第七十五話:『貴公子』頼朝~検証㉕~
皆様、ご無沙汰しております。
ゴールデンウィークはせっかくの五連休ですが、緊急事態宣言で様々なイベントは中止になり、外出も控えることになってしまいました。
非常に残念ですが、せめて『なろう』の小説で皆様の無聊を慰めることが出来れば良いなと思います。
※※ 75 ※※
歩行者天国になっている駅前大通りを駅舎方面に戻って、俺と灼はバスターミナルへ急いだ。やはりと言うべきか、休日の帰宅ラッシュと合わせて停留所は車の騒音と人熱れのごった煮だった。
人だかりの中に紛れ、寒空の中で待つこと数十分、やや遅れて来たバスに俺たちは乗り込んだ。車内は暖房の暖かさに一息吐く老人、座席で飛び跳ね母親に叱られる子供、遊びの余韻を残して大声で騒ぐ女の子の集団、そこに混ざって、幸いにも確保できた一座席に灼を座らせ、俺は吊り革を掴んだ。
「……やれやれ、バスの中も満員だな。休日の外出は大変だ」
俺はもう片方の手で持っている、食材満載の買い物バックを持ち換えて大袈裟に溜息を吐いた。椅子に行儀よく座っている灼が笑って答える。
「まあね。でも今日一日、愉しかったんだからいいじゃん」
「確かに、な。最後にミソが付かなかったら……だが」
灼は不快な顔で頷く。
「既得権を必死に守ろうとする有力運動部や藤川・高橋先輩の動きが気になるわ。富樫もそれなりに考えてるつもりなんだろうけど……利用されないとも限らないわね」
ふと俺は窓越しに遠くの景色を遣り切れない思いで見る。バスはすでに繁華街を抜け、住宅地を走っていた。
……『平良。お前、本当に『部室整理令』を――あの会長の後を引き継ぐのか?』
……『平良……。生徒会長なんかになるな。ならないでくれ』
富樫の言葉が、改めて自分の置かれた立場と持てる力を再認識させる。やれること、やりたいこと……できないこと、そんな狭間で鬩ぎ合い彷徨い続ける無力な自分が色々な人を――仲間を巻き込んでいる現実。
(生徒会に入ったのは会長との取引で、もともと俺の意思ではなかった。富樫が言うほどの覚悟は俺にはないかもしれない)
まんじりともせず考え続けていた俺は、
ガタン、とバスの揺れで反芻思考から覚める。思わず笑みが零れた。
「あっ、次のバス停。平良、降りるわよ」
嬉しそうに降車ボタンを押す灼に、俺はそのままの笑みで言う。
「ああ。やっと着いたな」
(俺の辿り着く決意はいつも分かってることじゃないか。灼が信じてる俺は前に進むだけだ)
降り立った灼は両手を広げ、落ち着いた色合いのハイネックセーターにキャメルブラウンのフレアスカート、薄桃色のブルゾンを羽織った姿を見せびらかすように大きく伸びをした。
「もう少しでウチに着くね。今晩、すき焼きにするって伝えたらお義父さん、お酒買ってくるって。結構楽しみにしてるみたいよ」
「お前、いつの間にウチへ電話したんだ?」
僅かに驚きを示した俺に、
「富樫と別れて地下のスーパーで買い物してる時よ。あんたが食べるお肉の量は大体わかるけど、お義父さんのは把握してなかったから。あんたってその間、ずぅーと上の空だったもんね」
灼は少し悪戯っぽく納得の笑みで答えた。迂闊にもバスの中以外でも黙考していたらしい。無意識に犯した過ちに気付いて、俺は深く苦笑した。察した灼が気遣わしげに言う。
「まあ……富樫にああいうふうに言われたら、気になるのは仕方ないけど」
「すまん。せっかく楽しかった映画鑑賞に水を差してしまった」
事実として素直に頷き、真摯な気持ちで謝る俺を、言われた灼は穏やかな表情で見上げていた。
「平良」
大股の一歩で前に出た灼は、どこか嬉しさを弾ませてフレアスカートを翻した。
「あのね、平良。デートは何処で何をしたから楽しいとか、楽しくないとかじゃないの。誰と何時まで一緒だったかが重要なのよ」
小柄な少女が俺の前に立つ。常に傍らで答えてくれる、安らぎを与えてくれる幼馴染。いつしか俺は立ち止まり、足を止めた灼と向き合っていた。
「灼」
痛いほどの喜びを胸に、
「すまん、ありがとう」
膨れ上がる想いを感じて、言葉を尽くせずに短く返した。
「……」
見つめ合って絶句していた灼は、やがて謝辞と感謝の内にある足りない言葉――愛おしさも含めて理解すると、頬を赤く上気させて視線を宙へ泳がす。
「そ、そ……そんなに改まって、あんたらしくないわッ。とにかく、あたしとあんた……二人で楽しかったんだから、それでいいじゃん。そんな話よりも『歴史検証』の続きを聞かせて」
早口で一気にまくし立てる灼に、俺は露骨な緊張と照れの色を宿らせ、そっぽを向いてゲフンッゲフンッと咳払いをした。二人は並んで歩き出す。
「……清盛の話だったな。ええと、確か平時子と再婚したところまでだったと思う」
灼の顔がいきなり強張る。
「ええ。清盛が出世のために桓武平氏高棟王流に婿入りしたって話までだわ」
やけに『出世のため』を強調したり、少しばかり怒気を含めたりする様子から、どうやら清盛が嫌いらしい。強く激しい性格の灼には受け入れ難いところだろう。
「久安元年<1145>頃、平時子は清盛の正室として迎えられ、久安三年<1147>に長子・宗盛が生まれる。この時点で嫡子重盛は10歳ぐらい、次男の基盛は9歳だ。
もし定説通りだとするならば、この時期で高階基章の娘はすでに亡くなっていたことになる。だが俺の私見では病没はもう少し先だと考える。
理由は妻たちは一応『公家の姫』であり、清盛も12歳で従五位下・左兵衛佐に叙任された『殿上人』であるということだ」
「ということは、清盛が出世のために平時子を選んだため、捨てられた高階基章の娘は儚んで死んだんじゃないの?」
驚きと戸惑いの中、思わず声を上げた灼だが、すぐに真の意味を悟った。
「……あんた、清盛は婿入りしたって言ったよね。つまり、平安時代末期の風習である『招婿婚』であると言いたいのね」
俺は大きく頷いた。
「歴史ドラマならば定説の方が読者や視聴者の気を引くことが出来るだろうけど、俺の考えは異なる。
高階基章は紫式部から四代後の子孫である下級貴族だが、正六位相当の官職である右近衛将監では財政的に厳しいだろう。仮に高階基章の娘が早世してたら子供たち重盛・基盛の面倒は娘の実家で育てられるわけで、婿である清盛は面倒を見ないだろう。
ただし、同時期の坂東の国人たち達は有力支配者に娘を差し出し、所領を安堵してもらう『娶嫁婚』の風習が一般的で、ちょうど『婿入り婚』から『嫁入り婚』へ変遷する過渡期だ。
清盛も男子を自分の屋敷で育ててたという可能性もあるが、ともあれ、都で育った清盛は貴族の風習に従ってたと俺は考える」
灼は数秒、いつもの癖の人差し指を唇に当て、何事か考えてから、
「清盛が通う『妻』たちの中で、一番身分が高く公卿の出世コースに近い『平時子』を正室にするのは当然で、実家の『平家』も清盛の莫大な富を当てにしてたというウィンウィンな関係だったと。やがて廃嫡された重盛や基盛が平家一門の端へ追いやられたのは母である高階基章の娘が亡くなって外戚の後見を失ったからというわけね」
と観念した。そして複雑な気持ちを隠して言う。
「……なんだかフツーに平安貴族なのね。もっと武士らしく荒々しいことはないのね」
「まあ、一種味気ないところがあるのも『歴史』だからな。その時代に住む風習や思想を基に生活の営みを考えた場合、エンターテイメントとしての『歴史』は排除されるもんだ。しかし、この時代風習が次に話す源頼朝にとっても重要な要素になる」
灼はその内容と俺の謹直さにおかしさを覚え、愉快な気持ちで訊く。
「源義朝は清盛と違い、従五位下・下野守となり、ようやく受領レベルになったのは仁平三年<1153>で31歳の時だわ。しかも坂東暮らしが長いので都の風習にも疎い。長男・義平、次男・朝長は坂東で国人の娘を娶り無官のまま。九郎・義経も後に活躍するけど、鄙びたところは公家に笑われる。
唯一、貴族としての嗜みを受けたのは三男・頼朝と六男・範頼だけど、頼朝だけが14歳で従五位下・右兵衛権佐に叙位されて『殿上人』だわ。これが重要ということなのね?」
その灼の笑みに釣られて、自然と微笑みを返す。
「ああ。この時代は『身分』が全てだ。『殿上人』は雲上人とも呼ばれ、高貴な人たちだ。それ以外は地下人に分けられる。
保元元年<1156>に起きた保元の乱では義朝以外の兄弟と父・為義は斬首に処せられ、為朝は伊豆大島に流される。その後、平治元年<1159>に起きた平治の乱では義朝は討死、長男・義平は捕らえられ斬首、次男朝長は逃亡中に自害、しかし首は都で父・義朝と共に晒される。
延長五年<927>に完成した延喜式によれば、軽い罪から順番に『笞刑』『杖刑』『徒刑』『流刑』『死刑』とあるが、嵯峨天皇の時代に『死刑』が停止され、以来『流刑』が最高刑となってる」
灼なりに理屈を受け止めて、
「でも、源氏一門は斬首されたのね」
表情から笑みが消えた。俺も苦笑に似た吐息を漏らす。
「よく通説として『保元・平治の乱』は朝廷の政争であり、武士はその尖兵として利用されたと言われてる。それは間違いないと思う。しかし、源平がお互いに一族を分けて戦い、最後は勝った平家が負けた源氏一門を斬首する――後白河天皇側の処罰は残忍だった。それを実行したのは武士の頂点に立った平清盛だ……というのは俺の私見では少々異なる。
そもそも貴族にとって『地下人』である武士は法の適用対象外であり、清盛は源氏を危険とみなして処刑したのではなく『地下人』だから処刑したのだと考えるべきだと思う」
灼は軽い頷きで返した。
「『平治物語』では、頼朝は亡くなった家盛に似ていると聞かされた清盛の継母・池禅尼が助命を嘆願して伊豆に流された、とあるわ。つまり――」
その思考を正確に捉えて俺は、
「ああ。頼朝は『殿上人』だったから律令に照らして『死刑』には出来ない。最高刑の流罪、その中でも伊豆・隠岐・土佐は一番重い『遠流』だ。だが、高貴な身分なので為朝のように伊豆大島まで渡ることはなかったということだな」
隣に並ぶ少女の横顔を見つめて、静かに笑った。
●平良のうんちく
皆様、お久しぶりです。
今回は貴族の婚姻風習について語りたいと思いますが、所謂教科書にあるような内容……。
平安前期は結婚しても夫婦は別居し、夫が妻を訪ねる 妻問婚 (つまどいこん)。
中期になると、夫が妻の家に同居する 婿入婚 (むこいりこん)。天皇の外祖父になる藤原氏の外戚など、妻の実家の影響力が重要だった時代。
平安後期以降になると、妻が夫の家に同居する 嫁入婚 (よめいりこん)。
について、ここでは省かせて頂きます。でも、日本史が苦手な新庄や有元はテストに出るポイントなのでチェックしておいてほしいな。
さて、実際はこんなにはっきりと時代に沿った変遷を区別できるはずもなく、また都と坂東のような地方といった具合に生活風習に差異があったわけでもありません。
例えば坂東へ下った『高望王とその子供たち』。。。。身分はあっても財政基盤がないので有力国人の『源護の娘』のもとへ通います。『平清盛』はお金を持っていても身分が欲しいので『平時子』のもとへ通います。逆に平忠常の乱を平定して勢力を築いた『源頼義・義家』に坂東の国人たちが所領安堵のために娘を娶らせようとします。また『源義朝』は坂東平定の際、国人たちに娘を差し出させる形で娶ります。当然頼朝にも坂東の国人たちは娘を娶らせますが、八重姫と北条政子はちょっと特殊なので次回で説明します。
というように、俺の私見ですが、時代というより両者の利潤や立場で使い分けてたように思います。
最後に恋愛長編絵巻『源氏物語』第十三帖 明石より、源氏が都落ちして明石の入道と語らうシーンです。。。。
『……明石には、例の、秋、浜風のことなるに一人寝もまめやかにものわびしうて、入道にも折々語らはせたまふ。
「とかく紛らはして、こち参らせよ」
とのたまひて、渡りたまはむことをばあるまじう思したるを、正身はた、さらに思ひ立つべくもあらず。
「いと口惜しき際の田舎人こそ、仮に下りたる人のうちとけ言につきて、さやうに軽らかに語らふわざをもすなれ、人数にも思されざらむものゆゑ、我はいみじきもの思ひをや添へむ……』
……明石は秋になると例によって浜風が激しく、源氏も一人寝の寂しさもあって明石の入道に時折話を持ち掛けます。
「とにかく人目に付かないように私の下へ娘を連れて来なさい」
とおっしゃり、源氏自ら娘の下へ通う様子はありません。娘の方でも全くそのつもりもない様でした。入道は源氏に娘の言葉を伝えます。
「身分の低い田舎者は、ほんのひと時でも都の貴人に声を掛けられれば、簡単に靡くのでしょう。でも私はその後で大変つらい思いをするのは嫌です……」
かなりの意訳で申し訳ありません。『源氏物語』は様々な人間模様を描く壮大な恋愛ストーリーですが、これを『歴史』という視点で見た場合、当時の貴族が国人の娘に対してどう思っていたが伺えます。実際、国司は任国の国人たちの娘を召し出させ、娶っていたようです。
『源氏物語』の絢爛で美麗なイメージを壊してしまって申し訳ございません。。。。。