三千名であったのが、この年には一万一千名にまで増加し、生長しつつある会である。

 東京の日本野鳥の会本部で行われた私の講演は、終わるのに三時間を要した。私の話は逐一翻訳され、テープレコーダーに記録された。これまでにこれほどたくさんの質問を受けたことはない。話し合いは、豪華な北海道料理の食事の間も続いた。招待者は日本野鳥の会事務局長の市田則孝氏、鈴木勉氏、塚本洋三氏、そして美しく装った婦人たちであった。研究部長の塚本氏は、「われわれ日本人は、あなた方の後に続いて、厳正保護の立場から、積極的な管理の段階に入りつつあります」と語った。

「ミニ・ミンズメアをご覧になって、ご指導いただけますか?」

 ミニチュア化した鳥の保護区ができるなどとは、とても信じられなかった。しかし、すぐ近郊の東京湾埋立地の沼沢地に造成された新しい大井野鳥公園に出かけてみると、実例がよくわかった。小さな保護区の中心であるべきスクレイプには、プラスチックでおおわれ、砂利をかぶせた島があったが、利用者のために作られた大理石をあしらったすばらしい建物にくらべ、明らかに重要でないものとして扱われていた。しかし、記録された鳥は一二〇種にのぼるとのことだ。何種類が繁殖していますか、とたずねると、彼らは明らかに喜んで、「六種類です」と答えた。それでも私はこの場所が気に入った。そして、もっと多くの鳥の営巣のために改良するにはどうしたらよいかを話し合った。


 日本の本土や島々には、いくつもの保護区域があるが、西欧からきたバードウォッチャーで、あまり時間がとれない場合でも、東京のまわりで面白い探鳥ができる。行徳野鳥観察舎を備えた新浜保護区はすばらしい場所だ。状態の悪化が心配されている生息環境の改善よりも、壮大な三階建ての観察用施設のほうに、はるかに経費がかけられていることは確かであるにしても、である。

 毎年六万名にのぼる利用者が無料で利用できる施設は、正面に各自が使える具合のよい座席と、少なくとも四四台の高倍率の望遠鏡が備えつけられている。外には浅瀬と干潟がひろがり、たくさんの鳥が見られた。小型シギの種類を見定めるのはおもしろかった。すぐそばの堤防に並んだカモメの中には、初めて見るウミネコもまじっており、シギよりもずっと識別がやさしかった。

 カモも見分けやすく、中にはこれ見よがしの派手な羽色をしたヨシガモもいた。アシ原からいきなり飛び出したのは、全身が暗緑色をしたほんものの野生のキジだった。しかし私にとってもっと感動的だったのは、日本語で歌っているはずのヒバリがまぎれもなくわが英国のヒバリと同じ種類、同じさえずりであったという事実である。もっとも、わが国の詩人は、誰もそれとはわからなかっただろう。

 私たちは、すぐに管理人(ワーデン)の蓮尾嘉彪・純子夫妻の暖かいもてなしを受けた。若いカップルで、この保護区に献身している人々であったが、まさか抱きしめられてキスされるとは思ってもみなかったようだ。帰りぎわには小さなおみやげをくれた。純子はクッションに座った私たちに濃い緑茶とお菓子を出して、彼らが考えている大がかりな保護区の発展計画の模型を見せてくれた。計画には、ミンズメアの本から訳したものが多いとのことである。この地域でとられた写真や描かれた絵もたくさんあった。

 

 丘陵地の森を案内してくれる若い金井氏との約束の場所にたどりつくために、ジェーンと私たち夫婦は、勇敢にも、東京の地下鉄の朝のラッシュアワーに挑戦した。のりかえ駅には、英語の表示はいっさいなかった。白手袋をはめた小柄な駅員は、思いがけない力を発揮して、乗客をプラットホームから電車の中に押し込んでくれるのだ。私の肩から頭は乗客から抜きん出て高かったので、ひどく目立ってしまい、長いミミズのような電車ぜんたいにぎっしり詰め込まれた、黒く輝く頭の海を見渡すことになった。

 郊外に向かう電車に無事に乗り込んでから、金井氏は「雨が降りはじめましたね」と言って窓をさした。高尾山口の駅につくころには、雨は土砂降りになっていた。しずくがぽたぽた落ちる駅の屋根の下で、私たちはこの日に行くつもりだった樹木の繁った斜面が、厚い雲におおわれているのを眺めた。

 なすすべもないまま、われらが若きJWBS;日本野鳥の会の案内役は、ナップザックからあれやこれやを取りだし、まもなく顔じゅうににやっと笑みをうかべて、湯気のたつお茶のカップを差し出した。彼にとって、欧米人の案内はこれが初めてとのことだ。

 小道を横切ったところでホオジロが二羽、小さなゴミ置き場で餌を漁っている。普通種だがきれいな色で、ちょうど見ごろの位置にいた。電線の上には、上面全体が黒いセグロセキレイが止まり、体をふるわせて雨をはじきとばしながら、バランスをとろうとしていた。すばらしい。セグロセキレイは日本特産種で、世界の他の場所では見ることができない種類なのだ。

 私たちは次の電車で都心部に戻った。到着したのは午後六時だった。金井氏は、まだ雨のこと、縮めてしまった予定のことを詫びていたが、その日の仕事をこれから二時間かそれ以上もかけて片づけるため、事務所に戻って行った。

 私は、この自然保護の担い手たちが気に入っていた。そして、この豊かな国で、彼らに対する公の支援が欠けていることに同情を禁じえなかった。豊かな日本文化は、世界の野生生物―森林、クジラ、魚、催淫効果があるというフカのヒレ、そのほかもろもろの生物を収奪していることに対して、いっさい非難を加えていないように見受けられる。彼らは二回かそれ以上も、またいらっしゃいませんか、と手紙をくれた。もし日本政府が切符を送ってくれればね、と私は答えた。




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