010
目が覚めると、見慣れた天井があった。
ここは僕の自室である。
「ゼルお兄様!」
妹のキエノが涙目で抱きついてくる。
狼人間に攻撃されて吹き飛んだ時についた擦り傷や打撲が、ズキズキと痛み始めた。
「イテテ、キエノ、ちょっと痛いって」
「目が覚めたのですね、ゼル。サイプレス様から話は聞きました。無事で本当に良かった」
母カマツも、意識のない僕を看病してくれていたようだ。
「すぐに薬を持って来なさい」
「かしこまりました、奥様」
カマツがメイドに命じると、すぐに薬とやらが運ばれて来た。
銀製のお盆に乗せられてうやうやしく運ばれて来たそれは、真っ赤なリンゴであった。
「リンゴは皮を向いてからすぐに食べないと効果が低下してしまうので、私が剥いてあげましょう」
カマツはリンゴをうさぎちゃんカットにすると、キエノがフォークで僕に食べさせようとしてくる。
「ゼルお兄様、はい、あーん」
「えっと、これってリンゴだよね?薬じゃなくて、リンゴなの?パクっ、もぐもぐ、美味しい!」
リンゴのほのかな酸味と甘味が口いっぱいに広がって、とってもジューシーだ。
どう考えてもいたって普通のリンゴの味である。
「擦り傷、切り傷、打撲、捻挫、さらに骨折や火傷まで、外傷に最も効果があるのは生のリンゴなのですよ。加熱したり加工しても効果はありますが、生で食べるのがもっとも良いとされています。このリンゴは私の実家であるレッドパイン侯爵領の最高級品で、毎年あなたのお祖父様とお祖母様が送って下さるのです」
「なんと、それは初めて知りました。ちなみにこのリンゴは買うといくらくらいになるのでしょうか?」
「リンゴ一つは金貨一枚と同等の価値を持つ、これがレッドパイン侯爵領が他領と取り引きする際の目安となります。領内ではもう少し安価に取引されていますし、領民でケガをしたものがいる場合にはさらに安値で販売することもありますよ。収穫の際に傷がついてしまう場合もあるので、そのような訳アリ品は領内で消費したり加工品にするのです」
母の実家であるレッドパイン侯爵家はリョーマイケル伯爵家より北に位置しており、冷涼な気候と冬の積雪量が多いことで知られている。
そんな気候や風土がリンゴ栽培に適しているのかもしれない。
「もっとも、リンゴ栽培は命懸けの力仕事なので、リンゴ栽培農家は皆屈強です。収穫期には領内の騎士も動員されて、リンゴ畑では激しい戦いが繰り広げられるのです」
種からリンゴを育てた場合、実をつけるまでに10年以上かかる場合もあると言う。
この世界では樹木はすべからく魔力を帯びて魔木となるため、そこそこの大きさに育ったリンゴは人間にとって脅威であると言える。
一本でも強いリンゴの魔木が無数に植えられているとしたら、リンゴ畑は間違いなく超危険地帯だろう。
リンゴ一個は食べきれなかったため、カマツとキエノも一緒になってリンゴを食べる。
すると、みるみるうちに痛みは引いていき、僕のケガはあっという間に完治した。
「えっと、今度お祖父様とお祖母様に感謝の手紙を書きたいと思います」
「それが良いでしょう。さて、リンゴを食べ終わったらお父様に報告に行きましょう」
ーーー
「おお、ゼルコバよ、目が覚めたようだな。無事で何よりだ」
「はい!母上にリンゴを剥いていただきましたので、すっかり良くなりました」
「それは良かった。義理父上と義理母上にはお礼の手紙を書くことにしよう。ところで、今日未明に発生した窃盗事件と傷害事件について、事実の確認をしたいのだが、ゼルコバよお主の口から説明してくれないか」
「はい、僕は昨晩、なかなか眠ることができなかったので、気分転換に庭園を散歩することにしました。すると、父上の書斎の窓から飛び降りた人物を発見したため不審に思い、気づかれないように接近したのです。不審者が鑑定士の老人であることに気がついた僕は、盗もうとしている魔導書を返還するように説得を試みましたが、老人は激昂して魔法で攻撃して来ました。老人の魔法は僕には当たりませんでしたが、僕が投げつけたレンガが老人の頭に当たると老人はさらに激怒し、魔導書を使用して狼人間を呼び出したのです。狼人間の攻撃は凄まじく、ユリネとサイプレスさんに助けてもらわなければ、僕は殺されていたことでしょう」
「なるほど、サイプレス殿の説明と一致する証言が得られたところで、鑑定士のジッペリアナ殿、何か申し開きはあるか?」
枯草色のローブを纏った老人が、拘束された状態で書斎に連行されて来た。
老人の後ろにはサイプレスが付いて来ており、暴れ出したらすぐに取り押さえられるように待機している。
「ええい、離せ!ワシの魔導書を返すのだ!これは正当な権利なのじゃ!」
「さっきからこの爺さんずっとこんな感じでな、事情聴取もまともにできねぇんだわ」
サイプレスがため息をつきながら愚痴をこぼした。
血走った眼で魔導書を求めるジッペリアナの姿は、醜い小鬼のように見えた。
「さて、ジッペリアナ殿。私はリョーマイケル伯爵家の代表者として、貴殿の罪を裁く権利がある」
父は冷めた目で老人の様子を見つつも、厳しい口調で宣言した。
「しかし貴殿は国王陛下の名の下に任命された鑑定士で、国から派遣された客人でもある。そのため、本来であれば即刻死刑を言い渡すこともできるが、王都に送還して裁判にかけることとする。ラムズホーンよ、紙を持ってくるのだ」
「はっ、こちらに」
父がラムズホーンに持って来させたのは、リンゴの魔木から作られた最高級の魔紙であった。ほんのりとピンク色がついた魔紙はリンゴ材で作られた木箱に収められており、父はその中から一枚を取り出すと事件の調書をしたためた。
「魔紙によって作られた文書は、それ自体が強力な契約書となる。書かれた内容に嘘偽りがあった場合には、命を失うおそれもあるほどの厳しいものだ。これを証書として王都の裁判所に提出して、ジッペリアナ殿には裁きを受けてもらうつもりだ」
父は調書を書き終えると文末にサインをして、封筒に入れて蝋で封印した。
これで魔紙に書かれた内容はリョーマイケル伯爵の名において真実であることが担保され、裁判の資料として丁重に扱われることとなる。
魔紙を用いた文書の作成は初めて目にしたが、逆に言えばこれほど重要な理由が無ければ魔紙を使うことはないのである。
紙というものの重要性を感じつつ、僕たちは王都に強制連行されるジッペリアナ老人を見送った。
「ほら、さっさと歩け」
「ワシの魔導書を返すのじゃー!」
「(まだ言ってるよこの人……)」
お祖父様とお祖母様への感謝の手紙は、後日、リンゴの魔紙で書かせてもらえるように、父に頼んでみようと思った。




