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【連載版】超能力者な公爵令嬢  作者: 緑名紺


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18/18

番外編 花の妖精の初恋


ミュゼットの妹・カメリアの番外編です。

少々特殊です。

何でも大丈夫な方のみお読みください。



 初夏。春から夏に移りゆくにつれ、緑が色を濃くする季節。


 わたしは今日も屋敷の庭園のお手入れに勤しんでいた。風に揺れるお花たちに合わせて鼻歌を歌いながら、土の状態を確認して水をあげる。

 今日もみんな、力強くて瑞々しい。とっても素敵よ。

 お水が美味しい、太陽が気持ちいい、とお花たちもご機嫌だ。わたしも嬉しい。


 わたしには植物の気持ちが分かる。

 植物対話プラントトークという少し珍しい精神系の超能力者なの。と言っても、第三級だから会話は難しい。

 言葉を聞いている、というよりはそのときの気持ちが伝わってくる感じ。植物だって人間の言葉なんてあまりよく知らないでしょうし、簡単で単純な感情しか分からない。

 でも、わたしの気持ちはよく伝わるわ。

 早く大きくなって、綺麗な花を咲かせて、そう願って念を送れば花たちは応えてくれる。彼らの健気に成長する姿は、本当に可愛い。愛しくて仕方ない。


 お父様とお母様にはとても感謝しているわ。

 公爵家の娘が土を触るなんて、あまり誉められた行為ではない。それでもせっかく銀神人様からいただいた力だからと、庭園の一角をわたしの好きにさせてくれている。

 リヒテル兄様やミュゼット姉様の超能力とは違い、きっと公爵家の役には立たないのに。


「……結婚かぁ」


 ふと、水をやる手が止まった。

 わたしがファラデール家に貢献する唯一の方法。

 最近、ミュゼット姉様に新しい婚約者ができて、毎日幸せそうにしている。わたしも嬉しくて、結婚式のためのブーケを作る約束をしたくらい。


 姉の婚約者のフィリオさんは物語に出てくる王子様のような華やかな方。実際何かが少し違えば王子と呼ばれてもおかしくない血統で、国王陛下とも近しいみたい。

 見た目はもちろん、物腰や品性も非の打ち所がない。わたしにも優しく接してくださるし、喋っていて頭が良い方なのだと分かった。お母様なんて、フィリオさんのことを理想の王子様だと絶賛してはしゃいでいた。

 姉様曰く、「本当は少し性格が歪んでいて、普段は猫を被っている」らしいけれど……。


 元婚約者のクルトさんを知っている身からすれば、確かにフィリオさんの優しさには打算のようなものを感じる。爽やかな笑顔は作り物で、耳心地の良い言葉も全て計算づく。騙されているような気がしてしまう。


 だけど、仕方がないとも思う。

 両親とわたしと遠方にいる兄様にだけ伝えられた事実――フィリオさんが第一級の精神感応を持っているのだとすれば、まともな神経では人間と交流できないのではないかしら。

 だって、植物とは違って人間は醜い感情と欲望に満ちている。それら全てが分かってしまうなんて寒気がするほど恐ろしくはない?

 彼には深く同情する。


 精神感応について聞いてから、フィリオさんにお会いするのが少し怖かった。彼は眉一つ動かさず、笑いかけてくれたけれど、実際はどう思っているのだろう。

 わたしは、自分の精神構造がまともではないことを理解している。


 まぁ、フィリオさんにどう思われても構わないけれど。

 それに、わたしのような人間は案外たくさんいるのかもしれない。彼が何も言ってこない以上、わたしから話題に出すこともない。


 そう、ミュゼット姉様を愛し、幸せにしてくれるなら、何も文句はないのだ。

 フィリオさんは一時期塞ぎ込んでいた姉様を立ち直させてくれた。そのことには感謝しかない。第一級の超能力者同士、分かり合えているようで何よりだ。

 姉様には自信を取り戻してほしいとずっと思っていたから。今度こそ幸せになってもらわないと。


 姉様が嫁いだら、次はわたし。

 ありがたいことに、求婚の申し出はたくさんあるみたい。現役の大臣かつ公爵であるお父様と、社交界で名を馳せた才色兼備なお母様の娘。超能力は高階級とは言えないけど、珍しい部類のもの。求められても不思議はない。

 わたし自身はあまりぴんと来ていなかった。姉様みたいな高嶺の花を身内に持てば、自分が親しみやすいだけの安っぽい存在だと思い知らずにはいられない。


 わたしは、誰と結婚するのだろう。

 むやみに植物を傷つける人間でなければ誰でもいい。お父様にもそう告げてある。きっと政略結婚になるだろう。

 お母様には申し訳ないけれど、わたしは恋愛結婚にさほど憧れがないの。


 でも、最近少し考えることが増えた。

 愛し愛されるというのはどのような感覚なのだろう。植物たちは大地への慈愛に満ちているけれど、たった一人の異性を深く愛するような感情は持っていないから、教えてもらえない。

 ミュゼット姉様がフィリオさんについて話すときの幸せそうな顔を見ると、ほんの少しだけ胸が痛くなる。

 わたしには、分からないから。

 植物の気持ちに寄り添いすぎて、殿方を愛することができないのかもしれない。人間として、何かが欠落しているのではないだろうか。


 分からないものは仕方ない。別にいいの。

 わたしには花を愛でる力と心がある。孤独になることはない。


 芝生を踏みしめる音がした。きっと庭師のモールだわ。

 何十年も公爵家の庭の管理をしてきたお爺さんで、わたしにとってガーデニングの師匠に当たる人。少し気難しいところがあるけれど、とっても優しくて心を込めて仕事をしてくれる。彼が我が家の庭師でなければ、わたしはこんな風に無邪気に花と戯れることはできなかったでしょう。


 年季の入った麦わら帽子が近づいてくるのが見えて、わたしは声をかけた。


「モール。見て、紫陽花が色づき始めて――」

「カメリアお嬢様」


 モールは一人ではなかった。

 傍らに新品の麦わら帽子をかぶった少年がいた。日に焼けた肌に、ぼさぼさの栗毛。見るからに平民という装いをしている。彼は唇を固く結び、鋭い目つきでわたしをじぃっと見つめていた。


「今日から弟子もこちらで働かせていただくことに……ジャックと言います。小さな農村の出身で、あまり教育を受けていません。もし失礼や不手際がありましたら、遠慮なく叱ってやってください」


 モールの言葉に彼は――ジャックはわたしから目を逸らしてペコリと礼をした。

 それがわたしとジャックの出会いだった。


 ◆


 最近、妹の様子がおかしい。

 食事を残しがちになったり、声をかけても気づかなかったり、学術院が終わったら友達を振り切るようにして帰ったり。

 いつもの完璧な公爵令嬢ぶりはどこに行ってしまったの?

 迎えの馬車が来たのに気づかず、ぼんやり空を眺めている。なんというか、気が抜けているのよね。

 何かあったに違いない。落ち着いて話をする必要がありそう。


「カメリア、今日は帰ったら久しぶりに庭園のお世話を手伝うわ」

「ありがとう、姉様。でも大丈夫」

「え!? そ、そう?」

「ええ、姉様は結婚に向けていろいろと忙しいでしょう? わたしのことは気にしないで」


 何故だろう。やんわりと拒絶されているような気がする。

 ショックだわ。

 私は焦って、遠回しに聞くことを忘れた。


「最近あなたの雰囲気が変わったから心配なの!」


 カメリアはふわりと微笑んだ。


「? いいえ。わたしはいつも通りよ」

「そうかしら。何をしていても上の空みたい。悩み事でもあるんじゃない?」

「そんな……むしろ最近は毎日楽しくて仕方ないの」


 花が綻ぶように、とはまさにこのこと。

 カメリアは頬を染め、瞳を潤ませて、情感たっぷりに述べた。私がカメリアに恋をする男性だったら、心臓が爆発していたかもしれないほど可愛らしかった。

 本当に変。熱があるのかも。屋敷に帰ったら家令に頼んで医者を呼んでもらおうかしら。でも本人は幸せそうだし……。


「何か良いことがあったの?」

「ええ。新しいお友達ができたの。姉様は知っている? 庭師のモールが養子に迎えたお弟子さん」


 記憶にない。

 最近の私はフィーに会うために頻繁に外出をしているし、そうでなければ部屋に籠っていろいろと訓練をしている。超能力とか、刺繍とか、筋トレとか忙しい。

 そんなわけで、屋敷の使用人と顔を合わせる機会が激減しているのだった。


「ごめんなさい、よく知らないわ。でも、その庭師見習いの子と仲良くなったのね」

「そう。ジャックというの。とても真面目で心優しいのよ。この前は一緒にアサガオとヒマワリの種をまいたの。それでね、文字を教えてほしいというから、一緒に観察日記をつけることになってね、最近やっと本葉が出てきて――」


 声が弾んでいる。こんなに楽しそうにお友達について話すカメリアを見るのは初めてだ。ああ、でも半分はお花の話だけど。

 相手は庭師見習い。きっと園芸について語り合えるのが嬉しくてたまらないのだろう。


「楽しそうね。私も一緒に――」

「それはダメ」


 ぴしゃりと断られてしまった。私が目を見開いて固まっていると、カメリアは慌てた。


「あ、ごめんなさい。違うのよ。ジャックは人見知りが激しくて、特に貴族に苦手意識があるの……わたしと話してくれるようになるまでも大変だったのよ。いつも隠れようとして」

「…………」

「だから、そのうち紹介するね」


 そんなに気難しい相手なら、私が関わって怖がらせるのは申し訳ない。自然と顔を合わせるまで訪ねるようなことはやめておこう。


「ヒマワリが咲く頃に、一緒にお茶会をしましょう。フィリオさんも呼んでね。夏の庭園を自慢したいの」

「それは楽しみだわ」


 うん、いつものカメリアだ。


 ◆


 アサガオの鉢に支柱を差して、伸び始めたツルを巻きつける。ジャックが悪戦苦闘しながら、優しい手つきで絡まったツルを解いてあげていた。


「アサガオたちが、ジャックに『ありがとう』って言っているわ」

「……そうっすか」


 ジャックは興味なさそうな態度をしつつも、頬が緩んでいた。

 最初はわたしに対して素っ気なかった彼だけど、貴族の前に立つことに緊張していただけなんですって。めげずに声をかけたら、こうして一緒に花のお世話をするくらい仲良くなった。


 ツタの巻きつけが終わると、ジャックは手帳を取り出してアサガオの絵を描き始める。文字の読み書きが苦手な割に、絵心はあるみたい。葉脈もツルの状態も上手く描けている。でも文章を書く段になると、とたんに手が動かなくなる。


「まずは間違えても良いから書いてみて。大丈夫。ゆっくりでいいわ」

「うん……ツルが、伸びてきた。葉も大きくなって――」


 わたしは彼の様子を見守りながら、鼻歌交じりでアサガオに水をやった。なんだかとても満ち足りた気分。


「……お嬢様は、なんで俺に良くしてくれるんですか」


 不意にジャックが尋ねてきた。


「俺みたいに平民で、孤児で、超能力もない奴に、毎日会いに来て、文字や計算を教えて、たまにお菓子までくれて……時間の無駄なんじゃ……」


 ジャックは生まれ育った農村で、母と二人で父の遺した畑を耕していた。王国の大地が恵み豊かなおかげで貧しくとも飢えることはなかったという。

 母が病に倒れ、治療のために家と土地を売って王都にやってきたのが一年前。先月、とうとう亡くしてしまったという。

 元々モールと遠縁だったこともあり養子になって、弟子入りして庭師で生計を立てることを目指している。彼はとても苦労をしているのだ。


 わたしは彼を一目見て、その生い立ちを聞いて、放っておけないと思ってしまった。同情した部分もあると思う。

 でも、それだけじゃない。ううん、今となっては彼の事情よりもわたしの気持ちを優先して会いに来ている。


「そんなことないわ。ジャックとお話しできて楽しい。それに、とても熱心にみんなのお世話をしてくれているもの。そのお礼よ」

「礼なんて要らない。俺の仕事だし、公爵様にお給料だってもらってます」

「そう、お仕事ね。庭師にも読み書きや計算は必要な技能よ。覚えてほしいから教えているの。だから遠慮なんてしないで」


 口ではわたしに勝てないと悟ったのか、ジャックは小さく息を吐いて観察日記の作業に戻った。


 改めて考えてみた。どうしてジャックに執着するのか。わたしは自分の抱く感情がよく分からない。それを確認するように言葉を吐き出す。


「わたしはこの庭園が世界で一番好き。本当はずっとここにいたいの。みんなのお世話をしていたいわ」

「…………」

「でも、そういうわけにはいかない。モールだっていつかは引退するでしょう? 全く知らない誰かにこの子たちを任せたくないの。ううん、ジャックになら安心して任せられると思うから、だから、早く一人前になってほしくて……」

「お嬢様も、いなくなる……?」


 ジャックが顔を上げて、首を傾げた。視線が交わったとき、今まで感じたことのない痛みが心臓に走った。苦しい。わたしは呻くように答えた。


「ええ。いずれは、どこかの家に嫁ぐでしょう」

「…………そう」


 それきりジャックは顔を上げなかった。そしてわたしは、そのときやっと自分の気持ちに気がついた。


 ◆


「フィー、どうしましょう。最近、カメリアの様子が本気でおかしいの! 助けて!」


 私の救助要請に対し、フィーは肩をすくめた。


「カメリアさんが、ねぇ……」


 もう既に私の心の中を読み取っているとは思うけど、深刻さが伝わっていないようだ。申し訳ないけれど、今日の私はデートどころではない。


「社交界で花の妖精と謳われるカメリアが、萎れた草みたいに元気がないのよ! 塞ぎ込んでため息ばかり吐いて、時々泣いているみたいで……それだけじゃない。庭園のお世話が生きがいだったのに、今朝の水やりに行かなかったのよ! どう考えても異常事態!」


 学術院で何かトラブルに巻き込まれたのだろうか。痴情のもつれ? 友達からいじめられている? それともまたヴァイス王子が何かやらかしたとか?

 許せない。事情によっては、今度こそ粉々に……。


「待った。未来の妻が牢に入るのは困る。それに、あのバカごときがカメリアさんを泣かせられるはずないよ。最近の彼女の様子をよく思い出してくれ」


 私は深呼吸をして、幸せそうなカメリアの顔を思い出した。


「庭師見習いの男の子とお友達になったって、嬉しそうにしていたのに……」

「ああ、多分それじゃないか」

「…………」


 なるほど。落ち着いたらすぐに分かった。


「カメリアはその子と喧嘩をしてしまったのね」

「喧嘩……うーん、どうだろうな? とりあえず、そんなに心配ならカメリアさんに伝えて。俺が力になれることなら相談に乗る、と」


 フィーの意味深な笑みに、私は首を傾げつつも頷いた。






「お願いします。助けてください。彼の心が分からないんです」


 フィーの伝言に対し、カメリアは決意が滲む表情でこう答えた。

 ファラデール公爵家の一室で、私たち三人は顔を突き合わせていた。呼べばすぐ来てくれるフィーに感謝しないといけない。彼曰く、未来の義妹に良い顔をしたいそうだ。


「なるほど。思った以上だな……これは、どうしよう……」


 カメリアに相対し、フィーは珍しく動揺していた。一体何を知ったのだろう。気になる。


「フィリオさんならば、もうお見通しでしょう。そうです。わたし、どうやら失恋してしまったようなのです」

「…………え?」


 今なんて言った? 失恋?

 失恋をするためには恋をしなければいけない。じゃあ、あの植物命のカメリアが人間の男性に恋をしていたということ?

 まさか、いえ、でも……言われてみれば確かに。カメリアのあの幸せそうな顔、何も手につかない様子、彼について話す華やいだ声。恋する乙女そのものだわ。


「相手は庭師見習いのジャック?」


 カメリアはこくりと頷いた。


 よくよく考えてみれば、私を庭園から遠ざけようとしていたし、すぐ会わせてもらえなかった。もしかして、もしかしなくても、二人の世界を邪魔するなということ?

 私ったら、なんて空気を読めていなかったのかしら。というか、鈍すぎる。


「相談してもらえないはずね……」

「まぁ、ミュゼは二回とも恋心を自覚して速攻で婚約まで漕ぎつけている。ある意味苦労知らずだからな。恋愛相談をする相手には向かないかも」


 うぅ、確かに片想いの辛さや恋の駆け引きについては分からない。

 でも、フィーには言われたくない。恋をされた側が言いますか、普通。


「ごめんなさい、姉様。やっぱり少し恥ずかしくって」


 真顔で言われると、あまり信憑性がない。

 私の方がよほど恥ずかしい思いをしている。でも、甘んじて受け入れよう。今大切なのはカメリアの恋の行方だ。


「いいわ。それで、その……失恋してしまったというのは、告白して断られたということ?」

「言葉にはしていないの。急に避けられるようになってしまって、話しかけても答えてくれないし、どうしていいか分からなくってしまって……もう耐えられない」

「カメリア……」

「お願いします。フィリオさんにジャックの心を読んで欲しいんです。嫌われるようなことをしていたなら謝りたい。それに、もしわたしを避ける正当な理由があるのなら、大人しく引き下がりますから」


 第一級の精神感応を恋愛に使うなんて反則極まりない。ジャックにも申し訳ないわ。でも、ここ数日のカメリアの憔悴ぶりを見てしまったら……。


 問題はそれだけではない。根本的な部分を無視してはいけない。

 心を鬼にして私は問いかけた。


「一つ確認させて。相手は平民。しかも我が家の使用人なのよ。もしもカメリアの恋が実ったとしても、お父様が許すとは思えないわ。どうするつもり?」


 カメリアは神妙な表情で頷いた。


「正直に言って、自分でもどうしたいのか分かっていないの。こんなことは初めてで……でも、時間が許す間は今の気持ちを大切にしたいわ。たとえ未来のわたしが辛い思いをすることになっても」

「…………」

「だけど、やっぱりジャックには迷惑をかけたくない。だからこそ、彼の気持ちを知りたいの」


 なんだか感動してしまった。あのカメリアが、こんなにも誰かのことで心を揺らしているなんて……。

 私はカメリアの恋を応援すると決めた。身分差なんてどうだっていい。お父様がどれだけ反対しても、二人がそのつもりならば全力で背中を押す。

 大丈夫。リヒテルお兄様がいれば、我が家は安泰。私だって最近は念動力の扱いが上手になってきたので、そのうち国や家のために働くことができると思う。

 カメリアが愛に生きてもファラデール家は揺るがない。


「フィー、お願い。協力してあげて」


 いいじゃない。理由も話さず避けるなんて、ジャックの態度だってひどい。フィーはいつも躊躇いなく超能力を使っているんだもの。乙女の可愛らしい恋のためなら力になってくれるはず。

 私たち姉妹の視線を受けたフィーは苦笑を浮かべた。


「安請け合いした俺が悪かった。いいよ。そのジャック少年に会おう」


 そして、小さく息を吐く。これから起こる厄介事が分かっているかのような表情に、少し不安がよぎった。


 ◆


 砂利の入った大きな袋を一生懸命に運ぶジャックを見て、わたしは嘆息した。

 なんて可愛いの。ずっと見守っていたい。


「手伝うよ」

「え? え? ……誰ですか?」


 わたしはミュゼット姉様と一緒に庭園の茂みに隠れ、ジャックとフィリオさんの会話を盗み見ていた。フィリオさんが爽やかな笑顔で強引に手を貸している。


「怪しい者ではないよ。俺はファラデール家のご令嬢の婚約者で、フィリオ・アストラリス」

「え、お嬢様の?」

「ああ。ミュゼットに会ったことある?」


 ジャックが「なんだ」と、心なしかほっとしたような顔を見せた。

 フィリオさん、わざと勘違いさせるような言葉選びをしたわ。精神系の超能力者は、ああやって言葉巧みに聞き出したい情報を想起させ、心を読みやすくする。


「ミュゼットお嬢様には、まだお会いしたことはない……ありません」

「ということは、カメリアさんとは会ったことがあるんだね。当たり前か。彼女は随分とこちらの庭園に力を入れているそうだから、庭師のきみとは仲が良いんだろうね?」


 実に白々しい。だけど、頼もしくもある。これでジャックがわたしのことをどう思っているか、フィリオさんには丸分かりだろう。

 だけど心を読むまでもなく、ジャックの言葉を聞くことができそうだ。彼は躊躇いがちに答えた。


「仲良いなんて、えっと、恐れ多い……です。俺はただの庭師見習いですから、お嬢様と仲良くするのは、ふ、不敬? です」


 どこかしょんぼりとするジャック。

 ああ、そういうこと。わたしは最近になって彼に避けられるようになった理由を察した。きっと使用人の誰かに叱られたのだろう。これはわたしにも非がある。


「……なんてこと」


 隣にいる姉様の顔色が悪い。額に汗の玉が浮かび、小刻みに震えている。ジャックを一目見たときから、姉様は愕然としていたけれど、やっと我に返ったみたい。


「カメリア、あの子が、ジャックなのよね?」

「ええ」

「今いくつ?」

「今年九歳になったと聞きました」

「六歳差!?」


 わたしは咄嗟に姉様の口を塞ぐ。幸い、ジャックの耳には届かなかったみたい。フィリオさんはちらりとこちらを見たけれど。

 大人しくなった姉様の口から手をどけると、涙目かつ小声で訴えられた。


「あなた、本気なの? 本気で九歳の男の子に恋を……?」

「何かおかしい? 六歳差くらい、珍しくないと思うけど」

「男性が年上の場合ならかなりの年の差婚もあり得るし、女性が年上でも二十代以上ならおかしくはないわよ? でも、でも、あなたたちはまだ――」


 十五歳と九歳。

 わたしは表情を変えずにいたけれど、本当は姉様の言いたいことは理解していた。

 九歳の男の子を恋愛対象として見るなんて、おかしいのでしょう。ううん、わたしも本当のところはよく分かっていない。


 ジャックのことは好き。大好き。家族以外で言えば、今まで出会った男性の中で間違いなく一番だ。

 でも、恋愛感情があるのかと問われると、どちらとも言えないのだ。


 ジャックの純粋なところがいい。真面目なところがいい。ちょっと恥ずかしがり屋で、時々卑屈で、いつも一生懸命なところが可愛い。

 そして、知識という水をあげたら、すぐに吸収して成長するところが好き。いつまでもそばにいて、見守っていたいと思う。


 わたしはジャックを一人前の庭師にしたかった。

 将来的には、一緒に植物を育てたい。


 彼は前に言っていた。庭師として働いて何十年後かにお金が溜まったら、故郷の村に戻って父親の畑を買い戻して耕し、静かに暮らしていきたい。それが自分の夢なのだ、と。

 わたしとしては永遠にこの庭園を守っていってほしいけれど、彼が望むのなら村に戻っても構わない。

 だってとても尊い夢だ。応援したい。あっさりとそう思ってしまった。むしろ、日毎わたしも彼と一緒に畑を耕してみたいと夢想するようになっていた。


 それくらい、わたしは彼に夢中なのだ。恋というより、愛や庇護欲の方が近いのかも。

 こんなことを思うわたしはやはりおかしいのだろうか。気持ち悪い人間なのかもしれない。


「姉様、わたしの心は、身分も年齢も気にしないみたいなの。わたしも困ってる」


 泣き出したくなるような思いを抱えたわたしを見て、姉様が息を呑んだ。

 その頃、ジャックとフィリオさんの方でも会話が進んでいた。


「不敬だなんて、難しい言葉を知っているね。誰かに言われたの?」

「…………」

「いいじゃないか。一緒に園芸をするくらい。カメリアさんのことはよく知らないけれど、植物の前で身分や立場を気にするような人ではないと思うよ」


 ジャックはじっとフィリオさんを見上げた。


「でも……カメリアお嬢様はこのお屋敷からいなくなる。いずれ誰かと結婚するって言っていた。これ以上仲良くなったら、俺は……」

「好きになってしまう?」

「!? ち、違っ!」


 普段の彼からは想像できないほどの大きな声だった。

 その顔が遠目でも赤く染まっているのが見える。フィリオさんが困ったように笑った。


「そうか。変なことを言ってごめんね。きみにとって、カメリアさんはどういう人? 教えてくれないか。未来の義妹だというのに、あまりよく知らないんだ」


 フィリオさんがジャックの目線に合わせて、とても柔らかい声音で尋ねた。ジャックはひどく動揺しつつも、たどたどしく言葉を紡ぐ。


「どんな……カメリアお嬢様は、とても綺麗な人で」

「うん」

「いろいろなことを知っていて、俺みたいな奴にも優しくしてくれて、植物を人間みたいに扱う…………」

「ちょっと変な人?」

「えっ、それは」

「誤魔化さなくてもいいよ。絶対に誰にも言わないから」


 ジャックはしばし沈黙の後、こくりと頷いた。


「本当に変。見た目はお姫様みたいなのに、平気で虫を殺すんだ。なのに、ミミズには優しい」

「……そ、そう」

「でも、そういうところも全部、格好いいと思う。俺も早く、お嬢様みたいに上手に花を咲かせられるようになりたい、です」


 照れたように笑うジャックを見て、わたしは我慢できなくなった。おもむろに立ち上がる。


「え、お嬢様!?」

「ジャック、今の言葉は本当?」


 駆け寄って、思わず抱きしめそうになった。我慢しなきゃ。

 ジャックの日に焼けた頬が真っ赤だ。沸騰寸前という感じ。


「カメリアさん、彼の言葉にはほとんど嘘偽りはない。あなたを避けていた理由は、使用人たちに『あまり親しくするな、生意気だ』と注意されたから。あと、あなたがいずれ嫁いでいくことを知って寂しくなったから。ものすごく純粋でまともな、分別のある少年だよ。恋愛感情は自覚なし。ただ、無意識に傷つかないように防衛している。それくらい、あなたに対して憧れを持っているみたいだよ」


 フィリオさんの言葉に、ジャックは唖然としている。


「じゃあ、俺はこれで。あとは二人で話し合うといい」

「ありがとうございます。ご面倒をおかけいたしました」


 一礼すると、フィリオさんは苦笑いを浮かべた。そのまま姉様がいる辺りを一瞥して、庭園を去っていった。植物たちの反応を見ると、姉様もこの場から離脱したようだ。


「…………」

「…………」


 二人きり。いえ、ピンクの紫陽花がわたしたちを見守ってくれている。

 深呼吸をして、わたしは口を開いた。


「ごめんなさい。驚いたわよね。ジャックがわたしを避けている理由を、フィリオさんに探ってもらったの。あの方は、精神感応を持っているから」

「…………」

「本当にごめんなさい。いろいろ嫌な思いをさせてしまって」


 ジャックは目を合わせてくれなかった。でも逃げられないだけマシね。


「俺の方こそ、ごめんなさい……変だなんて言って」

「気にしてない。わたしは変だもの。ちゃんと分かっている」


 わたしより背の低い彼に俯かれてしまうと、顔が見えない。だからわたしはそっとその場に膝をつき、彼の土で汚れた手を取った。

 まるで騎士が主に忠誠を誓うときのような、令嬢にあるまじき格好で、わたしはそっと想いを告げた。


「わたし、ジャックのことが大好きよ。ずっと一緒にいたい」

「……え」

「許されるなら、結婚せずにずっとこの屋敷に残って、あなたと一緒に庭のお世話をしたいわ。ジャックが故郷に帰るのなら、ついて行って畑のお手伝いをしたい。それが今のわたしの本当の願い」


 彼の驚きに満ちた顔を見上げ、わたしはふわりと微笑んだ。


「ジャック、わたしがそう願うことを許してくれる?」

「え? え? 俺が許すの?」

「もちろん。わたしの夢にはジャックの存在が絶対に必要なの」


 しばらくして、ジャックが恐る恐るわたしの手を握り返した。


「変なの」


 涙目で笑う彼が、たまらなく愛しかった。


 ◆


 後日、カメリアが私に報告に来た。


「男女交際には発展しなかったわ。ジャックったら、わたしのこと信用できないんですって」


 ジャック曰く、カメリアが自分を好きだというのが本当だとしても、素直に納得できないそうだ。今の自分が幼い子どもで、カメリアがそういう性癖だから愛されているのかもしれない。成長したら興味をなくされるかもしれない。それを危惧しているようだ。

 ……正直、私もそれは思った。妹の特殊性癖を認めたくなかっただけで。


「わたしはお友達の弟たちにたくさん会っているけれど、一度だってときめいたことなんてないわ。ジャックだけが特別なのに……」

「そ、そう。でも、前みたいに避けられたりはしていないんでしょう? 良かったじゃない」


 すっかり仲直りしたらしく、この前ひまわりと背比べしている二人を見かけた。姉弟のようで微笑ましかった、と言ったら怒られそうなので口をつぐむ。


「ええ。姉様とフィリオさんには本当に感謝しているわ。それに、ジャックが約束してくれたの。だから頑張らないと」

「約束?」


 カメリアは赤くなった頬を両手で覆い、恥ずかしそうに言った。実の姉すら悩殺しそうな可憐な仕草だ。


「庭に柘榴の種を埋めたの。木が育って実が成る頃、まだわたしの気持ちが変わってなかったら……ずっと一緒にいてくれるって」


 今回植えた柘榴は、実をつけるまで五年くらいの時間を必要とするらしい。それだけあればカメリアの本気も伝わり、ジャックも心の整理ができるだろう。


「その日が待ち遠しいわ」


 うっとりとしているカメリアには悪いけれど、わたしは素直に笑えなかった。

 ジャックはカメリアの超能力を忘れている。彼女がその気になれば、柘榴は急成長を見せるだろう。

 決して枯れることなく、柘榴が実をつける日は確実に来る。


「姉様、それまではわたし、仮病を使ってでも結婚しない。お父様には内緒よ」

「……分かった。ギリギリまで待ってあげられるよう協力するわ。ジャックが大人になるまで」


 お父様、そしてカメリアに恋する男性の皆様、ごめんなさい。

 私はカメリアを応援するわ。


「ありがとう、姉様。大好きよ!」


 だって、恋する妹が今までにないくらい可愛くて仕方がないから。


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