第78話 AthleMの未来
(簡易人物メモ)
矢原智一: 黒船サッカーパーク 代表
真弓一平: 黒船サッカークラブ 管理部長
村上: 田辺組 黒船事業部 部長
濱崎安郎: 南紀ウメスタSC GM
細矢悠: 黒船ターンアラウンド 代表
小渕弘明: カプルム 代表取締役
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2020年4月。黒船サッカーパークの第一練習場の前に、でかでかと2階建のクラブハウスがオープンした。
ユニフォームを模した白梅色の控えめな外壁と黒のライン。コンテナハウスに続いて、田辺組黒船事業部のこだわりを感じる見た目となっていた。
一方で総工事費は1.5億円+設備5,000万円と、規模からすればかなり割安であり、言ってしまえば大袈裟なサイズのプレハブ小屋みたいなものであった。
「1階は選手たちのトレーニングルームです。将来的にトロングジムに委託できるように、トロングジムのトレーナーにも監修してもらったマシンを取り揃えております。また一階にはmtgルームとデータルーム用の部屋も仕切っておきました」
黒船サッカーパークの代表である矢原と、黒船サッカークラブの管理部長である真弓を前にして、クラブハウス施工の責任者である、田辺組の村上が歩きながら説明を付け加える。
「プレハブって聞いてたけど、十分だなこりゃ」
「ほんとですね。敷地が広いから横に伸ばせるのが強いですよ」
「3階以上になると構造計算が入ったりして大変ですし、エレベーターつけるつけないでコストも全然変わりますからね」
これで今まで近場のトロングジムを利用していた選手たちは、黒船サッカーパークの中でフィジカルトレーニングに励むことができるし、相手チームの対策会議などもクラブハウスを使えるというわけだ。
外の階段を利用して2階に上がると、こちらはバックオフィスのスタッフのワーキングスペースとなっている。
「mtgスペースを2箇所作っていますが、それ以外は指示の通り、ワンフロアにしています。なので、間取りは1階とほとんど一緒ですね」
「…今の本社ビルの機能をこっちに持ってくるんですか?」
真弓の質問に矢原が頷いた。
「ああ、そう聞いてる。だから…進藤、白坂、佐藤、木田あたりは今後はこっちに通う形になるはずだ」
「じゃあ本社の方は空く感じになるんですね」
「いや、3階のDDルームはそのまま残すって聞いてるし、2階は…あの、なんだっけ。先月買ったところが入ってくるんだよ」
真弓はああ、と思い出したように頷いた。
今ちょうど本社ビルの引越し作業中だと思われるが、クラブの責任者である濱崎はそちらにいるはずである。
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同日同時刻、黒船ターンアラウンドの代表である細矢と南紀ウメスタSCのGMである濱崎は、引越し当日であるにもかかわらず、カプルム社の代表取締役である小渕弘明を捕まえて、黒船本社ビルの3階に連れてきた。
2020年3月末、黒船ターンアラウンドは、大阪のIT企業Inoxusから、同社の子会社であるカプルム社を買収した。カプルム側からすると半ば選択肢がないような状況の中、大阪駅直結のタワーオフィスから、いきなり和歌山県の外れにあるボロビルへ職場が変わったということになるわけで。
社長や従業員の転居に関しても、自社のセイラシリーズのマンションを紹介したりと諸々便宜は図ったが、それでもある程度気を遣わざるを得なかった。
「あ、うちの名物の『黒梅袖』でも食べて、ゆっくりしてください」
「はぁ…」
お互い恐縮しながら、小渕は出されるままに西野黒船食品のヒット商品を一口でパクリといくと、「おいしいですね」とはっきりとした口調で言葉を発した。幾分空気が和らぐ。
「改めて、御社の株主となりました黒船ターンアラウンドの細矢です。なにかInoxusさんから話は聞いていますか?」
「はぁ…御社グループにITシステム周りを担当することになるとか。…今のアプリを続けさせてくれるなら全然やりますよ。エンジニアもいますので」
小渕の回答は部分的には正解だ。wetubeや公式SNSは引き続き既存メンバーで運営していくが、それ以外のITチャネル、黒船グループや南紀ウメスタSCのウェブサイトはカプルムに委託する方向でまとめている。それ以外にも各従業員に貸与しているPCや携帯電話の管理やメンテナンス、その他日々の業務で活用しているWebサービスの管理も集約する予定である。
しかし彼らを買った理由の本質はそこではない。それを伝えるためにここに座ってもらっているのである。
「小渕さんがアプリの運営を続けているのはどうしてですか?」
「それは…このアプリがこの会社の存在意義だからですね。ユーザー数はなかなか増えませんが、それでも広告収入でエンジニアの給料賄っていますので…」
アプリ自体にこだわりがあるわけではないということを確認したところで、濱崎が口を挟んだ。
「小渕さん、実は我々が御社を買った理由の本当のところはちがうんです」
「はぁ…そうなんですか?」
「我々は自社で独自のアプリを作りたいと思っていまして、その開発をぜひ御社にお願いしたい」
「え?」
お茶を飲もうとした小渕の手が止まる。
「アプリ…それは、どのような?」
「カプルムはカップルをマネージメントするアプリだから『カプルム』って名前なんですよね? ーーー私達が作りたいのは、『アスリム』です」
「あすりむ?」
「アスリート、つまりスポーツ選手をマネージメントするアプリを作りたい」
小渕の目つきが変わった。昨夜細矢と濱崎で考え抜いたネーミングのつかみはOKである。
「基本的にやりたいことは3つあります」
「…教えてください」
濱崎のイメージする「アスリム」の基本機能は以下の通りである。
①スケジュールの共有
管理者?マネージャー?が練習や試合の予定を書き込んで、それを選手全員が見て、参加不参加などのレスポンスを返せるカレンダー機能
②データの閲覧
出場データやフィジカルデータ、また今シーズンから導入された試合毎の評点それに伴い修正される選手の市場価値(CV)を選手ごとに見られるデータの編集閲覧機能
③相互のコミュニケーション
監督、GM、選手間でそれぞれチャットのような形でやりとりできるコミュニケーション機能
「これまではそれぞれが別々のツールを使っていました。カレンダーはGoogol、データは表計算ソフト、コミュニケーションはSNSや電話メール。これらをアスリムに集約したいんです」
「これ、御社ならできるんじゃないですか?」
小渕は二度頷いた。
「もちろん、できますよ。だって…カプルムと同じ機能じゃないですか、それ」
細矢と濱崎も笑みを浮かべた。もちろんそう答えが来るとは予想していた。
濱崎は元々カプルムを狙い撃ちして買収することを糸瀬に提案していた。先程の小渕の話からすると、本当にやりたいことを伝えてしまえばM&Aがスムーズに進まないと糸瀬は判断して、相手側には理由を濁して買うことにしたのだろう。
そしてそこに金儲けの路線を乗っけたのが濱崎の横に座る細矢である。
「小渕さん、昨今のスタートアップ企業のトレンドをご存知ですか?」
「? いえ…」
「各業界に特化したDXツールです」
DXとはデジタルトランスフォーメーションの略であり、大変ざっくり説明すると、デジタル技術を使って世の中を便利にすること全般を指す。
最近は業界に特化したサービスが次々と出てきている。予約サービスだけを取っても、美容院の予約、病院の予約、ホテルの予約…。それぞれに専用のアプリをDLしている人も多いだろう。
つまりこれだけ周りにITが溢れた世の中になってくると、広く色んな人が使えるような汎用的なサービスはむしろ不便なのである。自分には合っていないとなってしまう。
人や会社が、それぞれ自分に合った専用のサービスを利用する、そういう世界に変わっていくその過渡期だと細矢は説明した。
「我々がなぜアスリムを作りたいか。それは、もちろんこれがあると便利だからです。逆に言えば、世の中にアスリムはないんですよ。ないから作ろうとしている。…さて、これって、我々だけの悩みだと思いますか?」
「…どういう意味ですか?」
「このアスリム、作った後には外部に売ろうと思ってます。月額制のサブスクで」
「…有料アプリとして開発する?」
小渕の問いに細矢は力強く頷いた。カプルムはユーザーにとって無料で使えるアプリであるが、アスリムは違う。ユーザー課金型の有料アプリにするつもりである。
「日本に御社のような社会人サッカーチームはいくつあるんですか?」
「調べていませんが、1道1都2府43県にそれぞれ県リーグはあるわけなので、47かけるところの、うーん、和歌山だとひとつのリーグに6チームあって3部なので、47×6×3で、846か。その上に地域リーグもありますから、ざっくり1,000ですかね」
「1,000だと少し、小さいですね…。1チーム30人くらいですか? だとしても3万人か…」
市場規模の推測を始めたことに細矢は感心した。従業員が2人であっても彼はれっきとした経営者だ。
そして、小渕の言う通り、社会人サッカーチームをターゲットにしたのでは市場は小さすぎる、しかし。
「小渕さん、サッカーだけに限定したらアプリの名前はサカリムとかになっちゃいますよ。フットサル、野球、バスケットボール、バレーボール…チームスポーツを行なっているすべての団体が潜在顧客です。だから『アスリム』なんです」
「それに、日本に限定する必要もないですよ。私たちはオーストリアとタイにそれぞれ窓口を持ってます。グローバルに展開することだって、もちろんできるはずです」
少しだけネットで検索すれば出てくるが、全国の総合地域スポーツクラブの数で4,000、スポーツ少年団は約3万にも達する。さらに個別のスポーツチームが存在するわけで、所属する個人まで落とせば、エンドユーザーの数は100万人や200万人という規模ではないだろう。しかもこれは日本国内だけである。
「どうでしょう、わくわくしてきませんか?」
投資家である細矢からすればマーケットの広さと、スケールした後の収益に心躍らせているが、開発者からすれば、カプルムが形を変えてドル箱に変わる可能性を秘めた話である。金銭以外の興奮もあるに違いなかった。
「…よくわかりました。そうですね…ーーーカプルムはちょっと可愛さを意識してカタカナにしましたが、アスリムはアルファベットで『Athlem』というのはいかがでしょう」
細矢と濱崎はお互いに顔を見合わせた。表には出さないが、心の中ではがっちり握手している。
その言葉は、小渕が2人のアイデアに乗ったことを意味していた。
「小渕さん、いいじゃないですか!」
「ありがとうございます!」
「いえ、こちらこそ…。それ、おもしろいです。黒船グループになってよかった。皆さんが喜ぶものを作れば、市場にも受け入れられるということであれば、ある程度固く始めることもできる」
「どれくらいでいけそうですか?」
「ベースの仕組みはカプルムを使い回せるので、費用も時間もそんなにかからないと思います。そうですね…MVPでよければ2ヶ月。夏までにはリリースしたいです」
「お願いします! 機能面の相談は直接私にしてください」
2020年4月、黒船グループに買収されたカプルムは商号をアスリムに変更。アプリの名前は小渕の原案から、後ろの文字を大きくして「AthleM」に決定したのである。
つづく。




