第一章 創作論〜誰にも読まれない作品からの脱却〜
これはツイ友髙山をターゲットに書いた実践的な創作論です。
ツイッターの創作クラスタでは日頃から様々な創作論が展開されている。しかし、頷ける物は少なかった。
多くの創作論は成功者が語っている。それらは自らの成功体験を語る普遍的ではない独創的で、その人の才能に依存する成功の分析でしかないかった。
そういう創作論は一部の天才――処女作で賞を取り、デビューしてしまうような人の話なのである。つまり、普通の人間が真似したって出来るはずがないことなのに、皆こぞって真似しようとするのは何故なのか――それは人が成功者に肖りたいからだ。または、自分はやれると信じているのかも知れない。
その気持ちは痛いほど分かる。私もかつてはそうであった。
だが、敢えて言おう。それは幻想であると。あなたは天才ではない。故に天才の理論で成り上がれる訳がない。そもそも天才と天才ではない人は方法論そのものが異なるということに気づいてほしいのだ。
では、何をしたらいいのだろうか。
凡人には地道な積み上げしかない。天才のような一足飛びの登り方は出来はしないのだから。
では具体的に何を積み上げたらいいのか?
先ずは天才が無意識でしていることを分解し、理解し、凡人向けに再構築してみよう。天才とは創作をするときにありとあらゆる所から情報という名のエネルギーを集めて行える奇蹟の人であると定義する。
ここで先ずは情報という物を考えよう。情報とは、創作を続けるためのガソリンであり、エネルギー源である。
天才はこの情報を何処からか取り出して居るように見えるが、それは目に見えるものすべてを情報に変換して、情報の精度を上げている。
これが解像度である。
▶解像度という名の化け物
解像度を高くしないと――最近よく耳にするようになったフレーズだ。では、解像度とはなんなのか?
解像度は、一インチ当たりいくつの点で構成されているかを数字で表したもので、単位はドットパーインチの頭文字をとってdpiで表す。一般的な印刷物は350dpi、インターネットでは72dpiで表示され、解像度が高ければ高いほど、画像はくっきりとはっきりと、細かい部分まで詳細に表示される。これが解像度の元もとの意味だ。
では、文章における解像度とは何か。
それは作者の中にある作品やキャラクター、世界観、テーマ、プロットなどの詳細が明確になっていることを言う。これらの解像度が高いものほど、読者に伝わりやすくなるのは当然だ。自分の中に詳細な情報があればあるほど、読者に伝える術が増えるのだから。勘違いをしてはいけないのは高い解像度とは外見のことではない。外見上のことは情報でしかなく、どちらというと記号であり、高い解像度を得るには内面の方が大事になる。
だが、先ず最初にしなければならないのは、ターゲットの解像度を上げることだったりする。
では、ターゲットとは何であろうか。




