6話
「……来るぞ! 迎撃準備!!」
ノヴァの叫びと共に、異形の影が跳躍した。
その異形は、つるりとした円柱の胴体に、左右不対称に肥大化した黄金の腕が生えていた。それはまるで、出来損ないの翼のようだ。不釣り合いに貧弱な下半身を引きずりながら、ふらふらと横に揺れている。 移動するたびに関節のない部分がグチャリと折れ曲がり、千切れた筋肉が無理やり骨を引っ張り上げる音がする。生物としての理を冒涜したその動きは、カノンに生理的な嫌悪感を抱かせるのに十分だった。
「ッ……!」
反射的にトリガーを引く。薄暗い水路に閃光が走り、正確無比な三連射が怪物の胴体を捉えた。肉が弾け汚れた体液が飛び散る。バランスを崩し倒れ伏したそれは今度こそ沈黙したように見えた。
しかし――止まらない。歪な音を立てて、それは再び蠢き立ち上がる。
「効いてない!?」
「再生……いや、違う。補修してるんだ」
あの歪なゼノタイプがニルヴァ種であるなら、この再生能力も説明がつく。つい最近、その力を目の当たりにしたところだ。
ノヴァの薄荷色の瞳が、そのおぞましい構造を分析する。弾け飛んだ肉の断面から太い黒い管が蠢き、周囲の汚泥や瓦礫を取り込んで傷口を塞ごうとしているのだ。
よく見ると、ニルヴァ種特有の黄金はまるでメッキのように剥がれかけており、その下で黒々とした肉が蠢いていた。
「なんだ、あれは……?」
「指揮官、次の攻撃がきます」
「……カノン、足の付け根を狙え! 再生が僅かに遅れている!急所がわからない以上動きを止めるしかない!」
「了解」
カノンが狙いを下げ、精密射撃を行う。膝関節が砕け、異形が汚水の中に崩れ落ちる。異形はまるで痛みを感じているかのように痙攣し、左右の腕を振り回す。再生しようと蠕動を続けているが、下半身を砕かれた故に満足に動くことができないようだ。
ギュンッ!!
黒い管を勢いよく伸ばす。それはカノンの持つエドラではなく、カノンの心臓目掛けて放たれた。
「……ふっ!」
ノヴァが指示する前に、カノンは横にステップを踏み攻撃を回避する。同時に狙いを定め、蠢く黒い管を捉えた。カノンの弾丸を受けた黒い管は、汚物を撒き散らしながらのたうちまわる。
「管の根本を狙え! 下半身に接合部が見える、再生する前に急げ!」
言われなくとも、と言葉にする前に、流れるような手つきでエドラに先ほどよりも威力の強い弾丸を装填する。
カノンの放った正確な弾道が、黒い管の根本……下半身の断面に炸裂する。重要な再生器官を破壊された異形は一度大きく痙攣し、沈黙した。
「はぁ……」
カノンが小さく安堵の息を吐き、構えたエドラを下ろす。水路は再び静寂を取り戻した。ただ、鼻をつく腐臭だけが濃くなっている。
「……終わった、かな」
「ええ。生体反応、消失しました」
ノヴァは水路の縁に膝をつき、倒した異形の残骸を覗き込んだ。
ところどころ皮膚の剥がれた黄金の腕と、腐った肉塊のパッチワーク。砕かれた下半身から生えた黒い管はビクビクと蠢いていたが、やがて動かなくなった。
こうしてゆっくりと観察すると、胴体であるつるりとした円柱は頭部を失った生き物のように見える。そう、まるで……
「これは………」
ノヴァは、異形の肉に埋もれているものを見つける。きらりと光るそれを摘み上げた。
「……?」
それは、泥と体液に塗れた小さな金属片だった。高熱で溶解し歪んでいるが、何かの装飾品の一部に見える。すでに元の形を失っており、これがなんなのか判別することはできなかった。
「ノヴァ、不用意に触らないでください。感染したらどうするのですか」
「あ、ごめん」
咄嗟に、手に持っていた金属片をポケットにしまう。持っていることがバレたら咎められると、直感的に感じたからだ。
あのゼノタイプはどこからやってきたのだろうか。討伐された小型ゼノタイプに紛れ込んで地下都市に侵入しようとしたのか、それとも死に瀕したゼノタイプが歪な進化を遂げたのか。
ゼノタイプについてわからないことの方が多い。こうして考えたところでノヴァには見当もつかない。
「ぷゅッ!!!」
ノヴァの懐に隠れていたきなこが鋭く鳴いた。震えたその声は、警告の悲鳴だった。
「――ッ!?」
ノヴァが顔を上げる。
死角となっていた配管の隙間から、別の一体が音もなく垂れ下がっていた。先ほどの個体よりも一回り大きい。黄金の腕が、無防備なカノンの首筋へと振り下ろされる。
「カノン!!」
「くっ……!」
カノンがエドラを咄嗟に向ける。下手に避けるのではなく相手を仕留めるための冷静な判断だ。しかし、間に合うか否か。ノヴァは咄嗟の判断ができない。
死の影とカノンの弾道が交差する……その時だった。
「――随分と賑やかね」
場違いなほど穏やかな、鈴を転がすような声が響いた。
ヒュンッ!
風切り音すら置き去りにする、一閃。
カノンに振り下ろされようとしていた怪物の腕が、遅れてズズッとずれ落ちた。
「え……?」
ノヴァが呆然と見上げる中、天井の配管から影が舞い降りた。
ふわりと、あの甘い香りが鼻孔を掠める。着地と同時に煌めく金糸。髪紐についた小さな鈴が、チリンと涼やかな音を立てた。
少女は、着地の衝撃を殺すように膝を曲げ――次の瞬間、床を蹴り抜いた。
「せいっ!」
可憐な掛け声とは裏腹な、暴力的な踏み込み。流れるような抜刀術が、異形の急所である黒い管を一息に貫いた。
ドサリ。天井にぶら下がっていた怪物が、ただの肉塊となって汚水へ崩れ落ちた。
「ふぅ。……危ないところだったね!」
少女はくるりと振り返り、呆然とするノヴァとカノンに向かって花が咲くような笑顔を向けた。
「ノンちゃん! 久しぶり、元気だった?」
「……リ、リコリス!?」
カノンが亡霊でも見るような顔で叫ぶ。
少女――リコリスは、刀を鞘に納めると、カノンに駆け寄った。
「どうして貴女がここに……!?」
「たまたま通りかかったんだよ。そうしたらノンちゃんが見えたから、ついてきちゃった!」
リコリスは悪びれもなく言った。基本的に人の立ち入ることがない水路に、たまたま通りかかることなどはあり得ない。
「嘘をつかないでください。不法侵入ですよ」
「堅いこと言わないの。ノンちゃんに何かあったらグウィン先輩が泣いちゃうよ?」
「か、揶揄わないでください!! ……でも、助かりました。ありがとうございます」
ノヴァはそのやりとりをぽかんと見ていた。どうやら二人は知り合いらしい。ノヴァの視線に気付いたのか、リコリスはゆっくり近づいてくる。
「貴方が噂の新人指揮官?」
「あ、はい! ……助けてくれて、ありがとう」
ノヴァが礼を言うと、リコリスは彼を値踏みするように、顔をぐっと近づけた。甘い香りが、水路の腐臭を塗り替える。
やはり、先ほど感じた甘い香りはこの少女のものだ。自分たちを尾行していたということだろうか……。
「ふ〜ん……。ノンちゃんが上官命令を無視してまで助けたから、どんな凄い人かと思ったけど……」
彼女の視線が、ノヴァの指先にうつる。彼女の瞳の奥に、冷たく暗い光が宿った気がした。
「……意外と、普通の子なのね」
「それは、どういう……」
ノヴァが聞き返す前に、リコリスはすぐに人懐っこい笑顔に戻った。
「指揮官くん、これからもよろしくね」
「え? あ、はい」
「じゃあね!!」
リコリスは身軽に壁を蹴り、配管へと飛び移ると、来た時と同じように嵐のように去っていった。後に残されたのは、両断された怪物の死骸と、呆然とする二人ときなこだけ。
「……なに? さっきの人」
「私の同期で……腐れ縁の、どうしようもない人です。調査任務から帰ってきたのでしょうか……」
カノンは頭痛を堪えるようにこめかみを抑えた。
「でも、助けてもらったのは事実だし。……とりあえず、帰ろうか」
「そうですね。少し疲れました」
踵を返すカノンの後ろ姿を見ながら、ノヴァはポケットの中の金属片を強く握りしめた。あの怪物の正体。そして、去り際に見せたリコリスの暗い瞳。
ただの掃除任務のはずが、喉の奥に小骨が刺さったような違和感を残して、ハーベスタの初陣は幕を閉じた。
◇
初任務から数日後。
ノヴァが朝の支度を済ませ拠点のメインルームへ向かうと、例の甘い香りが漂っていた。まさかと思い扉を開ける。
「やっほー指揮官くん! 今日から私もここで働くことになったから、よろしくねー!」
「……は?」
そこには我が物顔でソファに座り、きなこを膝に乗せて撫で回しているリコリスがいた。
その横で、カノンはプルプルと震えていた。
「ノヴァ、これはどういうことですか?」
「いや僕も聞いてな……ん? メールが」
端末に表示された文章を開示する。そこには『施設備品の破損、および任務妨害による処罰として前線部隊カスケード所属リコリス・イザナイの降格処分。並び本日付けでハーベスタ部隊への移動を命じる』とあった。
「貴方まさか、無理やりトラブルを起こして……」
「親友としてノンちゃんと同じ苦しみを背負うべきだと思って……ね!!」
リコリスは満面の笑みでウインクした。
実際は、前線部隊の上官に直談判しに行き、当然のように断られたので「じゃあ暴れて処分されればいいんですね?」と訓練場の設備を半壊させた結果の左遷だったが、ノヴァたちがそれを知るのは少し先の話だ。
唖然とするノヴァをよそに、リコリスの柔らかな手で撫で回されたきなこだけが嬉しそうな鳴き声をあげていた。




