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その人は見るからに厳しそうな人だった。
初対面であるにも関わらず、椿の中ではすでに苦手意識が芽生えている。
ほぼ白髪の頭の割にはきびきびと歩き、身のこなしは育ちの良さを伺わせた。
それはそうだろう。
あのエルザイヌの先生を務められるほどの地位があるのだ。
こちらの人間でない椿でも、その程度の予測はできるようになっていた。
「お初にお目にかかります。ヤナセと申します、黒姫様」
「………ども」
他にどう返答すべきだったのか椿にはわからない。
しかしヤナセと名乗る先生となるであろう人物は、目をひんむかんばかりに見開いた。
恐ろしい意外の何物でもない。
椿がそれにぎょっとして少し仰け反ると、椿の後ろに控えていたヒスが耳元に口を近付けた。
「ヤナセ様は礼儀作法に厳しい方であらせられます。そのような挨拶の仕方では……」
小さな声の割に焦ったような声色のヒスだが、その焦りは椿にはなかなか届かない。
そう言われたところで、礼儀のきちんとした挨拶など椿には見当もつかないのだ。
しかしこの状況下では、そんな言い訳は通じそうにもない。
「椿と言います。今は黒姫?ってのをやってます。早く帰りたいです」
椿の部屋を極寒のような寒気が襲ったことは、もはや言うまでもない。
**〇**
エルザイヌの元に、エルザイヌにとって好ましくない人物が訪れた。
またそれが好ましくない内容を持ってのことだから、尚のことだ。
しかし武儀にできないことも事実であるので、仕方なくいつものように笑顔を張り付けた。
「お忙しい中申し訳ありません、エルザイヌ様」
「構わないよ、モビル」
シェンリルの側近であるモビルだ。
エルザイヌは心の内だけで舌打ちをした。
苦手なのだ、この男が。
同族嫌悪のようなものなのかもしれないが、そうだとすれば、なぜそんなに頭の切れる人間があの男の下にいるかが理解不能だ。
もっと自分の力を発揮できる場所を探せばいいものを……。
エルザイヌに言ってやるつもりはさらさらないわけだが。
「何かあったのかい?」
モビルはにこりと微笑み、エルザイヌを見据えた。
エルザイヌは知っている。
これが心からの微笑みではないことも、裏があることも。
その裏が自分にとって優位ではないことも。
「小耳に挟んだのですが、黒姫様に教育を付けさせたそうで」
「あぁ。まだこちらに留まる気があるようでね。その方が黒姫様も、日常で困ることもなくなるだろう」
さすがに情報の入手が早い。
どういう伝かは知らないが、モビルは良いカードを持っているのは間違いないだろう。
「黒姫様がお話してよろしい方は特定されているはずですが、よろしいのですか?」
「ヤナセ殿は立派な方だ。何事も中立な立場でいてくださるから、心配はいらないよ」
「果たしてそうでしょうか。ヤナセ殿はエルザイヌ様やスローレット様の教育係も務めていらっしゃった御方。いくら立派な御方とはいえ、ひいきがないと言い切れますかな?」
やはり、と言いたくなるほど、モビルがついた点はエルザイヌがつかれるだろうと予測していた箇所だった。
しかし本題はここからだ。
この男を面倒だと考える理由は、そこからさらに言い募るからに他ならない。
それがこちら側にとって断ることのできない理由を持って。
「ですから、私がその教育に立ち合わせていただく、というのではどうでしょう?」
自らが?
エルザイヌは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
言われるだろうとは予想していたが、はっきり宣言されると流石のエルザイヌでさえも戸惑う。
それを一瞬で止めてしまうのが、エルザイヌの長年の業だ。
「モビルが自ら立ち合うのかい?」
「えぇ、そのつもりです」
しかし、それはあくまで立ち合うのみだ。
それがモビル、いやシェンリルにどんなメリットを生むというのだろうか。
黒姫を近くで見たいがため?
黒姫の気を引きたいため?
エルザイヌにはどれも核心を得ない。
「わかった。そのように手配しよう。ヤナセ先生にもそのように伝えておく」
だからといって断れもできないのだ。
いくら職務を行っているのが自分でも、それが王になれる直接の切符にはならない。
歯痒くて、悔しくて、どこかホッとしている。
なんの障害もなく王になれてしまったら、きっと自分は自分のままだったはずだから。
そして自分はそれらの障害に打ち勝てるという自負もある。
受けてたとうではないか。
この黒姫合戦、なかなかに面白い。
エルザイヌはもビルが去った自室で一人、普段人には見せない不適な笑みを浮かべていた。
気まぐれ投稿、心よりお詫び申し上げます。
ほんとごめんなさい!!
短めですけどね。
お読みいただき、ありがとうございました。