↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
歴めろ。  作者: 武田 信頼
第二章:学校動乱編
PR
79/109

第七十八話:菅原家の『諜報員』~検証㉘~

いつも拙作をお楽しみ頂き、誠にありがとうございます。


更新速度はまちまちで申し訳ありませんが、これからもお付き合いのほど、宜しくお願い致します。





            ※※ 78 ※※




 「……三善康信(やすのぶ)から心が荒(すさ)んだ頼朝の報告を受けて、小侍従は大いに危惧(きぐ)した。京では、すでに永万元年<1165>二条天皇は23歳の若さで崩御(ほうぎょ)され、『二代の后(きさき)』と呼ばれてた藤原多子(まさるこ)は出家していた。同年、後白河院の第三皇子である以仁王(もちひとおう)が多子の近衛河原の御所で元服してる」


 灼が俺の言葉を確かめるように訊(き)く。

 

「以仁王(もちひとおう)って、治承四年<1180>に源頼政と共に『平家討伐』の旗を上げ、全国の源氏に追討の令旨(れいじ)を飛ばすのよね。それに呼応して頼朝も挙兵するはずだけど……もしかして繋(つな)がる?」


 俺は全く素直に、笑顔で頷(うなず)いた。


 「その通りだ。『吾妻鑑』だと頼政の息子・行家が修験者の姿で、伊豆の頼朝の下へ訪れ、以仁王の令旨(れいじ)を渡す。しかし、これだけで頼朝を動かすのは難しいだろう。俺の私見ではもっと確実に頼朝を挙兵へと導(みちび)かせる『外交カード』があったと考える」

 「それは?」


 灼の促(うなが)しに、冷めたミルクティーで唇を湿(しめ)らせて答える。


 「藤原多子(まさるこ)と小侍従ら女房は、久寿二年<1155>近衛天皇の崩御後に住んでた、近衛河原の荒れ果てた大宮御所に再び戻ってた。そこで小侍従は、かつての『菅家廊下』のように二人の甥で同年齢の菅原在高(ありたか)、菅原為長(ためなが)に学問を教えてる。多分、一緒に以仁王も学んでたと思う。そして小侍従は頼朝の妹で、平治の乱当時6歳だった『坊門姫(ぼうもんひめ)』を匿(かくま)ってたと考える」


 灼は明らかに驚いた顔を見せた。


 「へぇー……。確か、頼朝の兄弟で唯一母親が同じ妹だったわよね。小侍従には恩義があるってわけね。さすがは『菅原家』ね」


 敬意と感動の光彩(いろ)を大きな栗色の瞳に宿(やど)らせて語る灼を、


 「いや、将来を見据(みす)えた上で、頼朝が裏切らない様に必要な担(・)保(・)だったんだと思う」


 あっさり俺は打ち消した。少なからず落胆した灼は渋(しぶ)い顔で首を振る。


 「せっかくの微笑(ほほえ)ましいエピソードが陰険(いんけん)な大人の世界に様変(さまが)わりね。それはそうと、博学の才女で美人、でもちっこくて謀(はかりごと)が大好き。段々(だんだん)と小侍従が山科会長に思えてきたわ」


 俺は、思わず会長の底知れぬ瑠璃色(るりいろ)に輝く大きな瞳と、薄(うす)く浮かべる笑み、そして「クックック」と銀片が鳴るような涼やかな声が頭に過(よぎ)った。正鵠(せいこく)を射た灼の例え話に、奇妙な可笑(おか)しみが芽生えた。


 「ははは。もし小侍従が『生徒会長』だったら、抜(ぬ)かりがなさそうで恐ろしいだろうな。俺たち『歴史研究部』なんて手も足も出なさそうだ」


 俺は呆(あき)れついでの溜息(ためいき)で話を戻した。


 「小侍従は、グ(・)レ(・)た(・)頼朝が感情的に暴走しないために京都から『亀(かめ)の前(まえ)』という女房を派遣する。『吾妻鑑』によると、正確に何時(いつ)からという記述はないが、容貌(ようぼう)が優れて柔和(にゅうわ)な性格の女性だった。流刑時代の頃から頼朝に仕えてたらしい」

 「『亀(かめ)の前(まえ)』って頼朝の妾(めかけ)で、朝廷に通じ、文筆に秀でてた伏見(ふしみ)広綱(ひろつな)の屋敷に身を置いてた。政子の嫉妬(しっと)から屋敷を破壊されて、命からがら逃げ出した人よね。でもあんたの考えは違うのでしょ?」


 別の色味を示す灼の笑いに、俺はわざとらしく首を竦(すく)めた。


 「永万元年<1165>後白河院の第一皇子・二条天皇が崩御されると、第二皇子・守覚法親王はすでに出家してるので、母が藤原季成(すえなり)の娘である第三皇子・以仁王が本来、帝位に昇(のぼ)るはずだった。ちなみに季成の弟に徳大寺 実能(さねよし)――藤原多子(まさるこ)と実定の祖父がいる。

 しかし、権勢を誇った桓武平氏高棟流、つまり『平家』である、建春門院(けんしゅんもんいん)平滋子(しげこ)が生んだ第七皇子・憲仁(のりひと)親王が高倉天皇として即位する。

 もはや美福門院も二条天皇も崩御され、没落した『二代の后(きさき)』多子と女房・小侍従は平家の牽制として頼朝の存在は欠かせなくなる。さらに平治の乱の際、義朝側として従軍し逃(のが)れた、坂東の国人たち……後に『十三人の合議制』に入る『三浦義澄(よしずみ)』『八田(はった)知家(ともいえ)』や、有力国人の『上総(かずさ)広常(ひろつね)』等(ら)、坂東平氏が源氏離れを見せ始めた。

 小侍従は、頼朝の介添(かいぞ)えと坂東の国人たちの動向、二つの理由から『亀(かめ)の前(まえ)』を伊豆に派遣したと考えられる」


 灼が「それはそうと……」と別の案件を持ち出し、少なからずの危惧(きぐ)を声に滲(にじ)ませる。


 「あんた、さっき傷心(しょうしん)の頼朝を救ったのは『北条政子』だって言ったわ。それなのに頼朝は小侍従が寄越した女スパイの『亀(かめ)の前(まえ)』とも仲(・)良(・)く(・)な(・)る(・)のよね。政子が嫉妬(しっと)して追い出そうとしたのも分かる気がするわ。男の人って尽くしてくれる人がいながら、美人が現れたらホ(・)イ(・)ホ(・)イ(・)靡(なび)いちゃうもんなの?」


 灼の大きな栗色の瞳で強く睨(にら)まれた俺は、


 「さ……さあ、どうなんだろうな。靡(なび)くかどうかは人それぞれだと思うけど……良くしてくれる女性(ひと)は大事にするべきだとは思う……かな」


 しどろもどろになりながら、自分でも意味不明な疚(やま)しさを、恰好(かっこう)悪い言い回しで誤魔化(ごまか)す。灼は眉根を寄せ、瞳を眇(すが)めた。


 「ふーん……。あたしもあんたが『頼朝』じゃないって思ってるわ。だから、結衣(ゆい)先輩とか、山科(やましな)会長とか……あと、オザキやめぐみ先輩、有元花散里(かざり)先輩。

 あんたの周りにいる女子とは節度ある態度で接(せっ)すると信じてるわ」


 突然の彼女らしい詰問(きつもん)に、俺はコクコクとぎこちなく頷(うなず)きを繰り返しながら、

 

 「まあ、その……当然だ」


 持てる純情さから戸惑(とまど)っていると、俺の胸に灼が肩ごと身体を委(ゆだ)ね、顔を埋(うず)めた。

 少女の柔らかさと匂いに、体中に熱が帯(お)びてくる。これがどういう状況なのか、わけが分からないまま困り果てた俺の胸の中で、


 「……山科会長が『小侍従』、結衣先輩が『亀の前』だとしたら――」


 上目遣い(づか)で顔を上げる。年齢よりも幼く見える容貌に僅かな怒りが見え、俺は動揺を隠せなかった。そんな様子を、灼は怒りの半分をおかしみに変えて笑う。


 「あたしは『北条政子』よ。あんたの傍(そば)から、絶対に離れないんだから覚悟しなさい」


 答えられる言葉を探し切れず、俺はただ締(し)まらない顔でへらりと笑った。

●山科会長のうんちく



皆様、お久しぶりです。

お元気でお過ごしでしょうか。


今回は義朝の姫たちについて語りたいと思います。


 平治元年<1159>平治の乱を起こした源義朝の敗北が決定的になった時、姫たちの多くが侍女たちと胸を差し合い、あるいは川に飛び込んだりして命を絶っています。年齢は11歳から14歳ぐらいで、捕縛された後の不幸を儚(はかな)んでのことだと思います。

 『平治物語』には何人か姫について記述されてますが、鎌田次郎に預けてた姫についての記述を紹介します。


 『……義朝落ちのび給ひしかば、鎌田を召して「汝に預けし姫はいかに」との給へば、

「私の女に申し置きまいらせて候」と申せば、「戦に負て落つると聞き、いかばかりの事か思らん。なかなか殺して帰れ」との給へば……<中略>……持仏堂の中に人音しければ、行きて見るに姫君仏前に経うち読みておはしけるが、

 「さては我らも只今敵にさがし出され、是(これ)こそ義朝の娘よなど沙汰せられ、恥を見んこそ心憂けれ。あはれ、高きも卑しきも、女の身ほどかなしかりける事はなし。

 兵衛佐殿は十三になれども、男なれば戦に出て、御供申給ふぞかし。わらは十四になれども、女の身とて残し置かれ、我身の恥を見るのみならず、父の骸を汚さん事こそかなしけれ。

 兵衛、先ず我を殺して頭殿の見参にいれよ」と、くどき給へば「頭殿も此仰(そのおおせ)にて候」と申せば「さてはうれしき事かな」とて、御経を巻き収め、仏に向かひ手をあはせ、念仏申させ給へば、政家つと参り殺し奉(たてまつ)らんとすれども、御産屋のうちよりいだきとり奉りし養君にて、今まで生(お)ふし立て参らせたれば、いかでか哀になかるべき。

 涙にくれて刀の立所(たちどころ)も覚えずして、泣きゐたりければ姫君、「敵や近づくらん、急(と)く」と進め給へば、力なく三刀刺して御首を取り、御死骸(むくろ)をば深く納めて馳(は)かへり……』


 とにかく戦国を生きる女子にとって、家の盛衰と運命共同体だったのだわ。

 その中で、頼朝の近習である後藤実基(ごとうさねもと)に預けられた、頼朝の同母妹『坊門姫』は、都で密かに匿(かくま)われてます。後に徳大寺公能の娘を母に持つ一条能保の妻となります。

 平家政権下、京都では戒厳令が敷かれ、源氏一門はもちろん縁がある者がどんどん捕縛されてる状況で見事に匿い、さらに摂関家にまで所縁(ゆかり)を付けることが出来るのは、そうとうに身分が高い存在、そして密かに平家と敵対してる勢力となります。


 これ以降、この一条家から摂関家の九条兼実、道家と繋がり、鎌倉幕府を開く礎となるのです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 私人としての思いと公人として取る道、様々ですね。 現代とは価値観も常識も大きく異なりながらも、相通じるところもある。歴史の面白さですね。 平良くん、男だろ?ハラを括り給えよ(笑)
[良い点] >「あたしは『北条政子』よ。あんたの傍から、絶対に離れないんだから覚悟しなさい」 やんデレ宣言? [気になる点] >博学の才女で美人、でもちっこくて謀はかりごとが大好き。 もう一人いるな…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。