第89話 黒船流IPの活用術②
(簡易人物メモ)
砂橋一輝: 紀伊テレビ プロデューサー
山田: 紀伊テレビ アシスタントプロデューサー
糸瀬貴矢: 黒船サッカークラブ 代表
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紀伊テレビの番組プロデューサーである砂橋一輝は、引き続き黒船グループのトップである糸瀬と打ち合わせを続けていた。もっとも当初のホテルCMの撮影からはだいぶ乖離した内容になっているが。
サッカー漫画やアニメ作品といえば、昔は学校の部活動を舞台とした青春漫画のカテゴリだったが、昨今では多様化している。Jリーグを舞台にしたもの、ユースサッカー、監督視点のもの、宇宙人とサッカーするみたいなものまである。
しかし糸瀬のイメージするアニメは、そのどれとも違っていたようだ。
「なんていうか、あの、ペングー?とかああいうイメージですね」
「ぺ、ペングー…?」
ペングーとはスイス発祥の、あのペンギンのキャラクターの日常をコミカルに描いたクレイアニメのことを言っているのか。
もちろん糸瀬が言いたいのはペンギンを主人公にするとか、粘土でキャラを表現したいとか、そういうことではないだろう。
「…5分。5分の短編アニメのことか!?」
「あ、そうです。すぐ終わっちゃうやつがいい」
通常アニメは30分枠が一般的であるが、それよりも尺を短くするという方向性は、現在の映像作品のトレンドである。スマートフォンで合間の時間に気軽に見られるという需要にハマっているのだ。その着眼点は良いが、しかしサッカーを題材にしてそんなものが作れるだろうか。
短編の物語は重厚なストーリーを描くことが難しい。従って、5分アニメは日常を切り取ったようなテイストになることが多いのだ。ストーリーよりもキャラクター優先というか…。
「そうか、マスコットって観点なら、そっちの方が良いのか。着ぐるみ作ることを意識してるんだな?」
「着ぐるみ見ただけで子供達が駆け寄ってくるような人気者にしたいっすね」
簡単に言ってくれる。1992年に日本で放送が開始されて以降、世界155以上の国と地域で放送されているモンスター級のIPである。
「あと、声なしでいきたいです」
「声を入れない!?」
次から次へと出てくる予想外の要素にさすがの砂橋もついていくのが精一杯である。
確かに言われてみればペングーは声がない。人間に理解できない独自の言語を喋る設定だが、あれは声ではなく、音という整理の方が正しいだろう。
「動きだけで伝わるようなアニメが良い。声を入れてしまうと言語の障壁が生まれるから、海外で使いにくいでしょ」
「か、海外?」
「うん、テレビアニメって収益生まないじゃないですか」
糸瀬の言う通り、テレビアニメは単体で収益を産まない。スポンサーの資金はあくまで番組制作費に充てられるものであり、完成品は無料で放送されるのである。
従ってテレビアニメの収益は、DVDをはじめとしたグッズの販売やイベントの収益、そして他局への放送権の売却などから生じるのだ。
「わかりやすく儲けようと思ったら他のテレビ局に売ることですよね」
「そりゃあまぁ、売れりゃあな…」
「小さな子供向けでグローバルでヒットしてるサッカー、いやスポーツのアニメがないってことは調べたんですよ。でも、できそうじゃないですか? もしそれができるとしたら、サッカーだと思うんですよね」
サッカーは競技人口がトップというわけではないが、世界の各地域で分け隔てなく身近なスポーツという観点では、もう圧倒的だろう。
それにボール一個でできる手軽さがあるため、貧富の差がなく、また2〜3歳のファーストスポーツとしても認知されている。潜在的なファンという観点で裾野が広いという糸瀬の読みは当たっているように思えた。
ここまでで、糸瀬のイメージする新番組の情報を整理しよう。砂橋は殴り書きした自らのノートを見直す。
番組は5分枠。オリジナルアニメ。サッカーを題材にしたもので、いわゆる無声アニメと呼ばれる、BGMや音はあっても声は入れない仕様。ストーリーよりもキャラクター重視で、キャラクターの着ぐるみが刺さるような幼児〜小学生くらいをメインのターゲットとする。
構造的な矛盾はなさそうだが、やはりサッカーという要素が浮いているように感じるのは、前例がないからだろうか。
砂橋は脇に置いてある電卓を叩いて、くるりと回転させると糸瀬に液晶画面を見せるように置いた。
「だいたいわかったよ糸瀬さん。だが、もうこの話はスポンサーだのどうのこうのって規模の話じゃないぜ。1作品作っちまうわけだから、予算は覚悟するんだな」
アニメを作ったことはないが、ざっくりとした相場観くらいであれば砂橋も知識として持っている。
例えば5分間のアニメだったとしても、おそらく1話作るのに200万円くらいは必要だ。もし1クールやるなら12話分、それだけで2,400万円かかる。そこに紀伊テレビで放送するための放送料金を乗っければ最低でも3,000万円は飛ぶ。
「ヒットでもすりゃあ、確かに3,000万円くらいは余裕で返ってくるかもしれんが、外した0円だぜ」
「出しますよ、それくらい。せっかくなら2回やりましょ。朝と夕方」
「はは…」
全然へこたれる気がないので思わず笑ってしまった。やはりこういう時に資金力のある相手だと話が弾む。本来であればハードルとなる事象を考えなくていいからだ。
「とりあえず話は分かった。当たり前だが、紀伊テレビにアニメのプロダクション機能はない。どっかに委託する感じになるが、そこも含めて問題ないか?」
「ひとつあります。紀伊テレビさんにも金を出してほしい」
「…制作委員会にするってことか?」
製作委員会方式とは、アニメや映画などのコンテンツ制作において、複数の企業が共同で出資し、製作費を分担してリスクを分散させる仕組みのことを指す。この方式では、出資者は作品の著作権を共有し、作品の利益も出資比率に応じて分配されるため、幹事会社が中心となって製作を進めながらも、テレビ局、出版社、玩具メーカーなど様々な企業が出資者として名前を連ねるのだ。
「細かい形式は分かりませんが、関係者は全員このアニメ、当てに行く動きをしてほしい。お金出せば、もう自分事になるでしょ」
「…なるほど」
本来製作委員会方式は、単独で資金を確保できないことによる苦肉の策といった側面もあるだろうが、裏返せば、製作委員会のメンバーは全員が儲けるため一致団結する組織とも言える。
砂橋は腕を組んで暫し思案する。紀伊テレビとして出資の前例はもちろんあるが、企画としてのハードルは無論跳ね上がる。金額がおそらく大した額にならないだろうが、赤字経営の現状からすれば難しいと考える方が自然だ。
「砂橋さん。局長マターですよ」
「わあってるよ、そんなことは。だから考えてんじゃねえか」
そもそも3,000万円を苦もなく出せる相手だ。ここで逃すなんて選択肢はない。話題性は抜群。この仕事を抜きにしたって付き合うべき相手であることは間違いなかった。
本来は当たり障りのない企画をまずやらせてもらい実績を作りたいところだが、相手がそういうことに付き合うタイプではないことくらい砂橋は理解していた。
もし砂橋個人に裁量があった場合、こいつに乗っかるか? 答えはイエスだ。
正直当たる匂いはする。現場レベルでは突き進みたいが、局長以上になれば(本来はプロデューサーである自分もだが)、もちろん失敗した時のリスクを考えるはずで、今のところ説得できる材料は見当たらない。
もしやるからには座組みを固めてからでないと無理だ。少なくともこの人たちが作るなら当たるかも?と思わせる面子が必要だと感じた。
「糸瀬さん、ぜひうちでやらせてほしい。ただちょっと時間をもらえねえかな。上を説得する方法を考えるのと、作品の中身についても考えて持っていくよ」
「はい、もちろんです。素人だからわかりませんが、やる気は伝わってきますから、お任せしようと思います。あ、それからCMのほうもね」
横に座っていたAPの山田が姿勢を改めると。
「はい、7月から放送が始められるように準備します。枠の確保は大丈夫だと思うので、最短で抑えられそうな日程を頂けますか?」
「細かいやりとりは別途メールでやりましょう。できれば撮影班の方々もご招待します」
「え、本当ですか! ありがとうございます。多分そっちのほうがいい画は撮れると思います!」
「おまえも泊まる気満々じゃねえか」
「いいじゃないですか、一応プロデューサーなんですから!」
とりあえずホテルの案件は山田に任せて、砂橋はアニメ企画に集中することにした。
打ち合わせを終えると、デスクに戻った砂橋のはじめに取り掛かった作業は、黒船についての調査であった。
クライアントのことをそもそも知らなすぎた。たとえアニメだろうと、相手のことを知らずして冠スポンサーのニーズに応えられるわけがないからである。
一通り調べた結果、有用なリソースはwetubeだと判断した。
黒船公式chと銘打たれたそのチャンネルの初回動画は2018年11月。いまから約1年半前だ。確かにちょうどヤマト製鉄が破綻してニュースになったのもそのくらいだった気がする。
「本当にその頃からずっと続けてるんだな、こいつら…」
コンスタントに更新がなされており、内容についてもサッカーの話題だけに留まらない。スポンサーの動画、自社グループ商品の宣伝、それからメンバーシップに入会すれば、グループの業績報告動画も四半期毎にアップされているようだった。
動画総数は100近い数にのぼり、登録者数は15,335人。紀伊テレビもwetubeチャンネルを持っていたと思うが、ほぼ同じくらいの登録者数ではなかったか。
砂橋は意を決して、メンバーシップへ個人で入会の上、初回動画から目を通し始めた。合計1,000時間近い動画群をほぼ1週間で見終えた砂橋は、そこからようやく企画に手をつけたのだった。
つづく。




