第70話 来季の処遇
(簡易人物メモ)
真田宏太: ラーチャブリーSC
濱崎安郎: 南紀ウメスタSC GM
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T2リーグに所属するタイのラーチャブリーSCから、真田宏太レンタル移籍期間延長の申し出があったのは、契約期限となる3月当月のことであった。
12月に真田が渡泰して以降、試合出場の知らせがなかったことは南紀ウメスタSCのGMである濱崎はもちろん、黒船グループ全体が心配していたと言ってもいい。
報告があったのは2月のT2第24節。リーグ戦も佳境に入り、残り10節を残すだけとなっていた中、途中出場からチームを同点に導くゴールをあげたとのこと。
「ーーーいやあ、よくがんばったね」
「ご心配おかけしてすみません…」
濱崎の労いの言葉に、Web会議の画面越しで真田は照れたように破顔した。
24節で結果を残して以降、すでに3試合を消化しているが、直近の第27節では初の先発出場を飾った。着実にチームからの信頼を勝ち取っているのがデータからも伝わってくる。
ポジションは前線で使われることもあれば、突破力を期待されてサイドハーフで使われることもあり、チーム事情により出場機会は様々であった。
「やっぱきつかったです。あんなに試合に出れなかったのは初めてだったので…」
「なにかきっかけみたいなものはあったの?」
「うーん、チームメイトの畑中さんやソジュンが結構気にかけてくれていて。監督へのアピールの仕方とか、色々試行錯誤していた中で、やっとハマったって感じですかね…」
そういう意味では、本当にたった1人で現地に行って活躍できる日本人選手は本当に尊敬すると真田は口にする。
「リーグのレベルはどう? うちのデータ班はJFL相当と位置付けていたけど」
「JFLでやったことないからわかんないっす」
「そりゃそうだね!」
二人して笑い合う。選手当人のメンタルも良さそうである。ここまで話を聞く限り、海外移籍における入口の壁は突破できたと見ていいだろう。
彼の経験は南紀ウメスタにとっても大きな財産だ。将来的には所属選手を海外に移籍させることを目指していると言ってもいいクラブ方針の中で、その重要拠点のひとつに位置付けているタイでの成功事例は、今後二匹目三匹目のドジョウを狙いに行くためのロールモデルになり得る。
「まだまだ話を聞かせてほしいところなんだけど、先に契約の方を終わらせようか。先日、ラーチャブリーSCから契約延長の打診が届いたよ」
「はい、こちらでも聞いています。ギリギリ間に合ってよかったです」
真田とのレンタル契約は今月末まで。選手の移籍について、決まるときは1日で決まったりもする世界であるとはいえ、一般的なビジネスの観点からすれば十分にギリギリだった。
「本当によく間に合わせたね。君が実力で勝ち取った契約だ、誇っていいと思うよ。それで、我々としても当然契約延長には応じようと思っている」
「ありがとうございます。ぜひお願いします」
ラーチャブリーSCの希望延長期間は今年の7月まで。元々が中途半端な期日だったせいもあるが、延長期間はタイリーグが終わるまでの超短期となっている。
「濱崎さん、俺が本当に使える選手と思われていたら、来季までの契約延長もあったと思いますか?」
「…いや、それはないだろうね。レンタル移籍で1年を超えることはないよ。もちろん今回のように再度のレンタル移籍ということはあるけど、一度は所属元に戻る形になる」
3月末はレンタル移籍期間の期日でもあると同時に所属元である南紀ウメスタSCとの契約期限でもある。
ラーチャブリーSCからのオファーは当初協議内容の通り、あくまで再度のレンタル移籍であるため、南紀ウメスタSCでの契約延長がされなければ、オファーは無効である。もちろんあえて契約更新せずにフリーとなってから入団することも可能ではあるが、クラブの後ろ盾がなくなる分、なにか契約内容で揉めたりした場合、選手側のリスクは大きくなってしまう。
「念の為確認しておくけど、移籍に関しての代理人等はいないね?」
「はい、畑中さんから代理人は勧められたんですけど、ちょっとまだ自分では判断つかなくて、代理人契約は誰とも結んでいません」
通常、海外移籍が絡む場合は契約交渉に関する代理人を立てることが一般的である。おそらく選手キャリアの長い畑中は海外移籍を前に代理人を立てているのだろう。
今回は所属元との契約更新かつ海外クラブといえどもレンタル移籍であるため、交渉の余地が少ないとはいえ、本来の選手の利益を考えれば代理人を立てるべきだという畑中の助言は筋が通っていた。
「代理人についてはこちらでも紹介するよ。もちろんクラブではなくて、選手に寄り添ってくれるちゃんとした人をね」
「ありがとうございます」
「じゃあ改めて、ウチとしては現行の年俸維持した状態で契約を一年更新しようと思っている。選手として何か希望はある?」
「特にありませんが、違約金の設定はありますか?」
本来1年の選手契約に違約金は織り込まれないのが普通だ。違約金条項を設定してもすぐに契約が切れてフリーで獲得できる状況にあるのに、わざわざ違約金を払ってまで数ヶ月を買いに来るクラブはいない。とはいえ、真田にとってその数ヶ月も重要であることは濱崎も分かっていた。
現在ラーチャブリーSCはリーグ3位。自動昇格圏である2位との勝ち点差は2。まだ10試合を残す中で勝ち点を計算するタイミングではないが、来季の1部リーグ昇格は十分に可能なポジションにいる。真田としては当然1部リーグでの経験を積みたいと考えるだろう。
「ちなみにウチが来季からCVっていうシステムを導入する話は聞いてる?」
「あ、はい。真弓さんから聞きました」
CVとは選手年俸をベースにした選手の市場価値を算出する南紀ウメスタ独自のシステムである。すでにおおよその概念は確立、経営側からも承認を得ており、すでに所属選手全員のCVは算出されていた。
「CVは選手にもリアルタイムで公開する仕組みにしているから、今伝えるよ。うちは君に4,900万円の価値があると判断している」
「4,000万円!? …それはすごいんですか?」
単純な数字だけ聞くと、日常生活の中ではとても大きな金額であることくらいしか真田は掴めなかった。
「チームの中では圧倒的だね。それだけ君の年俸が他の選手と比べて高いということだけど。ただプロ基準で見た時に、例えばJリーグで活躍した選手がヨーロッパに移籍するときの移籍金として考えれば、たぶんこの金額ではオファーが来ることもありえないくらい全然安い。少なくとも1億円は超えないとな」
海外移籍マーケットでは数十億円単位で一流選手が取引されることも珍しくない。一桁億円クラスであれば、バーゲンと呼ばれる時代である。
「なるほどですね…。でもなんとなく納得です。俺はタイの2部リーグですから」
「このCVはまさに違約金条項に織り込むことも想定した指標にはなっているから、ストレートにやろうと思えば、4,900万円が違約金ということになるんだけど…」
複雑そうな表情を浮かべる真田を安心させるように濱崎は笑みを浮かべた。
「実は移籍延長の打診と合わせて、ラーチャブリーSCの親会社、ウォンキットグループからウチにスポンサー料が支払われてね」
「え?」
「向こうもこちらが違約金を設定するような小細工を仕掛けてくることは考えていたんだよ。言わば、釘を刺してきたようなものだと僕は思ってる」
ウォンキットグループからのスポンサー料は破格の5,000万円。
つまり真田宏太はそれだけ先方から評価され、日本での協業可能性も含めて、継続的な関係性を望んできたということだ。裏返せば、それだけ自分たちと付き合うメリットが黒船側にもあるから、真田の契約に関して変なことは考えるなよというメッセージにも受け取れた。
「元々ウォンキットグループ宛にスポンサーの打診をしていたのはウチなんだけど、彼らは君の処遇を決めるまで正式な回答をしないと言ってきていたんだ」
「そうだったんですね…」
「ごめん、選手である君にはあまり関係ある話じゃなかったね。ともかく、南紀ウメスタSCは真田宏太との契約延長に際して違約金は設定しないということは決まっている。もし7月までにラーチャブリーSCが君のことを完全移籍で獲得したいと打診があった場合、お金の話はなしだ。自由だよ」
「ありがとうございます!」
画面越しではあるが、真田は大きく頭を下げた。あとは自分の活躍次第と分かりやすい整理になったことでスッキリしたのだろう。
「ウチにも色んな意見を言う人がいるけど、僕個人としては、君にはいくところまでいってほしい。今季1部昇格を決めて、来季タイの1部リーグで活躍しなよ。そうすれば、Jリーグの道は開けると思う。代理人も選定してね」
「でもクラブ側には何の恩も返せないですね、そしたら…」
真田の気遣いを濱崎は一笑に伏した。
「簡単なことだよ。国内外のメディアから取材を受けることも今後増えるかもしれない。その時に南紀ウメスタSCの名前を出してくれれば、マーケティング効果としては十分だ。良い選手がうちにもっと来てくれるかもしれないだろ?」
「約束します」
「がんばれよ、真田。ここからが本当の勝負だぞ」
後日、南紀ウメスタSCの公式SNSにて、真田宏太との契約延長並びにラーチャブリーSCへの再レンタルが発表されることとなった。
つづく。




