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私は、歴史の探究者で賢者の道を歩んでいる『イオン・リヴィングストン』という。賢者にも色々あるが、私は歴史研究専攻だ。
性別は女性で、歳は十七。師匠のお許しを得て世界を旅していた。
あちらこちらの遺跡へ行っては、そこの遺物を調べてどんな人がどんな生活をしていたとか、なんの建築物なのか、その痕跡が何を示すのかを調べている。
いずれ、学会に提出出来るような発見、研究成果を示したいものだ。
それを見たのはある日の昼過ぎだった。
その日はとある街にいて、次の行き先への馬車に乗り込もうとしていた時だった。
辺りが急に暗くなり雨でも降るのかと思ったが、違った。
空に黒い球体が浮かんでいて、それが落ちて来たのである。
その時の混乱は、想像を絶するものだった。
誰しもが、一刻も早く黒い球体から離れたいが為に一目散に走り出したのである。
人が、馬車が。それはもう、蜘蛛の子を散らすように逃げ出したのだから信じられないことばかりが起きた。
私はその時、すでに馬車に乗っていたから良かったが他は惨事の一言だ。馬車に牽かれた者、荷車から振り落とされた者、しがみついたが車輪に潰された者など様々だ。後ろに見えた馬車なんか壁にぶつかり大破。驚いて暴れた馬がさらに被害を大きくする。
私は振り落とされないよう、柵にしがみつくのに必死だった。
だが、それも無意味だった。
黒い球体が落ちるのが、当然のように、速かった。
とっさの、荷車に乗った人々を守る防御魔法も、気が付けば私一人になっていた。
暗闇の中を、切りつけられるような膨大な魔力をずっと受け続けていた。
自分以外何も見えない空間に、どれだけいただろうか。
寒くて、身体の節々が痛くなってきて。
意識も朦朧としてきていて、いつかは気を失いそうで。
防御魔法もズタズタでボロボロだ。もうそろそろ壊れてしまうだろう。
「―――だ、れ……か……!」
思わず、そう口を開いた。
助けなんて、来る訳がないのに。
でも、何かにすがってみたいのだ。
それだけ、寂しく感じてきて。
もう、限界。
そう思った時だった。
「はーい! 呼んだかなー?」
陽気な、同い年に見える少年に左手を掴まれたのは。
彼の容姿は、正直に言って不気味だった。
長い黒髪を後頭部でまとめていて、その中性的で端正な顔立ちでは一見では女性に見える。左目は空の様に青く、右目は何か分からない花が咲いていた。
その全身は黒い衣服で統一されていて、この暗闇に紛れて絞まっている。
背中にはその身の丈もあるだろう鞘に入った片刃の剣が。後腰からは金属の箱のような物がぶら下がっている。
まるで人形のようだ、と私は思った。美しいとも思った。
不気味なぐらい、整っていた。
それに―――嗅覚ではないが、焼け焦げたような匂いと、それよりも強い、血の匂いがした。以前、お師匠の友人で元軍人の中年男性と話した時の、彼が発する匂いとは比較にならない。今の今まで戦場という環境にしかいなかったと言われたら納得出来るだろう、血の匂いの強さだ。
そして不思議に思うのは、左手の感覚。まるでフルプレートの鎧の籠手のように硬くて、温かくもなく、冷たくもない。手袋しているが、それはどう見ても普通の手袋で、膨れている訳でもない。見た目では生身の手に手袋しているような具合なのに。金属でも触れているかのように、硬い。
少年はこちらをしばらく凝視した後、
「ぬぁぁぁああ! やっちまった! 『誰か』なんて呼ばれてうっかり手を出しちまった! ダメだろ俺! ごめんなさい姉さん!」
右手だけで頭を抱え、呻き出す。しばらく呻いて、すぐに表情が締まりこちらを見据える。
「―――まあ、仕方ないね。それで、賢者として生きている少女よ。元気かい?」
なぜ、私が賢者として生きているのを知っているのか?
私は彼に会った事など一度もないのに。もし会っていたら、こんな特長のある人物なんぞ忘れもしない。
「貴方は、誰? 会った事がある?」
そう訊ねる。
「うん? 今、賢者見習いは俺の名前を訊ねたか?」
「ええ。貴方の名前を訊いた」
その返答を聞いて、彼は少し困った表情を見せる。
「悪いけど、訳あって本名は名乗れないんだ。でも、名前が無いと不便だよな……」
「名乗れない?」
「そっ。俺自身、別の世界の人だからね。本名を名乗るとその世界に縛られて、元の世界に帰れなくなっちまう。だから本名は名乗れない。名乗れるのは偽名だけ」
そう言って彼は顎に手を当てて声に出して考え出す。
別の世界? 元の世界? 意味がわからない。その言い方では、まるで“世界”とは沢山あるものなのだろうか?
「言葉は不要、をアナグラムにするか? それじゃあ、ちといい名にならないか。―――じゃ、ナマエフヨウから行くと……。ナフエ……。いや、ナウエがいいかな? ナウエ、マフヨ……。うん、これで行こう」
そう呟いて、彼はこちらに屈託のない笑顔を向ける。
「ナウエ・マフヨとしばらくは名乗るよ。それで呼ぶように」
「ナウエ、マフヨ?」
「そっ。悪くないだろ? イカしてないけど」
屈託のない笑顔で答えられた。
「それにしても、なかなかいい度胸してるな賢者見習いよ。この次元断層と時空断層と重力断層の網と存在書き換え術式の嵐を防御魔法で乗り越えようなんてさ。―――魔法がぼろぼろだけど」
次元断層? 時空? 重力? 存在書き換え?
訳のわからない単語ばかりが次々へと述べられる。
「―――しっかし、その世界にもあれが繋がっちまったか。あのタヌキどもめ、好き勝手に暴走させやがって。後始末する身にもなれよ……。まあ、滅んでる連中には分からんか」
ため息混じりに愚痴をこぼす。
「貴方は、何を言っている?」
「異世界の住民には関係ない話」
右の人差し指を口元に当て、含みのある表情でマフヨは答える。
「助けちゃった以上放置するのも非人情なんで、その防御魔法を治して、強化して、追加の盾もつけて送り出してあげるよ。これぐらい、姉さんは許してくれるし。喜べ、命は助かるぞ」
「貴方が助けてくれるのではないのか?」
「貴女は、後少しで異世界に着きそうだからね。それだけで充分だよ。―――追加補助魔術、準備。―――修復。―――強化 四段重ね 追加 防盾 七段重ね」
その詠唱と共に、私が展開していたボロボロになっていた防御魔法が修復され、強化され、追加でよくわからない文字が書かれた円が七つ現れた。
驚くのは私だ。
かなり複雑で高度な術式による防御魔法なのに、いとも容易く治されたのだから。
それに全く異なる系統だろう魔法で私の魔法に附与させているのだ。
「貴方は、一体……」
こんな事が出来る魔法使いなんて、聞いた事がない。
「この魔法は知り合いの機械仕掛けから教わったんだけどね。面白いだろ、これ。この魔法自体にどんな魔法だろうが、フレキシブルに組み合わさるように術式が組まれてるんだぞ?」
アイツは魔法に関しちゃおっかないし変態だと、ころころと笑って、自分が使った魔法が知り合いが作った物と答える。
「あと、貴女は魔法で空飛べるんだろ?」
何故、そこまで知っているのか疑問だったが、その言葉に私は頷くだけで答える。少し難易度は高いが、出来ない訳ではない。どれだけ高い所からでも着地出来る。
「なら、飛行魔法の準備をしておけ。―――それじゃあ、この辺でサヨナラだ」
そして、彼は私の手を手離した。
「待っ―――」
まだ、聞きたいことだらけなのに。
「縁が遇ったら異世界でまた会おうぜ、賢者見習いよ。―――もっとも、貴女とはまた会えそうだけどね。―――ああ、忙しい忙しい。往く世界が多くて大変だ」
そう言って彼は、暗闇の中へと消えていった。
その瞬間には、私はたくさんの瓦礫と共に黒い球体から吐き出されていたのだが。




