008
草花も眠る丑三つ時、僕は寝付けずにベッドに横たわっていた。
自分も魔法士になれるのだという想いと、サイプレスの武勇伝に興奮したために、目が冴えてしまったのだ。
「うーん、ダメだ、全然寝付けないや。庭を散歩でもしよう」
僕はこそこそと起き出して、音を立てないように寝巻きからいつもの服に着替えて庭に出た。
「夜は静かで落ち着くな」
僕はリョーマイケル伯爵邸の西側にある、大きな庭園に降り立った。
庭園には美しい芝生が生えそろっており、草花で幾何学的な模様が描かれていた。
樹木は一本も生えておらず、石像や金属柵に絡ませたつる植物が、庭園に立体的な印象を付け加えていた。
「そういえば、我が家にも街中にも樹木が一本も植えられていないな。日本では庭や公園、街路なんかには樹木が必ずあったけど……」
年月を経た樹木は魔木となる。
魔木は魔力を帯びて、近づいたり危害を加えようとする人間に攻撃する場合もある。
「下手に木を植えてしまうと、手入れをしたり切ったりするときに反撃されて、大怪我する恐れがあるんだろうな。やはりこの世界は日本とは違うんだ」
僕は噴水の縁石に腰掛けて、物思いにふけった。
前世で僕は木に登って危険な枝を切ったり、木を伐採したりする仕事をしていたけど、この世界ではそんなことはあり得ないことなんだろうな。
しかし前世で培った樹木に関する知識は、この世界でも何か役に立つような気がする。
「ん?なんだ?」
すると、僕と同じように噴水の縁石に腰掛けている存在を発見した。
球根のようなフォルムに手脚が生えていて、なんとなく愛嬌のある目鼻が付いている。
「これは、ユリ根?」
ユリ根とは、ユリ科植物の球根のことで、鱗片が重なり合った形をしている。
火を通して食べるとホクホクとして甘みがあり、栄養豊富だが栽培に手間がかかることで知られる。
「キュウ?」
「しゃべった!」
そういえばサイプレスが、多年草には魔力が宿ることがあると言っていたような気がする。
もしかして庭に植えられていたユリ根が古くなって、魔球根となったのかもしれない。
「キュウ!キュウ!」
魔球根のユリ根は、僕を見つけるとすりすりと体を寄せてきた。
なんとなく気に入られたような気がする。
「おい、よせよ。可愛いやつだな」
ユリ根は僕の腕にがっしりとしがみつき、短い手脚と根っこを絡みつけて密着してきた。
危害を加えようというつもりはないらしく、ひたすらキュウキュウと鳴いている。
「うーん、ペットに魔球根を飼いたいなんて言ったら怒られるかなぁ……」
ユリ根は潤んだ瞳で僕を見上げた。
「キュウ?」
「ま、可愛いからいっか。お前の名前はユリネだ、今日から僕と一緒においでよ」
「キュウ〜!」
名前をつけてあげるとユリネは大喜びし、薄らと発光したような気がした。
「なんか珍しい出会いもあったことだし、そろそろ部屋に戻ろうかな」
そう思った時だった。
父の書斎の部屋の窓から、庭園に飛び降りてきた人影を発見した。
三階の高さから落下したにもかかわらず、音もなく静かな着地であった。
「む、泥棒か?あ、あれはもしかして……」
薄暗くて遠くからだとわかりづらいが、泥棒らしき人物は枯草色のローブを纏った老人であった。
手には本のようなものを大事そうに抱えている。
僕はユリネに静かにするように伝え、忍足で接近を試みた。
「ついに、ついに魔導書が手に入った!これでワシも第六位階に到達することができる。ふひ、ふひひ!ふひひひひ!」
泥棒は間違いなく、僕の魔力を鑑定した鑑定士の老人であった。
手に入れた本に夢中で、僕の存在に気がついた様子はない。
「ふひひひ、さてと、一刻も早くこの場を立ち去らねば。見つかる前にさっさととんずらじゃ」
老人は逃走しようとしているようだ。
僕は花壇の縁取りに使われていたレンガを拾ってから、声をかけることにした。
「あのー、すみませーん。盗みは良くないので、その本を返してもらえないでしょうか」
「む!誰じゃ!なんだ、お主は、魔力総量が【極めて少ない】ガキじゃないか」
なんとなく不名誉な二つ名で呼ばれたような気がしたが、窃盗犯が魔法を使ってくる恐れもあったので説得を試みることにした。
「いまその本を返してくれたらあなたのことは黙っていてあげますから、大人しく本を返してくれませんか?」
「嫌じゃ!嫌じゃ嫌じゃ嫌じゃ!絶対にこの魔導書は返さん!せっかくの魔導書を使わずに置いておくなんて、リョーマイケル伯爵は許すわけにはいかない!よって、この魔導書はワシが持っているのが正しいのじゃ!」
泥棒老人は唾を飛ばしながら興奮して怒鳴った。
たぶんあの本は父の書斎の本棚に納められていた、魔力を帯びた本だろう。
魔皮紙もしくは魔紙を使って製本された本は、魔力を帯びて魔導書となっていたのだ。
魔導書は老人にとって、泥棒してまで欲しい物なのか。
「その魔導書が欲しいんだったら、父に直接交渉して譲ってもらってください。泥棒で手に入れた魔導書で魔法を使うなんて、とても正しい行いとは思えません」
「ええい、うるさいガキめ、これでも喰らえ」
老人はそういうと、右掌をこちらに向けてぶつぶつと何かを唱え始めた。
魔法詠唱?
もしかして魔法を使うつもりなのか?
僕は気になって老人の挙動を観察した。
「ワシならできる、ワシならできる、ワシならできる、喰らえ、ファイアーボール!」
魔法詠唱じゃなくて、自分を励ましていただけだった。
しかし魔法を使うと宣言してからの溜め時間が長すぎて、避けるのはそれほど難しくない。
建物に火が当たらないように回り込みながら、僕はさらに老人に接近した。
「えぇい!ファイアーボール、ファイアーボール、ファイアーボール!クソガキが、ちょこまかと動くでない!」
無茶を言うな。
相手が動くことを想定して魔法を放たないと、当たるわけないだろうに。
この老人は魔法士としては全く通用しないレベルの人間だということがよくわかった。
ある程度老人に接近した僕は、手にしていたレンガを投げつけた。
レンガは老人の頭に当たり、少し出血したようだった。
「ぐぁぁ!何をする、凶暴なクソガキめが!」
人に向かって魔法をバンバン放ってくるヤツが一体何を言っているんだろう。
つくづくこの老人に対して残念な気持ちになった僕は、最終勧告をすることにした。
「さぁ、もうここまでにしましょう。さもなくば大きな声を出して助けを呼びますよ」
元からこの老人に逃げ場は無い。
僕が大声を出せば、流石に屋敷にいる人間が気づいて駆けつけるはずだ。
「うううぅ、こうなったら、魔導書よ、ワシの魔力を捧げる!このクソガキを殺してしまえ!」
老人がそう叫んだ瞬間、魔導書がものすごい速度でパラパラと捲られていき、眩い光を放った。
老人はひっくり返って、昏倒していた。
魔導書に魔力を吸い取られたために、魔力切れになったのだろうか。
そして魔導書からは、黒い毛むくじゃらの腕を持った魔物が出現していた。
鋭い牙、鋭い爪、丸太のように太い腕、それは狼人間のような恐ろしい魔物であった。




