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歴めろ。  作者: 武田 信頼
第二章:学校動乱編
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第七十二話:『成り上がる』武士~検証㉔~

いつも拙作を読んで頂き、誠にありがとうございます。


世間では緊急事態宣言の解除についてリバウンドが懸念されているようですが、

皆様もお身体には十分に気をつけてくださいませ。






           ※※ 72 ※※




 見るともなしに見た窓の外は、当然のように黒色。視界を巡(めぐ)らし時間を確かめると、もうすぐ日にちを跨(また)ぐようだった。


 「灼(あきら)。そろそろ寝るか? まあ、明日は休日だけど……」


 数秒、僅(わず)かな時間を置いて、


 「いいわ。このままだと中途半端だし、続けましょう」


 灼が俺に笑いかけた。その満面の笑顔に今さら意識することではないが、先(・)程(・)の(・)こ(・)と(・)もあり、思わず俺の身体が強張(こわば)る。


 「そ……そ、そうか。じゃあ続けるか」


 灼も深く追及せずに頷(うなず)いた。


 「先ほどは『源氏』側から話したが、今度は『平氏』側だ。

 平将門を討った平貞盛(さだもり)は国司を歴任し、鎮守府将軍を経(へ)て永祚(えいそ)元年<989>に死去すると、子の維衡(これひら)と孫の正度(まさのり)は伊勢国内で同族の平致頼(むねより)と領地の奪い合いを始める」


 今度は意地悪く笑う灼。その笑顔を辟易(へきえき)とした色に変え、


 「こ(・)こ(・)で(・)も(・)同族争いが始まるのね。確か前にあんたが藤原行成(ゆきなり)の日記『権記(ごんき)』に記されてるって言ったわ。以後、維衡(これひら)の流れが『伊勢平氏』の祖になるわけね」

 

 と先を見抜いて質問をした。


 「そうだ。伊勢国司と共に維衡(これひら)と致頼(むねより)の両名に出頭命令の宣旨(せんじ)が下りると、すぐさま維衡(これひら)は非を認めて怠状(たいじょう)――つまり反省文を提出するが、致頼(むねより)は渋った。結果、維衡(これひら)は赦(ゆる)されて致頼(むねより)は流罪(るざい)となる」


 俺はミルクティーを啜(すす)って続ける。


 「まあ、お前の言う通り維衡(これひら)が『伊勢平氏』の祖となるわけだが……清盛(きよもり)の祖父・平正盛(まさもり)の代で大きく変わる」


 灼は少し考え、自分の知っていることを、できる形にして示した。


 「平正盛(まさもり)って、白河院に荘園を寄進(きしん)して、院の直属軍である北面武士(ほくめんのぶし)になるのよね」

 「正盛(まさもり)は朝廷ではなく、独裁者の白河院に近づくことで勢力を拡大しようとする。そして同じ方法で院に近づく『源氏』がいた。源義家の嫡子、義忠(よしただ)だ」

 「ちょ、ちょっとッ。義忠(よしただ)って暗殺されたって言ってなかった? まさか平氏が犯人の黒幕!?」


 ごく自然に驚く灼に俺は向き直った。


 「むしろ逆だな。正盛(まさもり)と義忠(よしただ)は検非違使(けびいし)の同僚で仲が良かった。特に義忠(よしただ)は『源平融和』の方針を取り、年配の正盛(まさもり)を立てて、娘を妻に娶(めと)ってる。さらには忠盛(ただもり)の烏帽子親にもなり『忠』の字を与えた。だが――」


 灼は絶望を嘆息に変え、


 「こ(・)こ(・)で(・)ま(・)た(・)同族の『源氏』が足を引っ張るのね」


 言ってから、俺と向き合った。


 「坂東平氏だけでなく伊勢平氏も取り込んでいく義忠(よしただ)の権勢に、叔父の新羅三郎(しんらさぶろう)と呼ばれた源義光(よしみつ)を筆頭とする『源氏』一門の中で不満が広がる。

 そして義忠(よしただ)の暗殺をきっかけに、不信と疑惑(ぎわく)の中で『源氏』同士の争いが続き、後(のち)に源為義(ためよし)が平定したものの、家人同士の争いが坂東まで波及(はきゅう)するという話はさっきしたと思う」


 苦笑に満(み)ちた灼は、ふと俺の表現に違和感を覚えた。


 「あたし、勝手に『源氏』はど(・)ー(・)し(・)よ(・)う(・)も(・)な(・)い(・)集団だと思ってたけど、義家の弟である新羅三郎(しんらさぶろう)と呼ばれた源義光(よしみつ)は特に武田家や小笠原家・南部家・佐竹家といった名門を生むくらい有能な武士だったわ。これってつまり――」

 「ああ。俺の私見ではあるが、正盛(まさもり)と同世代を生きた菅原在良(ありよし)の策だと思う」


 灼は諦(あきら)めに似た表情を露(あら)わにする。


 「頼義・義家の代で乗っ取られた坂東平氏を取り戻すために、伊勢平氏を使って『源氏』を内部分裂させたってことかしら。まさか義忠(よしただ)の暗殺も……」

 

 俺は首を振って、灼の言葉を切る。


 「源義光(よしみつ)は有能な武士ではあったが義家の没後、『尊卑分脈(そんぴぶんみゃく)』に同族争いの一連は義光(よしみつ)が黒幕だったと記述してるように、独占欲と権力志向の強さが目立ってくる。ただ『源氏』の結束(けっそく)を長引かせ、坂東の小火(ぼや)を大火事まで持っていったのは菅原在良(ありよし)だろう。

 実際、源頼義(よりよし)・義家(よしいえ)父子に臣従したが、坂東平氏の中に不満の燻(くすぶ)りはあったようだ。千葉常胤(つねたね)は『相馬御厨(そうまみくりや)』という寄進系荘園の件で、源義朝(よしとも)に対し『御恩(ごおん)』に報いる価値はないと明言してるほどだ。そして不満の燻(くすぶ)りが燃え上がるのは頼朝の死後だと俺は考える」


 灼はゆっくり首を回して、強張(こわば)った肩をほぐした。両手を後ろに置き、ささやかな胸を反(そ)らして天井を仰(あお)ぎ、おれに視線だけを送る。


 「まあ……頼朝自身や『源氏』の威光で、坂東平氏を付き従(したが)えてたわけではないことはわかってたけど。やっぱり土地問題?」


 向けられた視線に俺は同意の色を見せた。


 「長元九年<1036>相模守として再び坂東へ下向した源頼義(よりよし)は、長元元年<1028>忠常の乱によって無法地帯になってた坂東を、これを機に圧状(おさえじょう)――つまり無条件で領地を差し出して臣従する契約書――みたいなものを国人たちに出させる。

 しかし、この後に起きる『前九年・後三年の役』で活躍した坂東平氏に頼義・義家は私財を投げて多くの恩賞を与えた。坂東平氏にとって『源氏』はギブ・アンド・テイクの相手だったということだ。だがこの圧状(おさえじょう)が後で問題になる」

 「……あんたがさっき言った千葉常胤(つねたね)と源義朝(よしとも)の件ね。つまり、義朝が強引に坂東を平定したけど、やり口が悪辣(あくらつ)だったので朝廷に認められなかったというのは、この圧状(おさえじょう)をヤ(・)ク(・)ザ(・)の(・)よ(・)う(・)に(・)振りかざしたってわけね」


 即答を受けた俺は、感嘆だけではない喜びで笑う。


 「流石だな。しかし何度も言うがあくまで俺の私見だ。一方の伊勢平氏は、この時期『荘園整理』が全く行われなかったので爆発的に増えた鳥羽院の荘官(そうかん)として管理を任されるようになる。

 また、直属軍武士として正盛(まさもり)から忠盛(ただもり)の代となり、院の『肥前国神埼荘(ひぜんのくにかんざきそう)』を預(あず)かると、院宣(いんぜん)と称して大宰府の臨検(りんけん)を排除し『日宋貿易』で巨利を得る。

 やがて飛躍的に勢力が伸びていく伊勢平氏は清盛(きよもり)の代へと移(うつ)るわけだが――灼。ちなみに『平氏』と『平家』の違いは何だと思う」

 「え? え、え……と。単なる呼び方の違い? でも、あんたがわざわざ言うんだから理由があるのね」


 灼は思案気(しあんげ)に首を傾(かし)げた。ふと考えて、訊(き)いてくる。


 「『平(・)家(・)物語』や『平(・)家(・)の落人(おちうど)』とか言うくらいだから、清盛一門が『平家』でそれ以外は『平氏』という感じかしら」


 普段から一緒に『歴史検証(ゲーム)』を進めているだけに、その見識は鋭(するど)い。心中、灼に賞賛を送りながら満足のいく声音で答える。


 「そうだな。通説ではそ(・)う(・)な(・)っ(・)て(・)る(・)。平時忠(ときただ)の有名な言葉で『平家にあらずんば人にあらず』とあるが、平家物語では『……平大納言時忠卿の宣(の)たまひけるは「此(この)一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」……』と微妙に異なる。

 しかし、この差異に伊勢平氏を『平家』として権門まで出世させた理由が隠(かく)されてる」


 俺の言葉に、灼は自然と頷(うなず)いていた。


 「平清盛(きよもり)の出自は色々な説があるが、白河院の寵愛(ちょうあい)を受けてる祇園女御(ぎおんのにょうご)が後見役だったということが大きく影響してると思う。とにかく清盛の出世は当時の公卿も驚かせるくらい異常だったようだ」

 「清盛の実父は白河法皇であるという落胤(らくいん)説もあるくらいだわ。色んな意味で注目されてたのね」


 なんとなく納得している風(ふう)な声で灼が解説を入れた。そのことに密かな満足を得た俺はミルクティーを啜(すす)る。


 「ここからが俺の私見だ。確かに注目度抜群の清盛はそれでも武士の出だ。正室も下級貴族である高階基章(もとあき)の娘を娶り、嫡男の重盛(しげもり)・次男の基盛(もともり)が生まれる。兄弟の仲は良く保元・平治の乱では父・清盛を助けて奮闘した。

 しかし時期と死因は不明だが、高階基章(もとあき)の娘と死別した清盛は後妻(ごさい)の平時子(ときこ)を迎えたことで大きな変化が起きる」


 灼は怪訝な顔を作った。


 「死因不明? 後添(のちぞ)い? どういうこと?」


 俺は灼の質問には答えず、その先を口にする。


 「平時子(ときこ)は、さっき言った平大納言時忠(ときただ)の姉で桓武平氏高棟王(たかむねおう)流・平時信(ときのぶ)の娘だ。高棟王は葛原親王(かずらわらしんのう)の長男で臣籍降下後は『公卿平氏』と呼ばれる。式子内親王の話で『日記の家』とも称されるほど代々の日記が残ってると言ったと思う。

 つまり、清盛は葛原親王の第三王子・高望王流の傍流平氏から、嫡流の『平(・)家(・)』 に婿入りすることで公卿(くぎょう)への出世コースに乗ったということだ」

 

 いまいち釈然(しゃくぜん)としない顔で、しかし単刀直入に訊(き)いてきた。


 「平時忠(ときただ)が言った有名なセリフ……『平家』と『此(この)一門』の意味がよく分かったわ。清盛は出(・)世(・)の(・)た(・)め(・)に(・)妻(・)を(・)選(・)ん(・)だ(・)可能性があるということね」


 灼の抱(いだ)く疑念と怒りに対し深い追究を避(さ)け、ただ史実の検証に留めておく。


 「時子(ときこ)は宗盛(むねもり)、知盛(とももり)、そして徳子(とくこ)と生むと、先妻の長男・重盛(しげもり)、次男・基盛(もともり)との対立が芽生える。

 基盛(もともり)は早世し、重盛(しげもり)も徐々に平(・)家(・)一(・)門(・)から孤立していき病没する」


 ついでに浮(う)かんだ不愉快(ふゆかい)な気持ちを、灼は残ったミルクティーと一緒に呷(あお)った。

●平良のうんちく


 平正盛と菅原在良の間に、何らかの軍事面のサポートがあったのではと俺は考えます。


 前九年・後三年の役で活躍した剛勇の武士『悪対馬守』と呼ばれた源義親(よしちか)が反乱を起こした時、当初父の義家に討伐の命が下りますが、死去してしまい子の義忠に義親討伐の命が下ります。しかし躊躇したため、舅(しゅうと)の正盛が代わりに討伐に向かいます。

 しかし武勇については無名の正盛が、天仁元年<1108>剛勇の士の義親を討ち、あっけなく乱を鎮圧してしまいます。誰もがその事実を信じず、その後も義親を名乗る人物が後を絶たなかったそうです。

 『中右記』天仁元年<1108>一月二十九条:今日但馬守正盛、身に源義親の首を携えて入洛す。……

 正盛が義親の首を下げて帰京したので都中が大騒ぎになったそうです。白河法皇も朗報に喜んで異例の論功行賞をしたということです。

 実際、どのような戦だったのか全く不明ですが、討伐の背景に菅原在良の作戦が当たり、勇名を馳せた義親は武功の少ない正盛に討たれたのではと思います。

 あくまでも私見なので信憑性は乏しいですが。。。。


 いずれにしろ、伊勢平氏はその事件により勢力を拡大していくのでした。

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― 新着の感想 ―
[良い点] まあこの時代同族で争うこと 結構家系図がいいかげんで実際は同族でもなかったりして 腹違いの兄弟がとかそんなのばかり ヨーロッパなみだこと [気になる点] 深夜に二人でする会話じゃないな […
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