第87話 昇格の行末
(簡易人物メモ)
真田宏太: ラーチャブリーSC 所属FW
畑中哲也: 同クラブ所属MF
カン・ソジュン: 同クラブ所属FW
ソムチャイ: 同クラブ所属DF U19タイ代表
スラトン: ラーチャブリーSC 監督
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日本から遠く離れた東南アジアの王国、タイ。
国内ラーチャブリー県の名物球場と評されるドラゴンスタジアムにおいて、タイプロサッカーリーグ2部、通称T2リーグの最終節が始まっていた。
アジア最大の製糖企業であるウォンキット・シュガー社をメインスポンサーとするラーチャブリーSCは、南紀ウメスタに所属する真田宏太がレンタル移籍にて加入した当初、リーグ5位の位置から上位勢を追いかける展開だったが、真田がチームにフィットし、チームを離脱していた怪我人が復帰したことなどによって、チームとしてパフォーマンスが安定。最終節を前にして首位に躍り出ていた。
2位との勝ち点差は1。状況的にはドラゴンズ(ラーチャブリーSCの愛称)が有利ではあるが、もしこの試合を引き分け以下、かつ2位チームが勝つと、順位がひっくり返ってしまい、T1下位チームとのプレーオフに臨まなくてはならなくなる。なんとしても勝ち点3が必要という意味では、決してラクの状況ではない。
そんな中、ドラゴンズは最終節のホームゲームを1-1で折り返していた。
ハーフタイム、タイ語と英語が飛び交うロッカールームに『鉄の女』の異名を持つ指揮官・スラトンが姿を見せると、徐々に選手間の声は小さくなっていく。
『前半は悪くなかった。本当は1-0で折り返したかったけど、ちょっと前のめりになりすぎたわね、ソムチャイ』
『すみませんボス!』
『あなたの悪い癖だわ。でも…良い癖でもあるから気にしないで。前半はリードされていないのだから、それでよしとしましょう』
スラトンはタイ人選手とはタイ語で会話を交わす。真田含めた外国人選手には一応英語の通訳がついているが、こいつの声が小さすぎてまるっきり何を言ってるか分からない。それでも、スラトンが飴と鞭を使ってソムチャイに言葉をかけたということくらいは訳さずとも伝わってきた。
『後半はギアを上げましょうーーーコウタ』
「クラップ(はい)」
「出番よ。ソジュンと2トップに入って。前半温存していた意味は分かるわね?」
「マイ クラップ(いいえ)」
真田の素直な返答にチームメイトが思わず吹き出した。しかしメデューサの眼光の如き視線によってすぐに真顔に戻る。
スラトンはほぼ必ずと言っていいほどハーフタイムで1枚交代カードを切る。今回はそれが真田だったということだが、選手からすれば長く試合に出たいのは当然である。
「まぁいいわ。とりあえず行ってきなさい。ソジュンを盾にして最後に決めてもいいし、先に裏に出てからソジュンに戻してもいい。どっちがヒーローになりたいか、話し合っておきなさい」
スラトンの指示を受けてソジュンを見ると、彼のルーティンであるリンゴジュースをがぶ飲みしていた。
「そんなに飲んだら走れなくなるよ、ソジュン」
「走るのは君の役目だろ。俺は突っ立ってボールが来るのを待ってるよ」
チームに加入して半年が経過した。タイ語はまだまだ分からない言葉だらけだが、ソジュンとは英語でやりとりできて、かつFWでコンビを組むこともあり、チーム内でも最もコミュニケーションが多い選手だ。もちろん、同じ日本人である畑中哲也の次に。
後半のピッチに真田が姿を現すと、すでに場内アナウンスで選手交代が発表されていたのか、サポーターから「セントリーレック」の合唱が聞こえてきた。
セントリーレックとは、真田、畑中、ソムチャイから形成される縦のラインのことを指しており、スラトン体制になってからの特にシーズン後半におけるドラゴンズの戦術的な特徴、要はチームとしての強みである。
ベテランながら攻撃の中心的存在である畑中が右サイドでボールを持つと、後ろから怒涛の勢いで追い越していく右サイドバックのソムチャイ。彼はアンダー世代のタイ代表に招集された実績を持つ期待の若手DFで、攻撃大好きっ子である。
「真田!」
「ういす」
真田がDFを引き連れたまま中央にポジションをシフトすると、ソムチャイが駆け上がる先にはスペースが生まれ、そこを狙ったかのように畑中が、あえて緩めのボールを山なりに供給した。
真田に引っ張られていたDFはボールをカットするチャンスとばかりに今度は右に釣られるが、ソムチャイの方が一足早くボールに追いつき、逆に真田のマークが手薄になった。
「真田に出せ、ソムチャイ!」
「いえっさー!」
このソムチャイと真田のフリーランを駆使した畑中のゲームメイク、つまり三人の連携プレイをサポーターはセントリーレック「鉄のライン」と称していた。
今回の攻め手は、ソムチャイと真田が交互にデコイラン(囮になる動き)をすることでフリーの選手を作り出すパターンであった、のだが。
ソムチャイの渾身のクロスが、ものの見事に真田の頭上を越えていくのを、畑中は顔を引き攣らせながら、ただ眺めるしかできなかった。キックの精度はまだまだ未熟なのである。
それでも奇跡的にボールはファーで待ち構えていたソジュンの元へ、どんぴしゃり。
相手DFとの空中戦にあっさりと勝利したソジュンは、狙い澄ましたようにコントロールしたヘディングシュートを、難なくゴールの左隅に放り込んだ。
「ナイスゴール! ソジュン!」
サポーターの大歓声の中、のっしのっしとゴールパフォーマンスをキメるFWソジュンの元へ、無邪気に駆け寄っていくソムチャイ。その後ろで、なんとも納得のいかない日本人選手二人が首を傾げながらも歓喜の輪に加わった。
こうなると、完全にゲームはドラゴンズペースとなった。10分後にはセットプレイの混戦の中でオウンゴールを誘発する。
そしてリードが2点に広がったところで、レフェリーの笛とともに畑中の交代が告げられた。
「おっ、俺か」
「お疲れっす、畑さん」
普段なら声を掛けない真田が口を開いた。なぜならこの交代は34歳ベテラン選手の、契約最終年となる今シーズンの終わりを意味していたからだ。
「俺は交代して下がるときが実は好きなんだ」
「えっ、なんでですか?」
「試合中のサポーター達の顔を正面から見られるだろ。それが好きなんだよ。特に勝ってる時の交代は良い。この場で一杯やりたくなる」
ドラゴンズのサポーター達は、すでに試合展開に関係なく皆が肩を組んで、クラブのチャントを合唱していた。
「お客さんを喜ばせてるってやりがいを感じる一番の瞬間はここなんだよ、俺にとってはだけどな」
畑中は真田の肩を叩いた。
「来年、1部がんばれよ真田」
「…はい!」
まだ契約してくれると決まったわけではないとか、そんなことをこの場で言うのは野暮だと思った。
「ハタナカ! ハタナカ!」
サポーターの声援が、交代する畑中のコールへと変化した。畑中は驚いたように立ち止まり、そして笑みを浮かべると、両手を叩きながら重くなった足を引きずってピッチを後にした。
曲がりなりにも2シーズン、畑中はやりきった。
今シーズン25試合出場、5ゴール8アシスト。決してずば抜けた数字とは言えないかもしれないが、レギュラーとして監督の信頼を得られたことを物語る、重みのある実績であった。
試合は、終了直前にドラゴンズのカウンターが炸裂し、最終ラインからボールを受けた真田が独走する。
相手GKとの1対1の場面で、背後から迫り来る若きプレッシャーに押されるようにボールを横に出すと、遮二無二走り込んできたサイドバックのソムチャイがボールを押し込み、今日4点目を奪った。
そしてここで試合終了。そのホイッスルと同時に、ベンチに座っていた選手とスタッフ達が総出で、最後のゴールを決めた真田とソムチャイの元へ駆け寄っていく。
サポーター達もお祭り騒ぎ。そしてVIP席に座っていたウォンキットグループのお偉方も手を叩いて喜んでいた。
それぞれが好き勝手に喜んでいるのにスタジアムがひとつになる。昇格、リーグ優勝の瞬間であった。
公約通り就任1年目での昇格を達成した監督のスラトンは、ベンチに残ったまま、ようやく肩の荷が降りたように大きく息をついた。同じようにベンチに座っていた畑中が声をかける。
『真田とは契約するんですか? ナーン・スラトン』
『あなた、タイ語上手くなったわね』
『一応これでも必死にやってましたから』
『格上のリーグからやってきて。ちゃんとこの国に溶け込もうと努力してくれたあなたに、敬意を表するわ、テツヤ。ありがとう』
それでも契約の更新の話はスラトンの口から出なかった。それは畑中も分かっていた。
『コウタとは契約するつもりよ。1部で通用するかは分からないけれど、ソムチャイが慕ってるからね』
ソムチャイはクラブの宝になり得る。それがスラトンの彼に対する評価だ。まだユース年代にも関わらず、あのスピードとへこたれないメンタルは、確かにポテンシャルを感じさせる。
『真田のこと、よろしくおねがいします』
『…テツヤ。引退してやることなくなったらタイに来なさい。仕事はいっぱいあるわよ』
『はは、考えときます』
女帝の社交辞令に笑顔で返した畑中は、ひとり遅れてピッチへと走り出した。
「畑さん!」
「おお、真田。おまえがそんなに笑ってるの初めて見るよ俺は」
「俺は? 俺は?」
「ソジュン、おまえはいつでも楽しそうにやってるだろ」
運が良かった。真田は後にそう振り返っている。
道を作ってくれた日本の先輩がいて。気の許せる外国人選手仲間がいて。受け入れてくれたタイのチームメイト達がいて。評価してくれる監督がいたと。
ラーチャブリー・ウォンキットSC。来季の1部昇格が決定。
つづく。




