009
狼人間はぼたぼたと涎を垂らしてニヤリと笑った。
魔導書から出てきたくせに、感情を持っているのだろうか。
僕のことなんかいつでも殺せると思っているのだろう、鋭い爪のついた拳をにぎにぎと動かしている。
心臓が早鐘のように打ち付けていたが、血の気が引いていくのを感じた。
「(キュウ)」
絶対絶命の危機を感じ取ったのか、ユリネから温かい感情が流れ込んできた。
「(キュウキュウ)」
ーーー魔力を渡してくれたら、ボクがキミを護ってあげるよ。
なぜだかわからないが、ユリネがそう言っているように感じた。
狼人間の体毛が膨らみ、前傾姿勢をとっている。
いよいよ、殺される。
迷いを捨てた僕は、直感を信じてユリネに魔力を託すことにした。
「ユリネ、頼む!」
「キュウ!」
狼人間が爆発的な推進力で突進してきた瞬間、ユリネの鱗茎が展開して傘のように大きく広がった。
驚いている暇もなく、僕はユリネが取り付いている右腕を前に構えた。
ギィン!
金属同士が激突したような音がしたと思ったら、次の瞬間僕は凄まじい勢いで吹き飛ばされていた。
一瞬の浮遊感の直後、地面に叩きつけられて身体中が擦り傷だらけになった。
ユリネが盾となって僕を護ってくれたのだが、狼人間の攻撃の威力は凄まじく、さらなる攻撃が迫っていた。
「(体勢を立て直してもう一度攻撃を防がなければ……)」
頭でそう思っていても、体が言うことを聞いてくれない。
激しい吐き気と倦怠感が僕を襲った。
この感覚は、魔力が尽きてしまった時のようだ。
「(魔力が切れた!?僕は特殊な体質だから、魔力を使い果たしてもすぐに回復するはずなのに)」
狼人間の攻撃は目前に迫っていた。
丸太のように太い腕を振り上げて、鋭い爪で僕を引き裂こうというのだ。
「坊主、どんな状況でも魔力は使いきったらだめだぜ」
やられると思った瞬間、狼人間の後ろからサイプレスの声が聞こえた。
狼人間は腕を振り上げたままの体勢でピタリと停止しており、苛立ちからか唸り声を上げる。
「ウガァ!」
狼人間は突然現れた新たな獲物に激怒して、振り向きざまに虚空を引き裂いた。
サイプレスはその瞬間には僕の側に移動していた。
「サイプレスさん!」
「静かにしろ、奴は今、俺たちを見失っている」
突然現れたサイプレスは僕を抱えたままふわりと宙に浮き、そのまま緩やかに狼人間から距離を取った。
狼人間は僕らの姿が見えていないかのように、四方八方に攻撃している。
「これは一体……」
「これは俺の固有魔法【隠密】の効果だ」
固有魔法だって!?
一体どんな魔法なんだろう。
僕は痛みを忘れて興味津々だった。
「んー、詳しくは後でじっくりと教えてやるが、またとない機会なので解説するとしよう」
「はいっ!」
「魔法を習得してからある条件を満たすと、より強力な魔法が使用できるようになる。これは位階と呼ばれており、俺は第六位階の固有魔法まで使用することができる」
老人が魔導書を盗んでまで到達したかった第六位階になると、固有魔法を使えるようになるのか。
僕は無言のまま頷いて、サイプレスの説明を理解しようと思考を巡らせた。
「第六位階魔法はとても強力で、魔法士ごとに全く効果が異なる。そのため固有魔法と呼ばれており、詳細を他人に明かすことは決してない。坊主も、俺の固有魔法のことは誰にも話すんじゃねぇぞ」
「もちろんです」
「俺の固有魔法【隠密】は、任意の対象を隠蔽して、指定した相手に存在を感じさせないようにすることができる。この魔法のおかげで、足を負傷した狩人を連れてレッドドラゴンから逃走することができたってわけだな」
晩餐会で語られた武勇伝では、一番肝心なところは伏せられていたのだ。
眼を撃ち抜かれて怒り狂ったレッドドラゴンから、足手まといの狩人を抱えた状態でどのように逃走したのか。
それこそが魔法士としては最も重要なポイントだったんだ!
「じゃ、サクッと倒してくるから、坊主はここで見学してろ」
サイプレスはそういうと、またふわりと宙に浮かんで僕の元を離れていった。
サイプレスは狼人間を挟んで僕の反対側まで飛んでいくと、【隠密】を解いて狼人間に声をかける。
「おいワンコ。遊んでやるからこっちにこい」
音もなく着地したサイプレスの周囲には、いつのまにかいくつもの火球が周回していた。
「ギャン!」
火球の一つが狼人間の顔の目の前で爆発して、サイプレスの姿を見失う。
どうやらサイプレスは【隠密】を巧みに利用して、狼人間を翻弄しているようだ。
「グルルルルル、ガウッ!」
サイプレスはゆったりと狼人間の背後に回り込み、次々に火球を爆発させてダメージを与えていく。
しかし狼人間の体力はかなり高いのだろうか、火球のダメージは致命傷とはならない。
「ガァァァア!」
狼人間は火球を無視してサイプレスに向かって突進した。
ダメージを覚悟の上で魔法士を叩こうという作戦だ。
次の瞬間、狼人間が無視した火球のうちの一つが矢尻のような形状に変化して、狼人間の脳天を一撃で貫いた。
狼人間は膝から崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。
「うーん、我ながら地味だぜ」
自らの戦い方を地味だと評価したサイプレスだったが、あまりにも鮮やかすぎる戦い方に、僕は見惚れていた。
これが僕の目指すべき一流の魔法士という存在なんだ。
魔法に対する認識を改めた僕は、いつしか自分の魔力切れが回復していることに気がついた。
ちょうど朝日が昇って来た瞬間、魔力が一気に回復した感覚を覚えたのだ。
「(もしかして僕の特殊な体質って、太陽の光を浴びていないと発動しないのかな?)」
すっかり安堵した僕は、昨晩から一睡もしていなかったこともあり、気絶するように眠りに落ちたのだった。




