第七十七話:BANTO@シンデレラガールズ~検証㉗~
いつも拙作をお楽しみ頂き、誠にありがとうございます。
私の住む関東地方はここのところ、台風接近直前のような天気で芳しくありませんが、梅雨前線が伸びて関西・東海地方は激しい雨だということです。
関西・東海地方にお住まいの方は、どうぞ外出の時はお気を付けください。
※※ 77 ※※
二階にある自室――と言っても良いのか、谷家から与えられた一室が小柄な少女のセカンドルームである。ベッドの上にはコットンパジャマやネグリジェ、ジャージが散らばっていた。
(普段なら、これの一択なんだけど……。ちょっと可愛くないよね)
そう思って、却下したジャージを引き出しに戻す。灼はこれから着る夜着を選んでいた。
ふと引き出しの隅にあるものが目に留まり、つまんで拾い上げる。灼の眼前にセクシーさを前面に押し出した深紅のベビードール・キャミソールが広がった。灼は誰もいないはずの部屋を見渡し、いけないものを見つけてしまった悪戯っ子のように慌ててチェストの奥へしまい込んだ。
(お、お義母さん……こんなものまで用意してるなんてッ)
羞恥でいっぱいの頭の中に、着衣している自分の姿が無理矢理浮かび上がる。そして熱い平良の視線に晒された、あからさまな膨らみのない未成熟な身体――途端に残念な気持ちになった。
(ふんッ! どうせあたしには似合わないわ)
「く、しゅんッ」
この季節、お風呂上りの下着姿ではすぐに風邪をひいてしまう。思わず震える腰を腕で抱いた、そのとき。
コンコンッと、
ドアの向こうから音が響いた。灼は驚いて振り向く。
「ちょ、ちょっと待ってッ。今、着替えてるから」
灼は急いでベッドの上のコットンパジャマを掴む。洒落っ気のないチェック柄のシャツを着て、同じ柄のズボンを穿こうと足を通す中で、
「あッ――と、と……っわあ!?」
後ろ向きに踏鞴を踏み、ドシンと尻もちを着いた。
「おいッ。だ、大丈夫か」
思わずをノブを回したくなる衝動を抑えて、俺はドア越しに声を掛ける。部屋の中から「大丈夫……。ヘーキヘーキ」とバツの悪い笑いが聞こえ、すぐに戸が開かれた。
「ごめん……。待った、よね?」
そこに現れた小柄な少女は照れ隠しとして、上目遣いで裾の先っぽをモジモジと手遊びをする。ツインテールのリボンが解かれ、艶やかに輝き、流れるような栗色の髪を見惚れていた俺は、一拍置いて部屋の中へ入った。
「怪我はないか」
俺の言葉に灼は首を振る。その仕草に揺れる髪から、俺と同じシャンプーの香りが広がった。その労わりを受け取ってから、灼は微笑で返す。
「ううん、何ともないわ。さあ、ここに座って」
指し示された場所へ俺は腰を下ろし、両手に持っていたカップの一つを灼へ渡す。頷く代わりに大きな栗色の瞳を伏せて受け取った。
「平清盛は平時子の実家である『平家』に婿入りした。源義朝は東国の国人から娘を娶った。長男・義平を始めとする戦に参加した子供たちは討死、あるいは斬首、自刃。元服していない未成年は寺で出家させられてる。唯一、頼朝だけは官位を持つ『殿上人』なので斬首を逃れ流刑となった……。これって義朝は『頼朝の母』には通ってたということかしら」
言って、灼はミルクティーで僅かに唇を湿らせる。俺は言葉ではなく、顎を引くことで頷いて肯定した。
「統子内親王が後白河院の准母として皇后へ立后された時、頼朝が皇后宮権少進に叙されたという話をしたが、母である由良御前は統子内親王の女房だった。
義朝はおそらく坂東を統率する地位と財力を背景に、熱田神宮の大宮司職でもあり後白河院の近臣でもあった藤原季範に『婿入り』したのだろう。
仁平三年<1153>31歳にして、ようやく従五位下・下野守に任じられ、翌年には右馬助を兼任した。頼朝が三男なのに『殿上人』であり、河内源氏・源頼信流の嫡男といわれる理由だな」
灼も俺に頷き返した。
「その後、頼朝は14歳で伊豆に流され、治承四年<1180>に挙兵するまで約20年間の記録は少ない。『吾妻鏡』によると頼朝は伊豆の国人の館を転々としてる。最終的に北条時政の館に落ち着くが、当初は平家寄りの国人によって、その監視下に置かれてた。
そんな中、伊東祐親は清盛から伊豆に配流された源頼朝の監視を任される。しかし、祐親自身は皇居や院庁、摂関家の警護に当たる『京都大番役』として上洛しており、留守の間に三女の八重姫との間に男児・千鶴丸を儲けてしまう」
「え、……えーと。つまり娶った?」
灼は顔を赤らめ、声を詰まらせた。流刑人でも貴族ならやることはやる。『源氏物語』の例もあるように。
そんな灼の様子に、俺はクスリと笑う。
「いや。恐らく頼朝が八重姫のもとへ通ったのだろう。『曽我物語』によると意訳だが『……源氏の流人を婿に取って、もし平家に知られたらどんな咎めを受けるのか。同じく婿を取ったというのなら、卑しい身分の商人や修験者だと言われた方がまだましだ……』
そのまま郎党に命じて、3歳の千鶴丸を現在伊東市にある『稚児ヶ淵』に沈めたという。
『婿』というところから頼朝は『殿上人』として扱われてるし、また祐親の妻も、次男の伊東祐清も頼朝を御曹司として遇してる」
聞いて灼は、沈鬱な表情のまま、鈍く声を零す。
「京で『平家一門』の栄華を全身に浴びてきた伊東祐親と、源頼義以来、坂東に色濃く残る源氏の威光を受けてきた次男の伊東祐清とは決定的に温度差があったということね。ということは、当然頼朝も命を狙われる?」
怪訝な顔をする灼を前にして、俺はミルクティーを啜って続ける。
「ああ。伊東祐親はかなりの親平家派閥の国人だったようだ。きっと八重姫を上京させ、女房として平家の館へ出仕させたかったのだろう。『曽我物語』によると安元元年<1175>祐親が頼朝を殺害しようと企ててたところを次男の祐清は烏帽子親である北条時政の屋敷まで頼朝を連れて逃げたとある」
「ここで『北条』が出てくるのね。しかし、清盛直々の預かりである頼朝を殺害しようだなんて……娘を取られたことに、よほど怒り心頭だったのね」
灼はドイツにいる父親を思い出し、自分も娘であることを心中で再認識する。仮に自分と平良が、両親のいない間に良い関係になったとしたら――怒り心頭どころか狂喜乱舞するに違いない。
灼が、なんとも言い難い溜息をつくのを、俺は首を傾げて、
「どうした? なんだか顔が赤いが、風呂で逆上せたのか?」
慮る様子に、その気恥ずかしさを隠して、コホンとわざとらしい咳払いで誤魔化す。
「べ、……別に。ちょっと違うこと考えてただけだわ」
俺は不思議に思いつつ、『歴史検証』を続ける。
「だが、怒り心頭なのは、当時29歳の頼朝も同じだった。さっき言った『曽我物語』と内容が重複するが――『源平盛衰記』曽巻・第十八によると、八重姫が生んだ男児・千鶴丸は頼朝にとって初めての子供だったので、殊のほか寵愛してたらしい。もちろん祐親の妻も、祐清も喜んでくれた。
しかし祐親は京から帰ってみると知らない幼子がいる。妻に事情を訊くと郎党に命じて千鶴丸を簀巻きにして滝壺に落とした……ということを後で聞いた頼朝は、
『……兵衛佐、此の事ども聞き給ひ、嗔る心も猛く、嘆く心も深して、祐親法師を討んと思ふ心、千度百度進みけれども、大事を心に懸けて其事を成さずして、
「今私のあだを報いんとて、身を亡ぼし命を失ふ事愚かなり。大きなる志ある者は小の怨みを忘る」
思い宥めてぞ過ごされける……』
とにかく怒り狂って、嘆き悲しんで、祐親を討って仇を取ろうと息巻くけれど、『いやいや、待て待て……』と冷静になった、ということだが……俺の感想は後半出来過ぎてるかなと思う」
落ち着き払って、灼が答える。
「そうね、最愛の息子が惨く殺されたんだもん。どんな聖人君子でも、すぐにそんな風にはならないわよね。あたし的には逃がした祐清が、さっきの台詞――『大志ある者は命を粗末にするな』みたいなことを言って、宥めてなんとか思い留まらせたって方がシックリくるわ」
俺は明朗な声で笑い、もっともらしく頷いて見せた。
「俺もそう思う。勝手な言い草だが、そのほうが人間らしい。通説では、北条邸で匿われた頼朝は討ち取られた父・義朝や源氏一門のため、誦経三昧だったと言われてるが、俺の私見では祐親に殺された最愛の息子・千鶴丸のためだったと思う。
と、いうのも『吾妻鑑』では、以前の頼朝は鷹狩にもちょくちょく出かけてるし、乳母の比企尼から日用品から先立つ銭まで送ってもらって生活には困ってない。また三善康信が定期的に京の情勢を知らせてたらしい」
「三善康信って……確か『十三人の合議制』の一人よね。確か以前、『菅原家』が背後にいるって、あんた言ってたけど――つまり、小侍従との連絡係だったということね」
端的に言う灼に、今度は意地悪く笑った。
「その通りだ。平治の乱直前、美福門院や平清盛に接触し、藤原信頼・源義朝が起こしたクーデターに大義名分がないことを見抜いてた頼朝だ。政治力のある『殿上人』でもあり、武家でもある頼朝にとって父・兄弟の死は冷静に受け止めてたと思う。だからこそ、流刑先の伊豆からも京都の情勢には敏感になってたはずだ。
俺が思うには『源氏一門の仇である平家打倒』という通説にあるような大志は持ち合わせてなかったと思う。せいぜい一貴族として『正常な朝廷』に修正するため、平家に対する策を講じる程度だっただろう。
それが千鶴丸の死によって、通説通り、『怨恨による平家打倒』に取って代わった」
灼はいつもの癖として、伸ばした人差し指を唇に添え、
「それが結局、平家を壇ノ浦まで追い詰めた理由ってこと?」
その問いに、俺は苦笑する。
「きっかけはそうかもしれない。だが『平家打倒』に至った道はそう単純ではなかっただろう。それは後々話すとして、湧き上がる感情を誦経で押し込めていても頼朝の腹の中は煮え滾ってた。そんな頼朝を救ったのは二人目の女性、十歳年下の『北条政子』だ」
灼は少し戸惑いを込めて笑った。俺の『歴史検証』はまだ続く。
●灼のうんちく
なんだか『歴史検証』が込み入ってきたわね。。。。
今回もあたしが担当します。
非常事態宣言で旅行へ行けないので、趣向を変えて『歴めろ。~歴史探訪~』的に。。。
【真珠院・八重姫御堂】
静岡県伊豆の国市中条にある名刹、真珠院は鎌倉時代に真言宗の寺として開創され、室町時代に曹洞宗に改宗されました。
山門を抜けると右側にあるのが八重姫御堂。
伝承によると父・祐親によって強制的に離別させられたものの、侍女を連れて屋敷を抜け出し、頼朝が匿われているという北条の屋敷を訪ねるわ。しかし北条政子と結ばれた後で娘までいることを知ると、もはや伊東の屋敷にも戻ることは出来ない八重姫は、儚んで真珠ヶ淵に入水しまうの。祠の中には八重姫の木像と供養塔が安置されているのね。
また同じ境内には、八重姫と共に命を絶った6人の侍女を供養する『八重姫主従七女之碑』もあり、「もしハシゴがあったら助けることが出来たのに」という村人の思いから、今日では願いが成就した際はハシゴをお供えする『梯子供養』という習慣が残されてるそうよ。
コロナが終息したら、平良と一緒に行ってみたいわね。