発見文書 No.043
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発見文書 No.043
種別:フィールドノート・MD書き起こし
記録者:阿部(記者)
日付:2000年8月1日
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【阿部記者フィールドノート 第一冊より】
2000年8月1日
企画が通った。「昭和の忘れられた事件」シリーズの第三弾。1987年8月13日、埼玉県奥武蔵市祢古沢町の旧祢古小学校で起きた失踪事件——落雷と同時に担任教師と複数の児童が行方不明になった件。
この手の「忘れられた事件」は、たいてい忘れられるだけの理由がある。続報が出なかった件は、だいたい地味な結末を迎えている。家出か、書類上の処理の齟齬か、あるいは当時の警察の怠慢か。
取材の手がかりは少ない。地方紙の三段記事が一本。校長名義の通達が一通。消防署の記録に「年齢不詳」という不自然な記載。これだけで一本書けるかは正直わからない。デスクの宮本には「書けなかったらボツでいいから」と言われている。ボツの企画書なら山ほどある。
奥武蔵市に向かう電車の中で、資料を読み返した。児童の人数が資料によって食い違う。「数名」「複数名」「40名」。40名は学級全員だ。嘘だろう。学級全員が消えたなら全国ニュースになる。ならなかったということは、そうではなかったということだ。
あるいは——ならなかった理由がある、ということか。
ビジネスホテルにチェックイン。川越市内。安い部屋で、エアコンが古い。テレビのリモコンの電池が切れている。フロントに言おうと思って、面倒になってやめた。
明日から取材開始。まず市役所と教育委員会にあたる。
コンビニで缶ビールを買って飲んだ。ぬるい。
2000年8月2日
市役所。教育委員会。図書館。
三箇所回って、得られた情報はほぼゼロ。
教育委員会の担当者(50代、名前は伏せる)に1987年の祢古小学校の件を聞いたところ、最初は「存じ上げません」と言った。学齢簿を調べてもらうと、6年1組の記録は確かにあった。在籍数40名。担任・北村ひろみ。
「北村先生のことを覚えている方はいますか」
担当者は少し間を置いてから「記録はありますが、関係者に確認が必要です」と言った。官僚答弁。これ以上は出てこない。
図書館で地方紙のマイクロフィルムを当たった。1987年8月14日付の埼玉新聞に三段記事。見出し:「落雷で小学校時計塔崩壊 教諭ら連絡取れず」。記事は事実関係のみで、続報なし。
「教諭ら」の「ら」が気になる。何人だ。
旧祢古小学校の跡地を見に行こうとしたが、バスの本数が少なくて断念。明日にする。
夕飯はホテル近くの定食屋。豚カツ定食。味は普通。隣の席のサラリーマンが携帯電話で怒鳴っていてうるさかった。
2000年8月3日
旧祢古小学校跡地へ。
更地に草が生えている。コンクリートの基礎だけが残っている。時計塔があったとされる場所には何もない——と思ったが、よく見ると基礎の一部が不自然に盛り上がっている。何かが埋まっているのか、地面が隆起しているのか。
周辺を歩いた。裏山への道がある。鳥居がある。ペンキが剥げている。
鳥居をくぐろうとして、やめた。取材に関係ない。今日の目的は跡地の記録だ。
帰りに地元の商店(雑貨屋)で話を聞いた。店主(70代女性)。
「あの学校のこと? 覚えてないねえ。落雷はあったよ。時計塔が壊れたのは覚えてる。先生がいなくなったとかは——どうだったかねえ」
要領を得ない。この年代の人間なら覚えていてもおかしくないのに。
「北村先生という方を覚えていますか」
店主は少し黙って、それから「名前は聞いたことあるけど、顔は思い出せないわ」と言った。
奇妙だ。13年前の出来事だ。覚えていないにしても、この反応は——覚えていないのではなく、思い出せない、という感じがした。
違うかもしれない。田舎の老人の記憶など当てにならない。俺は事実だけを追う。
ホテルに戻り、MDに今日のメモを吹き込んだ。明日は養護施設「ひだまりの家」に行く。事前のリサーチで、この施設にKという入居者がいることが分かっている。施設の創設時期と、事件の時期が近い。
缶コーヒー。甘すぎる。




