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歴めろ。  作者: 武田 信頼
第二章:学校動乱編
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第七十一話:『変化』の時代~検証㉓~

皆様、大変ご無沙汰しております。


拙作の更新が遅々として進まず、大変申し訳ございません。


お見捨てなく、これからもお楽しみ頂ければ嬉しいです。







            ※※ 71 ※※  




 ややあわてて、俺はカップの中身を一気に流し込む。


 「べ、別にエラソーにしてないぞ」

 「どーだか。あんたが()()()()()()を取るときって、たいがい何かかくし事があるのよね」


 微妙な挑発を含む口調で、灼の微笑みが俺の胸をえぐる。


 「そうだったかな。まあ、取り敢えず『源頼朝』の話をするつもりだが、時代は少々さかのぼる」


 不意を突かれた俺は、しかし辛うじて平静のよそおいをくずさず、場の雰囲気をやわらげようと話題を変えた。再びカップを持ち上げるが、ミルクティーを飲み干した事に気付き、あきらめの心境で静かに置く。


 「永保三年<1083>の『後三年のえき』の前、源義家に兵法を教えた大江匡房(まさふさ)と菅原家が実はライバル同士だった――という話は前にした」

 「武士には『源氏』や『平氏』という出自によるライバル意識はなかったって、あんたが言ったわ。まあ、個人同士での出世競争はあったんだろうけど」


 灼はこくんと頷いた。


 「そうだな。一番よく『源氏』と『平氏』との対立で、源為義(ためよし)と平忠盛(ただもり)、その子らの源義朝(よしとも)と平清盛(きよもり)が引き合いに出される。確かに『平氏』の出世は順調なのに『源氏』はそうではなかった。出世の理由は後で話すが……。

 まあ、そういう意味での軋轢あつれきはあったかもしれないが、今は大江匡房(まさふさ)だ。実は同じ長久二年<1041>に生まれた『菅原家』の人がいる」


 俺の駄目だめ出しに灼は戸惑とまどいはなく、むしろ呑気のんきに言う。


 「藤原行成と菅原孝標(たかすえ)みたいに幼馴染おさななじみなのね。今度は誰よ」


 その言葉に釣られるように、


 「……まあ、この二人の仲は良くなかったみたいだが。その孝標の孫で定義さだよしの子である菅原在良(ありよし)だ。菅原道真の失脚以来、度々(たびたび)『大江家』に式部大輔の職を奪われ続けてきたが、ようやく在良の代で取り戻す」


 俺もつい、はにかんで微笑ほほえんだ。対面で笑顔の灼がティーカップをかたむける。


 「なるほどね。菅原在良(ありよし)との出世勝負に負けた大江匡房(まさふさ)は、手段を変えて()()()()()()()と手を組んだということかしら」


 俺は大きくかぶりを振る。


 「大江維時(これとき)の代でえんがあった『源氏』が都合良かった。俺の私見だが、運よく藤原頼通への戦況報告の場にいたのではなく、『大江家』は源満仲(みつなか)から『源氏』の軍師であり、大江匡房(まさふさ)は戦況報告に対する採点係だったのだろう」


 表情に陰を入れて見せる灼は、降参の溜息をいた。


 「……匡房卿まさふさきょうよくよく聞きて『器量はかしこき武者なれども、なほ軍の道をば知らぬ』とひとり言に言はれけるを……。

 つまり義家本人に対してではなく『源氏』に対してだったのね。つまり不合格だった。でも、それを聞いた家人は……けやけき事をのたまふ人かなと思いたりけり……。

 『わが殿だって頑張ったんだぞ!』と言わんばかりに思って伝えるわ。しかし、聞いた義家は何が不合格だったのかを、大江匡房(まさふさ)の下へ出向いて教えを受けてたということね」


 しかし、俺はあっさりとした顔で言う。


 「そうだな。しかも、そう考えると源義家(よしいえ)の父である頼義よりよし、祖父の頼信よりのぶが長元元年<1028>に起きた平忠常の乱を平定した後、相模守となった頼義よりよしに坂東平氏がこぞって『源氏』に臣従したのもうなずける。つまり『菅原家』が育てた平氏を『大江家』と源氏が乗っ取ったということだ。

 この頃の『菅原家』は、ようやく輔正すけまさが道真より初めて公卿となり、式部大輔となったものの、寛弘六年<1010>に薨去こうきょして以来、受領ずりょう国司で下級貴族となり、力を持たない。そのすきを突かれたのだと思う。

 まあ、これは匡房まさふさではなく、父親の式部大輔・大江成衡(なりひら)の策だったと思う。この段階で『菅原家』は全てを失ったということになる」


 動揺の極みにあるような顔をして、灼は吐露とろした。


 「菅原在良(ありよし)は個人戦には勝ったけど、『菅原家』としては、まだまだ負けてたわけね……」


 俺は空っぽのカップに視線を落とし、


 「『菅原家』にとっては冬の時代だな。しかし道真が失脚してから常に武器にしてきたものがある」


 灼は傾聴けいちょうの姿勢で沈黙を守る。顔を上げると、気遣きづわしに俺を見ていた。


 「歴史を紐解ひもとけば、『藤原氏』はもとより『平氏』も『源氏』も。古来より親、兄弟……同族同士の戦いがなんと多いことか。しかし『菅原氏』同士の争いは寡聞かぶんにして俺は知らない。

 道真は最期まで家族を思い、子供たちはバラバラになっても一致団結して『菅原家の知識』を後世に伝えた。遠い子孫の孝標たかすえは無法地帯の坂東を度々(たびたび)安定させた有能官僚だが、『更級日記』によって、現代の定説にもなるくらい『家庭的で優しいお父さん』になった。このきずなが『菅原家』の最終最強な武器なんだと思う」

 

 言葉が次第に哀しみから可能性へと変化していくことを確信した灼は、正面から凛とした強い笑顔で言った。


 「そうよ。最後に『菅原家』の誰かさんが『大江家』も『源氏』も()()()()と言わせたんでしょッ。だから鎌倉幕府は『平氏』である北条家が主導権をにぎったんだわ」

 「……ぎゃふん、ねえ。結衣(ゆい)先輩だったら言うかもな。……まあ、のちに二人の『菅原家』によって逆転劇が起きるが、それは源頼朝の話の後だ」


 俺は感嘆と呆れの声で追従ついしょうした。







 「おまたせ」


 灼が、階下からティーポットを持って戻って来た。再びカエルのクッションにペタンと座り、空になっていた俺のカップにミルクティーを注ぐ。


 「ありがとう」


 素直な感謝を示して、付け加える。


 「嘉承(かしょう)元年<1106>義家が死去すると、『源氏』同士で争いが始まる。家督を継いだ義忠は暗殺され、嫌疑けんぎをかけられた義綱一族を為義がった。

 まあ、そんな同族同士の足の引っ張り合いが影響されたのか、棟梁とうりょうとなった為義も含めて家人の略奪りゃくだつ狼藉ろうぜきが横行する。これが為義以降、義朝もなかなか出世が出来なかった最大の原因だ」

 「……やっぱり、そうなるのね。当然坂東(ばんとう)も荒れるのよね」


 灼の酷評こくひょうに、俺は情けない笑みを作った。


 「当然だ。頼義・義家の代で坂東の所領を安堵された『源氏』一門が、国衙(こくが)領や『平氏』や『藤原秀郷流』の所領を奪い始める。これは俺の私見だが、義朝は白河院や鳥羽院の不評ふひょうを買ってる父・為義をさんざんいさめてたのだろう、結局、廃嫡はいちゃくというていで坂東へ下向げこうすることとなった」

 「つまり、為義は義朝を勘当かんどうしただけでなく、坂東であばれてる『源氏』の尻ぬぐいもさせたってこと? 親のすることじゃないわ」


 自らのカップにお茶を注ぐ灼は、言うほど驚きも怒りもない。もはやあるのは『源氏』に対する無関心。いや、源経基から代々、坂東での素行そこうの悪さに愛想あいそきているのだろう。そして、問いただすように言う。


 「義朝が東国下向して勢力を伸ばし、主要基盤をきずいたことは知ってるわ。それが頼朝につながるわけだし。でも、粗暴そぼういをする父親を諫めた挙句あげくの勘当ならば、きっと坂東では()()()()()()のかしら」


 密かに眉根まゆねを寄せる灼に、俺は苦笑で返す。


 「いや、かなり強引で横暴だったようだぞ。結果的に坂東は平定されても、やり方が粗暴そぼうだったので朝廷では評価されなかったようだな。

 ともあれ、帰京した義朝は坂東での影響力と財力を足掛あしがかりに比較的身分の高い姫である由良御前をめとる。久安三年<1147>義朝の三男として頼朝が生まれ、義朝はここから猟官(りょうかん)運動に邁進まいしんすることになる」

 「……なんだかんだで『源氏』って、何処どこまでも『源氏』なのね」


 灼は一啜ひとすすりした後、分かるような分からないようなけなし方をした。ついでに少し怒った様子で、


 「――あんたも何時までも、しらばっくれてると『源氏』みたいに軽蔑けいべつするわよ」

 「な……ななな、なんの話だ」


 動揺のきわみにある俺を、灼はわざとらしく大きな嘆息をいた。


 「あたし、あんたが変な本を持ってても怒らないわ。あんただって男の子だもんね。でも、そうやって下手な隠し事をすることに怒ってるのよ。……仮にそんな本があるのなら、見せてほしいわ。あんたの好みがわかるから」


 物分かりが良い雰囲気を出して、たしなめるように言う灼は、なぜか微妙に勝ち誇った顔でニヤリと笑った。そんな問いに俺は、怒り心頭しんとうで声を張り上げる。


 「んなッ!? 見せるわけないだろ」


 途端とたんに灼が意地の悪い笑みを浮かべて、少しくせのあるツインテールが頬にれるくらいに顔を寄せてきた。


 「見せるわけないだろ? ()()()()()()()()じゃなくて……。そういうのを『語るに落ちる』って言うのよ」


 俺は圧倒的な存在に気圧けおされされつつ、この時ほど灼が恐ろしいと思わずにはいられなかった。

●灼のうんちく


 平良の話、少々込み入ってきたみたいね。まあ、この後動乱の時代に突入して、もっと複雑になるのだから仕方ないわよね。

 作中に出て来た『菅原在良』の娘に『花園左大臣家小大進はなぞのさだいじんけのこだいしん』という人がいます。この人はちょっとした説話で有名ですが、同じ内容が『十訓抄』『沙石集』『古今著聞集』と複数あるように多少の誇張はあるものの、多分実話だったんだろうと思います。

 花園左大臣家小大進は鳥羽法皇の女房として仕えていましたが、鳥羽法皇は折しも中宮であった待賢門院と対立していました。しかも待賢門院腹の崇徳天皇を無理矢理に譲位を迫り、美福門院腹の近衛天皇を即位させます。そんな時代の出来事です。


 ある日、待賢門の御衣一重ねが紛失しました。それが何故か小大進が容疑者として捕らえられてしまいます。軟禁された北野天満宮で無実の願文を書いていると三日目、過失で神水を取りこぼしてしまいました。それを見た監視員が「この上もない粗相だ。この場で手打ちにしてやる」と小大進を外に引きずり出そうとします。

 小大進は泣きながら「何事も情状酌量の余地がある、というではありませんか。あと三日猶予を下さい。それでも無実の証拠が挙がらなければ、潔く罰を受けます」と言って歌を詠みました。


 思ひいづや無き名たつ身は憂かりきと現人神になりし昔を


<先祖の道真様。思い出されますでしょうか、無実の罪で汚名を着せられるつらさを。ついには神様になってしまったあの頃を>


 その晩、鳥羽法皇の枕元に束帯姿の老人が立って「北野天満宮にご興味が湧くものがあります。使いを送ってください」と言います。さっそく使いを送ると小大進が泣いていて歌があります。これを持ち帰って鳥羽法皇に見せました。

 すると紛失した御衣を被った待賢門院の雑仕が出てきました。これで小大進の嫌疑も晴れたわけですが、鳥羽法皇の迎えに対して「こんな仕打ちを受けるのも、普段から私のことを待賢門院様は好ましくおもっていないのでしょう」と仁和寺に籠ってしまいました。


 ……こんな話です。長い上に雑な訳で申し訳ありません。しかし確実に動乱の前触れを感じるお話でしたね。 

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― 新着の感想 ―
[一言] ホントに地縁血縁麻の如くにしてドロっドロの泥沼ですね(苦笑)
[良い点] >俺は圧倒的な存在に気圧けおされされつつ、この時ほど灼が恐ろしいと思わずにはいられなかった。 尻に敷かれてる [気になる点] >「んなッ!? 見せるわけないだろ」 あるな ちんまい幼なじみ…
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