第2話(後編)「声を失った者たち」
―――しばらくの沈黙―――
三人は、リラと他の人魚たちの間の静かな緊張を、ただ見守ることしかできなかった。
「……記録できないものを、どう記録するのか」
カレシが、自分の端末を見つめて呟く。
「彼女の『終わりたくない』という想いを、どうやって記録すればいいんだ」
「外からは見えないよ」
カノジョが、ぽつりと言った。
カレシが、顔を上げる。
「……え?」
「だって、心の中だもん。でもね──」
カノジョは、リラの方を見た。
「──一緒にいれば、わかるよ」
その言葉に、カレシは何も言えなかった。
(一緒にいること……か)
彼は、自分の端末を置いた。画面が、泡の光を反射して、ゆっくりと暗くなる。
カレシは、リラの前に歩み寄った。しゃがみ込んで、リラと同じ目線の高さになった。
「……あなたの話を聞かせてくれないか」
リラは、驚いたように目を見開いた。
カレシは、自分の手を差し出した。
「記録じゃない。ただ──僕が、君のそばにいる」
リラは、しばらくカレシの手を見つめていた。そして──ゆっくりと、自分の手を重ねた。
彼女の指先が、かすかに震えている。
その瞬間──リラの青い泡が、二人の目の前で揺らめき始めた。
泡の中に、映像が浮かんだ。声が出せず、誰にも届かず、それでも伝えようとし続けた少女の記憶。
カレシの端末は記録できない。でも──カレシの心には、確かに刻まれた。
「……伝えたいことを、泡じゃなくてもいい。僕が、ここにいるから」
その時、スターが、静かにギターを抱えた。
「いいんじゃない」
「ここでは僕のスイートボイスより、君たちの心の響きだ」
――ジャラン。
低く、優しい音が、海の底に広がった。
その音が鳴った瞬間──海水がわずかに薄くなった。泡が呼吸するように膨らみ、縮む。暗闇が、ほんの少しだけ退いた。
それは、「声のない歌」だった。
リラの青い泡が、音に合わせてかすかに揺れる。
その青が、ほんの少しだけ、薄らいだ。代わりに──かすかに、桃色が混ざり始めていた。
―――会議室・並行―――
博士が端末を睨んでいる。
「カレシの端末のデータが、ここに届いていない。……記録ができないのか、それとも送信が妨害されているのか」
「後者だな」
青年が、自分の端末を確認しながら言う。
『……青年さん』
学生の声が、ノイズ混じりで聞こえる。
『泡のデータが『記録保留中』に変わってます。システムが──泡の色の意味を学習し始めているみたいです』
青年は、窓の外の暗闇を見つめた。
「……どうやら、この世界では、観測者と被観測者の立場が揺らぎ始めているようだ」
―――海の底・リラのそばで―――
スターのギターの音が、静かに続いている。
リラは、カレシの手を握ったまま、ゆっくりと泡をなぞった。
今度は、青だけではなかった。その泡に、確かに桃色が混ざっていた。
『……ありがとう』
その泡は、そう伝えていた。
カノジョが、その様子を微笑みながら見つめている。
リラの泡にそっと手を触れた。
その瞬間──リラの泡に、ほんの少しだけ光が増した。
「……うん。一緒が一番だね」
カノジョは、自分の手のひらを見つめた。そこには何もない。でも──さっきまで、確かに誰かの温もりがあった。
(この世界でも、私は、光を見つけられる。だって──)
カノジョは、顔を上げた。
(──だって、私には、みんながいるから)
【システムログ:人魚セクター・観測記録】
現実確率:68.3%
歪みレベル:中
――若い人魚の「終わりたくない」という意思を確認(泡の色:青=未完)。
――リラの泡に初めて桃色が混ざる。
――集落の外周にて、虹色の泡(コード:0612)の浮遊を再確認。カノジョのみが視認。泡は下層へ沈降中。
――中継セクターより:システムが泡の色の意味を学習中。観測者の反転の兆候。
観測を継続します。
──次回予告──
「泡の住人たちの物語」
リラは、なぜ「泡になりたくない」のか。
その理由が、この世界の秘密を解く鍵になる。
「私は、まだ……誰かに届いていない」
次回、雇い主が過去の記憶と向き合う。




