表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
56/88

発見文書 No.051

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


発見文書 No.051

種別:フィールドノート・MD書き起こし

記録者:阿部(記者)

日付:2000年8月15日〜8月18日


━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━


【阿部記者フィールドノート 第三冊・第四冊より。この期間のノートは日付の順序が一部乱れている。 文体にも変化が見られる。以下は日付順に並べ直したもの】


2000年8月15日


取材15日目。


今日のKは穏やかだった。


8月15日の日記の担当——中川裕也のお盆の話について聞いた。おじいちゃんの姉の「中川ひろみ」の話。


K:「ひろみという名前は、この土地に何度も現れます」


Kはそう言って、少し黙った。


K:「昭和20年にも。昭和32年にも。昭和62年にも。名前が繰り返されるんです。同じ場所に。同じ8月に」


昭和32年——1957年。これは初耳だった。


「昭和32年にも何かあったのですか」


K:「1957年の8月13日。祢古沢で、子供が一人、山で迷子になりました。見つかりませんでした。名前は——」


Kが言いかけてやめた。


「名前は?」


K:「思い出そうとしているのですが。薄くなっています。長くいると名前が薄くなるんです」


また「名前が薄くなる」。白い水着の子と同じだ。


歩数:二十九歩。


夕飯はカレーうどん。辛かった。辛さの記憶はある。あった。


2000年8月16日


取材16日目。


ノートを書き始めようとして、昨日のノートの末尾に見覚えのない一行があった。


「先生の声が聞こえた」


——俺の字だった。書いた覚えがない。


いつ書いた。昨夜寝る前か。寝ぼけて書いたのか。


「先生の声」。Kのことか。Kの声が聞こえた——ホテルの部屋で。施設にいないのに。


寝ぼけていたんだろう。消さない。記録として残す。


施設。歩数:二十八歩。


MD書き起こし 2000.08.16

【録音開始。蝉の声】


阿部: 昨夜、ノートに自分が書いた覚えのない一行がありました。


K: なんと書いてありましたか。


阿部: 「先生の声が聞こえた」と。


K: (間) 聞こえましたか。


阿部: ……覚えていません。書いた覚えもないんです。


K: 書いた覚えがないのに、書いてある。


阿部: 寝ぼけていたんだと思います。


K: (静かに) そうかもしれませんね。


阿部: Kさん。率直に聞きます。何か——俺に影響を与えようとしていますか。


K: (少し驚いたような間) いいえ。


阿部: では——


K: でも阿部さん、影響を与えようとしなくても、影響されることはあります。毎日来て、毎日聞いて、毎日記録している。それだけで、十分に。


阿部: (長い間)


K: お茶をどうぞ。


【録音終了】


フィールドノート 2000年8月16日 帰宅後


「毎日来て、毎日聞いて、毎日記録している。それだけで十分」。


Kは俺に何も仕掛けていないと言った。


仕掛けていないのに、俺は変わっている——という意味だ。


それを認めたくない。だがノートに覚えのない一行があったのは事実だ。


今夜、缶ビールを開けようとしたが——やっぱりやめた。三日連続で飲んでいない。以前は毎晩飲んでいた。


夕飯は牛丼。味は——あった。牛丼の味だった。ちゃんとあった。


確認する。味がちゃんとあった。


2000年8月17日


取材17日目。


歩数:二十七歩。


今日のKは日記の後半の話をした。子供たちの声が似てきた時期の話。


K:「この頃になると、子供たちは夏に慣れてきます。最初は不思議がっていた景色も、当たり前に見えてくる」


阿部:「慣れることは良いことですか」


K:「楽になることです。楽になることは、怖くなくなることです。怖くなくなることは——ここが居心地よくなることです」


阿部:「……そうですね」


——「そうですね」と言った。


ノートに書いてから気づいた。「そうですね」と言ったのは同意だ。「ここが居心地よくなること」に同意した。


いつからここが——


いや。「ここ」は施設のことだ。施設が居心地よくなっただけだ。Kとの会話が楽になっただけだ。取材が進んでいるからだ。


記者として。


夕飯。何を食べたか。——思い出すのに三秒かかった。親子丼。味は——あった。


2000年8月18日


取材18日目。


歩数:二十六歩。


MD書き起こし 2000.08.18

【録音開始。蝉の声がない。完全な無音の中に二人の声だけ】


K: 日記の後半の子供たちは、もう名前があまり関係なくなっていました。


阿部: 個性がなくなっていく。


K: なくなるのではなくて、混ざるんです。みんなの夏が一つの大きな夏になっていく。


阿部: 先生は——(言いかけて止まる。二秒の間)Kさんは、それを止めなかったんですか。


K: (静かに) 止める方法が分かりませんでした。


阿部: 今は。


K: 今も分かりません。みんな幸せそうでしたから。


阿部: (長い間)


K: 阿部さん。あなたも、そろそろ——


阿部: そろそろ?


K: 名前が薄くなってきた気がします。


阿部: ——それはどういう——


K: 毎日来て、毎日記録して。それはもう取材ではないですよ。


【録音終了】


フィールドノート 2000年8月18日 夜


「それはもう取材ではない」。


——では何だ。


ホテルに帰って、名前を確認した。阿部。阿部。フルネームは阿部——。


——書けた。書けたから大丈夫だ。名前はある。薄くなってなんかいない。


ただ——フルネームを書こうとして一瞬間があったのは確かだ。


夕飯を食べたか。食べた。何かを。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ