異形の者達
遥か昔、奇異なる者達と呼ばれる魔族がいた。
彼らはその身体に様々な、他の魔族には無い特徴を持っていた。身体の一部が、その種族本来の形とは全く異なっていたのである。
つまりは身体の一部が極端に肥大化している、あるいは萎縮している。身体の一部が他種族のものである。手足の数が常よりも少ない、あるいは多い。
など、身体の作りが人族とは大きく異なる魔族の中にあっても、彼らは特に異質であった。
しかし彼らは、そんな身体の作りよりも、更に異質であるものがあった。
他のどんな魔族よりも少ない魔力と、魔力を扱う能力の欠如、である。
強さを尊ぶ魔族の中にあって、姿形の異質さや醜さは、余り注目されない。人間にそっくりな者から、ほとんど獣や魔物そのままの姿の者までいる。魔族の中では、他種族は全て異質だと言っても、過言では無い。
そうしたこともあって、魔力の量、それを巧みに扱う能力、ひいては戦いの強さが、互いを評価する基準となったのである。
しかし奇異なる者達には、それが無かった。
一般的な人間より僅かに多い程度の魔力しか持たず、魔法や魔力強化を使うことが出来ない。持っているのは魔族としての強靱な肉体だけであり、しかしそれだけでは魔力強化を使うことの出来る人間には敵わない。
どの魔族からも異質でありながら、他者を認めさせる力の無い奇異なる者達は、敵対する人族は元より、同じ魔族からも奇異の目で見られ、また蔑まれる様になったのであった。
彼らの起こりは、誰にも分からない。どこで生まれたのか、いつ生まれたのか、誰にも分からない。
ただ世界に人族、魔族が混在していた頃には既に存在しており、両種族から蔑まれる立場にあったという。
戦う力を持たない彼らは、奇異なる者達同士で身を寄せ合い、人目を避けて暮らしてきた。そんな彼らだが、今で言う人族領からやってきたのか、魔界を彷徨った果てにか、ついに安住の地を見つけたのである。
そこは、果てしなく強大な魔族が支配する南方の地であった。
何者も傷付けること叶わぬ、比肩し得る者のない、強く美しき支配者。強きを尊ぶ魔族の頂点にある彼は、醜く異質で余りに弱い奇異なる者達を、蔑むことはしなかった。支配地の片隅に住まわせて欲しいという奇異なる者達の申し出を、彼は受け入れたのだ。
奇異なる者達の生活は一変した。
以前と変わらず奇異の目や蔑みの目を向けられることはあった。しかし住処を追われることも、食料を奪われることも無くなった。戦いに傷つき、また命を落とすことも無くなった。
彼らは出来る限りのものを、支配者に返そうとした。しかし彼らは何も持っていなかった。
住む場所を追われ各地を転々としていた彼らに、財産と呼べる物は何も無かった。その日を生きるのがやっとで、培われた技術も無かった。戦う力も単純な労働力としての価値も無かった。
しかし支配者は、そのどれをも求めなかった。
その代わりに、彼は未知を求めた。
見たもの、聞いたもの、嗅いだもの、食べたもの、触れたもの。自分に起こったこと、他の誰かに起こったこと、その大小を問わず、未知を求めた。
奇異なる者達は語った。自らの迫害の歴史を、逃避の最中に見聞きしたことを。
奇異なる者達にとって何の変哲もない事柄を、彼らは年に1度、決まった日に昼夜をかけて語った。支配者は、驚くことこそないが、関心のある様な素振りで奇異なる者達の語りを聞いていた。
それだけで、奇異なる者達は彼の支配地で、庇護を受けることが出来た。何の代償も無く、平穏な暮らしを手に入れたのだった。しかしその終わりは、突如として訪れた。
南方の支配者が、その姿を消したのである。
彼の支配地において、いくつもの国がその庇護下にあった。その中の1つの国が言った。
かの御方はお隠れになった、と。
一体どうしたことだ、と思う間もなく、戦いへの動きが活発になっていった。
南方に集まっていた小国の中で、魔族の国が手を組み、人族を北へと追いやった。そして力ある魔族を頂点に南方の魔族を纏め上げ、各地の魔族をも呼び集め、北進を始めたのだ。
それは魔族が1つとなり、人族へ攻め入るということだった。
もちろん奇異なる者達は、早々に魔族の陣営からはじき出された。ただ魔族というだけで何の力も持たない彼らは、魔族として認めてもらえず、しかしせめてもの情けなのか殺されることはなかった。
再び、奇異なる者達の各地を彷徨う生活が始まった。
全ての魔族が人族の敵となった今、奇異なる者達が人族の領域で暮らすことは出来ない。元より好意的な目で見られていなかったが、今の状況では、見かけられればすぐさま殺されてしまう。かといって魔族の領域で誰かに助けを求めることも出来ない。食うに厳しい戦時下において、役立たずを養ってくれるところなどないのだから。
結局彼らは、今までの様に人から逃げる様に地を転々とし、広大な平原の端、周囲を山に囲まれた窪地に辿り着いたのであった。
それから奇異なる者達は、その地で静かに細々と暮らしてきた。
彼らの知らぬことではあったが、戦いは人族と魔族を二分する、歴史に残る大戦へと発展していた。
大平原に響く戦いの声に震えた時もあったが、幸いに彼らは戦禍を免れ、大戦が終結した後も大平原の片隅で静かに細々と暮らしていった。
その間、彼らはかつて自分達を受け入れ、庇護してくれたかの支配者のことを、ひと時たりとも忘れることはなかった。
長く辛い歴史のほんの一瞬の、平穏な時。
しかし奇異なる者達の支配者への感謝は、与えられた平穏に対してだけではなかった。
支配者は、同情でも憐れみでもなく、ただありのままに奇異なる者達を認め受け入れたのであった。今まで誰からも蔑まれてきた彼らにとって、それが何よりも嬉しかったのである。
長い時の流れの中、何度も世代は変わり、かの支配者から庇護を受けていたものは、既にいない。しかし彼らは何世代にも亘って語り継いできた。
神にも等しい圧倒的な強者。
銀の髪と血の瞳を持つ、美しき支配者のことを、決して忘れぬ為に。
イリグック大平原の片隅の山里で、平伏する者達を何とか起こして聞いたのが、今の話であった。
かつて、何世代も前の先祖が庇護を受けていた支配者と同じ姿をしたアルクラドを見て、彼らは驚き跪いたのだと言う。庇護を受けていた先祖はもちろん、歴史を語り継いできた彼らもまた、アルクラドを神の様に崇めていたからである。
「其方らは我の庇護を受けた者の子孫であるか」
話を聞き終えたアルクラドが呟くが、その表情に変化は無い。やはりかつてのことは思い出せなかった様だ。
アルクラドに問われた、かつて奇異なる者達と呼ばれた者の子孫は、深く頭を垂れる様に頷いた。彼らは、立ち上がらせた後も、恐れ多いと皆が目を伏せ、しかし直立不動でアルクラドの前に立っていた。
奇異なる者達の子孫は、現在100名ほどがこの山の窪地に住んでいた。今も昔と変わらず、人目を避け、この地で静かに細々と暮らしている様だった。
「先祖より伝え聞きし偉大なる御方をこの目で拝す日が来るとは……幸甚の至りでございます」
彼らの中で1人の魔族が、改めてアルクラドに深く頭を垂れた。名をシルドと言い、この地に住む者達の中で、長老の様な位置にいる人物だと言う。亀人らしき彼は、大きな甲羅を背負い、しかしそこから伸びる手足には、フサフサとした毛が生えていた。
「此度は何故、私達の元へ御出で下さったのでしょうか」
幾つものしわが刻まれた表情からは、その感情が読み取りづらかったが、彼は嬉しさよりも緊張が大いに勝っているといった様子でアルクラドに尋ねた。
「其方らを訪う為に来たのでは無い。スーデンで食したカンクリーなる物と、それを売る者を探しに来たのである」
「カンクリーを、で御座いますか」
アルクラドの目的を聞き、シルドを含め奇異なる者達の子孫達は、とても驚いている様子であった。神にも等しい伝説の存在が自分達の元にやってきただけでも驚きなのに、その目的が自分達が日常的に食べている物だというのだから、更に驚きである。
「うむ。我は嘗ての記憶を失い、世界を巡っておる。この地を訪うたのも、その道中である」
「何と……」
記憶を失っているというアルクラドの言葉に、目を見開くシルド。暫しの沈黙の後、ゆるりと首を振り、その先に言葉を続けることはなかった。
「カンクリーで御座いましたね。マキシラ、何人かでカンクリーを獲ってきてくれるか? 他の者は宴の準備を頼む」
何はともあれ、アルクラドがやってきた目的はカンクリー。そうであれば心ゆくまで味わってもらおうと、シルドは里の者達にその準備を命じた。
「カンクリーは近くに流れる沢に棲んでおりますので、直ぐに獲ってこられるでしょう。それまでの間、暫しこちらで」
「うむ」
里の者達が各々の仕事に取りかかるのを見て、シルドは焚き火の方を腕で示し、アルクラド達を誘った。宴の準備が整うまで暖を取って待ってもらおうと考えてのことであったが、普段自分達が地べたに座っていることに思い至り顔を青くした。
だがアルクラドはそんなシルドの様子に気付くこともなく、焚き火の傍の地面に腰を下ろした。
とんでもない不敬に震え上がっていたシルドだが、そんな彼にアルクラドから叱責の言葉が飛んでくるはずもなく、しばしの沈黙の後、彼は恐る恐る火から1歩離れた所に座った。
「シルドよ。カンクリーとは如何なる獣なのだ? 町の者はその姿さえ見た事が無い様であったが」
早速アルクラドは、目的であるカンクリーについて尋ねる。スーデンでは、調理された姿とその味しか知ることが出来なかったからだ。
「カンクリーは獣では御座いません。身体を硬い殻で覆った、2本の鋏と8本の脚を持つ水辺の生き物で御座います」
「8本脚、ですか……?」
アルクラドの言葉を緩く否定した後、カンクリーについての説明をするシルド。その言葉にシャリーは驚く。
8本脚、鋏とやらを入れれば10本の腕なのか脚なのかを持つ生き物を、シャリーは見たことが無かった。8本脚の生き物であれば、草木の間に巣を張るクモの姿が思い浮かぶが、あれを食べようと思ったことは1度も無かった。
「2本の鋏と8本の脚……虫の様な姿であるか?」
どうやらアルクラドも、シャリーと似た考えを持った様であった。しかしシャリーとは違い、そこに驚きや嫌悪の様子はなかった。
「虫とは異なる生き物でありましょうが、形は近いやも知れません」
虫に近い姿とシルドが認めたことで、シャリーの頭の中でカンクリーの姿が、クモの形で定まってしまった。味は何の文句も無く美味しかったのだが、カンクリーを食べたいというシャリーの欲求が急激に萎えていった。
そうしているうちに、沢は本当に近くにあるのか、カンクリーの捕獲を命じられたマキシラ達が戻ってきた。
猿の様な身体と、ワニの様な大きな口、鋭い牙、かぎ爪を持つ魔族、マキシラ。人の胴体ほどの大きさの蠢く何かが、彼の腕の中にあった。
青みがかった深い緑色の身体。その表面はザラザラとしており、鱗とはまた違った硬質さがあった。
その全体的に丸みを帯びた身体から、10本の細長いものが生えている。しかし細長いとは言っても人の腕ほどの太さはあり、それらが2本の鋏と8本の脚であった。その付け根は僅かに白味を帯び、その部分の軟質さが、蠢く何かの生々しさを際立たせていた。
頭なのか胴なのか分からぬところから生えている10本の手脚は、それぞれが不規則に動いている。時折、手脚同士がぶつかり、ガチガチ、ガチャガチャといった、硬くも濁った様な音が聞こえてくる。
手脚が生えているのは、やはり頭の部分なのか、身体の先端に目の様な出っ張りが2つあった。そしてその間には、3対の小さな脚が顎を形作った様な、口らしきものがあった。
外観の印象は正しく虫。巨大な地グモの仲間だと言われても、疑う余地が無いほどである。
「こいつが、カンクリーで御座ぇます」
僅かに空気の漏れる様な声で、マキシラが言った。
彼の持つ蠢く何かはやはりカンクリーで、その味を知っていて尚、食べたくないと思わせるほどに、不気味な姿をしていた。
スーデンの町でカンクリーを売っていた者が、この生き物の姿を見せなかったのは正しかった、とシャリーは思うのであった。
お読みいただきありがとうございます。
次は謎の生物、カンクリーを食します。
硬い殻と10本の手足を持つ生き物……
初めて見る人にとっては、やはり抵抗があるものなんでしょうか?
次回もよろしくお願いします。





