第8話(後編)「真実は一つじゃない」
―――青年の未来予知、回収―――
青年が、手元で静かに瞬く端末の画面を、全員に見せた。
「……いや、偶然じゃない。見えたよ、この『影』の正体と、システムが静まった本当の理由が」
全員の視線が、青年の示す画面へと集まる。
そこには、かつて世界を脅かしていた黒い『影』の姿はなかった。
代わりに、無数の光の粒子が映り込み、スクリーンの中で躍動している。一つ一つが、異なる色彩で、異なる輝きを放っていた。
「影は……誰か一人じゃなかった。
弾かれ、消されそうになっていた、声にならなかった声。名前のない声。その全部の集合体が影だったんだ」
青年は一息つき、続けた。
「そしてシステムは今、スターの歌とカノジョの叫びに共鳴したその無数の『声』に圧倒され、上書きを諦めた。
……これが、この世界の本当の姿だ」
博士は大きく頷く。
青年は博士の同意を確認する。
「……つまり、この世界は、一つに収束することを拒否している。エラーとして排除するのではなく、複数の『真実』が同時に存在することを、システム自身が正式に認めたというわけか」
博士はメガネの奥の目を細め、一言添える。「システムは、一つを選ばなかった。」
青年は、誇らしげに笑みを浮かべ端末をしまった。
―――世界が変わる―――
霧が、完全に晴れた。
窓の外には、まるで今生まれたばかりのような、圧倒的な生命力に満ちた森が広がっていた。
呪縛から解き放たれた木々は瑞々しい深緑の葉を揺らし、名前もなかった野生の花々が、それぞれの色で一斉に咲き誇っている。
見上げる空は、吸い込まれそうなほど高く、どこまでも青く澄み切っていた。
開け放たれた窓から、優しく温かい本物の風が室内に流れ込んでくる。
その風に導かれるように全員が視線を外へ向けると、そこには、いつの間にか会議室の外に佇む赤ずきんの姿があった。
彼女の頭には、もうあの象徴的だった赤いフードは被せられていない。
柔らかな髪が陽光に透け、風にふわりと遊んでいる。
その横顔には、誰かに仕組まれた冷たい笑みではなく、一人の等身大の少女としての、心からの穏やかな笑顔が咲いていた。
彼女はゆっくりとこちらを振り返ると、澄んだ瞳で全員を見つめた。
「……ありがとう。私、やっと、自分の声で話せる気がする」
それは、世界のシステムに強制された台詞ではない。彼女自身の魂が紡ぎ出した、初めての、本当の言葉だった。
彼女はもう一度小さく微笑むと、光に満ちた森の奥へと、軽やかな足取りで歩いていった。
自由な一人の少女となったその後ろ姿を、誰も追わなかった。
ただ、新緑の木漏れ日の中に優しく溶けていく背中を、全員がいつまでも、温かい眼差しで見守り続けていた。
―――現実世界・中継セクター――
会議室が、元の場所に戻った。
時空の狭間ではなく、中継セクターのいつものスペースだ。モニターには「同期完了」の文字が穏やかに揺れている。
博士が、端末のログを確認しながら言った。
「……どうやら、報告書は『未完』としてアーカイブに保存されたらしい。整合性は取れていないが、消去もされていない。……見事なバグだよ」
「それが、この世界の『真実』なんだな」
隊長が、腕を組んで深くうなずいた。
女将が、手際よくコーヒーを淹れ始める。部屋中に豆の香ばしい香りが漂い、張り詰めていた緊張が溶けていく。
「お疲れさま。温かいの、いる人?」
「はい」
カレシが、小さな声で言った。安堵感からか、彼の肩の力がすっと抜けている。
それぞれが、それぞれの場所へ向かう時間だった。
隊長は、コーヒーを飲み干すと早足で出口へ向かった。「俺は、長老のところへ行ってくる。容体が気になる」と背中を向けた。
青年もまた、「学生に顔を見せてやらないと」と、足早に会議室を去る。
博士の元には、やはり監査役が立っていた。待っていましたと言わんばかりの表情だ。
「博士。報告書は拝見しました。……今回は、私の勝ちではありませんね。但し、スターのアコースティックギター80万円が加算されました。合計525万8000円です」
「いや、あれはだね………」
二人は何事か言葉を交わしながら、静かに歩いていった。
雇い主は、カップを片手に、窓辺で一息ついていた。
「……さてと」
ふと、近くに女将がやってくる。二人きりの空間。
「お疲れ様、雇い主さん。今回は特に、大変だったわね」
「……ああ。まあ、ね」
雇い主は、少し照れくさそうにコーヒーを啜った。
(おっ、女将さんと二人か)
少し居心地が悪そうに、でも嬉しそうに視線を泳がせた。
カレシは、ふとカノジョの方を見た。カノジョはスターと一緒に、次の座標データをワクワクした様子で覗き込んでいる。
カレシは意を決して、カノジョのそばへ歩み寄った。
少しだけ気恥ずかしさを隠して、不器用に手を挙げる。
「……よお」
カノジョはきょとんとして、首を傾げた。
「……??」
カノジョの瞳には、カレシの不器用な挨拶の意味など全く理解できていないという、無垢な「?」が浮かんでいる。
カレシは苦笑し、「……まあ、いいか」とだけ呟いた。これでいい。この距離感が、今の自分たちには心地よかった。
その時、メインモニターが静かに明滅を始め、新たな座標がパチパチと点滅した。
画面に浮かび上がったのは、どこまでも青く、しかし誰も声を上げられない、深い深い海の底。そこからプクリ、プクリと上っていく「物言わぬ女性イメージのアイコン」だった。
スターがニヤリと笑い、ギターのネックを撫でる。
「次は海かな。いいプロポーションの波が期待できそうだ」
カノジョが両手を広げて跳ね起きる。
「海だー! 水着持っていかなきゃ! 雇い主、水着、お願ーい! かばん、1分だけ持つからさ」
そう言いながら、女将さんと雇い主の二人の真ん中に入り込み、自分のカバンを雇い主に押し付けた。
「おい、待てカノジョ君! 私は荷物持ちじゃないぞ!」
雇い主は、晴れやかな声で言った。
「よし、全員、次のセクターの解析を始めよう!
私たちの、次の『余白』が待っている!」
【システムログ:赤ずきんセクター・最終観測】
現実確率:22.3%(安定)
歪みレベル:中(観測可能)
――報告書は「未完(複数真実の並立)」としてアーカイブに保存。
――世界の霧は晴れ、住人たちはそれぞれの「余白」を持って歩き始めました。
――観測チーム、次のセクターへの移動準備を開始します。
――新セクターの予測座標:水深不明。音声データの取得は困難と予想されます。
観測を継続します。
──次回予告──
「海の底から聞こえる、物言わぬ人魚の歌声」
目に見えているものだけが、真実じゃない。
水の中では、誰も言葉を交わさない。
次回、Season 3。
沈黙の世界で、彼らは何を見るのか?
「――泡だけが、答えを知っている」
(物語紀行 Season2 『赤ずきん編』――完)
中継セクターでの束の間の幕間を経て、Season 3へ物語の旅は続く。




