新たな可能性
僕は男として、この女で人生最大とも言える目的を達成した。性を知れば性を超えられる。生殖して子供を育てずとも、人間のなかに新しい可能性を見いだすことができるのだ。このソファというのはやはりエデンなのかもしれない。
だが、これからはどうする。これからこの女とはセックスをしてお互いの欲求を満たしつつ、勉強と部活に励み、いい大学に合格して、順風満帆な社会人生活をこの女と過ごすことになるのだろうか。それはそれで構わない。ただ、それだと人生という物語は味気ないものになるだろう。いや、忙しさに忙殺されて、ただ社会に縛られるだけの哀れな肉塊と化すのだろう。やはり、それはそれで構わない。
いや構わなくはない。今は今世紀も半分を過ぎてる。化石燃料もバカみたいに使えるほど、残されているわけではない。月資源を掛けた新しい戦争も始まるって噂だ。それに、海面上昇も凄いらしい。世界中で山火事が起こり、気温も過去と比べてかなり上がっている。爺さん、婆さんを養っていけるだけの体力も社会には残っていないらしい。そんな老人たちを皆涼しい山奥へ送ることも政府は計画しているそうだ。現代の姥捨山だろうか。
学校は学校で、夏はこれからだってのに、いまだに部活動は美徳とされている。それに、いまだに何に役に立つかよく分からない基礎学習ばかりやらせて、ペーパーテストである時点でのその人の価値を決めてしまう。人の価値っていうのはそう単純に決められるものではないのにだ。
いっそのこと、地球上のすべての人間は、山へこもったほうがいいんだ。そうすれば、地球の美しさ、安らぎを覚えた人間は、その日暮らしの生活で満ち足りるはずなんだ。なぜ、人はこうも自己中心的で愚かなんだ。過去にユートピアという作品を読んだが、ユートピアとは存在しない想像上の世界らしい。当たり前だ。一部の人間のエゴを整理すると、その他のエゴがカオス化するのが社会の常。政治家や研究者は、その到達不可能な理想を追い求めて時代ごとに自滅していくのだ。もちろん職業政治家に対しては何も語る必要はあるまい。奴らは奴らで金という獲物を捕らえる獣たちなのだ。
僕は、マウラが引き起こしてくれた奇妙な日常を、金沢に託したいと思う。




